第4話 ペットと恋人の両立は難しい
「まずいことが起きた!」
主人の焦ったような声に、エリオットは大慌てで執務室に駆け込んだ。
普段冷静なフィオがここまで取り乱すとは珍しい。
「何があったのですか!凶悪な幻獣でも出たのですか!?ハッ…それとも敵国の奇襲…!?」
エリオットが考えうる限りの最悪な事態を羅列する。
ところが彼は首を振って、今までに見たことがないほど真剣な表情で続けた。
「それよりも大変なことだよ…!」
「それよりも…!?」
思わずごくりと唾を飲み込む。
フィオはエリオットの肩を両手で掴んで、口を開いた。
「
「…そうやってワタシを探しに来るより、お前の主人を殺した方が世の中の為になると思わないカ?」
ここに来た経緯を話し終わったエリオットに、桃鈴は死んだ魚のような目を向けた。
彼も視線を背け、唇を噛む。
「…あれさえなければ…英明な領主なんだ…」
「ていうか、なんでアイツわかるノ…?ゾッとするヨ…」
そう鳥肌を立てる桃鈴の足元には、確かに彼女の脚をべろべろと舐める動物がいた。
「なんだこれは…?
エリオットの視線に気がつき、ワンと吠えたのは金色の犬のような生き物だった。
リスやサルに似た哺乳類から、鳥類、竜鱗類に近い容姿まで、その姿は一定ではない。
唯一の共通点は額に持って生まれる赤い宝石のみの、変わった種族である。
今回桃鈴が散歩させていた宝石獣にも、額に深紅の石が輝いていた。
「桃鈴のペットか?」
「違うヨ。仕事ネ仕事。旅行中の依頼人の代わりに面倒見てるヨ。可愛いし癒されるし飼いたいけド…」
しゃがんで宝石獣を撫でながら、桃鈴が言い澱む。
桃鈴はひとり暮らしである。
仕事の都合上、泊まりで出掛けることも多い彼女がペットを飼うことは不可能だ。
「それに、ペットなんて飼ったら孤独とか寂しさが吹っ飛んで、恋人なんていらなくなってしまうヨ…。それはなんかマズイ気がするネ」
「そういうものなのか…」
「でもそれも今日で終わりヨ」
そう言い切って、桃鈴が立ち上がった。
目を輝かせ嬉しそうに呟く。
「念願の恋人が見つかったネ。今から彼の家に行くヨ!」
「そ、そうか…」
瞬間、エリオットの胸にわずかな違和感が生まれた。
(……?)
何事かと首をひねる彼の前で、桃鈴は興奮気味に続ける。
「職業は商人らしいヨ!26歳でー…亜人なんだっテ!どんな顔してるのかなァ」
「……は?」
入ってきた言葉を脳が理解できず、エリオットの思考が停止した。
彼を置いて、桃鈴は楽しそうに手を合わせる。
「哺乳類系?両生類系?なんでも良いけど、虎だけは嫌、」
「まっ、待て待て待て!」
慌ててどんどん先へ進もうとする彼女を止めた。
慎重に、だがはっきりと質問する。
「…どこで出会ったんだ?」
「町の出会い系掲示板ヨ」
「……は?」
「文通から始まって、昨日の手紙で告白されたネ。それで今日初めて会うノ」
そう頬を染める桃鈴は、やはり幸せに満ちている。
満ちているが、エリオットはこの話を聞いた人全員が抱えるであろう疑惑を、そっと言葉にした。
「それ…絶対騙されてるだろ」
「はァ!?そんな訳ないネ!これは運命だねとか、桃鈴とならずっと一緒にいられそうとか言ってくれたんだかラ!」
力強く抵抗する彼女は、これが純愛だと信じて疑っていない。
(いや、疑いたくないのか…)
エリオットが頭を抱えた。
「直接会ったこともないのにそれだけ重いこと言ってくる奴がいてたまるか!大体なんだその怪しい掲示板は!」
「うるさいヨォ!黙れ!もう愛される為ならなんでもするんだよォこっちはァ!」
「必死すぎる」
どうやらまっとうに愛されない日々が続いて、焦りに焦っているらしい。
血走った目でべべべと唾を撒き散らす桃鈴に、エリオットは至極まっとうなことを言った。
「いきなり家に呼ぶなんておかしいぞ!行くのは止めておけ。それは何かの罠だ」
「そんなわけないしィ!きっと誠実で優しくて、ワタシを愛してくれる人に違いないんだからァ!」
「だから言っただろ…」
