第19話 理想と違っても運命は廻る


喉が締まり呼吸ができなくなる。

足から力が抜けて立っていられない。

不明瞭な思考でも理解できる絶望的な状況。

これが死であると認識すると同時に、意外と呆気ないと思ったことをよく覚えている。


「ちょっと!何これどういうこと!?」


もう二度と目を覚ますことはないと思っていたのに、甲高い声に意識が浮上した。


「説明している暇はない!ハレミナ!解毒を頼む!ふたりぶんだ!」

「メスブタと…ユーリ様…!?」


その声に、陸に着いたのだと知る。

(ワタシ…生きてるのカ…)

あの状況から本当に助かるなんて、微塵も信じてはいなかった。

冷えきった手を握り彼女の名前を呼び続ける彼に、視線を送る。

ぼんやり霞む視界の中でも、その碧眼の光は燦然と輝いていて。


「もう…弱くないんだなァ、お前」


思わず口をついて出た。






2度目に目が覚めた時、ベッドの上で桃鈴タオリンは組み敷かれていた。


「……」


目の前には王子様とか残念ながらそんなロマンチックな状況ではない。

そもそも相手は女であるし黒く伸びた脚は長く多い、赤い瞳には明らかな怒り。


「あなたが黎明リーミンの婚約者…?」


蜘蛛女アラクネである。

服装や何度か見たことのある容姿からして、どうやら使用人のようだ。

そして彼女の発言からすべてを察した。

目だけを動かして部屋を見渡した後、掠れた声を出す。


「…婚約者じゃないし、姉だし…黎明ならそこの棚の中にいるヨ」


部屋の隅、据え置きのキャビネットからほんの少しだけはみ出ていた中華柄の服の裾。

それがビクッと震えた。

途端に蜘蛛女の彼女が桃鈴から離れ、たくさんの足をわさわささせて駆け寄った。


「黎明!!」

「ギャー!」


また弟が厄介な女に手を出したらしい。

襲われる様子を確認しようと、桃鈴が上半身を起こす。

扉から飛び出した黎明は自分を売った姉に不平不満を浴びせた。


「酷い!ひどすぎる!殺されるかもしれないって言うのに姉ちゃんの非情!鬼!非モテ!」


その言葉は桃鈴の逆鱗に触れ、ブチリと音がした。

主にいちばん最後の単語に。


「目が覚めたって!?」


ハレミナが客間に入ってきた時、ちょうど桃鈴の飛び蹴りが黎明を襲うところだった。


「なに瀕死の姉のこと放って女に手を出してるカァ!1回死んで地獄に落ちてくるネ!!」

「ぎゃッギャーッ!ごめんなさい!だって後はもう目を覚ますだけって聞いてぇ!あと意識が戻ったのおめでとう!」

「うるせェエ!お前のせいで回復した途端にまた殺されそうだったわァ!」


続いてどったんばったん響く物音。

騒がしい姉弟を前に、ハレミナは呆れた顔になった。


「元気そうだね…」






あちこちボコボコにされた部屋で、同じくボコボコになった黎明が果物を剥く音が響く。


「あの時…姉さんが毒を飲まされたあと、エリオットさんが魅了術を使って人魚セイレーンを従えたんだ。凄かったよ。彼らに船を引っ張らせて…陸まで連れていかせたんだ」

「いきなりすっごいスピードで港に船が来るからびっくりしたよ。雨に濡れて最悪だったし」


いち早く陸に戻れたお陰で、ハレミナの解毒も間に合った。

同じ毒に侵されていたユーリも一命を取りとめた。

それを黙って聞きながら食事をしていた桃鈴が、その手を止める。


「…エリオは、」

「姉さんのことずっと心配してたよ。今朝も付いてくれてたんだけど…今日は忙しいみたいで」


剥き終わった果物を桃鈴が受け取った。

椅子の背もたれを抱きかかえるように座ったハレミナが、補足する。


「選挙最終日なの。今日で領主が決まる。まあ…ユーリ様はあんなことになっちゃったし、領主選挙はフィオ様とアイザック様の一騎討ち。あいつも手が離せないんでしょ」

「…そうカ」


何事か考える桃鈴に、彼はその愛らしい顔を不満そうに歪めた。


「僕も忙しい中来てやったんだけどね!当主の僕がわざわざ!まあ総会はこの敷地内でやるしぃ!ついでのついでのそのまたついでで…」

「ハレミナ。お前のお陰で助かったんだロ。ありがとネ」

「は、はぁ!?べっ別にメスブタの為じゃないし!」


ハレミナの鼻の穴がぷかりと膨らんだ。

ちらっちら桃鈴に視線を送りながら胸を張る。


「まっまあメスブタが望むなら明日明後日も来てやっても良いんだけどね!」

「イヤ、もう安静にしてれば良いんだロ?それは別に求めてないネ」

「はっ…!?バッ、バカァア!!」


幼気な恋心は粉々である。

ハレミナは泣きながら廊下に飛び出して行った。

