第23話 愛さえあれば万事解決めでたし丸


自身の扱う雷が普段と違うことに気が付いたのは、灰色の雲の隙間から太陽の光が射し込む様子が見えた時のことだった。

それと同時に、真っ直ぐに降りてきていた筈の雷は急に角度を変え、一点に収束していく。

そうしてユーリの術は目的を果たすことなく、まるではじめから存在しなかったかのように消失したのだ。


「な…!」


目の前の光景に、ユーリが息を呑む。

自身の放った筈の渾身の一撃が、まるで空中で握り潰されたかのように消え失せた。


「何故…術が消えた…!?」

「…!?」


その現象の真下に居た桃鈴にも、何が起こったのか理解ができなかった。

ユーリが術の発動を止めるとは思えない。

瞬間、茫然と目の前を見つめる彼女の記憶の隅がちかりと光る。


「ア…」


『まだ若いお前にやるのは…そうじゃな。好きな子に告白する時は必ず天気が良くなるとかどうじゃ?』


リリーの声が甦る。

(これは…あの時の、)


「祝福術だ」

「っ!」


エリオットの声にユーリが我に返る。

予想外の事態に気をとられ、弟の姿を見失った。


「大切な人に想いを伝えている間…」


祝福術は神仏への誓願である。

決して万能の力ではない。

過ぎた大望は叶えることはできない上、その発動条件は他に類を見ないほど非常に狭く設定される。

だがその代わりに提示した条件さえ揃えば、他のどんな術式をもねじ伏せる絶対の力を発揮する。


「僕の上に、雷は落ちない!」


抜き身の剣を携えたエリオットが、背後からそれを振りかぶった。


「くっ…!」


ユーリが咄嗟に先ほど投げ捨てた剣を拾い、振り向きざま彼に向かって突き出す。

ところがそれがエリオットに届く瞬間、刃先が掻き消えた。


「消え…っ!?」


この剣が彼の幻術であるとユーリが理解する前に、側頭部に衝撃が走った。

脳がぐらりと揺れて、彼の巨躯が地面へと落ちた。

それと同時にユーリの顔面に貼り付いたのは土や砂利、彼が今まで知ることのなかった敗北の味。


「祝福術に、幻術…!こ、この…聖騎士の恥晒しが…!」


這いつくばりながら悔しそうに吐き捨てるユーリに、エリオットは鞘に剣をおさめて笑った。


「貴族はどうか知らないが、庶民は生き残った方が勝ちなんだ」











「ダリア家の票は…カサブランカ家に」


(っ…!)

ダリア家の当主代理人の言葉を、アイザックは万感の思いで受け取った。

華族投票、12票その全ての選択が明らかになったのである。

結果はカサブランカ家優勢で、6票対4票。

この日この瞬間、アイザックを領主に据えることが決まった。


「来た…!」


(エリオットが手元から去ったのは痛いが…領主の地位に就きさえすれば何とでもなる)

彼の心が歓喜に沸く。

まず着手すべきは、法律の改正に邪魔者の排除。

殆ど停止状態に追い込まれた和合の林檎の研究を再開させることもできるだろう。


「それでは…」


そしてアイザックの理想に必要なのは、あとはたった一言の宣言のみ。

司会役の査察官が手を翳す。


「それでは投票の結果を、」

「待ってもらおう」


飛んできたのはこの場の誰のものでもない声。

それと同時に外へと繋がる扉が開いた。

眩しいばかりの光の中に現れたのは、ひとつの人影。

一瞬その場の全員が、逆光により真っ黒な影として見えるのかと思ったのだ。

しかしながら目が慣れても人影は相変わらず皮膚や色というものがなく、黒いモヤのようだった。

警備員の制止も聞かずに、その人物は広間の中心へと滑るように歩を進める。

その様子を呆然と見ていたアイザックが、驚愕で目を見開いた。


「き、貴様は…!」

「……」


は彼を一瞥をくれたがすぐに視線を戻し、黙ったままある一点へと向かった。

その終着点、ダリア家当主代理が、慌てて席から立ち上がり頭を下げる。

そして黒い影に明け渡すように、その場所から退いたのだ。

彼女はダリアの花の紋様が描かれたそこに迷いなく腰掛け、凜然と口を開いた。


「十二華族の呪術師シャーマンが一族、アルメジオン・ダリア。これより全ての発言は、この華名とこの華命に懸けて嘘偽りない真実であると誓おう」


掠れた声だが、はっきりと言い切る喋り方は相も変わらずよく通る。

それに間違いなく本人であると皆が認識した。

彼女の本名はアルメン・ダリア。

ダリア家当主であり、ベアトリクスの姉。

そして10年前にアイザックが殺した筈の女。


「行方知れずと聞いていたが、生きていたのか…!?」

「あの姿は…」


ざわざわと騒がしくなる広間を放って、フィオは彼女に視線を向け優しく微笑んだ。


「お疲れ様。ジオ」


影がゆるりと動き、彼の姿を捉える。


「…遅くなったな」 

「いや良いタイミングだよ。…身体の準備ができるのはもう少し後になるけど、平気?」

「おかげさまでここまで回復したからな。問題はない」

「そう、よかった」


そこで言葉を切り、フィオが顔を上げ司会役の査察官に声を投げた。


「確か…代役を立てた家の投票権は、当主に移るんだったよね?」

「は、はい」


呆気にとられた表情を浮かべていた彼女が、我に返ったように手元の資料へと視線を移す。


「ちょうど10年前より行方不明の届けが出されていますから、今日現在においてアルメジオン様が当主であることに相違はありません」


その言葉に頷いて、ジオは目線を眼前に戻した。


「ならばダリア家当主、アルメジオン・ダリアの名に懸けて先の投票を撤回する。そしてマリーゴールド家に票を投じよう」

「っ…!」


アイザックが息を呑む。

(これで、5対5…!票が割れ、)

フィオと目が合った。

群青の瞳が薄く弧を描く。


「言ったろう?引き分けが良いところだって」

「この…!」


噛み締めた奥歯がミシリと音を立てた。


「引き分けとなった際には期間をあけて、再度民衆投票が行われる予定となりますが…」

「そんなことをしている暇はない!」


査察官の声を掻き消すように、アイザックが大声を出す。

(今ここで!決まらなければ!)

