第6話 人生、死ぬまで勉強だ


「はー…」


本を読みながら、桃鈴タオリンは感嘆の声を漏らした。

今日は仕事も予定も無く、自宅にてのんびり過ごしている。


「桃鈴!読書する暇があるなら交尾しようぜ!」

「…レオ。黙れ」


そんな優雅なひとときを送る彼女の耳に、最低な一言が届いた。

鍵はかけてあるはずなのに一体どこから侵入したのか、目の前には虎男ウェアタイガーのレオナルドの姿。


「何読んでんだ?『女夢魔サキュバスイリナが教える、男を虜にする十戒』?」

「…そうだヨ。凄く勉強になる本なんだから、邪魔しないでネ」


ジトリと睨むが、レオナルドは何処吹く風。

気持ち良く声を出して笑った。


「馬鹿だなあ桃鈴!そんなに交尾がしたかったのか!俺に言ってくれれば良かったのに!」


そう言いながら、彼はずるんと服を脱ぐ。


「さあ!桃鈴も脱、」

「馬鹿はお前ネェエ!」


次の瞬間、半裸のレオナルドは勢い良く家から外に飛び出た。

蹴り飛ばしたばかりの脚を下ろし、桃鈴が顔の汗を拭う。


「ふゥ…これでしばらくは集中できるヨ」


すると玄関の外から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「わーっ!何だ貴様は!」

「あれ?お前、この前の…。良いところに来たな!さあ脱げ!」

「うっうわあぁああ!やめろぉおお!」

「……」


桃鈴がゆっくりと目を閉じる。

言いたい事はとても、それはもう色々あるが。


「とりあえず人の家の前でおっ始めようとするなァ!」






「ひどい目にあった…」


間一髪ならぬ間一発のところで救出されたエリオットは、桃鈴の部屋にいた。

家主が出したお茶に一息つきながら、乱れた髪や服を直す。


「今日来たのは、吟遊詩人事件で分かったことを伝える為だ」

「あァ。あいつ吐いたのカ?」

「あの後…一晩明けて室内に突入したが、奴の状態はひどいものだった…。全部話すから助けてくれと僕たちに泣いてすがってきた」

「銀婆すげェ」

「ふたりを引き離すの大変だった…部下が何人か犠牲になったし…。いやそれは良いんだ」


エリオットが悪夢を掻き消すように頭を振った。


「結論から言うと、ラニャの目的は、どうやらあの催し物で騒ぎを起こす事だったらしい」

「…それは穏やかじゃない話ネ」

「フィオ様は現領主だが…次の領主選挙の最有力候補でもある。そんなあの方が主催された行事で何か問題が起これば、選挙に響く。それを狙ったのだと思う」


それを話す彼の声は暗い。


「巨神族の女はラニャの傀儡だった。あの程度の騒ぎに警備団がどれだけ早く対応できるか、それを確認するために襲撃させたらしい」

「それであの女を吹っ飛ばしたワタシに目をつけたのカ。警備に支障が出るもんナ」

「そうだ。さらには桃鈴を使って、次の日フィオ様も見に来る公演で大きな騒ぎを起こすつもりだった…というのが彼の供述だ」

「ふゥん…」

「ラニャの傀儡となっていた女性は全員救出した。魅了術で自分の信奉者にさせて、それから使えそうな者を自宅に招いて傀儡にする…桃鈴に使おうとしたやり口と同じだ」


(あんな手に引っ掛かるとは、どいつもこいつも警戒心が薄いネ)