残された桃鈴が果物を口に放り込みそれを目で追う。


「なんネアイツ」

「さあ…?セックスのしすぎで頭おかしくなっちゃったんじゃないかな」

「お前に言われたくないヨ」


デリカシーの無さは遺伝であった。

姉弟揃って首を捻る。


「でも本当に良かったよ。姉さんが居なくなったら、皆悲しむから…闪电シャンディエン太阳タイヤン月光ユエグアンも…」

「……」


そう指折り数える黎明に、桃鈴は遠い目をして微笑んだ。


「そうネ…。ワタシが居なくなったら…愛の為に死んだとでも言っとくが良いヨ」


黎明は顔を上げ、ぱちくりと目を丸くさせた。


「モテないせいで恋人もいないのに?」


その余計な一言にまたブチリと音がしたことは言うまでもない。






「桃鈴が…意識を取り戻した!?」


使用人から報告を受け、エリオットの表情が輝いた。

だが自分の手元、今日使われる総会の資料を見て我に返る。

直ぐにでも飛んでいきたい気持ちを抑えて作業を続けていると、フィオがくすりと笑った。


「行ってきて良いよ」

「だ、大丈夫です!これから重要な会議がありますから、仕事を全うしなくては」

「わかった。言い方を変えよう。桃鈴のことは私も気になっている。けれど総会の前に少し行かなくてはいけないところがあるし…私の代わりにお見舞いに行ってきてくれる?」

「っ…ありがとうございます!」


頭を下げ、エリオットがばたばたと駆けていく。

その背中が消えた廊下から、何かをひっくり返したような音と謝罪の声が届き、フィオは再び微笑んだ。


「君に指示を出すのも…最後だね」


一言だけ残して、彼も部屋を出る。

そのまま、エリオットが向かった先とは逆の方向に歩を進めた。

どこか薄暗い廊下の先はまるで別世界のようだ。

エリオットにもう指示は要らない。


「…あとは君が決めることだから」






渡り廊下を抜け桃鈴のいる建物まで来た時、先を急ぐ彼の足が止まった。


「……っ!?」


そう今日は選挙最終日。

今回の総会を持って次期領主は決まるわけで、現領主のお付きである彼は忙しい。

それでも桃鈴には会いたい。

ここ数日、彼女はたまに目を覚ますことはあっても意志疎通はほとんどできなかった。

けれど総会は今日の午後、すぐに戻らねばならないわけで、だから一刻も早く彼女の元に向かいたいのだ。

だがいまこの瞬間に、エリオットは先を急げない理由ができてしまった。

視界の端に、揺らめく縞模様の尻尾を見たからである。


「な、なんで君がここにいる!?」


橙色と黒色の美しい毛並み。

彼の問いかけに、虎男ウェアタイガーのレオナルドが振り向いた。


「おう!所用でここに来たらよお、桃鈴の匂いがして侵入した!」


(警備ィイイ!)

エリオットが心の中で突っ込みをいれた。

何度も言うが今日は領主選挙。

猫の子一匹通してはならない状況のはずなのにこんなデカイ男を通すとは、一体警備はどうなっているのか。


「…う」


レオナルドに対しては、過去に襲われかけたり何をとは言わないが掘られかけたり色々されているので軽い恐怖心を抱いている。

それでも見逃せば何をするかわからない。

この獣人がお見舞いなんて気のきく真似をするはずがないのだ。

彼はくんくん鼻を動かしながら忙しなくあたりを見回した。


「桃鈴はどの部屋にいるんだ?」

「い、いや…彼女は今療養しているから…」

「お?弱ってる今なら孕ませられるかもしれねえな!情報ありがとよ!」

「はっ…!?」


そう言って爽やかに立ち去ろうとした彼を大慌てで止める。

あまりにも堂々と発言するので一瞬見逃しかけたが、よくよく聞けばとんでもない言葉が飛び出していた。


「なっ、何てことしようとしてるんだ!この鬼畜!ケダモノ!鬼畜生!!」

「愛してるから仕方ないだろ!それとも何だ?お前が相手してくれるのか?」

「ちっ違う!やめろ!いや違うぅう!」


じりじりと迫って来る彼を何とか落ち着かせ、その場に座らせる。

腕を組んでじとりと睨んだ。


「ずっと思っていたが…君の言うそれは愛じゃないぞ」

「何!?なら何だって言うんだ!?」

「それは…せ、性欲と言うんだ」


ごほんと咳払いをしつつ、だが遠回しに言ってもレオナルドには伝わらないと判断し、これ以上ないほど直接的に伝えた。

彼は目から鱗を落としている。


「性欲は愛と違うのか?」

「ち、違う!男女の恋愛に関しては、僕も本で読んだ限りの知識しかないが…。例えばそうだな、君の言っている愛は強い者と子孫を残すことだが…それはどちらかと言えば本能だろう?」


