第21話 愛されたいのはお前じゃない!


「ホァッタアアアッ!!牛にやられてたまるかァア!!」


その怒声と共に巨大な体躯が吹き飛んで、背後の木が倒れた。

鳥の鳴き声や羽ばたく音と共にこちらに近付く蹄の音が耳に届き、素早く木の上に登る。

じっと身を潜めて見下ろしていれば、数頭の牛頭人身ミノタウロスが眼下に集まってきた。

聞き取れない言語を使い合図をし合った後、再び目標を捜して居なくなる。


「全くこんなところに捨てやがっテ…」


重厚な足音が消えた後、その目標である桃鈴タオリンは枝に乗ったまま苦々しい表情で呟いた。

幹に添えられた手先はわずかに震えている。

(毒のせいで、まだ本調子じゃないネ…)

それを見つめる彼女の背後で、ぶわりと黒い靄が飛び出し人型を作った。


「桃鈴。…迷宮ラビリンスからの脱出は不可能だ。特殊な空間移動術で外には出られない。だが総会が終わりさえすれば必ず助けは来る。何とかやり過ごせ」

「そうだネ。…ジオ」


桃鈴は振り向かずに静かに言った。


「お前は先に行くヨ」


その言葉に一瞬固まるジオに、彼女は畳み掛けるように続ける。


「もうワタシの体から出られるんだロ?」

「…気付いていたのか」


その問いに桃鈴が伏し目で瞬いた。

頭に浮かぶのは、自身に審判を下した男の顔。


「ワタシには何が何だか、全部わかったわけじゃないヨ。けど、あの男が…エリオを利用しようとしているのだけは分かるネ」


黎明リーミンの船の上、ユーリと相対した際に桃鈴が見たものは、大量の水しぶきの中でもはっきり視認できるほどの大粒の涙だった。

彼は泣いていた。

(プライドの高いあの男が…人前で、恥も外聞もなく)

心が壊れたのだ。

あの瞬間桃鈴は察した。

このままでは、エリオットも同じ道を辿る。

散々搾取され続けた後、ただの使い捨ての人形としてその命さえも我欲の犠牲にされるのだと。


「いくらあの男の有罪を主張したところで…こんな小娘の証言なんて聞き入れる奴なんていないヨ。でも、ジオ。届くんだロ?」

「……」

「ワタシはその為にここに来たネ。邪魔者は排除したと思い込んでるあの男の不意を突く為に」


だからこそ桃鈴はこの道を選択した。

黙って冤罪を受け入れ、水面下でアイザックの寝首を掻く為に。

エリオットの運命を、兄と同じものにしない為に。


「ジオ。ワタシ達は契約なんて結んでない。男運の悪い呪いなんてまやかしネ。10年前にワタシが受けたのは…ベアトリクスの呪い、“眠り姫”だったんじゃないのカ」

「……」

「無効化体質を持っていたのはお前だロ?ジオ。お前はワタシを助けるためにこの体の中に入った。違うカ?」

「…それだけの理由じゃあない。俺は助かる為にお前を利用した。俺達は対等な関係だ」


桃鈴は振り向かずに口を開いた。


「なら…頼み、聞いてくれるだロ?」

「…桃鈴」


止めようと手を伸ばしかけて、ジオの脳裏にフィオの言葉がよぎる。


『彼女が逃げると言うのなら協力を惜しまないで。けれど万が一、桃鈴がその逆を選択するのならば、やっぱりそれにも…協力を惜しまないで』


彼女が毒のせいでいまだ眠りにつく中で、フィオはそう言ったのだ。

桃鈴の呪いは解けたわけではない。

取り憑いた後に掛けられた術式は全てジオの体質により無効化されたが、その前に掛けられたものに関しては手の施しようがなかった。

発動を止めていただけだ。

ジオが体から出ていくと言うことは、止まっていた時が動き出すと同義。

古代呪術“眠り姫”は一度発動すれば、その寿命が尽きるか呪いが解けるまで被術者を昏睡状態に陥らせる。

ここでジオが居なくなれば止めていた呪いは体を巡り、再び彼女を眠らせようと効果を発揮するだろう。

こんな場所で意識を失えば、どうなるかなんてわかりきった話である。


「…分かった」


そして彼女がそれを全て理解した上でこの提案をしていることも。

ジオが桃鈴の頭に手を乗せて、耳元で力強く囁く。


「良いか。何としても生きていろ。呪いは後から俺がどうとでもしてやる。一生かかっても必ず助ける。だから、どんな手を使っても生き残れ」


その声は段々と遠くなり、彼女の体から抜けていく。


「!」


それを静かに聞いていた桃鈴だが、黒い靄が完全に体から出ていったところで、がくんと重心を崩した。

そのまま乗っていた枝から勢い良く転がり落ちる。


「ッ…!」


(これが、呪術…!)

