第17話 売られた喧嘩は流すが勝ち
「十二華族の踊り子が一族、イリナ・ルピナス。これより全ての発言は、この華名とこの華命に懸けて嘘偽りない真実であると誓うわ」
選挙総会中の広間に響き渡る美しい声。
その発言をしているのはイリナである。
「私どもルピナス家は立候補権を捨て、投票権を得ることを選択する」
少しのどよめきの後、広間は同意するように静かになった。
(これで…2家の一騎討ちの構図が出来上がった…。予想はしていたが…)
壁を背にして立つエリオットが複雑な心境で見守る中、司会役の査察官が全ての当主の顔を見渡し続ける。
「異論は無いようですね。それでは1か月後の第3回選挙総会では、残る10家による2家への投票とさせて頂きます。引き分けとなった際には再度…」
「宜しいですこと?」
中央の座席から手のひらが上がった。
査察官の瞳が動き、そちらに向かって口を開く。
「ベアトリクス様。何でしょう?」
「お恥ずかしながらダリア家当主…アルメは行方不明なのですけれど、第3回総会もわたくしが代理出席と言うことで良いのかしら?」
本来ならば当主が座るべき椅子に腰かけた彼女の名前は、ベアトリクス・ダリア。
鮮やかな紅色の髪は一等目を引き、強い光を宿す瞳には自信が現れている。
「はい。領主選挙法第6章により、華族当主が止むに止まれぬ理由で不在の場合は、代役を立てることになっております。代役には投票権のみの付与となりますが」
「まあ…今回ダリア家は領民投票で上位3位には入れませんでしたから、関係ありませんわね」
「そうですね。代理という形ですので、万が一当主様が現れれば当然権利はそちらに移ります」
「わたくしとしては…領主サマがこの場でわたくしを当主と認めてくださっても良いのですけれど」
その発言に、同じく当主の席に腰かけたフィオは肩をすくめて微笑んだ。
「消えたのは君の姉だろう?一族を背負う当主が行方をくらますなんてそうそうあることじゃない。法に則って10年は待つべきだろうね」
「…まだあと1ヶ月ほど足りませんのね。わかりましたわ」
不満そうに口を尖らせるベアトリクスだったが、すぐに表情を変え笑顔を浮かべた。
「あ。ダリア印の新作、洋酒を使ったフルーツケーキ。皆さんのお部屋にお配りしましたから、好きに召し上がってくださいね」
(ダリア家の当主は9年前に行方知れずになっていた筈だ…。死んだとも噂されていたが、まだ遺体も見つかっていないのか…)
そうひとりごちるエリオットと、ベアトリクスの視線がかち合う。
すると彼女は、ばっちんと音がしそうな程勢い良くウインクを飛ばしてきた。
「えっ…!?」
「
その肩はいつもより落ちている。
「珍しく女以外の理由で訪ねてきたと思ったら、嫌な依頼持ってきやがっテ。ワタシやエリオじゃなくて別に人を雇えば良いだロ…船は嫌いヨ」
そうのろのろ歩く彼女がいる場所は領主の屋敷。
今日は何か重要な会議があったとかで、敷地内は普段より騒がしい。
隣にいた黎明が、困ったような表情を浮かべた。
「そうは言っても姉さん、いい加減乗れるようにならないと。いつまで経っても故郷に帰れないよ」
「当分帰る予定はないヨ。船は沈むし…」
「沈まないってば。みんな姉さんに会いたいなって言ってるよ」
「ウッ…」
彼の言うみんなとは故郷に残してきた弟妹のことだ。
それを言われると桃鈴は弱い。
「
名前を羅列し始めた黎明の指先が折り返した時点で、ふとその手は止まった。
「あれ?エリオットさん?」
「ベアトリクス!仕事中だ!やめてくれ!」
廊下で騒ぐエリオットの姿を捉え、桃鈴と黎明が反応する。
彼こそが今回ここに来た目的の人物である。
こちらの姿を捉えると、ぎょっとした表情を浮かべた。