冷たい床に座り自分の手足を見ながら、エリオットは呆れた声を出した。
その白い肌には似合わない、手枷と足枷が付いている。
「……」
そして、その横で同じく枷を付けられて、床にうつ伏せになっているのは桃鈴だ。
あまりのショックに静かになっているが、意識はある。
「まさか本当に来るとは…。誘い出すのチョロすぎて、偽者かと疑ったぞ」
そんなふたりを鉄の格子ごしに眺めるのは、桃鈴の“恋人”のはずの男だった。
「ふたりで来たのは予想外だったが…弱くてあっさり捕まえられたしな」
「くっ…!」
あの後、「そんなに言うなら付いて来い」と強気に出た桃鈴に連れられて、この男に会いに来た。
実際に目の前に現れた男は、26歳の
さらに職業は商人であり、嘘ではなかった。
「桃鈴。掲示板に名前があったのを見た時は歓喜したぞ。お前はこの俺、サロワーズの商品に相応しい!お前が欲しい研究者や闘技場の人買いはたくさんいるんだ」
だが商人は商人でも、非合法の武器や薬、はたまた人まで扱う闇商人だったのである。
今回は商品として桃鈴を手に入れるために近づいたと。
サロワーズは細い舌をチラチラと出しながら、嬉しそうに続けた。
「お前の黒目と黒髪もそこそこ貴重だが…なによりその体質が興味深い。魔術、呪術に神術に幻術…あらゆる術式が効かない身体などそうはいないぞ。その代わりに自分も扱えないようだが」
「そうなのか…?」
桃鈴をちらりと見やるが、返事はない。
(確かに、無効化魔法程度の話ではなく、そもそも効かない体質の者がいると聞いたことがある。相当稀だが)
実際エリオットが知っている限りでも、桃鈴の他にひとりだけだ。
「檻も枷も、ドワーフが鍛えたミスリルが使われている。本来は猛獣用だが、そのくらい用心するにこしたことはないだろう」
「クッ…男の僕のことはどうする気だ!桃鈴と同じように闘技場行きか!?」
「いや、お前は高く売れそうだから、男色家のジジイの間で競売にでもかける」
「えっ」
予想外の言葉に、エリオットの身体から汗が噴き出した。
あまり想像はしたくはないが、それは最悪な運命であることは理解できる。
いっそ殺してくれ。
「桃鈴!起きろ!このままだと奴隷になるぞ!」
慌てて、隣の彼女にずり寄って起こす。
しかし桃鈴は身体はそのままに顔だけ上げて、力なく微笑んだ。
「ふふ…。エリオは愛してもらえるっテ。おめでとうネ…ワタシは売られても愛されないヨ…」
「おいぃ!誰がそんな気持ちの悪い変態に愛されたいものか!大丈夫だって!お前もきっと研究者とかに愛してもらえるから!自信持て桃鈴!」
「ふん。明朝から準備を始める。せいぜい覚悟を決めておくんだな。後で見回りに来るぞ」
「やめろー!普通に殺せー!頼むから!!」
エリオットの懇願を背中で聞きながら、サロワーズが出ていった。
扉が閉まり去っていく足音が音が響いた後、桃鈴がもそりと体を起こす。
「はァ…。出るカ」
「あ、ああ。その気はあったのか。よかった」
「当たり前ヨ!奴隷なんてもっと恋人できにくそうだし嫌だネ!!絶対幸せになってやるんだからァ!」
「そ、そうか…」
そう叫ぶ彼女はとても必死である。
この様子ではまた騙されそうだ。
「でも…確かにこれじゃあ、脱出は簡単にはいかないヨ」
桃鈴が力を込めるが、手枷はびくともしない。
どうやら本当に猛獣用のそれらしい。
「…エリオ。ほら」
「……?」
「お前、
力ずくでこの檻を開けるのは不可能だ。
幸い相手は桃鈴のことしか知らず、エリオットの存在は予期していたものではない。
ならばそこに付け入る隙があると判断した桃鈴の提案だったが、エリオットは言いにくそうに目を逸らした。
「……」
「?」
しばしの沈黙の後、小さな声を漏らす。
「僕はその…父親は神族だが、母親が
「…森妖精…。よく
「…そうだ」
「……」
森に住む人型の妖精である。
特徴はその類いまれなる美しさにあり、しばしば他種族を誘惑する好色生物だ。
「…だからそんなに弱いんだネ」
「う、うるさい!」
