第15話 嫌いなことには理由がある


「もうほんっと…有り得ない…」


ハレミナがそうぼやいて、ごっちんと机に頭をぶつけた。


「お疲れ様。大変みたいだね」

「本当ですよ…。まさか潜入よりこっちの方が大変とは思いもしませんでした…」


フィオがかける言葉にも元気なく声を返す。

事実、彼のこぼれ落ちんばかりの瞳の下には黒い隅、真珠のような肌も血色以外の赤みがある。 

机の上に置かれた茶色の種を見ながら、桃鈴が口を挟んだ。


「ふゥん…。モノさえあれば薬なんて簡単に作れると思ってたヨ」

「そんなわけ無いでしょ!これだからメッ、メスブタは!」


相も変わらず女性をメスブタ呼ばわりする毒舌は健在だが、ほんの少しだけハレミナは頬を染めている。

(……ん?)

その様子にまた何か面白い気配を察知し、フィオが片方の眉を上げた。


「薬って難しいの!しかもこれは毒とも病気とも違うんだから!」


先日の潜入捜査で、和合わごうの林檎を手に入れたまでは良いのだが、その薬の開発が思うように進んでいないのだ。

種を指し、フィオが口を開いた。


「やっぱり…この種を摂取すると特定の人物へ憧憬の念を抱くようになるんだね?」

「ええ。フィオ様の懸念通り、老若男女種族さえ問わず効果がありますよ。それこそどんな極悪人でも従順になります」

「仕組みについては何かわかった?」

「たぶん黒魔術や呪術か何かで種自体に術式と…何者かの血液を組み込んでます」


摂取してすぐには発芽しない。

宿主がその血の持ち主に会った時に初めて発動、心に根を張ることで無自覚のうちに精神や行動を侵食する。


「その特定の人物とは誰だ?術式や血を分析して、生産者を解明できないのか?」


エリオットの言葉に、ハレミナは首を振った。


「なんていうか、僕が回収した実は直接術式をあてられたものじゃなくて、その子だ。ひとつひとつ術式を組み込むとなると時間がかかるから。たぶん量産化しようとしてるんだと思う」

「血も術式もだいぶ希薄化して割り出せないということか?」

「そ。例え親種が手に入っても、ここまでの技術を持つ犯人がそう簡単に特定されるような術式を使うとは思えないけど。まさか摂取してみるわけにもいかないし…。効果が出たときは被験者は喋らなくなるだろうし」


むーっと頬を膨らませて、彼は両手を上げた。


「あーもう本当やだ!心に巣食う根を排除する、除草剤のような薬を作らなきゃいけないんだけど、和合の林檎だけを枯らして人体に大きな副作用が無いっていうのが本当難しい!」

「…当主継承や選挙で忙しい時に迷惑をかけているね」

「いえ…。まあ当家に立候補権は来ないと思うので良いんです。それが僕の責務だし」


彼はぺちぺちと机上の紙の束を叩き、ため息をついた。

前にフィオに手渡した資料である。


「自覚症状が無いのも相当厄介です。他人から見てわかる症状も、ほんの少し早い脈拍にわずかな散瞳、特定の人物への執着ぐらいしかない」

「…そうだったね」

「まあ解析できないほど希薄化してるってことは、効果も薄くなってますから。まだこれはまだ研究段階で、実用化には至ってないと見なして良いと思います。あの施設でもボスにしか投与されてなかったし」

「そっか…。引き続き宜しくね」

「はい」


そこで言葉を切って、ハレミナがそわそわと視線を宙にさ迷わせた。

何でもないことのように、できるだけ平静を装いつつ桃鈴に声をかける。


「聞いたよ。君、彼氏が欲しいんだって?」

「ン?ウン」

「紹介とか…してあげても良いけど。20歳ぐらいの可愛い男の子とかどう?」


片目でちらっと彼女を見た。

この前ピンチを助けてもらった時から、ハレミナは彼女が少し気になっているのだ。

けれど彼女は敵視する女、彼の言葉を借りるならメスブタ。

面と向かって恋愛感情をさらけ出すなんてもっての他、それでも何とか距離を縮めたいという精一杯の行動である。

だがそんな愛くるしい彼の純情は、桃鈴にあっさり握りつぶされた。


「あァ。ワタシ年下は嫌ネ」

「は!?」

「だって…年下って弱くて社会人歴も短くて、困ったら頼ってくる甘えん坊で…若いからって調子に乗って軽い気持ちで女に手を出すのにそれでいて責任とる気もないちゃらんぽらんだロ?」


