第16話 愛も性癖も形は十人十色


「領主様の使いと言うから、一体どんな厳つい武人が現れるのかと思っていたけれど…」


質の良い調度品が並んだ応接室。

その持ち主であり、これまた煌びやかな長椅子に腰かけた彼女は、目の前のふたりに向かってゆるりと微笑んだ。


「こんな可愛いお客様なら大歓迎よ」


客人に紅茶を勧め自分も口を付けた後、大きく形の良い瞳が確認するようにこちらを見つめる。


「ところでふたりは…本当に恋人同士なの?」


その言葉に桃鈴とエリオットは顔を見合せ、満面の笑みを浮かべ頷いた。


「「はい!」」


イリナ・ルピナス。

十二華族ルピナス家の現当主であり、別名を「愛の宣教師」。


「まあ…それは素敵ね」


彼女はこれまた美しい装飾が施されたカップを置いて、嬉しそうに目を細めた。






『恋人のふり…ですか…?』


エリオットが繰り返すと、その言葉を発したフィオは頷いた。


『領主選挙のことだけど…民衆投票の上位御三家に与えられる立候補権、おそらくそのひとつはルピナス家にくるだろう』

『ルピナス家って…イリナ先生のとこカ』


桃鈴が反応する。

彼女が所有する書籍「女夢魔サキュバスイリナが教える、男を虜にする十戒」の筆者である。


『そう。彼女の活動は今や執筆だけに留まらず、楽器の演奏に女優、歌手など多岐に渡る。その人気たるや神格化する人もいるぐらいだからね』


圧倒的なカリスマ力は衰えを知らず。

民主投票では他の華族を抑えて1位の獲得数を誇っても不思議ではない。


『けれど彼女には立候補権を捨てて、投票権を得て欲しいんだ。そして私に投票してほしい。おそらく今回の領主選挙…その貴族投票は接戦だ。1票が大きく左右すると言って良い』

『ふゥん…』

『それを恋人のふりをしたふたりが、お願~いって頼んできて欲しいんだよね』


この「お願~い」の部分は手を合わせ猫なで声である。

良い年したオッサンのそれに軽く引きながら、桃鈴が口を開いた。


『お前がワタシ達に不正行為みたいな真似をさせようとしてるのは分かったけド…』

『人聞きが悪いよ桃鈴。あくまでお願いだから、金銭や物のやりとりは発生させない。あの人が欲しいものが私にあげられるとは思えないし』

『イヤ…その恋人のふりっていうのは必要なのカ?』


桃鈴のまっとうな疑問にも、彼は大きく頷いた。


『彼女に会うのにこれ以上に大切なものはないよ。それにふたりなら…イリナの欲しいものをあげられるかもね』

『ハァ…?』

『…?』


未だ全貌を把握してないふたりを置いて、フィオが自机に向かう。

思い出したようにエリオットを振り返った。


『ああそうだ。貴方の大切な友人からのお願いですって伝えてくれる?』

『は、はい。わかりました』


そして机から目的の封書を取り出し桃鈴の手に乗せる。


『あとこれ…直接渡してね。そういえば、手紙で思い出したけど、桃鈴。エリオットが届けた封書はちゃんと読んでくれた?』

『あァ…あの延々と足に対する愛が綴ってあるやつネ。キモすぎてビックリしたヨ。即燃やしたネ』

『重要な書類かと思ったのに…僕に片棒を担がせるのは止めてください…』

『失礼な。あんなに大事な手紙はないよ』


「……」


(思い出しついでに余計なことまで甦ったヨ…)

桃鈴が紅茶を飲みながら、その記憶を消そうと頭を振った。

エリオットから要件を聞くイリナをちらりと見る。

あの時フィオは何を言っているのだと思ったが。

(実際にここに入る前に守衛にカップルか確認されたからなァ…)

