第3話 一角獣を捕まえろ!


桃鈴タオリン!」


エリオットはその日、耳をつんざく大声に起こされた。

昨夜は枕が変わり安物のベッドになったので、あまり寝られなかったところにこの仕打ちだ。


「なんだ…?」


不機嫌な顔をしながら、被っていた薄いふとんをめくると、目の前には全裸の虎男ウェアタイガーがいた。


「うっうわあああ!」

「あれ?桃鈴じゃない?おかしいな、匂いを辿ってきたんだけど」


エリオットの顔を見て、ベッドに乗ったまま首を捻る。

ところがすぐに彼は笑顔になった。


「まあ良いや!桃鈴よりも綺麗な顔してるしな!交尾しようぜ!」

「ぼっ僕は男だ!」


慌てて枕元に置いてあった剣を抜き振りかぶるが、あっさりと虎男がエリオットの腕を掴んだ。

両者から押され刃がブルブルと揺れる。


「ち、力が強ッ…!」

「男でも関係ねえよ!女にしか見えないし自信持てよ!な!」

「なんの自信だ!」


彼は意味のわからないことを言いながら、それでもその馬鹿力で平然とエリオットに近づいてきた。

視界の中に彼の股間が映り、それに全身から汗が吹き出るような恐怖を覚える。


「ヒッ!」

「ホァタアアアァッ!!」


次の瞬間、轟音と共に虎男が吹き飛んだ。

見れば桃鈴が両足を合わせて、まるで銛のように男に突っ込んでいたのだ。

その一撃で気絶した彼の胸ぐらを掴んで、往復ビンタならぬ往復殴打を喰らわせる。


「まあ良いやじゃねーヨ!お前は穴があったら誰でも良いのカ!くそがァ!」


その横でエリオットは乱された服を直すのも忘れて、呆然と震えていた。

(しょ、庶民の日常とはなんて危険なんだ…!)






『『はァ!?なんでこいつと!?』』


その提案に、桃鈴とエリオットがフィオに食って掛かった。


『僕が離れてしまったら、一体誰があなたをお守りするのですか!』

『うーん、でも私が勝てない敵はお前も勝てないし…正直護衛の意味はないかなと思ってたんだよね』


その言葉にエリオットが、床に四つん這いになって落ち込んだ。

それを指差しながら、今度は桃鈴がフィオに直談判にかかる。


『あんなん絶対お荷物ヨ!ひとりで行くネ!その方が確実ヨ!』

『それがさあ…私のこの領主って地位は、10年毎に更新されるってことは知ってるだろ?』

『…?まァ。貴族の投票で選ばれるんだロ?』


いきなりの話題転換に、桃鈴が戸惑いながらも答えた。

フィオは頷いて先を続ける。


『そう。私としては来期も続けたいんだけどさ、今は他に力のある貴族もいて、このままだとそっちの方が選ばれちゃいそうなんだよね』

『…足を舐める趣味を持つような領主は代わった方が領民の為だと思うヨ』

『だから少しでも領民に媚びを売っておきたくて…これからは積極的に民の声を聞いていこうと思うんだ。今回の一角獣ユニコーンの捕獲も、農作物を荒らすと村人から苦情が来てね』

『お前の今の発言でいかに領主を辞めた方がいいかわかるネ』


先程の恨みかチクチク刺すが、残念ながら体と同じく心もダメージを受けないフィオは笑顔のままだ。


『でも、桃鈴がひとりで行って領主の使いだって言っても信じてくれないだろ?エリオットなら私の側近だし貴族だから、領主の使いだって言葉に説得力があるはず。かといって彼ひとりだけを送り出すのは心配だし…』

『えェ…』


桃鈴の顔は渋い。

するとフィオはまさに魔法の言葉を口にした。


『大丈夫!報酬は奮発するし、来月の足舐めノルマも無くしてあげる』

『イエッサー!やらせていただきますヨー!』






「何故ですか主…」


桃鈴が虎男を引きずって出ていった部屋で、身支度をしながら、エリオットは落ち込んでいた。

昨夜は件の村に1軒だけあった宿屋に泊まったが、煎餅のようなふとんに驚き、これまた薄い壁は隣の部屋の情事が丸聞こえ。

途中でキレた桃鈴が襲撃に行った後は静かになったが、エリオットは寝不足だ。

朝食が温かかっただけ救いである。

(こんな地獄に放り込むなんて…主は僕が嫌いなのだろうか)


「何してるカ。早く行くヨ、エリオ」

「エリオ!?僕の名前はエリオットだ!」

「ハイハイ」


さらに言うと同行者は目の前の少女。

このような異常事態に慣れたように対応する桃鈴は、エリオットからすれば野蛮で不埒な庶民である。

(早く終わらせて帰りたい…)

