ルカによる福音書偽典を読んだキロール

 作者である偽教授様の別作品は読んだことがあった。

 忍びの一生を描いた作品だった。

 その方が書いたファンタジーであり、キリスト教系の話なのか宗教用語が散らばっている。

 私は教徒ではないが、無神論者でもないのでどの様な扱いなのか、少しばかり不安を覚えながら読んだ。

 不安の多くは、子供が育児放棄の果てに死ぬと言う冒頭を読み切れるかどうかにかかっても居たが。


 結果は読む事が出来た。

 そして、読み進めた果てにあったのは、不思議な余韻だった。

 元来、キロールは劣等感の塊である。

 オタク=暗いとか、色々と言われている時代をオタクとして過ごした私が劣等感を抱えているのは至極当然だ。

 その私が、これほどの話を読んで苛まれる事無く、余韻に浸っているのである。

 何方かのレビューであったが、第∞章∞節のような日常が、何処かにあれば良いとの言葉には、一も二も無く賛成しているのだ。

 この物語を紡ぎきった作者様に、ただただ畏敬の念を送るしかない。

 

 劣等感を刺激されなかったのは、自分には絶対に書けない物語だからかもしれない。

 そうである事を認めるのも、苦痛はない。

 それだけの物語だった。


 本当は興奮冷めやらぬままに感想を書きだそうとした。

 でも、出て来なかったのだ。

 最後のあるかも知れない救いが、私に与えた影響は正直良く分からない。

 これが浄化されると言う事なのかもしれない。

 これこそがカタルシスなのかもしれない。

 

 本当に、良い物を読ませて頂いた。

 ありがとうございます。


 そう感慨深く思う一方で、この域に近づくとか近づかないとか言う前に、私はまず作品をしっかり終わりまで導かねばならない。

 私が生み出した作品の数々は、息子には劣るが愛しいものだ。

 それらを完結させずに放置する事は、育児放棄に他ならない。

 生み出した以上責任があると、逆噴射聡一郎先生も言っている。

 そうして自分の色を、寄って立つ旗をしっかりと見定めなくてはいけない、そんな事を考えた。

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