明らかに戦士としては不向きである耽美な顔立ちや華奢な四肢には、違和感を持っていた。
他種族同士が交配した場合、子はどちらかの血統に偏る場合が多い。
エリオットは明らかに母親寄りの種族だ。
「…ン?てことは…」
「……」
一般的な聖騎士が使える聖術から、魔術、死霊術に至るまで、この世には100を越える術式が存在する。
それを使いこなすには後天的な努力よりも、血筋が大きい。
そして、妖精が専門とするのは、少なくとも聖術ではない。
「…お前、聖術が使えないくせに聖騎士を名乗ってるのカ」
「きっ、貴様だって神術が使えないのに
エリオットが真っ赤になって暴れだす。
騎士としての鍛練を欠かしたことはなかったが、自身の体を流れる血には抗えない。
上達するのは騎士に“ふさわしくない”術ばかりで、戦闘や光魔法の類いは一向に伸びなかった。
「……」
そしてそんな彼の顔を、桃鈴は目を細めて見てきた。
エリオットが不機嫌そうに声を出す。
「…なんだ。お前も僕を馬鹿にするのか」
「いや…」
桃鈴が首を振り、にやりと笑った。
「下手な聖術より、今はそっちの方が都合が良いヨ」
「…へ!?」
その表情にとてつもなく嫌な予感がしたことは、言うまでもない。
扱う商品の善悪はともかく、サロワーズは優秀な商人である。
元軍人という経歴を持つ彼の、度胸と腕っぷしは折り紙付き。
オークの集団に槍を突きつけられようとも、商談をやり通したこともある。
(そうだ…俺は商人なんだ)
「ねえ…」
だが商人の彼は、現在商品に手を出そうとしていた。
鋼の精神力を持つとまで言われたサロワーズの心をかき乱すのは、どんな麗しい美女でもなく、妙齢の青年だった。
「聞いてる…?」
「あ、ああ…」
動揺を悟られないように慌てて返事をすると、鋼鉄の檻越しにエリオットと目が合う。
「その…僕をそっちに呼んでくれない…?」
そう囁くように声を出す彼は、非常に扇情的だった。
白い頬は真っ赤に上気し、瞳は潤み呼気は熱い。
乱れた服から垣間見える首元に、思わずサロワーズが生唾を飲み込んだ。
「すぐ閉めれば大丈夫だから…。桃鈴は寝てるし、枷がついてるから急には動けないよ」
そう話すエリオットの背後には、確かに扉からいちばん遠い隅で横たわる桃鈴の背中が見えた。
(この華奢な男だけなら、例え暴れだしても俺の力で抑えられる…いや駄目だ)
麻痺していく思考の中で、辛うじて残った理性を必死で総動員させる。
彼は商人だ。
自ら商品の価値を下げる行為を行うなど愚の骨頂であることはよくよく理解している。
「ダメ…?」
理解はしているが、次の瞬間サロワーズは牢の鍵を開けていた。
エリオットを連れ出し、すぐさま扉を閉める。
桃鈴が未だに動かないことを一瞬だけ確認すると、すぐに彼を押し倒した。
エリオットは濡れた瞳で彼を見上げ、大きく口を開けた。
「桃鈴!今だ!早くしろ!頼むから早く!早くぅううう!!」
「はっ…!?俺は何を…!」
次の瞬間、サロワーズの両肩に衝撃が走った。
桃鈴の足枷が目の前を通り、脚でグッと首を絞められる。
(何故ここに…!?中にいたはず…!)
思わず牢屋に視線を向けて、驚愕した。
桃鈴だと思っていたものは、ただ上着を丸めただけの布の塊だったのだ。
いくら何でも人間と見間違うはずがない。
そしてそもそも、サロワーズには同性に欲情する性癖は、ない。
「これは…魅了術と…幻じゅっ…!」
最後まで言いきれず、ふっと意識が飛んだ。
「……」
桃鈴が地面に降り立つと同時に、背後でサロワーズの身体が崩れ落ちた。
そして、あまりの恥ずかしさに顔を抑えるエリオットを覗き込む。
「エリオ…。お前転職した方が、」
「うるさい!やめろ!なんであんなことをしてしまったんだ僕は!」
本当なら、騎士らしく格好よく光魔法や剣で解決したかったのだ。
それができなかったのは、ひとえに彼の実力不足に他ならない。
(い、いくら鍛えても筋肉のひとつ、聖術のひとつ、満足に身に付きはしなかったのに…!)
