第14話 何事も期限を設けるべし


桃鈴タオリン!交尾するぞ!」


桃鈴は、その日もいつも通りの朝を迎えた。

普段と変わらず最悪の目覚めである。


「……?」


ところが、瞼を開けて飛び込んできた光景は日常と少し違った。

朝日に照らされたレオナルドの毛並みは相変わらず腹が立つほど美しいのだが、そんな体をぐるぐると極彩色が覆っている。

寝ぼけ眼で見ていたので一瞬それに気をとられ、桃鈴の初動が遅れた。


「れお…なにそ、」

「おお!吹っ飛ばさないってことは、遂に俺の愛を受け入れてくれる気になったのか!さあ服を脱げ!俺が脱がしてやろっ、」

「違うわァア!!」


ほんの一瞬出遅れただけなのだが、何せ彼の発想の飛び方は犯罪者のそれに近い。

ずるんと服の中に侵入しようとする手を避け、その顔面に勢いよく蹴りを入れた。


「ぎゃん!」


力の調整をしたので外まで吹き飛ぶことはなく、気絶したレオナルドが床に沈んだ。


「…何ネこれ。旗?」


彼の体を覆っていたのは紐で一連になった色とりどりの旗。

(一体なんでこんなもの…)

そう思いながら部屋の窓を開け、そして納得する。


「お祭りかァ…」


抜けるような青い空の下では、音楽に歓声、花や飾りが飛び交う。

普段は地味な町が、鮮やかな色に染まっている。

レオナルドの体に付いていたこれも、どこかで引っかけてきたのだろう。


「…選挙が始まる始まるって妙に騒いでたけど、こんなに大規模なんだネ…」

「10年に一度だからな。これから選挙が終わる3か月後まではこの調子だぞ」


ぬるりと体から飛び出したのはジオ。

黒い影が喋る様子は不気味極まりないが、桃鈴はもう慣れたものである。

窓枠に頬杖をついて町を見下ろす。


「人も増えてるヨ…。だから銀婆インばあも稼ぎ時だっつってワタシにペットを預けていったんだ、ネ…」


言い終わらないうちに、ふと大通りにいた一組のカップルが桃鈴の目に入った。

人通りが多い中、花冠を買って彼女に付けてあげるなど、それはもう存分にイチャイチャしている。


「……」


ミチィと音をたてて、桃鈴が肘をついていた窓枠が曲がった。

ジオが背後から手をついて、何を見ていたのか察し声をかけてくる。


「…うらやましいのか」

「うるさいヨ!うらやましいどころか、妬ましくて憎らしくて怨めしくてぶち殺したい気分ネ…」

「お前…俺が引くぐらい必死だわ…。真実の愛を見つけない限り、呪いも解けんぞ」

「わかってるヨ…!」


拳をぐっと握り、桃鈴が前を見る。


「選挙が終わるまでに…絶対真実の愛を掴んでやるネ…!」


そう固く決意した時、背後でむくりと、まるで不死身の死霊ゾンビのごとくレオナルドが起き上がった。


「なら俺と交尾をすべきだ!」


その長い尻尾を振って背後から桃鈴の肩を掴む。

がくがくと揺らしながら嬉しそうに口を開いた。


「今から毎日子作りに励めば3か月後には確実にできてるぞ!良かったな!」

「いや、レオ、そうじゃなくてネ。ワタシが欲しいのは子供じゃなくて、先にとりあえず愛で」

「何!?俺はちゃんとお前を愛してるぞ!桃鈴!お前の子供がこんなに欲しいって言ってるだろ!」

「イヤだから違、」

「さあ!服を脱げ!股を開け!」

「うるせェエエ!!愛されたいのはお前じゃないヨォ!!」


桃鈴がレオナルドの腕を掴んで、勢いよく窓から放り投げた。






「これより全ての発言は、その華名とその華命に懸けて嘘偽りない真実であるとお誓いください」


美しいステンドグラスが飾られた荘厳な大広間。

外界から切り離されたと錯覚するほど粛然とした空気の中、査察官の声のみが響き渡る。

席につく全ての貴族が手を挙げたことを確認し、進行役の彼女は静かに頷いた。


「それでは第1回選挙総会を開始致します」


視線を送られ、フィオが口を開く。


「まずは新しい仲間に挨拶をしてもらおう」


円卓の一席につく青年が立ち上がった。

右足を引き、流れるような動作で頭を下げる。


「前当主に代わりまして、アネモネ家新当主となりました、ハレミナ・アネモネでございます」


(主がハレミナを一刻も早く救出したかった理由は、これか…)

その光景を、フィオの背後で立って見ているのはエリオットである。

(話には聞いていたが…実際目の前にすると本当に壮観な眺めだな…)