蜥蜴男リザードマンに騙されたことを忘れ、桃鈴が自分のことを全力で棚の上に放り投げる。


「報告ありがト。まあ仕事も終わったし、ワタシには関係ない話ネ。エリオも早くフィオのとこに帰るヨ」


そう言いながら読書の続きをしようと本を取り出した。

ところが普段ならば名前の修正を入れてくるエリオットの文句が無い。


「いや…僕はこの後自宅に帰ることになっているから…」


心なしかしょんぼりと眉を下げた彼は、手の中の茶器をいじりながら口を開いた。


「なあ…ラニャの事、どうしてわかった?」

「エ?どうしてって…説明しただロ?」

「そうじゃない…僕は君と同じものを見た。吸血鬼ヴァンパイア半人半鬼ダンピールのことも書物で読んで知っていた。でも僕はラニャの正体にだって、企みにだって気が付けなかった。こんな自分に…嫌気が差す…」

「……」


(読書したいんだけどなァ…)

桃鈴が頭の後ろを掻いた。

彼はこの仕事を始めたばかりのはずだ。

無視をしたいが、彼が落ち込むその感覚にはどこか覚えがある。


「ワタシだってそんな凄くはないけド…。力が強いのだって、生まれつきだしネ」


桃鈴は、彼女の国では鶴国カクコクと呼ばれる種族である。

細身の小人ではあるものの、こちらのハーフリングとは違い、常人よりも強靭な四肢を持つ。


「鶴に丸飲みされるほど小さいってことが語源らしいヨ。まあ確かにご先祖はそのぐらい小さかったみたいだけど、今は小さくても子供ぐらいかナ」


身体が小さいことは自然界において圧倒的弱者であることを意味する。

それを補うように、いつの間にか彼らは頑強な手足を手に入れた。


「ワタシよりも凄い奴なんてたくさんいるネ。例えばフィオはたぶんラニャの話を聞いた時点で、傀儡術の使用を疑ってたと思うヨ。だから奴がもっと力を増す前に自分のもとに招いたネ」

「そうか…」


さらに冴えない表情になるエリオットに、桃鈴は指を立てて続ける。


「教えてやるネ。あいつが何で分かったか、それはフィオがジジイだからヨ」

「じっ…!?」

「しれっと若者面をしてるけど、実際80歳は越えてるヨあいつ。…エリオ、お前いくつネ?」

「19だ」


その一言に桃鈴が顔を抑えて落ち込んだ。

彼を慰める為に聞いたことだったのに、まさか自分にこんなダメージが来るとは。


「10代かヨ…。結構なショックネ…」

「に、24の桃鈴もかなり若いと思うぞ」

「黙れ。まァ、そうヨ…ワタシとはご、5歳も差がある訳デ。そんなぽっと出の若造に越えられるほどワタシの5年は軽くはないヨ。ましてやジジイのフィオとは60年の差があるだロ?」


お茶を入れ直して、桃鈴が口を開いた。


「5年前の話をしてやるネ」

「5年前?」

「あい。今のエリオと同じで、当時のワタシは道場を卒業し、格闘家としての一歩を踏み出したばかりだったヨ」


腕に覚えはあったものの、名前が売れていなければ経験もない。

まずは桃鈴でも受けられる仕事を見つけることが困難を極めた。


「こっちの小人はドワーフ以外、だいたい力が弱いだロ?だから髭の生えてない小人で格闘家モンクはあり得なくって、最初から相手にされなかったヨ。かといって術も使えないから後援も無理ネ」


それでも働かなければ家族に仕送りどころか、自身の生活も成り立たなくなる。

死に物狂いで探した先で、桃鈴はあるギルドにたどり着いた。


「ちょうど抜けた戦士の代わりを探しててネ。かなり名前の知れたギルドだったし、ここに入れれば後々生活には困らなくなると思ったヨ。貼り紙を見て慌てて応募しに行ったネ」