そのくせ幼い頃に基礎だけ齧った魅了術や幻術が、ここまで使いこなせるとは本当に忌々しい。
悲しいやら悔しいやらで奥歯を噛み締めるエリオットを、桃鈴は肩を叩いて励ました。
「あのままいってたら、売りに出された挙げ句本当にケツ掘られてたネ。庶民は生き残った方が勝ちヨ」
「僕は貴族だ!」
「なるほどね。エリオットが聖術を使えないことは知ってたけど、魅了術を使えるのは初耳だったなあ」
「うう…こうして僕の醜聞は広まっていくのか…」
翌朝。
領主の屋敷に来てもまだ、エリオットは落ち込んでいた。
サロワーズは現在、警備団に取り調べを受けている。
「財産を全部投げうっても良いから、エリオットに会わせてくれって言ってるらしいよ」
「えっ…死んでもやめてください」
(術の効果はとうに切れたはずなのに…何故だ…!)
恐怖に怯える彼をよそに、桃鈴が他人事のように呟いた。
「魅了術ってスゴイんだネ。ワタシも会得したら普通の恋人できるかなァ」
あれだけ冷静で無慈悲なサロワーズが、人に、しかも男に夢中になる様は見ていて奇妙な光景だった。
術という術を全く通さない桃鈴にでも、エリオットがなんだかエロいなぐらいの感覚は持った。
「うーん、簡単そうに見えて、相手を一時的な陶酔状態にさせて思考を奪う高度な術だからね。淫魔でも習得は容易でないと聞くよ。そもそも桃鈴、術式は扱えないし」
「そうだっタ…」
(この体質も、回復術とか蘇生術も効かないのは不便なんだよなァ…)
頬杖をついて考える桃鈴を横目に、フィオが口を開いた。
「それはそうとエリオット。ユーリが君のことを呼んでいるよ」
「!兄上が…」
その金髪がびくっと揺れて、エリオットが顔を上げる。
神妙な面持ちで口を開いた。
「わ、わかりました…。少し席を外します」
「…うん」
エリオットが部屋を後にする。
残された桃鈴は、彼が消えた方向を見ながら、ぽつりと呟いた。
「あいつ兄なんていたんだナ。変な顔して行ったけド」
「…彼の父親は元騎士団長で、兄は現騎士団長だからね…。色々あるのさ」
「ふぅン…エリートだネ」
貴族には貴族の悩みがあるのだろう。
そうひとりごちる桃鈴を、フィオは笑顔で振り返った。
「ところで桃鈴。今月は無しの予定だったけど、サービスで足舐めさせてくれない?」
「絶対嫌ヨ」
「……はあ…」
エリオットは、肩を落として屋敷の廊下を歩いていた。
離れでの用事が終わり領主の執務室に向かいながらも、彼の頭に繰り返し甦るのは先の光景だ。
『エリオット…』
騎士団長に特別に与えられた部屋の中で、その主である男はため息をつた。
『聞いたぞ。またあのような低俗な術を使ったのだろう…?』
『…申し訳ありません。し、しかしながら兄上。あれがなければ逮捕には至りませんでした』
『そういうことを言ってるんじゃない。あんな術に頼るしかないとは…エリオット。お前は本当、聖騎士の面汚しだよ』
その言葉に、エリオットの肩が揺れる。
男は、まるで虫を追い払うかのように手を振った。
『もう良い。下がれ。この事は父上に報告させてもらう』
「…フィオ様の側近に選ばれて、やっと認めてもらえると思っていたのに…」
エリオットが呟く。
(また…父上に呆れられてしまう)
「エリオ!」
名前を呼ばれ、階段を登っていた足を止めた。
この呼び方をするのは彼女だけだ。
見れば荷物を持って、階段を降る桃鈴がいた。
今から帰るところなのだろう。
「だから…何度も言ってるだろう。僕の名前は、」
不機嫌そうに否定しかけたエリオットの頭を、慣れない感触が襲った。
桃鈴の小さな手が、よしよしと金髪の上を行き来している。
「今回はありがとうネ。お前のお陰で助かったヨ。見直したネ」
「……」
「騙されたのは最悪だったけど、蜥蜴が指名手配されてたお陰で報奨金が受け取れたのはよかったヨ。このお金で今度は社交パーティーに行ってやるネ」
桃鈴が新たな決意を胸にその場を離れていく。
エリオットはしばらくそのまま固まって、目だけで彼女を見送った。
「……!?!?」
思考回路が復活すると同時に、ぼんと顔から火が出るような感覚に襲われる。
先ほどまでの暗い気持ちが嘘のように吹き飛んでいき、鼓動がうるさいぐらい鳴り響いた。
咄嗟に湧いた想いが何なのかはわからなかったが、それ以上に彼は気付いていなかった。
今桃鈴が世話している宝石獣と自分の毛色が全く一緒であることも、あの犬型の生き物の名前がエリオンヌであることも。
だから、今自分がペットと全く同等の扱いを受けていたことなど、知るはずがないのである。
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