第2話 その名はエリオット・カサブラッ


巨大な屋敷。

美しい建物と庭が見えるその門の前で、彼女は深い深いため息をついた。


「はァ…」


普段ならまるで竹のようにまっすぐな桃鈴タオリンの背中は、がっくりと丸まっている。

確かにここに来るまでに全裸の虎男ウェアタイガーに襲われかけたり、露出狂の小鬼ゴブリンに局部を見せつけられたりしたが、今彼女を悩ませているのはそこではない。

ちなみに両者共袋叩きにした。

見張りの兵士に顔を見せると、あっさりと門を開けてくれる。

(開かなければ良いと何度思ったことカ…)


「桃鈴。待ってたよ」

「…ワタシは来たくなかったヨ。フィオ」


そうぶすっとした顔で答える桃鈴の前で革張りの椅子に座るのは、全体的に色素の薄い男だった。

フィオと呼ばれた彼は爽やかな笑顔を浮かべているが、その裏に潜むものを桃鈴は知っている。

すると、そんな彼の隣に控えていた青年が立ちはだかった。


「桃鈴!貴様に決闘を申し込む!」

「へ?」


金髪の巻き毛に、空と同じ色をした碧眼。

真っ白できめ細やかな肌といい、まるで天使のような容姿だ。


「…誰?」


桃鈴が見たことのない顔である。


「我があるじに対する不埒な行い!このエリオットが側近となったからには、指をくわえて見ているわけにはいかぬ!」

「…不埒な行い?」


彼が誰かは知らない上、とんだ濡れ衣だが、桃鈴の中にひとつの解決策が浮かんだ。

(が無くなるに越したことはないネ)

このまま大人しく負けた方が自身の為になると判断し力を抜く。

ところが、のんびり後ろに座っていたフィオが口を挟んだ。


「桃鈴。あれができなくなったら、君は牢屋行きだよ」

「主に遣える聖騎士パラディンが一族!その名をエリオット・カサブラッ!」


最後まで言い切る前に、エリオットが吹き飛んだ。

派手に転がった彼は今蹴られた桃鈴に向かって、なんとか声を出す。


「ま、まだ名乗っていたのに…卑怯だぞ貴様…」

「貴族はどうか知らないけど、庶民は生き残った方が勝ちヨ」


言い切って、掲げていた足を下ろした。

(捕まるよりはマシ…)


「やあ桃鈴。来てくれて嬉しいよ」

「…あんな脅しかけておいてよく言うネ」

「じゃあ早速移動しよっか」


フィオはそう言いながら、嬉しそうに立ち上がる。

その様子に、捕まった方がマシかもしれないとふと思い直した。






エリオットには悩みがある。

先日から名誉ある仕事に就くことができ、仕える主人も尊敬できる男だ。

だか同時に、順風満帆の人生を歩む彼を悩ませるのは、その主人に他ならない。


「そういう店に行ったらいいだロ…」

「桃鈴だから楽しいんじゃないか」

「最悪ネ…」


人の目に触れる執務室から、小部屋に移動する。

桃鈴が中央の椅子に座って、靴を脱いだ。


「わあー。相変わらずグッとくる足だね」

「……」


小さな足が露わになって、その前に跪いていたフィオが頬を染めた。

反面、桃鈴は宇宙の果てまで引いたような顔を浮かべ、おそらくエリオットも同じ表情になっている。


『今から月に1度だけの客人が来るんだけど…』


今朝主から発せられた一言に、エリオットはいつも通り答えた。


『わかりました。丁重におもてなししましょう』

『よろしくね。ああ…楽しみだなあ』

『?その方は何をしにいらっしゃるのですか?』


彼の嗜好品を取り扱う商人でも来るのだろうか。

いたって健全な思考を持つエリオットがそれを聞くと、主人はまるで恋をする乙女のような顔をして、言った。


『私に、足を舐められに来るんだ』


是非、その時の彼の気持ちを考えてほしい。

尊敬する上司の元に勤め、今日も今日とて気持ち新たに頑張ろうと思っていた矢先だ。

女性の、しかもそれが専門でも恋仲でもない一般人の足の指をしゃぶるという性癖を暴露された部下の心情たるや、筆舌に尽くしがたい。

せめて家でやれ。

(僕の力不足のせいで止めることはできなかったが…)

悔しさで握った拳に力を入れるエリオットの前で、彼の上司は心の底から嬉しそうに桃鈴の足に優しく手を添えた。


「じゃあ失礼して…」

「さっさと終わらせるネ」


先程卑怯な手で勝ち逃げされたが、桃鈴の言葉には大きく賛成だ。

(女の足を舐めることの何が楽しいんだ…)