「歓迎してくれたのか?」

「いや…まァ当然のように相手にはされなかったんだけど、そこでワタシはある男に出会ったヨ」






『絶対!駄目だ!』

『何でヨ!こんなに困ってるのに!けちネ!』


ギルドのテントの前で、桃鈴は騒いでいた。

目の前には鷲の獣人の姿。

彼は羽根のついた腕を目の前に掲げて、バツ印を作った。


『ハーフリングの格闘家なんて信用できるか!おとなしく町の酒場で給仕でもしてろ!』

『あんな脆弱な種族と一緒にするじゃないネ!鶴国だって言ってるヨ!』

『何!?ハーフリングでもないなら更に要らん!足手まといを増やすことになるだけだ!』


とりつく島もないその回答に、桃鈴の頬がむっと膨らむ。

続いて吐き捨てるように呟いた。


『この鶏が…』

『オイ。私は神鷲鳥ガルダだ』

『お願いネ!頼むヨ!今日こそ仕事を決めないと、ごうつくババアに家を追い出されるネ!』

『知るか!ならさっさと町で安全な仕事を探…』

『クジャラ。でかい声出してどうした?』


溌剌とした声と共に、テントの中からリーダー格の男が姿を現した。

事情を聞くと、彼は豪快に笑って自分の胸を叩く。


『そんなに言うなら入れてやれば良いんじゃねえ?格闘家はちょうど欲しかったし』

『隊長!こんなガキの言うことを真に受けるつもりか?』

『初仕事で様子見てやったら良いだろ。本人が格闘家だって言うんだ。信用してやろうぜ』


そう言って、彼は桃鈴の頭にぼんと手を乗せた。

その大きな手を動かしくしゃくしゃと撫でる。


『がんばれよ!』






「それは…」


噺を黙って聞いていたエリオットが、ため息と共に声を漏らした。


「格好良いだロ?彼は顔もガタイも良くて。さらには性格も裏表がない上に、面倒見も良い。それを鼻にかけることなければ浮いた話題のひとつもなく硬派。まァ人気の高い男だったヨ」


実際、その人望の厚さから、彼はギルドの隊長になった。

そして彼の一声で桃鈴は条件付きとは言えど、無事に仲間になることができたのだ。


「その男のことは…好き、だったのか?」


それを話す彼女にわずかな違和感を感じ、エリオットが思わず疑問を口にした。


「…当時はそんな感情もあったかもネ。もう彼は居ないから…今となってはわからないけド」

「…そうなのか…」


桃鈴は遠い目をしながら微笑む。

どこか切なく大人びた表情に、エリオットの胸が痛んだ。

(……?)


「当時、ギルドの主な収入源は、幻獣の捕獲や宝探し。顧客は金持ちや商人だったネ。ワタシに来た初仕事も、ドラゴンの巣から宝を取ってくるものだったヨ」


桃鈴が目を閉じる。

忘れもしない。

あれは自分の人生を変え、隊長が居なくなる原因となった事件である。






『今回狙うのは、ファフニールの貯め込んだ黄金だ』


クジャラはそう言って、自身の背後を指さした。

山の中腹、緑がほとんどない岩場の間に、大きく口を開ける横穴がある。

中には巨大な竜の姿。

どっしりした身体に長い首の先には凶悪な顔、その暗緑色の鱗は日に照らされて光っている。

ファフニールは中型の竜である。

羽根は小さく飛べないがそのぶん足腰が強く、中型と言えど家一軒ほどの背丈がある生物だ。


『なによりあいつの息には呪術が組み込まれているのが厄介だ。当たると呪いが全身を巡り死に至る。だから、いくら弱点だからと言って頭部には近付かないよう気を付けろ。油断するなよ』


ファフニールの全身は硬い鱗で覆われており、そうそう刃を通さない。

その硬さは専用の武器があるほどで、それを背負いニカリと笑うのは隊長だ。


『グラムも準備したし大丈夫だ!俺が近距離で気を引いて、後衛班がその助太刀、クジャラ達泥棒班がその隙に宝を奪うってことで良いんだろ?』

『泥棒班と言うな』


呆れたように口を挟んだクジャラは、振り向き桃鈴を見た。


『ガキ、いいか。今回は竜の討伐や捕獲じゃない。欲張ると戻ってきた時に逃げられなくなるからな。いつでも全力疾走できるぐらいに留めろよ』


彼女は術も使えない上にその小さな体躯だ。

戦闘向きではないだろうと見なし、今回は宝の回収に回した。

背負ったカゴが既に地面に付きそうな桃鈴の体で、果たしてどの程度持ち帰られるのか疑問ではあるが。

(俺が多めに持って帰るしかないか…)