アルメジオンが証言すれば、10年前の罪が露見する。

一般市民ではなく当主、更には「殺された」本人が証言するとなってはアイザックに逃げ場はない。

当主を手にかけた者は誰であろうとも極刑だ。

当然、別の家の当主であってもその審判は変わらない。

アイザックが今ここで領主となり法改正を行わない限り、全ての罪が白日の下に晒される。

だがそんな彼の焦燥などどこ吹く風とでも言わんばかりに、査察官は涼しい顔で口を開いた。


「であれば選挙を放棄したと見なし、カサブランカ家の立候補権を没収させて頂くだけです」

「ぐっ…!」


(何故…生きていた!)

アイザックはあの時あの瞬間に間違いなく、自らの手で彼女をこの世から始末したのだ。

怒りと混乱で震える彼をよそに、ジオは会場を見渡してから口を開いた。


「…エリオットは行ったのか」

「うん…。苦労をかけたね」

「いやなに、面白いハッピーエンドを誰よりも間近で見られて、なかなか楽しかったさ」


ふたりの会話に、アイザックの中に確信にも似た仮説が浮かぶ。

(あの…娘か…?)

種族によっては身体を持たずとも生きられる者がいる。

アルメジオンやベアトリクスのような魔神ジンがその良い例だ。

しかしながら体を捨て精神体のみで存在し続けることは不可能に近い。

傷つけられても回復しない上に、体を持たない魂は徐々にすり減りいずれ消滅する。

それを知っていたから、アイザックは10年前、ジオの遺体を雷術で消し炭に変えたのだ。

絶対に再生することのない処理を行った上で、それをもって「この世から始末した」と見なした。

場所は海上に浮かぶ船の上。

彼との戦いで傷ついた精神体のアルメジオンが生き続けられる逃げ道など無かったはずだ。

(その時…あの東洋の鼠の中に…入ったのか!)

両者とも殺した筈だった。

桃鈴に至ってはわざわざ呪いを打ち込み、どう間違っても回復も蘇生もできないように細心の注意を払ったのだ。

(それを…死に損ない共が…!)


「我の計画はどこで狂った!」


取り乱したアイザックの様子に華族当主の間でどよめきが走るが、彼はそれどころではない。

全ての罪に身代わりを用意した。

自身の掲げた目標から道が外れぬよう、一分の隙もないよう、考えられる中で最高の手を打ってきた。

それなのに全ては今、音を立てて崩れ落ちようとしている。

綿密に積み上げた計画が破綻した原因を探して、アイザックが記憶を辿る。

(あの場に東洋人の娘が忍びこんでいたこと…!?いやそもそもアルメジオンを殺さねばならなくなった時…!?そこで狂った…!?)

10年前の事件を思い起こす。

あれが唯一、アイザックの予想を超えた出来事であった。

和合の林檎には目に見える自覚症状がほとんどない上に、彼に絶対の忠誠を誓うユーリやベアトリクスが情報を漏らすことはない。

事が露見するには随分と早すぎた。

アイザックの頭にふと閃きが落ちる。


「何故…」


顔を上げると、フィオと目が合った。

海の底、深淵のような瞳を前に、滑るように疑問が溢れ出す。

(そもそも、何故。こいつは計画を嗅ぎ付け、)


「どんなに強い力を前にしても…真実の愛さえあれば万事解決めでたし丸だからね」

「その台詞…クリスティーナかッ!!」


机に拳を叩きつけるのと同時に、ふたりに向かって電撃を飛ばす。

突然の攻撃に悲鳴が上がる中、フィオの水術が彼の雷を阻んだ。


「ぐっ…!このっ!」


彼の雷は空中に浮かぶ水の塊に吸い込まれ、目標に届くことはなかった。

それに夢中になっている隙に背後から拘束され、アイザックの顔面が机へと押さえつけられる。

フィオは席から立つこともなく、疑問に答えるかのように悠然と口を開いた。


「エリオットの母親…クリスティーナから秘密裏に接触があった。君が企んでいることの詳細と和合の林檎の情報を教えてくれたよ」

「っあの…!女…!」

「残念ながら助けられなかったけど…引き換えに彼女が願ったことはただひとつ。息子を助けてくれ。それだけさ」

「な、何故だ!」


(何故!!)

当然、クリスティーナにも和合の林檎は投与した。

エリオットやユーリと同じものを。

だから裏切る筈はないと、そう確信を抱いていたのに。


「あと…たった一手だった筈だ!!」


口惜しさに似た激情に震える彼に、フィオは静かに話し掛けた。


「認めろアイザック」


(…君には分からないだろう)

計画を破綻に導いた一手に彼が気が付くことができなかったのには理由がある。

アイザックは知らなかったのだ。

それが持つ力の本当の強さも大きさも。

最大限に利用しておきながら、彼が心の底から理解することはなかった唯一のもの。


「君の作り出した偽物の愛は、本物に負けたんだ」

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