ぱくぱく魚のように口を開けるハレミナに、桃鈴は真顔で続けた。


「嫌に決まってるネ」

「せ…せっかくこんなに可愛い僕が誘ってあげたっていうのに…っ!ばっ、バカぁ!」


彼は立ち上がり、そう言い捨てて走って出ていった。

その様子を、フィオが同情の目でそっと見送る。

(エリオットの恋敵が一瞬で現れて一瞬で消えていった…)

続いて何が何だがわかっていない桃鈴も、伸びをしながら立ち上がった。


「アイツどうしたネ。この前から変…いや頭と性癖は出会った時からおかしかったカ。ワタシも帰るヨ」


(ひどい…)

まあ今までの行動が行動なので仕方ない。


「年下…全員が全員そうじゃないと思うけど…そっかあ」


桃鈴の背中を見送って、残されたフィオが不思議そうに呟く。

まるで経験したような、断定的な物言いが少し気になるところだ。

その横でエリオットは四つん這いになりたい衝動を必死で抑えて、死んだ目で床を見ていた。

思い出すのは彼女にナデナデシテーと縋ったり衝動的にキスしてしまった自分の行動である。

(僕のことか…)


「すみません、桃鈴様はこちらですか?」


絶望に苛まれる彼の元に声が届く。

開いた扉から屋敷のメイドが現れた。


「いえ、今帰りました」

「どうしましょう。桃鈴様を捜されている男性がいらしたのですが…」


そう言ってポッと頬を染める彼女の背後で、人影が膝をつき深々と頭を下げた。


「初めまして領主様。黎明リーミンと申します」

「これはご丁寧にどうも」


現れた男性を見て、このメイドは優男が好きだったと思い出す。

亜人と言えば筋骨隆々で少々無骨な容姿の者が多いが、彼の場合は浮世離れした麗人と言うのが相応しいだろう。

華奢だが高い背丈、白い肌にはところどころ鱗が煌めき反射している。

さらりとした黒髪から生えるのは珍しい角。

ところがエリオットは、彼の容貌よりもその名前に反応した。

(黎明…?)


「桃鈴を捜してるって話だけど…」

「ええ。ですが入れ違ってしまったようですね…。彼女に危険が迫っていると伝えに来たのですが」

「危険?」


見た目や名前からして桃鈴と同郷だろうが、違和感のない発音で喋る彼からは高い教養と知性が感じ取れる。


「失礼ですが…どのようなご関係ですか?」


居てもたってもいられずエリオットが聞くと、黎明は穏やかに微笑んだ。


「これは申し遅れました。私は桃鈴の婚約者です」






がたがたと揺れる馬車の中で、エリオットは落ち着きなく指を動かしていた。


「馬車まで用意していただいた上に、わざわざ案内まで…ありがとうございます」


原因は今目の前で穏やかに微笑む黎明にある。

少し迷いながらも口を開いた。


「いえ、差し迫った状況とのことなので…。その、桃鈴に婚約者がいるとは…初めて聞いたのですが」

「ああ。実は…私の仕事は貿易商人なのですが、厄介な人物に狙われてしまいまして…彼女に危険が及ぶといけないと思って、しばらく行方をくらませていたんです。死んだと思っていてもおかしくありませんから」

「…そうですか…」

「この人物が桃鈴のことを突き止めたらしく…危険が及ぶ前に知らせようと参ったのですよ」


(確か、黎明という名前は…彼女が仕事で使っていたものだ…)

実在する人物の名を借りていると聞いたことがある。

どういった経緯で使い始めたのかは謎だが、無関係の者の名前をわざわざ使わないだろう。

仕事で使うのだ。

例えば、聞くだけで元気を貰えるような、婚約者の名前を名乗っていても不思議ではない。


「ああ、桃鈴の家はもう近くですね」


窓の外を見る黎明に視線を送る。

(確かにこの人ならば…桃鈴を守れるのかもしれない)