『今だ!』


隊長の斑がファフニールをおびきだす。

それを確認して、クジャラ達が巣穴の中に入った。

目が眩むほどの黄金の山が現れるが、今はそれをじっくり見ている時間はない。

大急ぎで自分が背負うカゴに詰め込み、振り返った。


『終わったか!?行くぞ!』

『あい!』

『オイィ!』


クジャラが叫ぶ。

あれほど言ったのに、桃鈴は山というほど黄金を背負っていたからだ。


『お前それで欲張ってないつもりかぁ!』

『はァ!?だから全力疾走できるぐらいにしたロ!』

『何言って…』


彼が言い切る前に、遠くの方から悲鳴が届く。

慌てて外を見ると、そこには予想外の光景が広がっていた。


『何があった…!?』


竜の足元、地面に膝をつく隊長の姿が見える。

その体は足元から黒く染まりつつあり、ファフニールの呪いを受けたのだと察する。

術士達が必死で竜の気を引いているが、全滅するのは時間の問題だ。


『まずい…!あそこで死んで竜に食われたら、そう簡単には蘇生できないぞ…!』


クジャラ含め、残ったのは攻撃力よりも機動力や敏捷性に重きを置いている者達のみ。

とてもではないが竜と渡り合うことはできないだろう。

(ここは一旦引くしか…)


『クジャラ!竜は頭部が弱点って言ってたナ!?』


桃鈴の声で現実に戻された。


『あ、ああ…。竜全般は額に卵をぶつけたら死んだなんて笑い話もあるぐらいだが…実際は牙や炎息のせいで試せたことはない!』


そもそも背丈がある竜の頭部を攻撃することは難しい上、人を丸飲みできる口は脅威そのもの、さらに種類によっては炎や呪いを吐くものも存在する。

討伐も基本的には比較的柔らかい腹の部分を狙うのが鉄則だ。

桃鈴は少し迷って、彼の瞳をまっすぐ見据えた。


『隊長は、ワタシを唯一信じてくれた人ヨ。助けたい気持ちに偽りはないネ。クジャラ、ワタシを信じロ』






『やっちまった…』


竜の足元で、隊長の彼は膝をついていた。

誘きだすことにも成功し、あとは適当な距離を保ちながら引き付ければ良いだけの話だったのだが。

想定外にファフニールが、後援をしていた術士を襲ったのだ。

それを庇う際に、足先をわずかに竜の息が掠めた。

避けたと思った攻撃だったが、その瞬間から呪いはじわじわと全身をまわり、あっという間に動けなくなる。

手足がぴたりと固まり、肺が少しずつ締められいくような感覚。

(俺も終わりか…)

そうひとりごちる彼の頭上を、大きな影が通過した。


『あれは…クジャラ…?』


見上げれば、ファフニールの頭よりも上、はるか上空を神鷲鳥の彼が翼を広げ飛んでいる。

彼とは、有事の際は仲間を最優先に逃がせと決めてある。

勝算がないこの状況で、一体何をするというのか。


『オイ!』


飛びながら、クジャラが自分の足元に向かって叫んだ。


『良いのか!?このまま頭に落としたら、確実に呪息を受けるぞ!』

『構わないヨ!呪いが全身を回る前にノックアウトさせるネ!』


彼の足に捕まる桃鈴から出てきたのは、到底作戦とは言えないような内容。

勢いに圧されてまともに話も聞かず出てきてしまったが、早くも後悔が襲った。


『…っ無理だ!いくら弱点と言えど、竜の鱗は硬い!お前の攻撃なんかで倒れるものか!せめてグラムを使え!』


クジャラがはるか下、地面に放り出された剣を見る。

ところがその一瞬の間に足から重みが消えた。


『っ!おい!』

『格闘家だって言ったロ!?』


自分から手を離し、桃鈴が落ちていく。

慌てて追いかけようとしたクジャラだったが、ファフニールが上を向き、こちらに向かって真っ黒な息を吐いた。

桃鈴を包み込むように、黒煙が立ち上る。

(くっ…!モロに…!)