どうも彼女と謁見するには恋人同伴でなければいけないらしい。

異名が「愛の宣教師」なだけはある。


「貴女の大切な友人からのお願いです…とお伝えしてほしいとのことでした」


エリオットから最後の言伝てを伝えられた彼女は、じっと彼の顔を見た後、伏し目で瞬いた。


「そう…。なら仕方がないわね。わかったわ。投票権は捨ててマリーゴールド家に1票を送る」

「…フィオとそんなに仲良かったのカ?」


拍子抜けするほどあっさり承諾を得られ、思わず尋ねる。

ところがその質問には答えず、彼女は静かに立ち上がった。


「…私も領主になるつもりはないし…民衆投票では選ばれても華族投票で選ばれることはないから、元々立候補権は捨てるつもりだったの」

「へェ…」


何はともあれフィオの依頼は無事に達成できた。

ほっと息を吐くふたりにイリナは微笑を浮かべ、そしてエリオットに触れた。


「あなた達のお願いは叶えてあげる。だから私も…友人としてお願いがあるの」

「っ…!?」


何かが発動するような音と共に、エリオットがカップを落とした。

口元を押さえ座ったまま前屈みになる。


「エリオ!?」


先程まで緊張で張り詰めていた表情は一変、顔は耳の先まで真っ赤に染めて口からは荒い息。

桃鈴が触れるとびくりと身体を震わせ、苦しそうに呻く。


「イリナ!お前何を…」


桃鈴が見上げると、彼女は手を合わせ猫なで声で言った。


「お願~い。ふたりが愛を育んでる姿、見せて」

「は…ハァ!?」

「私…淫術の一種で、誰と誰が肉体関係を持っているのかわかるの。けれどあなた達、キスはしたことあるけれどそれ以上はないみたいじゃない」


恐ろしい術を使うなとか人のプライベートを覗くなとか言いたいことは色々あったが、桃鈴は思わず押し黙った。

イリナの顔が、それはもう嬉しそうに恍惚と輝いていたからだ。


「そうね…。端的に言えば、私…カップルの性交を見るのが大好きなの」

「ただの変態野郎じゃねーかァ!!」


鳥肌を立てて桃鈴が叫んだ。

先ほどまでの凛然とした言動はどこへやら、彼女は鼻息荒く今か今かと事が起こるのを待っている。


「するわけねーだろうがァ!」

「ふうっ…っ」


桃鈴が威嚇する横で、エリオットが苦しそうに立ち上がった。

イリナの種族は女夢魔サキュバス

そんな彼女が得意とする術が淫術である。

先程のように肉体関係の把握をすることもできるが、何より有名なのが性欲を引き上げ相手を発情状態に持ち込む術。

くらくらするほどの劣情の中、息を荒くさせたエリオットが力強く言い放つ。


「桃鈴…!僕が暴走したらっ!遠慮なく殴ってぐふぅ」


言い終わる前に、桃鈴の腹パンで彼の体が沈んだ。


「あらあらまあまあ。恋人に向かって容赦がないのね」

「…エリオにかけた術を早く解除するネ」


その殴った拳をイリナに向けて、桃鈴が睨み付ける。

ところが彼女は怯えることも術を解く素振りも見せず、困ったような表情を浮かべた。


「うーん…あなたには淫術の効きも悪いようだし…こっちかしら」

「!?」


彼女が天井から伸びた紐を引くと、音を立てて薄紅色の煙が桃鈴の足元から噴出した。

慌てて口元を塞ぐがひと足遅く、ぐるりと回る視界と共に倒れこむ。


「っ…!」


(これは…)

体全体が熱くなり、背筋を何が上ってくるような感覚。

むずむずと耐えられない疼きが脳を支配し、ほんの少しの風が当たっても体が反応する。

どこか覚えのある感覚に、イリナの口から思い当たる変態の名前が出た。


「ハレミナちゃんに頼んで作ってもらったの。試作品だけど効果は媚薬よりあるみたいだし、あなたに使わせてもらうわね」


そういえば奴は薬を気体にする研究をしていたと遅蒔きながら思い出す。

桃鈴が呻くように呟いた。


「た、たちが悪いヤツと手を組みやがっテ…犯罪者共がァ…」

「あら。彼は大切な友人よ。見せてくれたもの。恋人の男性と愛を育む姿」

「何してんだァ!お前もアイツも怖いもんなしかヨォオ!」

「ほら、起きたわよ彼」


ぎしりと床板が鳴った。

気がつけばすぐ近くにエリオットがいて、思わず息を飲む。


「桃、鈴…」


その碧い瞳が剥き出しの熱情を向けてくるものだから、拒否する理由も失って腕が落ちた。


「…っ!エリオ…」


首に火傷しそうなほど熱い息がかかって、ぞくりと鳥肌が立つ。

エリオットはゆっくり彼女の顔に唇を近付けてーーそしてぼすんと床に額を付けた。


「桃鈴…僕の金的を…思い切り蹴ってくれ」

「…エ?」

「良いから…やってくれ…!」


予想外の言葉に戸惑う。

小刻みに肩を震わせるエリオットに、彼も限界なのだと察した。


「けど…今やったらっ…手加減できないヨ…。お前ごと殺すかもしれな、」

「良いんだッ!僕は治癒術でも何でも使えば良いから…でも君の貞操は元には戻らない…!」


ふうふうと息を吐いて、けれど確かな決意を持って彼は顔を上げた。


「守ってもらうだけの弟は終わりだ…!君には二度と手を出さないと誓った!自分で制御できないのなら、僕は自分を犠牲にしてでも止める!!」

「!」


その様子を見ていたイリナがびくりと体を震わせる。

(これは…!)