村外れの森へ向かって歩く彼女に声をかける。


「桃鈴。策は練らなくて良いのか」

「ああ、それなんだけド…」

「お前ら、一角獣を捕まえに行くのか?」


桃鈴の言葉を遮ったのは、ちょうど道を通りかかった猟師だった。

エリオットが前に出て、胸を張る。


「僕らは領主様の命で、悩める村人を救いに来たのだ」

「ああ。ご苦労さん。あいつのいるせいで農作物は食われるし、ガラの悪い余所者が出入りするから、早く居なくなってほしいんだよな」


ドワーフの男はそう言って、ふうとため息をついた。

一角獣は一週間ほど前に急に現れ、そこから住み着いてしまったのだそうだ。


「ただ気を付けろよ。一角獣といえば角も血も高く売れるだろ?一昨日もどっかの狩人のパーティが来て全滅してたぜ」


一角獣。

馬よりひとまわり大きな体躯に、額から伸びた長い角が特徴的な動物だ。

美しく貴重な幻獣であるものの、馬とは違い実際の彼らは象に打ち勝ったという逸話もあるほど凶暴な生き物である。

ところがこと捕獲に関しては、ある意味簡単だ。


「得意気に修道女シスターを連れて歩いてたが、どうも前日にそのメンバーのひとりと関係を持ってたらしくてな…」

「人間相手なら黙ってればバレはしないもんネ」

「そうそう。所詮獣だしそっちもバレはしないとナメてかかったら、一角獣の逆鱗に触れて全員オダブツよ」


一角獣が唯一敵わない相手が、処女である。

なんの因果か、彼女たちを前にするとまるで幻覚にでもかかったかのように膝の上で眠ってしまう。

その代わり、未通女かそうではないか判断する彼らの識別眼は100発100中だ。

さらに言えば個体によってはその基準はさらに厳しく、口づけのひとつでもしていようものなら暴れだして手がつけられない場合もある。

(何で見分けてるのかとか、深く考え出すと相当気持ち悪い話ネ…)


「今日びガキでもキスのひとつやふたつしてっだろ?そう考えるとほんまもんの生娘なんていねえわけよ。お嬢ちゃん若く見えるがいくつだ?」

「…24歳ヨ」

「は!?桃鈴、貴様僕より年上か!」


エリオットが口を挟むが、桃鈴は一瞥をくれただけだった。

(やっぱり年下カ…)

小人の血なので仕方がない。

こういうことには慣れている。


「24ならそりゃ無理だよなあ。案外、そこの可愛子ちゃん女装させた方が上手くいくかもな」


猟師の男は、エリオットを指差し笑った。






「桃鈴ー!これで本当に上手くいくんだろうな!」

「しっ、黙るネ」


湖の水辺に座りながら、エリオットが顔を真っ赤にさせて声を出す。

そんな彼は普段の凛々しい騎士服を脱ぎ捨て、村で借りた女物のドレスを身に纏っていた。

白いレースが目に眩しい。

元々女性的な顔立ちをしていた彼の女装は、本意ではないだろうがとても似合っている。

桃鈴は近くの茂みに身を隠しながら、じっとそちら観察していた。


「さあ来い…処女には変わりないヨ…!」

「最悪だ…」


桃鈴が意気込んでいた時、エリオットは頭を抱えていた。

隠すように盾と剣は用意してあるが、何にしても格好が最悪だ。

(聖騎士の恥だ…!大体、こんな雑な変装で来るわけないだろう。僕は男だぞ)

ブツブツと不満を呟くエリオットの視界を、真っ白ななにかが横切った。


「えっ?」


蹄と鼻嵐の音が聞こえて顔を上げると、目の前には輝く毛並みとまっすぐに伸びた角を持つ、一角獣の姿。

その背後の茂みの中で、合図を出す桃鈴が見える。


「なぜ騙されたのかは複雑だが、これぞ飛んで火にはいる夏の虫!」


エリオットが立ち上がった。

隠し持っていた剣と盾を構えて、口を開く。


「十二華族の聖騎士パラディンが一族!その名をエリオット・カサブラッ!」


言い終える前に、エリオットが吹き飛んだ。

一角獣からの強烈な一撃が盾ごと彼をはね飛ばしたのである。


「獣相手に何のんきに自己紹介してるカー!」


桃鈴が馬具を持って駆け寄りながらエリオットに声をかけた。

だが彼は横になったまま動かず、どうやら気絶してしまったようだ。

使えなさがすごい。


「このっ…」


角や脚を警戒して、前肢の横から一角獣に飛び乗った。

背に跨がると、捕獲用の頭絡を頭に通しぐっと手綱を引く。


「やっタ…!」


瞬間、馬上の桃鈴が見たものは、こちらに近づくもう1頭の一角獣の姿だった。

(なっ…!)