12の華族、その当主が一堂に会する機会などそうは無い。

会合自体はあれど、10年に一度、この一連の選挙総会のみよほど特殊な事由を除いて当主本人が臨席する決まりとなっている。


「まずは立候補権が領民の投票を持って上位3家に与えられます。次回の総会にてそちらを発表し、第3回選挙総会にて残る9家による投票が行われる流れでございます」


そう説明する査察官は、隅々まで瞳を向ける。

王国より派遣された彼女達は選挙進行を専門とする集団であり、その峻厳な出で立ちは一切の不正を寄せ付けない。


「また総会中に一度決議された事項に関しましては、如何なる理由があろうとも覆ることはありません。まさにその身命を懸けて陳述くださいますよう、お願い申し上げます」






「……」


その数時間後、エリオットは書庫にて本を手に取っていた。

主人に頼まれたものを探しているが、彼の意識は先程の総会に引っ張られている。

(フィオ様は人気の高い領主だ。続投を望む者は多い)

おそらくは領民投票の上位3家のうちには確実にマリーゴールド家が入ってくるだろう。

(そうなると、あと2家は…)


「!」


目的の本を持ち、廊下に出た時のことである。

暗い廊下の先から、こちらに向かってくる大きな人影に気が付いた。


「兄上…」


一連の総会では、重要人物が集まるということで、最高の警備が付けられる。

普段騎士団長として遠征し通しのユーリも、今回の総会のために戻ってきたのだろう。

(いや…それか父上の付き添いか…?)


「良いことを教えてやる」


気付けばすぐ前にユーリが立っていて、エリオットの肩がぎくりと震える。

背の高い彼は、そこにいるだけで圧倒されるような威圧感があった。

はるか上、エリオットからすれば雲よりも高い位置から、声が落ちる。


「私が次期カサブランカ家当主となることが内定した」


エリオットの目が見開かれた。

その反応を楽しむかのように、ユーリは愉悦を含んだ言葉を続ける。


「私が当主になれば…役立たずのお前は、いよいよお払い箱だな」


そう言い捨てて、彼は身を翻しその場を去っていった。


「……」


残されたエリオットはぴくりとも動かない。

(…そうだ。仕事の途中だったんだ…この書簡を、フィオ様に)

呆然とそんなことを思いながら、鉛のように重たい身体を動かす。


「お待たせしました」

「ああ、エリオット」


執務室に入ると、フィオがこちらを見て困ったような笑みを浮かべた。


「体調…あんまり良くない?今日は帰っても良いよ」

「いえ…。大丈夫です。何でもありません」


言葉とは裏腹に、エリオットの声が震える。

(駄目だ…。これ以上役立たずにはなりたくない…)


「お願いします。業務をやらせてください」

「…そう」


少し考えた後、フィオはするりと机の脇から封書を取り出す。


「なら仕事を頼もうかな。桃鈴のところへ手紙を届けに行ってくれる?」






「桃鈴?いないのか?」


エリオットは桃鈴の自宅の前に居た。

再び呼び鈴を鳴らすが、家の中から返答は無い。

(必ず手渡しして欲しいとのことだったが…どうするか…)

悩みながら外の階段を下っていると、動物の鳴き声と続いて目的の彼女の声が耳に入ってきた。


「桃鈴」


階段から覗きこむと、自宅の下、1階の庭にて桃鈴が大量の毛玉に囲まれている。

8匹の金と黒の宝石獣カーバンクルである。

エリオットの頭に、危うく自身が5児のパパとなりかけた事件が思い浮かんだ。

(ああ…生まれたのか…。確かエリオンヌとヴェロニカだったな)

大きな2匹が親として、結局6匹誕生したらしい。

1階まで下がり庭先に入るが、仕事中であることを考慮し、壁に寄りかかり静かに待機する。

すると桃鈴は宝石獣を並べ、ウンウン唸りだした。


「えェと…右からシュナイダー、ダービー、ビスマルク、クイーン…。ペットの癖に洒落た名前しやがっテ…。アレ?こっちがビスマルク?あっ動くなヨ、えーと、ダービー…?」


毛色は金と黒の2色があるのだが、いかんせん数が多く好き勝手動き回る彼らを正確に判別するのは一苦労である。


「……」


桃鈴が静かになり、やがて手に持っていた名前の一覧を放り投げた。


「ベロ1号!ベロ2号と喧嘩するの止めロ」


(諦めた…)

エリオットが察する。


「コラァ!エリオ1号!うんこ食うな!」

「……」


しかも名前が自分と重複しているので、最悪にも程がある濡れ衣を着せられた気分である。

聞くに耐えず思わず立ち上がり、彼女へ声をかけようと足を踏み出した。


「桃、」

「エリオ2号は毛並み綺麗だネ~。あ、ベロ3号とベロは散歩好きネ。エリオ3号はよく指示を聞いて偉いヨ」


エリオットの足が止まる。


「ハイハイ、可愛い可愛い」


そして彼の存在には気が付かず、すり寄ってくる彼らにもみくちゃにされながら、桃鈴が1匹1匹撫でくりまわした。

この必要以上の世話には理由がある。

(人に慣れさせる為に、たくさん名前呼んでたくさん撫でろって言われたからなァ…)