咄嗟に上に避けたクジャラが、彼女を探すが姿は見当たらない。


『大丈夫かッ!』


風が吹き消すより早く、煙の中から桃鈴が飛び出す。

落下の最中でも、瞳はファフニールだけを見ており、その手は拳を作った。


『ワタシの武器は自分の身体だけネ!』


降下の速度をそのまま乗せて、額の中心に一撃。

円形の衝撃波が発生すると同時に、その巨体がぐらりと揺れた。






ファフニールが目を覚ます。

地面から身体を上げ、地響きと共に自分の巣に戻って行った。

その大きな背中を遠くから見送りながら、クジャラが話しかける。


『すまなかった。桃鈴、お前の力量を見誤っていた。だが今後は、少しくらい話を聞けよ』


隣にいた桃鈴の表情がぱっと明るくなった。

今後があるということは、正式採用だ。


『やったヨー!これでサバイバル生活から抜け出せるネ!下の階のババアのペットの飯をくすねなくて済むヨ!』

『何してんだ。そういえばお前、治療は大丈夫なのか?思い切り呪い食らってただろ?』

『…ン?そういえば…』

『桃鈴!』


元気な声に振り向けば、治療を終えたばかりの隊長がこちらに走ってきている。


『あ!無事でよかったヨ!もう大丈夫なの、ヵ』


突然視界が一色に染まった。

隊長のその逞しい胸に、ぎゅっと包まれている。


『……エ?』

『桃鈴!お前の強さに俺は惚れた!』


隊長はそう叫んで、回した腕の力を強めた。

桃鈴といえば混乱のあまり振りほどくのも忘れて、呆然としている。

クジャラでさえぽかんと嘴を開ける中、彼は叫ぶように続けた。


『好きだ!』

『ンエッ』

『だから俺と、』






「その経験で、ワタシは4つのことを知ったヨ…」

「えっ…あ、ああ…」


エリオットが戸惑いつつ返事をした。

その後の話が非常に気になるが、桃鈴は遠い目をしながら先を続ける。


「1つ目は、自分には術が効かないことヨ。それまでいくら訓練してもどんな術でもワタシには使えないことは知ってたけど、まさか人の術まで通さないことは知らなかったネ」

「その時初めて知ったのか…」

「ウン。…2つ目は、巨大な生き物は足腰は丈夫にできてるぶん、滅多に攻撃を受けない頭は比較的脆いことヨ」


遠距離での攻撃ができるならばいざ知らず、桃鈴の戦闘スタイルは近距離のみだ。


「いくら丈夫でも、ワタシより大きくて力の強い奴なんてごまんといるネ。まともに組み合ったら負けるに決まってル。だからこれが分かったのは結構大きかったヨ」


エリオットの脳裏に、先日彼女が巨神族を吹き飛ばした時の光景が浮かんだ。

確かにあの時も、真っ先に顔面を攻撃していた。


「そして3つ目は職場恋愛は絶対するなってことネ。あれは人生最大の失敗だったヨ」

「あ、ああ…」


桃鈴ががっくりと肩を落とし、深い深いため息をついた。


「隊長が…ああなってから、ギルドから半分近い女が抜けていったヨ。残り半分は、明らかに格下の女に好きな男を持っていかれたのが気にくわなかったのかワタシに嫌がらせの嵐ネ」