それに驚き、綱を握った手がわずかに緩む。

桃鈴の乗った一角獣が嘶いて、大きく前肢を上げた。


「アッ」


突然せり上がった背中に桃鈴が体勢を崩し、気が付いた時には地面に体を打ち付けていた。

ちょうど後頭部が木の根に当たり、脳が揺れるような衝撃を受ける。

ぼんやりと黒ずんでいく視界に映りこんだのは、2頭の一角獣。

(まさか複数いたとは…油断したネ…。蘇生術が効かないの二…襲われて死ぬのはまずいヨ…)

それでも桃鈴の意識はゆっくりと沈んでいき、やがて世界は黒く染まった。






〈お前に、誰にもない強さをくれてやる〉


真っ黒な世界の中で、その影は言った。

影は人の姿はしているが、ゆらゆらと揺れてまるで実体がない。


〈だがこの引き換え条件として、お前は今後異常な愛に囲まれるだろう〉


その人物は、人差し指を突き立てて口を開いた。


〈解く方法はただひとつ、〉


「桃鈴!」


名前を呼ばれて、桃鈴の意識が浮上した。

目を開け顔を動かすと、頭に鈍い痛みが走る。


「う…」


今なにか、重要なことを思い出したような気がしたのだが。

瞳に映るまだ霧がかったような景色の中に、先ほど出会ったドワーフの猟師の顔が見えた。


「お嬢ちゃん…」


その横には金髪と碧眼の彼も見える。


「エリオ…生きてたカ」

「…僕の名前はエリオットだ」

「油断したヨ。仕方ないネ。またいちから作戦練り直してもう一度来るヨ」


そう言って体を持ち上げようとした彼女は、予想外の方向からかかる力に押し戻された。


「エッ」

「…桃鈴」


エリオットが呆然と声を出す。

桃鈴の腿や腹の上には、その大きな頭を乗せてすやすやと寝息をたてる、2頭の一角獣の姿があった。






「…これは驚いた」


フィオは目の前の光景に、机に肘をつきながら呟いた。

1頭でも珍しい一角獣が2頭いたことにも驚いたが、それよりなにより。


「桃鈴。君、まだ男性経験が無かったんだね…」

「……」


その言葉に上から下まで真っ赤になってぶるぶると震える桃鈴の両脇には、彼女にぴったり寄り添う2頭の一角獣。

非常に懐いており、鼻先を擦り付けている。

フィオは畳み掛けるように続けた。


「その様子だとキスもまだでしょ?」

「うるさァい!」


桃鈴が吠えて、近くにあった置物を投げつける。

避けることもなく、フィオはそれを水で包んで衝撃を殺した。


「だってだって、一体誰としろって言うのカ!あんな変態ばかり寄ってくる状況でできるわけないネ!初めてが愛のない欲望だけのセックスなんて嫌だヨ!」


桃鈴がわあわあと叫びつつ、今度は飾ってあった甲冑を持ち上げる。


「キスからはじめてくれるような人もいなかったシ!みんな最初から体だったヨー!」

「一角獣の捕獲の話が来たら、桃鈴に頼むね」

「やめロー!24歳でキスもしたことないなんて言ったらどんな目で見られるカー!」


甲冑が投げ込まれ、フィオが受け止めた。


「私は別に良いと思うけど。深窓のお嬢様って感じで」

「ワタシがそうならどんなによかったカァ!ただの一般人の小汚ない娘だから恥をかくんだヨォ!」


案の定、ドワーフの猟師にはあの後死ぬほど爆笑された。

なんなら「あんまり大事にしすぎると腐るぜ!」という恥ずかしいお節介まで頂戴した。


「お前らに愛されたいわけじゃないネ!普通の人に普通に愛されたいだけなのに、難しすぎるヨォオ!」


すり寄ってくる一角獣を追い払い、桃鈴が叫ぶ。

涙まで浮かべたその真っ赤な顔に、フィオが肘をついたまま微笑んだ。


「ただの小汚ない娘とか、お嬢様じゃないとか…そんなことないのにね」


そう言ってちらりと背後を振り返る。

(少なくとも1名は、そうは思ってないみたいだし)


「……」


桃鈴の猛攻から主人を守ることも、なら自分が女装する必要はなかったじゃないかと文句を言うのも忘れて、エリオットは口元を手で抑えて立っていた。

その白い肌は、騒ぐ彼女と同じぐらい赤く染まっていて、開いた瞳からは動揺が見てとれる。

(24歳にもなって、口づけのひとつしたことがないなんて…)


「……」


(まるで、深窓のお嬢様みたいだ…!)

どうやら野蛮ではあったが、不埒ではなかったらしい。

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