夢三十三夜を読んだキロール
はじめに書くが、これは感想ではない。
感想とは作品に向けて、己の感じた物を素直に書き記すものである。
今から綴る物は、作品に向けてではなく、作品を読んだ己に向けて発せられた感情である。
つまりこれはキロールと言う男が、己の非才を嘆くための文章かも知れない。
だが、そんな薄暗い物を書き記して悦に入るのも、間抜けた話だ。
もう少し、有意義な、誰かの糧になる文章を目指したい。
私がこの作品『夢三十三夜』を読んで最も強く感じたのは、作者個人が放つオリジナリティの光である。
このオリジナリティと言うやつが、結構私のやる気を削いでくれる厄介な代物である。
私の書く物語は、基本的に何処か見たような物が多い。
中には、既存の作品に影響を受けて書き出したものだってある。
例えば『帝都の狩人』は筑摩書房より出ている『妖怪処刑人小泉ハーン』の影響をもろに受けて生まれた作品だ。
断じてパクリではないが、完全なオリジナリティがあるのかと言えばそうでは無いだろう。
例えば『ボク達とレイジーとメイドさん』も、全く予期していなかったが似たような設定のスチームパンク小説が、私が小説を発表する前から書店に並んでいたようだ。
面白そうだなと手に取って、驚愕したのを覚えている。
それは少女(だと思う)が少女を護るためにスチームアーマーに乗って云々と言う話だったはずだ。
これは読んでいなかったし、後からその存在に気付いたわけだが、妙な敗北感を与えられた事を良く覚えている。
だが、この作品『夢三十三夜』はその様な事とは無縁なのではなかろうか。この発想が生まれる作者の知性と感性に、私はただただ脱帽するしかなかった。
そして、作品の感想を書き記す前や、その後にこんな事を書き記すのは作品自体に対して、申し訳なかったので急遽こんな形にした。
一度はこの部分は無かった事にしようかとも思ったが、どんな人間がどんな考えで感想を述べたのか、見えるようにしておくために敢えて書いた。
つまり、作品自体の感想と、作品を読んでキロールと言う男が感じた思いの二部構成で行ってやろう、そう思ったのである。
我ながら、馬鹿かなと思うのだが。
最後のまとめとしては、オリジナリティってどこに落ちてるんですかねェ、って事。
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