「た、桃鈴!?と、黎明…」
「エリオ。…と、誰カ?」
桃鈴が視線を動かす。
彼の胸にぺったり寄り添うようにして、赤い髪の女性がくっついていたからだ。
「いっいや、これは違う!違うぞ!」
エリオットが狼狽し大慌てでベアトリクスから離れた。
何に対して言い訳しているのか彼自身もよく分かっていなかったが、とりあえずここは否定しなければいけないことだけは強く思った。
「ふーん…」
彼の必死な様子に、何かを察したベアトリクスがつまらなそうに桃鈴を見やる。
上から下まで値踏みするように視線を動かし、ある一点でフンと笑ってエリオットに向き直った。
「貴方って意外と、庶民的な女性が好みなのですね。特に…胸とか」
「は…?何の話ですか…?」
「やだ。気付いてないのですか?」
首を傾げるエリオット以上に、桃鈴には何の事を話しているのか一切分かっていない。
が、ベアトリクスの視線と発言から喧嘩を売られていることだけは理解した。
そして売られた喧嘩を大人しく笑って流せるほど彼女は人間できていない。
そもそも人間じゃないし。
特に桃鈴の神経を逆撫でしたのは、ベアトリクスの胸。
ドレスに収まりきっていないパッツンパッツンの、自分にはないその乳である。
「おいデカ乳、言いたいことがあるなら直接言えヨ」
桃鈴の頭の中で、試合開始の
「まあいやだ。顔と同じぐらい言動も下品だこと」
「下品なのはそっちだロ?上品って言うなら、ちゃんと首まで隠れる服着てこいヨ」
「ごめんなさいね。そういう服は息苦しくなってしまうから着ませんの。貴女と違ってほら、大きいから」
そう言うと彼女は笑顔で、エリオットの手を取り自身の胸に当てた。
「はっ!?」
「知っているのですよ、エリオット。貴方の初恋がわたくしだってこと」
急な事態に彼はびったり固まっている。
ちなみに手のひらから伝わってくる感触はフワッフワだった。
「今夜はここの客間に泊まりますからわたくし、鍵を開けて貴方を待っておりますわ」
ベアトリクスは自信満々に微笑んで、その場を去って行った。
「…エリオ」
「ヒッ!」
呆然と見送るエリオットの背後から、いつもより数段低い声が届き、思わずびくりと震える。
怖くてそちらを振り向けない。
「お前…本当にあの性悪女が初恋なのカ?」
「い、いや、当時は年上の女性というものに憧れを抱く時期で…か、家庭教師など最も身近な存在だったし」
「……」
「け、けど違うんだ。だって彼女は兄上と、その、ただならぬ関係になったから別に何もなかっ…!?」
理由のわからない言い訳を重ねるエリオットの腰を、ふいに慣れない感触が襲った。
視線を落とせば、腹を回る手にじんわり伝わる体温。
背中から、桃鈴がぎゅうとしがみついている。
「っ!?た、桃鈴、」
エリオットがそのことを認識し真っ赤になった瞬間、彼の視界は回った。
「ムカつくヨォ!!」
「ぎゃっ!」
そして何が起きているのか理解する前に、彼の頭が床にめり込んだ。
長くなると判断し大人しく隅の椅子に座っていた黎明は、あ~あれ痛いよねぇなんてウンウン頷いている。
「乳があるのがそんなに偉いのカァ!エリオも鼻の下伸ばしやがっテ!」
「そっ、そんなことしていない!」
「ウワァ~フワフワだァって顔してたネ!初恋の女は乳のデカさで選んだってカァ!」
「え、冤罪だ!僕はそんなにスケベじゃない!」
「嘘つけェ!吐けオラァ!あの乳を何回吸ったネ!!」
「すっ!?吸ってない!本当だ!」
真っ昼間からこんなところで大声で話して良い内容ではないのだが、今にも噴火しそうな桃鈴を必死で抑える。
だってベアトリクスとは、神に誓って何もなかったのだ。
だから今回の彼女の行動は彼にも意味が分からない。