彼女の脳裏に依頼人の言葉がよぎった。

本来の名前とは大きく違うが、まあそれも良し。


「エリオは父親になっても甘えん坊ヨ。ベロ3号は全然吠えなくて偉いネ。エリオ4号はよく寝るヨ」


平等に撫でようと、次の宝石獣へと手を伸ばした。


「エリオ5号はおっき…」


桃鈴が止まる。

さて、彼女が号数の前に付けている名称「エリオ」と「ベロ」についてだが、どう区別しているかと言われれば、それは体毛の色である。

父親は金、母親は黒の毛色であり、混ざることもなく子供たちは綺麗に2色に分かれた。

その為、金色はエリオ、黒色はベロと呼んでいた訳で。

そして金色の毛並みを持つ子供は4匹、つまりエリオは4号までしかいない筈だ。

その事実に気がついた瞬間、桃鈴が慌てて手を引っ込めた。


「ウワァアアアッ!何してるヨお前!」


よく見れば金色の毛玉に混じって、何故かエリオットの頭がある。


「危うく撫でそうになったわァ!」


そう冷や汗をかく桃鈴の耳に、小さな声が届いた。


「僕も」

「エ?」

「僕のことも、褒めながら撫でてくれないか」

「は、ハァ…?」


桃鈴が片眉を上げ、ぽかんと口を開ける。

こちらに頭を向けるようににうずくまった彼の顔は見えない。


「……」

「……」


わんわんと鳴き声をあげて周りを宝石獣が回った。

それが5周目に突入しても、エリオットが動く様子は無い。

(コイツ、たまに突拍子もない行動するんだよなァ…)


「えェと…」


少し悩みながら手を彼の頭の上に置く。

控えめに動かし、一生懸命捻り出した誉め言葉を口にした。


「呼吸しててえらいネ」

「…他にないのか」

「我が儘ヨ。ウーン、あ!二足歩行しててえらいネ」

「……」


(そんなに僕は褒めるところがないのか…)

諦めたエリオットが腕をほどき顔を上げる。


「もう良い…わっ!」


手を振り払いかけると、目の前に桃鈴の顔があった。


「っ!?」

「嘘ヨ嘘」


エリオットと目線を合わせるように屈んだ彼女は、彼の頭の上に乗せた手を動かしながら続ける。


「ワタシが来るまでハレミナを守れって命令もちゃんと遂行したし、土木偶ゴーレムの動力の仕組みにいちばん早く気付いたのもお前ネ。そりゃあ最後はピンチだったけど、そっちは次から直せば良いヨ」


頭から伝わる体温のように、その声は暖かい。

それでいて世辞ではない力強い言葉。


「ちゃんと強くなってるヨ。勉強してるのもよく分かる。努力したネ」

「…うん」


エリオットが唇をぎゅうと噛む。

(別に…当主になりたかったわけじゃない…)


『エリオットか…。あれは…駄目だな』


優秀な兄を越えてその座を掴めば、認めて貰えると、居場所ができると信じていたのだ。

目的ではなく手段だった。

(…こんなことを言ったら…ハレミナに怒られるだろうな)


「…桃鈴。ありがとう」


身体中に絡み付いていた何かが後退していくような感覚。

冷えきった手足に熱が戻り、彼が目尻を拭った。


「最近は…」

「ウン」


桃鈴が優しく微笑む。

ところが次に出てきたエリオットの言葉に、その笑顔が固まった。


「最近は、どこでもちゃんと寝られるように…寝袋を持って屋外で寝るようにしているんだ」

「…ハ?」

「いつ何時野宿するような仕事が来るかわからないだろう?寝不足だと満足に力を発揮することができないからな。どこでも寝られるようにしようと思って」


彼女の手が止まる。

目を細め、訝しげな表情を向けた。


「…あんな広くて豪華な屋敷で、わざわざ外で寝てるのカ?」

「そうだ。あ、ちゃんと質の悪い煎餅のような布団も用意してるぞ」

「お前たまに馬鹿だロ」

「!?」


(何故だ…)

彼女の柔らかだった雰囲気は一転、変質者を見るような目になっている。

あわよくばもっと褒めてもらえるかと思っていただけにエリオットは動揺を禁じ得ない。


「布団も用意するなと言うことか…?甘ったれるなと」

「…それに服も着なかったら言うこと無しネ」

「外で裸で寝るのか!?確かに私有地なぶん通報はされないし、鍛えられそうではある…。やってみる価値は、ある…!?」

「…レオにお前んち教えとくヨ」

「!?そ、それだけは止めてくれ!絶対駄目だ!」


ふたりのやりとりに反応した宝石獣達が吠え始める。

その陽気な喧騒は、外のお祭り騒ぎにも掻き消えることなく晴天の下に響いた。


そして桃鈴が真実の愛を手にするまで、あと3ヶ月。

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