ルビヤの石を読んだキロール
毎度のことながらこれは作品を読んだ感想ではない。
何というか、凄まじい作品だった。
創世神話や神の子、占い師たちの役割、彼等の生き方、その在り様は、数多の神話を彷彿させる。
そして、それを思うままに書き切った作者様が羨ましく思った。
自分も自分の世界の神話を、描いてみたいとは前々から思っている。
でも、私がそれを書けばきっとただの設定でしかなくなるだろう。
物語の組み込む事が出来ないのではないか、そのように思うのだ。
そして、これほど尖った物語を私は書けるだろうか。
確かに、画一的な物語など読まれないから、ある程度尖らせる必要はある。
皆が面白いなんて思えるものは書けないし、それを狙えばきっとぼんやりとした物語しかできないだろう。
だから、自分が面白いと感じた物を書いてはいるが……読者の目も一方で気にするのだ。
そのありもしない読者の目を意識すると、自ずとストッパーが働いてしまう。
そこまでぶち込まなくても良いのではないか、もう少しわかりやすい方が良いのではないか?
そんな事をつい考えてしまう。
だが、ルビヤの意思を読んで思ったことは、自分のその行いで作った物語は、画一的な物語とどの程度の差が出るのかという疑問だ。
自分の良さ、或いは自分だけの武器を潰しているだけじゃないのかと思うのだ。
確かに独りよがりな物語では駄目だ。
読者に無意味なストレスを与える物語では、意味が無い。
しかし、ルビヤの石はここまで尖っていながら、独りよがりではないように思える。
これが作者の力量と言う物なのかもしれない。
或いは、私とこの作品の感性が合っただけか。
それは分からないけれど。
自分が面白いと思える物語を、自信を持って書き上げることの重要性を改めて示してくれたように思う。
外伝については、個人的には惜しいと思った。
オカルティズムの色が薄れ、ニューサイエンスの色が見て取れる。
結局、天使も神も、その程度なのかと言うある種の絶望を覚えたともいえる。
ただ、ルビヤが。
彼がナイフで突かれた所は、非常に心を揺さぶられた。
物語に多く見られる父を超える息子の姿ともいえるが、昨今の事件なども思い出されて、少しばかり憂鬱になった。
外伝を読んで私が、キロールが思ったことは、子供はしっかり育てなくてはと言うことだ。
堕落する自由も自由の内だ。
だが、それを許す気は私の中にはない。
そんな事を真面目に考えた。
子供がいると、どうしても親と言う立場で物を考えるようになったなぁ、と言うのがキロールが今作を読んで最後に思った事だった。
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