慌てて地面から体を起こすが、脳を支配するのは強烈な眠気。

今にも意識を失いそうな程強いそれに気をとられていたせいで、近づく影を認識するのが遅れた。

気付けば目の前には蹄。

視線を上げて思わず言葉を失う。

真っ赤な瞳に荒い鼻息、有り得ないほど太い腕に振り上げられたのは巨大な斧。


「しまっ…!」


だが刃先が桃鈴に届く前に、その巨体が大きく横に吹き飛んだ。


「…!」


立ち込める煙は視界を塞ぐが、あたりをばちりと走る閃光には覚えがある。

白い粉塵に影を落とす大きな人影にもまた然り。

(これは、厄介な奴が…)


「捜したぞ、チビ」


牛頭人身を戦闘不能にした後、ユーリは剣を肩に乗せ悠然と笑った。

アイザックが確実に彼女を始末するために送り込んだ保険。

彼を睨み付けるように桃鈴も嘲笑を返す。


「よォ、泣き虫」


それを言い終わるか言い終わらないかのうちに、長い脚が飛んできた。

明らかに頭部を狙った攻撃は容赦がない。

(重い…)

食らった腕がビリビリと震える。


「全く…どいつもこいつも…愛されたいのはお前じゃないネ」


片足を退げ構えをとり、ゆっくり息を吐く。

再びくらりと、意識が揺れた。










総会中の広間。

厳かな影を落とすその場で、アイザックは席を立つ。

息子に柔らかな視線を向けた。


「さあエリオット。新当主として挨拶をしなさい」

「……」


そして話し掛けられたエリオットは呆然と、椅子を指し示す父親を見つめる。

情愛に満ちた微笑み、カサブランカの紋様が彫られた座席。

生まれてから今日まで、彼が欲していたものだった。

ずっと望んでいた愛はいま目の前に。

(…そうだ。何を迷うことがある)

未だ収拾のついていない頭で、それでもその事実に疑いようのない確信を得て、彼は暗闇へと足を踏み入れた。


「只今紹介に預かりました…エリオット・カサブランカです」


しんと静まり返る広間に、彼の声が響き渡る。

震える指先を握って、エリオットは先を続けた。


「これより全ての発言は、この華名とこの華命に懸けて嘘偽りない真実であると誓います」


この台詞を出せばもう後戻りはできない。

自身の持ち得るすべてを懸けて、彼は口を開いた。


「今日この日この瞬間を持ってして…僕は、カサブランカの姓を捨てる!」


予想外のエリオットの言葉に、広間にどよめきが走る。

姓を捨てる。

それは即ちこの領地で最高権力を誇る家門からの除籍、権力と義務の放棄。

一拍置いて、アイザックが机に拳を叩きつけた。


「エリオット!貴様!後悔するぞ!」


ただ姓を失うだけで済む話ではい。

彼らにとって家の存在はあまりにも大きすぎる。

住処も地位も仕事も名誉も、今まで培ってきた自分そのものを捨てるような行為。

それでもエリオットは迷いなくフィオの元へ向かい、静かに頭を垂れた。


「華号を無くした僕にあなたの側で仕える資格はありません。…今まで、本当にありがとうございました」

「…君は本当に良い部下だ」


そう微笑んだフィオが差し出したのは鍵の束。

エリオットも何度か見たことのある、厩舎のものだ。


「餞別だ。馬屋の中から、何でも好きな馬を持っていくと良い」

「ありがとうございます…!」


エリオットがそれを握って、踵を返して歩き出す。

その様子を見ながら、衝撃から我に返ったアイザックが呆然と呟いた。


「何故だ、エリオット…!」


(何故支配が解けた…?いや、何故そうまでして…あのガキを助けに行く!)

噛み締めた奥歯がミシリと音を立てた。


「無駄なことを…!」


迷宮の中は幾重にも重ねられた術式のせいで、中にいる者に実際の面積よりも広く錯誤させる。

特殊な道具無しにたったひとりを捜し当てることなど不可能に近い。

(ユーリにはそれを持たせた…今頃は始末している頃だろう。そして例えエリオットがふたりを見つけられたとしても…兄に勝てる筈がない!)

ユーリの心に未だ和合の林檎が効果を発揮している以上、魅了術は効かない。

一対一の決闘となった場合、エリオットに勝ち目はないだろう。

冷静に思案を巡らせながらも、アイザックの心に一抹の屈辱感が過った。

エリオットが自身から離れる、それは今後の彼の計画にも大きな狂いが生じる。

(クソッ!クソ!こんな筈では…何故だ!)


「父の愛が欲しくはないのか!」


たまらず飛び出した言葉に、扉へ向かっていたエリオットの足が止まった。

そうして振り返った息子に一瞬、背中に氷を当てられたかのような寒気を覚える。

煌めく金糸に碧の瞳、母親とよく似た顔。

20年見続けた筈のその顔が、まるで別人に見えたからだ。


「今まで育ててくださって…ありがとうございました」


アイザックの鳶色の瞳を見据えて、エリオットは静かに口を開いた。

(僕は…あなたに愛されたくて仕方なかった)

父親によく似ている兄に羨望を抱き、出来損ないの自身を心底嫌悪してまで、彼の愛が欲しくて欲しくてたまらなかった。

一体何度、自分を見てほしいと願ったことか。

その希望通り、今彼の瞳は自分しか映していないけれど。


「…さようなら父上」


それでもエリオットは視線を前に戻し、迷いなく扉を開ける。

燦然と注がれる光の中で、彼は高らかに宣言した。


「僕が…愛されたいのは、あなたじゃない!」


暗闇に背を向け陽の下へ足を踏み出す。

(迷うことなど何もない)

その背中を押すのは疑いようのない確信。

望む愛は彼女の元にある。

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