肉体的な強さは未知数だが、穏やかで落ち着き払った黎明には自分にはない余裕がある。

仕事も上手くいっているのだろう、身に付けている物も派手ではないが高価で質が良いものばかり。

その事実にぎゅうと心臓が苦しくなるような感覚に陥る。


「あっ!」


黎明が何かに気がついた瞬間、馬車が急停車した。


「なんだ!?」

「ま、待ってください…!」


体勢を立て直し、確認しようと扉に手をかけた瞬間、外からの力で戸が開いた。


「見つけた…」


すぐ前に立っていたのはひとりの女性。

その特徴的な容姿に、黎明が悲鳴に近い声をあげた。


「わ、私を狙っていたのは彼女です!」

蛇女メドゥーサか…!」


つやつやと光る蛇の髪は蠢き、見るだけで背筋が寒くなる美しさがある。

彼女はすらりと黎明を指差して、燃えるような瞳をエリオットに向けた。


「くっ…」

「私はそこの男に用があるの…邪魔するのならあなただって容赦しないわよ」


彼女たちの最大の武器はその瞳である。

視線には呪術が組み込まれており、見つめている者を石化させる力がある。

エリオットの足元も石像のように固まり、それはじわじわと太股まで上がってきていた。


「大人しくしていれば全身にまわる前に目を逸らしてあげる」


(ダメだ…)

話を聞きいれそうな様子ではない。

エリオットを視界に入れながら、彼女は黎明へと手を伸ばす。


「婚約者なんていない…そうでしょ?そんなもの破棄して私と婚約すれば良いじゃない…」

「っ…!」


触れられた黎明が汗を流し、その言葉にエリオットの肩がぎくりと震える。

ほんの一瞬、彼の心に助ける以外の選択肢が生まれたからだ。

(僕という男は…また桃鈴の不幸を願ってしまっている)


「さあ行きましょうか」


蛇女が黎明の手を取り、扉を開けた。


「やめろ」


静かに、それでも空気を切り裂くように飛んできた声。

エリオットがこちらを睨むように立っていた。

(何…?)

その妙な気配を警戒し、彼女は更に瞳に力を入れて彼を凝視する。


「何かする気…!?私がこの場の支配者よ…!」


腰まで這い登ってくる呪いを前に、エリオットは身動きもせず彼女の瞳を見つめ返した。


「っ…!?」

「瞼を…閉じろ」


違和感を感じ眉間に皺を寄せる。


「な、何を、」

「僕が主人だッ!瞼を閉じろ!」


その恫喝が刃のように届いた瞬間、蛇女の脳に衝撃が走った。

すべての思考が止まり、概念や記憶さえも置いて遠くに飛んでいくような感覚。

気が付けば彼女は、瞼を閉じその場に跪いていた。


「はい…」






「素晴らしい!」


警備団に連行される蛇女を背後に、黎明がエリオットの手を取った。

その黒い瞳はきらきらと輝いている。


「最高でした!お強いんですね!」

「いや…そういうわけでは…。あれはただの、魅了術ですから…」


その特性上、彼女は見つめ返されることに慣れていないと踏んだのだ。

実際、無防備な瞳はエリオットの魔力をいとも簡単に通した。

(懇願ではなく命令をしたのは初めてだったが…上手くいったな…)

実戦を積んだお陰で、少しずつ力が強くなっている。

それを実感すると同時に、エリオットの頭に兄の顔がよぎった。

(こんなことだから…)