その何が楽しいのかわからない性癖を持つフィオは、悦に入った表情でそれはもう興奮気味に足の指を咥える。


「……?」


上司のそんな姿を注視するのは憚られ、思わずそらしたエリオットの耳に、フィオのものではない息遣いが聞こえた。


「……っ、」


見れば、桃鈴の固く閉ざされた唇から、小さな声が漏れている。

続いて体をびくんと震わせ、それに我に返ったのか慌てて両手で顔を隠した。


「…!?」


その様子を見ていたエリオットが動揺する。

どうも彼女の性感は足にあるらしい。

一生懸命我慢しているが、頬を紅潮させ、涙目で息を乱す桃鈴は、普段の子供っぽい外見からは考えられないほど扇情的だ。

舌を這わせたまま、フィオが微笑んだ。


「ほらやっぱり、いちばん反応が良いのは桃鈴だ」

「こンのっ…!死ネ!好かれたいのはお前じゃないヨ!」


顔を真っ赤にさせた桃鈴が、彼の顔面に向かって蹴りを飛ばす。


「主!」


エリオットが慌てて反応するが、すでに彼女の蹴りはフィオの顔面の中央を貫いていた。

首元から頭が吹き飛ぶ。


「クッ…普通の攻撃が効かないの、本当ムカつくヨ…」


桃鈴が悔しそうに唇を噛むと同時に、霧散した水が集まり、フィオの顔がもとの位置に戻った。


「全く効かないわけじゃないから、やめてほしいなあ。私がいなくなったらみんな困るよ?」


フィオ・マリーゴールド。

この地の領主であり、水精霊ウンディーネである。

そして末期の足指好きだった。






「はァ…疲れた…」


執務室に戻った桃鈴は、来客用のソファにぐったりともたれ掛かっていた。

もちろん涎まみれの不名誉な足はきっちり洗い流した後だ。

その様子をどこかツヤツヤした顔で見守るのは当事者の彼。


「桃鈴ありがとう。次は1か月後ね」

「…最悪ヨ」


例えどんな辱しめを受けようとも、彼女にはフィオの命令を聞かなければならない理由がある。

実は、桃鈴は不法入国者だった。

稼げる土地があると聞いて、汽車や船に無銭乗車し隠れてこの国にやってきたのである。

ところがその際、事故で彼女の存在が露呈してしまった。

幸か不幸か発見者はフィオだけで、彼は提示した。

それが、この地に居続けたかったら、月に1度屋敷へ来て足の指を舐めさせろとの条件だったのだ。

どう考えても狂人の戯言だったが、事実としてこの男は領主だった。


「はァ…なんでよりによって、コイツに見つかったんだロ…」

「何を言ってるの桃鈴。私じゃなかったら即牢獄行きだったよ」

「お前じゃなかったら、こんな目に合うこともなかったヨ…」


(もう嫁にいけないネ…)

最悪な気分になった桃鈴だが、毎朝自宅に男が侵入してきたり、散々男性器を見てきた時点で手遅れであると気付き、さらに絶望的な気分になった。


「不埒だ!やはり止めさせなくてはならない!決闘のやり直しを要求する!」


顔を真っ赤にしながら、エリオットがつかつかと寄ってくる。

それを一瞥したものの、だらりとソファに身を預けたま桃鈴が口を開いた。


「…で、このザコは誰ヨ」

「ザコ!?後悔させてやるぞ!」

「んー…新しい部下だよ。仲良くしてね」

「絶対嫌ネ…」


エリオットがソファの前まで来て、腰を落とした。

剣を抜きながら口を開く。


「今度は油断しない!僕の名はエリオット・カサブラ、」


彼が言い終える前に桃鈴が動いた。

右足で剣を鞘の中に押し戻し、回転しながらエリオットのこめかみを左足で蹴る。


「ギャッ!」


桃鈴がスタッと着地すると同時に、エリオットがグシャリと地べたに崩れ落ちた。

フィオが手を叩いて賛辞を贈る。


「わあ!相変わらず強い。君の活躍は聞いたよ。誘拐犯を捕まえたんだって?さっきは露出狂を連れてきたって聞いたよ」

「……」


あいにく捕まえたくて捕まえたわけではない。

本当なら出くわさないのが理想なのだ。


「桃鈴は今フリーの格闘家だよね?」

「あい」


桃鈴が頷く。

昔はパーティやギルドに所属したこともあったが、実力もついたので今は個人で仕事をこなしている。


「私の仕事も手伝ってくれない?」

「まァちゃんと報酬をくれるなら受けるけど…依頼はなにネ」

「今回はね、幻獣の捕獲」


少し考えて、桃鈴が首を捻った。


「…別に良いけど、部下に頼んだ方が早くないカ?」


フィオは領主だ。

わざわざ報酬を払って外部に委託するより、自身の部下なり兵士なりを使った方が確実で仕事の質も高いだろう。

だから桃鈴の疑問も当然ではあるのだが、フィオはあっけらかんと言った。


「あっうん。だから頼むよ。エリオットとふたりで行ってきてほしいんだ」

「エッ?」

「えっ?」


床に臥していたエリオットも顔を上げる。

領主は手を合わせて、にこにこと微笑んだ。


「ふたりで仲良く一角獣ユニコーン、頑張って捕獲してきてね」

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