「な、何で今更、あんな誘うような真似を…。まるで…」
(まるで…)
続けようとしたエリオットが固まった。
「エリオット!待っていたわ」
日もとっぷり暮れた夜。
エリオットがノックすると扉が開き、ベアトリクスが姿を現した。
纏められていた赤髪は下ろされ、緩い服に着替えた彼女はどこか情欲的な雰囲気を纏っている。
「あら…?」
ところが彼女がエリオットの背後を見て困惑した声を出した瞬間、彼が手首を掴んだ。
「
ベアトリクスは一瞬ぽかんとして、すぐに微笑んで首を捻った。
「…何の話かわかりかねますわ」
「あれには生産過程で呪術か黒魔術が使われていると聞いた。ベアトリクス。君が関係しているのなら、それも納得だ」
「だから何の、」
「君が当主達に差し入れしたケーキ。中の洋酒漬けの果物から種が検出された。ハレミナに確認させたが…和合の林檎で間違いないと言う話だった」
「……」
ベアトリクスが静かになる。
エリオットは少し迷いながらも、腕を掴んだまま先を続けた。
「わざわざ僕に近寄ってきたのも、フィオ様がどこまで真相に近付いているのか、その進捗を探ろうとしたんだろう?上手すぎる話には裏がある。僕が吟遊詩人の事件で学んだことだ」
「……」
無言で彼女が髪をかき上げる。
深紅の髪の向こうから、鋭く光る瞳が現れた。
「ああ…。有益な情報が貰えたら良いと思って軽い気持ちでやったけど…まさかアンタに見抜かれるなんてね」
何者も寄せ付けない冷徹な口調。
その豹変にエリオットが眉を顰めて続けた。
「…認めるんだな?今、警備団がダリア家に捜査に入っている。菓子も誰かが手をつける前にすべて回収した」
「どうやら私、アンタのこと舐めてたみたい。何も知らないのは相変わらずだけど…。領主サマの影響かしら。ほんっと…邪魔だわあの男」
苦々しそうにそう呟く彼女は宙を見上げ。
次の瞬間、キッとエリオットの背後を睨んだ。
「で。何でアンタまでいるわけ…!?」
そこには桃鈴の姿。
ベアトリクスの視線に気付くと、彼女はしれっと呟いた。
「いやァ別に。お前をボコボコにできると聞いて駆けつけただけネ」
その一言にベアトリクスの眉間に皺が寄る。
「本当に貧乳って…性格悪いわよっ!ね!」
「!」
彼女が勢いよく足を蹴り上げると、細い針のようなものが飛び出した。
とっさに避けたもののそれは桃鈴の頬を掠め、壁に突き刺さった。
「っ!」
傷は皮1枚を削っただけだが、彼女ががくりと膝をつく。
「桃鈴!」
「ただの傷じゃないわ。傷口から血管を通ってアンタの体を駆け巡る呪術。私の専門は古代呪術よ!解除は不可能に近い!」
エリオットが距離を取り、剣へと手をかけた。
「古代呪術…その使用は禁止されていた筈だ!」
「まあ使用者への負担もそこそこだからね。普段はここまではしないんだけど。ここを乗り切れば逃げる手筈は整ってる。出し惜しみはしないわ」
十二華族が一門、ダリア家。
華族制度成立前から存在した最古の家系であり、
「エリオット。そこをどきなさい。私、あの人の為なら何でもできるの」
悠然と宣言するベアトリクスがゆっくりと歩を進める。
ところが次の瞬間、背後から耳元で声がした。
「オイデカ乳。いきなり呪うとかお前の方が性格悪いネ」
「はっ…!?きゃっ!」
呆気にとられている隙に、桃鈴が彼女の背に乗った。
そのまま床に叩きつけたベアトリクスの背に膝を押し付けて、ぐっと腕を拘束する。
「な、なんで…!」
腕を持ったまま、桃鈴が頬から流れる血をべろりと舐めとった。
「ワタシそういうの効かないヨ。悪いネ」
「なっ…!?はあ!?」
「ベアトリクス!何故こんな真似をした!?何が目的だ!」
床に這いつくばる彼女に、エリオットが詰め寄る。