エリオットも理解できなくはない。

男である以上は種を蒔きたいとそういった欲求に駆られるものだ。

彼の頭にイリナに淫術をかけられた時の記憶が過る。


「でも、結局それは自分勝手な欲望なんだ。その欲求を犠牲にしても…相手の為に行動するとか、相手を守るとか、そういう感情が愛なんじゃないのか」


(……?)

言いながらエリオットが首を傾げた。


「…他にも独占欲が生まれるものらしいぞ。他の男にとられたら嫌だとか…愛しくて、自分のものにしたくなる、とか…」


エリオットは恋愛に関してはほとんど素人である。

諸事情でまともな恋愛経験はできなかった上に、初恋の相手は先日逮捕されたり見る目の無さは折り紙つき。

だからこの話は実体験でも何でもなく、全て書物や噂話として見聞きしたことをそのまま口に出しただけだ。


「ふむ…。そうか…」


レオナルドが何事か考えながらその場を後にする。

桃鈴を探す気は失せたのか、危険性を感じない。

あれなら放っておいても大丈夫だろう。

それに安堵を覚える間もなく、エリオットは呆然と廊下を歩き始めた。


「……」


そんな彼の肩に壁がごりっと当たる。

直線的に進んでいたはずなのに、気づけば壁に向かって斜めに突っ込んでいた。

それでもエリオットは放心状態で廊下に敷かれた赤いカーペットを眺める。

愛とは何たるかをレオナルドに話しながら、エリオットは思ったのだ。

聞きかじっただけの知識のはずなのに、あれ?実体験かな?なんて思ったのだ。

それめっちゃ心当たりあるなんて思ったのだ。

何を犠牲にしても守ると強く決意したし実際助けたし、黎明を婚約者と勘違いした時にはこの上なく落ち込み、彼女が可愛くて思わずキスしたこともある。

(僕は桃鈴のことが…すっ、)


「いやいやそんなまさか」


ごほんごほんと誰に向かって誤魔化しているのかわからない咳払いをする。

(もちろん桃鈴のことは尊敬している)

長女であるせいか厳しいことは言いつつも何だかんだ面倒見も良いし、機転の早さや攻撃力の高さはまだまだエリオットには足りないものだ。

(だがしかしこれは恋心ではない!)

彼は決して認めるわけにはいかない。

仮に、仮にだが恋愛感情だったとしよう。

そうするとひとつ大きな問題がエリオットの前に立ち塞がる。


「もし恋愛感情だとしたら…僕は羞恥で死ぬ…!」


エリオットの脳裏に自分の言動が甦る。

何が人の不幸を喜ぶ変態だ。

何が泣いている君に性的興奮を覚える性癖があるだ。

大真面目にあんな宣言をしてしまった。

これがただの恋心だったとしたら、恥ずかしい、恥ずかしすぎる。

耳の先まで真っ赤になりながら、桃鈴がいるはずの部屋の扉を数回ノックする。

(だからこれは…断じて恋愛感情ではない!)

返事を待って、勢いよく取っ手を捻った。


「エリオ!」


想像よりも元気な声が飛んできた。

こちらに気付いた桃鈴がベッドの上で笑う。


「…桃鈴」


エリオットの心がすうっと落ち着いて、あれほど紅潮していた顔から熱が引いたことが分かった。

出入り口で呆然とする彼に、桃鈴が首を傾げる。

その様子に我に返り、部屋の扉を締めて、ベッドの脇にあった椅子に腰掛けた。


「体は…大丈夫なのか」

「まだちょっと重いけど…大丈夫ネ。お前のお陰ヨ」

「そうか…」


明るく笑う桃鈴の腕には黒色の模様。

毒のせいでできたもので、あの時に比べだいぶ薄く範囲も小さくなっている。

このまま快方が進めばそのうちに消えるだろう。

それを見つめながら、エリオットは口を開いた。


「兄上が…自供した。和合の林檎…それに関する一連の事態の主犯だと」

「……」


回復術が効いたぶん、ユーリの回復は早かった。

ベアトリクスを使役し当主達を操ろうと目論んでいたと、呆気ないほどあっさりと口を割った。

彼が今のところ認めているのは和合の林檎の開発と流通だけだが、事件はそれだけではない。


「9…いや、今日で10年目になるのか。10年前にダリア家の事業で使っていた輸出入船が1隻…無くなっていることがわかった。更に調べを進めているところだが、それに乗っていた当主が船ごと沈められた可能性が高い」