「泥沼じゃないか…」

「しかも仕事の妨害まで平気でする馬鹿がいたせいで、ギルドは信用を失って依頼がゼロ、遂には解散状態になったヨ…。せっかくそこでやっていけるはずだったのニ…」


桃鈴はフリーに戻ったものの、前とは状況が違った。

なにせ、ギルド解散の元凶になった女として噂が回り、しばらくまともな仕事に就くことができなかったのだ。


「最悪だったヨ…。同情したクジャラがいくつか紹介してくれて何とか食いつないだネ…」

「た…大変だったな…。隊長はどうなったんだ…?」

「あァ…。それこそが4つ目ヨ」


桃鈴が顔を上げた。

スンと死んだ目になり、何かを悟ったような表情で口を開く。


「4つ目に学んだことはネ…虎男の前で竜を倒すなってことヨ」

「…は?」


突然出てきた話に、エリオットが間の抜けた声を出した。


「虎男は自分より強い雌に出会うと発情期に入ることは知ってるナ?」

「あ、ああ…」

「逆にネ…滅多なことでは発情期には入らないネ。それまではごく普通に生活してて…力が強いからリーダーなんかになっちゃったりして…。けど一度でも発情期に入った虎男は、今まで培ってきた信頼も人間関係も、本人の人柄さえも全部捨てて、交尾狂いの獣へと成り果てるヨ…」

「まさか…」

「桃鈴!」


窓の方を見ると、枠に手をかけて外からレオナルドが顔を出している。

ここは2階の筈だが。

彼は部屋の中にいるふたりを見て、大声を出した。


「何男を連れ込んでるんだよ!交尾なら俺も混ぜろ!」

「誰がするかァ!お前の話をしてたんだヨこのヤロー!」

「がっ…!」


そんなレオナルドの顔の中央を、桃鈴の拳が襲う。

気絶しそのまま落ちていく彼を見送って、彼女がエリオットを振り返った。


「まァ…そういう訳ヨ…」

「あ、ああ…。硬派で、格好良い隊長は…いなくなってしまったんだな…」


本能とは本当に恐ろしい。

なんだか彼まで悲しい気持ちになった。

桃鈴は頷き、続ける。


「あの経験は失ったものの方が多かったネ。でもあいつを毎日吹っ飛ばすお陰で間違いなく強くなったし、得たものもたくさんあったヨ」


経験の長い桃鈴でも、失敗することはある。

一角獣を捕獲しようとした時などその良い例だ。


「でも次に一角獣ユニコーンの捕獲をする時は、複数いることも視野に入れて計画を立てるネ。仕事ってたぶん、そういうことの繰り返しヨ。それを5年やってるワタシの方が、さらに言えば60年のフィオの方が凄いのは当たり前ネ」

「……」

「今回のことでエリオ、お前は何を学んだカ?」






「エリオット様、お疲れ様でございます」

「ああ。ヒイラギ、ありがとう」


広い屋敷の玄関で、初老の男がエリオットの鞄を受け取る。

執事の彼は、その柔和な目尻を下げて微笑んだ。


「お休みになりますか?」

「いや、このまま剣の鍛練に入ろうと思う。あと鞄の中に知人から借りた本が入っているから、部屋に置いておいてくれ」

「精がでますね。本ですか?」

「ああ。僕はまだまだ弱いから。丁重に扱ってくれ。今後の仕事にとても参考になりそうな本なんだ」


そう言ってエリオット練習用の剣を持ち、庭に出ていく。

桃鈴に、世界中の生き物について細かく記してある本を借りたのだ。

(彼女にだって…認めてもらえない時期はあったんだ)


「僕も…頑張らないとな」


エリオットが爽やかな気持ちで空を見上げている頃、執事のヒイラギは本を手に固まっていた。


「……」


本の題名は『女夢魔サキュバスイリナが教える、男を虜にする十戒』。

彼は仕事で使うと言っていた。

それだけではなく「とても参考になる」と、そう言っていたのだ。

ヒイラギが真顔のまま、背中に一筋の汗を垂らす。

(坊っちゃまは…一体どんな業務を…!?)

本を取り違えたことにエリオットが気が付くのは、その1時間後のことであった。

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