「あの人とは誰だ!?君の姉…ダリア家当主の失踪も何か関係があるのか!?」
「うるさい!そもそも呪術が使えない者を当主に据えるあの家が可笑しいのよ!何が領民の為よ…!古代呪術にどれだけの価値があるのか理解していない無能共が!」
ベアトリクスが苦々しい表情で桃鈴を振り返った。
「アンタ何なのよ!効かないってどういうこと!?」
「エ。ウーン…。ワタシの意志じゃなく、術式無効体質の代わりに最悪な呪いを掛けられたと言うカ…」
「呪い…?」
桃鈴の頬からは血が流れ、ぽたりと床に落ちる。
それを呆然と見ていたベアトリクスの表情が一変した。
「アンタ…これっ!あそこにいたの!?」
「ハ…?何の話、」
「アルメが始末された時の話よ!そんな強力な術、私、今日とあの時しか使ってないもの!」
その発言にエリオットも反応する。
「ダリア家の当主が始末された…?どういうことだ!?桃鈴、君は何か知っているのか?」
「イヤ…ワタシにも何のことだか、」
困惑し否定しようとする桃鈴の頭に、ちかりと記憶の一片が甦った。
(……?)
力が緩んだ隙をついて、ベアトリクスの身体からぶわりと赤い靄が飛び出す。
「っ!無実体化!」
「残念だったわね!私は身体が無くても動けるのよ!」
種族によっては身体を持たずとも生きられる者がいる。
それには当然欠点もあるが、精神体となったベアトリクスは迷い無く身体を捨て出口へと向かった。
「伝えなきゃ…!」
小さく呟く彼女の行き先に、エリオットが立ちはだかった。
「逃がすわけにはいかない!」
「どけ!どかないのなら、身体に直接呪いを埋め込んでやる!」
ベアトリクスの身体から黒く光る塊が飛び出す。
おそらくは呪術。
桃鈴は平気でもエリオットが食らえば無事ではすまないだろう。
「エリオ!」
桃鈴が立ち上がってそちらに向かおうとするが、すでに彼女の呪いは彼に向かっている。
何より実体のない彼女を止めるすべは無い。
(間に合わ、)
「桃鈴。俺と代われ」
桃鈴の耳に声が落ちてくると共に、意図しない方向に指先が動いた。
「ギャアアアッ!」
「っ…!」
衝撃でエリオットが倒れる。
目を開ければ、のたうち回るベアトリクスの姿。
(僕は…何ともない。呪いは…)
床に転がる割れた鏡の破片が視界に入る。
「鏡で呪術を反射させたのか…!」
エリオットがほっと息を吐き立ち上がる。
それを投げた彼女に視線を送った。
「桃鈴、よく知っていたな…。とっさに魅了術を使ったが効かなかったみたいだ。助かった」
「ア…いや、」
その言葉を否定しようとした桃鈴の視界の隅に、動く小さなものが映る。
「…?今何カ、っ!」
それを追いかけようと走り出す前に、胸ぐらを掴まれ乱暴に引き寄せられた。
自分の身体へと戻ったベアトリクスである。
その白い手は震えほとんど力も抜けているが、それでも彼女の真っ赤な瞳は噛みつかんばかりに力強く揺らめいた。
「アンタ…!何で普通に生きているの…!?」
「ハ…ハァ?」
「発動してないのはどうして…!?何が止めて、っ!」
そこで彼女が言葉を切って、信じられないものを見るような目で桃鈴を凝視する。
「効かないって…アンタまさかッ…!」
そこまで言って、ベアトリクスの声が止まる。
そして糸が切れたようにその場に倒れた。
「眠っている…!?」
彼女の身体をエリオットが確認する横で、桃鈴がふらりと後退りする。
背中が棚に当たって音を立てた。
「…っ」
脳裏に甦ったのは、一瞬を切り取ったような音もない歪な光景。
(何ネ、この記憶…)
意味が分からず呆然とするが、確かにあの日桃鈴は見たのだ。
“彼女”が殺された瞬間を。
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