「魅了術!あれが!素晴らしい力ですね!直接力を向けられていない私にも心が揺さぶられたような感覚がありましたよ!」

「…あ、ありがとうございます…」

「お礼を言うのはこちらの方です!ああよかった!いつ誘拐されるかと怯えておりましたから!貴方のお陰で助かりました!」


大きく胸を撫で下ろして、黎明が馬車に荷物を取りに行った。


「……」


その背中から自身の手のひらに視線を移し、呆然と見つめる。

するとエリオットの背後から聞き覚えのある声がかかった。


「人んちの家の前で何の騒ぎカ?」

「た、桃鈴!?」


慌てて振り向けば、彼のすぐ後ろに立つ彼女は紙袋を抱えている。

店かどこかに寄っていたのか、どうやら追い越してしまったらしい。


「あれ、エリオ。どうしたネ」


首を傾げる桃鈴を前に、一瞬言葉に詰まる。

頭を覗かせた感情に蓋をして、絞り出すように呟いた。


「君の…婚約者を連れてきたんだ…」

「ハ…?婚約、者…」


きょとんと聞き返した桃鈴が、エリオットの背後を見て目を見開いた。


「り、黎明…!」


一拍置いて走り出した彼女の背中を、目だけで追う。


「幸せに…なってくれ…!」

「黎明ー!テメー今度は何やらかしたァ!!」


次の瞬間、桃鈴は婚約者の体を持ち上げ、そのままひっくり返すように頭から地面へと叩きつけた。


「…へ?」


エリオットが呆然と見ている中、桃鈴は今度は彼の首に手を引っ掛けて海老反りにさせる。

一瞬、彼らの国特有の求愛行動かと思いかけるが、それにしても容赦ない。

みちみちと背骨を曲げられながら、黎明が悲鳴をあげた。


「いや違っ、違くて」

「何が違うんだオラァアア!お前がワタシを婚約者って嘘ついて捜す時は女絡みだロォ!!」

「えっ…嘘…?」


固まるエリオットの前で、次々と新事実が露呈する。


「毎回毎回厄介な女に手ェだしてはワタシに尻拭いさせやがっテ!今回はどんな女に追われてんのか吐けェエ!」

「ごめんなさいお姉ちゃん!今度は蛇女ですぅ!ギャッギャーッ!痛い!」

「お、お姉ちゃん…?」


穏やかで年上然とした態度が一変、今の黎明は小さい桃鈴よりも明らかに下の存在だ。

これまでの人物像をかなぐり捨てて叫んでいる。


「でもそこのお!エリオットさんに解決してもらったんですう!だからもう大丈夫ですっ!」

「なに人に迷惑かけてるカァア!」


この辺りから興奮したふたりが故郷の言葉で始めたので後は聞き取れなかった。

恐らくは罵倒と謝罪が飛びかっているのだろう。


「エリオ…迷惑をかけたネ」


ひとしきり締め上げた後、桃鈴が彼の元まで寄ってきた。

背後で満身創痍の黎明がびくびくと動いている。


「生き別れた婚約者…ではなかったのか…」

「息を吐くように嘘をつきやがっテ。アイツの言うことは名前以外全部嘘ネ」

「ぜっ全部!?貿易商なのは」

「それだけは合ってるヨ」


(それだけ…)

愕然としながらも、目の前の姉弟を見比べた。


「似てないから兄弟だとわからなかった…」

「お前んとこも良い勝負ヨ。ウチは母方が竜人の家系なんだよネ」

「いや、僕らは異母兄弟だが…まあ、異種族同士の交配は混ざりにくいからな…」


異種族結婚あるあるを話した後、桃鈴がため息をついて説明を始める。

黎明は彼女より後にこの国にやって来た。

同じように仕事を探していたので助言をくれてやったのだ。


「弱いけど口は上手いし見てくれも良かったから貿易商人でもやればって言ったんだよネ。ちょうど実家にお金を送るためのパイプも欲しかったし」


実際、頼んだ業者に仕送りを抜かれたり盗まれたりすることが無くなったのでそれは大いに良かったのだが。

なんとなく、嫌な予感はしていた。

この弟は彼女が故郷にいる時から何かとトラブルメーカーだったから。


「実際に向いてたらしくて上手くいってるみたいなんだけどさァ…なんか女絡みでめっちゃ迷惑かけてくるんだよネ…」


初めは雌の竜だったか。

弟だからと何かと助けたのがいけなかった。

姉に任せれば何でも解決してくれると、揉め事を起こす度に似てないのを良いことに桃鈴を婚約者と偽って話すようになったのだ。


「今回もどうせ、あっちから来られたから気軽に手を出したら地雷女で、慌てて実は婚約者がいるって誤魔化したとかそういう感じヨ」

「ああ…大変だな君も…」


同情の言葉を口にしながら、エリオットが倒れこむ黎明に視線を移した。


「ん…?」


(待てよ…)

ふと桃鈴の言葉が甦る。

弱くて社会人歴も短くて、困ったら頼ってくる甘えん坊。

若いからって調子に乗って軽い気持ちで女に手を出して、それでいて責任とる気もないちゃらんぽらん。


エリオットがひとつの結論にたどり着いた。

(お…お前かー!!)

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