「そうカ…」

「…それも、兄上がやったのかもしれない。今回のように」


10年前に和合の林檎に近づきすぎたダリア家当主を手にかけたように、同じ方法で何かしらの手がかりを持つ桃鈴を口を封じる為に狙ったのも不思議ではない。


「もし当主を殺したとなれば…誰であろうと極刑だ」


エリオットがぎゅうと唇を噛んで俯く。

桃鈴の位置から彼の表情は見えなかったが、その金糸の下をきらきら光る粒が落ちていった。


「エリオ。アイツは…」

「わかってる。あの人の方はきっと、僕が捕まったぐらいじゃ何とも思わないんだろうな」

「……」


桃鈴が静かに彼の頭へと手を乗せる。

その手を左右に動かそうとしてーーー下から伸びてきた腕に阻まれた。

桃鈴がぱちぱちと瞬きをする。


「…ナデナデしてやらなくて良いのカ?」

「ああ、大丈夫だ」


彼女の手首を掴んだエリオットはそう宣言して、その小さな手を自身の口元にぴたりと寄せる。

聞こえる脈拍は心地好く、温かい。

エリオットがゆっくり瞼を閉じた。


「桃鈴。君に会えてよかった」


静かな部屋に響く声。

桃鈴から返事はなかったが、その手は一瞬ぴくりと震えた気がした。


「兄上は僕にとって…聖騎士の全てだった。模範であり、なるべき姿で、憧れで…だからその理想とかけ離れた自分が嫌いだったんだ」


聖騎士の家に生まれた憐れな道化。

努力しても努力しても報われることはなく、世界は彼に厳しかった。


「でも…今の僕はあの頃目指した理想の姿ではないけれど、それでも、自分のことが好きだ。多分、出来ることが多くなったからだと思う」


信じて止まなかった“正しい方法”でなくとも、誰かを喜ばせたり人の役に立てることを知った。

結果を残せるようになって、少しずつまわりの目が変わって、大切な人を守れるようにまでなれた。

彼の心を動かしたきっかけはただひとつ。


『今回はありがとうネ。お前のお陰で助かったヨ。見直したネ』


エリオットは忘れない。

最初にこの手が頭を撫でてくれた時のことを。


「僕の…この恥ずかしいと思ってきた術を、一番初めに肯定してくれたのは君だ。理想の姿だけが全てじゃないと教えてくれたのも」


彼は俯いたままだったので、彼女の顔は見えなかった。

でもほんの少しでも赤くなっていたら嬉しいと、それを想像をして微笑んだ。

この部屋の扉を開けたとき。

笑う桃鈴を見た瞬間。

あれほどゴチャゴチャだった自身の凡百な思考は全て消え去って、一も二もなくエリオットは確信した。


(君のことが、好きだ)











「…本当に逃げないつもりか?」


エリオットが居なくなった静かな客間の中に、ジオの声が響いた。

あの後、彼は総会の準備に呼ばれ、何か言いたげな表情をしながらこの部屋を後にした。


「言ったロ?」


エリオットが消えていった扉の向こう、廊下がざわざわと騒がしくなる。

それを聞きながら桃鈴は冗談めかして笑って、けれど迷いなく口を開いた。


「愛の為に死ぬっテ」


激しく音を立てて扉が開き、武器を持った兵士が飛び込んで来る。

彼らを割るようにして悠然と歩を進めて来たのは初老の男性。

背が高く堂々とした仕草に精悍な顔立ち、確かに彼はよく似ていた。

その人物を睨み付けながら、桃鈴が声を投げ掛ける。


「ユーリだけじゃ飽き足らず…今度はワタシに罪を被せる気カ?」


桃鈴は思い出した。

10年前のあの時、落雷と共に現れ船上の殺人を行ったのはユーリではない。


『鼠が入り込んだか』


彼は当時と全く同じ表情で笑った。


「鼠。10年前のダリア家当主殺害の罪で、お前を処刑する」


アイザック・カサブランカ。

カサブランカ家現当主であり、残った領主候補の片一方。

そして、ユーリとエリオットの父親である。

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