「っ…!」

「!淫術が止んだ…!」


エリオットが顔を上げた。

急激に体が軽くなり、思考を奪っていた熱も下がっていく。


「桃…」


喜んで下の彼女を見るが、その瞬間彼の背中にヒヤリとした汗が流れた。

桃鈴は彼の股間に蹴りを入れる件で、目を閉じて精神統一に夢中だったからだ。

口からはぶつぶつとお経のようなものが漏れ、身体からは妙な湯気が出ている。


「ちょ、待っ、解け、」

「お前の覚悟受け取ったァア!!」


一瞬遅く、ぐあっと目を見開いた桃鈴から今までにないほど強烈な蹴りが繰り出された。

エリオットはこの日、本当に痛い時、人は何一つ声を発せなくなるのだと学んだ。






「素敵な愛の形だったわ!今までに見たどんな愛よりも素敵!」


興奮ぎみに捲し立てるイリナに、桃鈴は疲れきった表情で視線を向けた。


「そうかヨ…」

「私とっても満足したわ!」


エリオットといえば長椅子の上で横たわり、目にタオルを掛け静養している。

死んだように動かないが何とか生きている。

彼の回復を待つ間、イリナはフィオから預かった手紙に目を通して言った。


「ふぅん…。愛を作るなんて…ずいぶんセンスの無いことを考える人がいるものね」

「あァ…和合わごうの林檎のことカ…」


あの件は機密事項の筈だが、イリナには情報を公開しているのだと悟る。

彼女が手放すと、手紙はひとりでに燃え墨も残すことなく消え去った。


「…偽物の愛が溢れたら悲しいわ、私」

「そうカ?むしろたくさんセックスするの見られるだロ。良かったネ」


桃鈴が疲れのあまり、ハハハと乾いた笑いを浮かべいい加減な返事をする。


「もう。私をただ人の性行為を見るのが好きな変態みたいに言わないで」

「……」


イリナのことはただ人の性行為を見るのが好きな変態だと思っていた。

何も言わずともそのじっとりした視線だけで何かを察したのか、彼女がぽこんと小さく頬を膨らませる。


「私はただ、恋が真実の愛へと育っていく様子を間近で見たいだけなの。その近道が肌を重ねることなのだから仕方ないじゃない」

「…その趣味が既に変態だヨ」

「私の持論だけれど…真実の愛とはひとりで育つものではないのよ。お互いが持ち寄りふたりで大切に育むことで初めて芽生えるものだと思うの」

「……」

「強制的とは言え愛される…和合の林檎も突き詰めればひとつの愛の形なのでしょうね。でもね、相手を想わない行為…真実の愛とは言えないものを、私は見たい訳じゃないの」


イリナは話を止め、エリオットを見た。


「彼。とっても素敵な恋人ね。大事にするのよ」

「あー…そうカ?」


彼女に言うとややこしいことになりそうなので、実際にはただの仕事仲間であることは暴露していない。

何とか恋人としての彼を想像しようと絞り出した。


「ウーン…。でもなァ、弱いし…年下だし…」

「あら。自分の欲を犠牲にしてまで相手の貞操を大切にしてくれる男性なんて、そうは居ないわ。でしょう?」


桃鈴の脳裏に、自分の欲望を果たそうとする為だけに襲いに来る変態の顔が次々と過る。

(ワタシの周りっテ…)

そのことにとても悲しい気持ちになりながら、渋々呟いた。


「……まァ、そうだネ…」

「う…」


その背後でエリオットが呻き声をあげて、意識を取り戻す。

(僕は…気絶していたのか…)

目元にかけてあったタオルを持って体を起こした。

どこがとは言わないがめっちゃ痛い。


「桃鈴、イリナ様とは何の話を?」


仕事に関係がある場合はフィオに報告しなければならないので念の為確認する。

エリオットと目が合うと、桃鈴は複雑な表情で視線を逸らした。


「何でもないヨ…」

「……?」

「エリオット」


イリナに名前を呼ばれそちらに顔を向ける。

優雅な仕草で追加の紅茶を淹れる彼女は、穏やかに続けた。


「さっきは素敵なものを見せてくれてありがとう。魅了術なら…私も得意なの。今なら少しだけ教えてあげられる」

「……?」


エリオットが首をかしげる。

彼女に魅了術が使えると言った覚えはないが、畳み掛けるように続いた言葉に意識が移った。


「どう?私が講師じゃ不満?」


イリナの魅了術は淫術よりも有名だ。

あらゆる種族、老若男女を虜にする彼女の最大の武器。

これ以上の講師はこの領地に居はしないだろう。

一瞬生じた迷いを振り払って、彼は頭を下げた。


「お願いします…!」

「ええ。でも忘れないで。例えどんなに大きな力を手に入れようとも…真実の愛さえあれば、万事解決めでたし丸だから」


さらりと流れた台詞に一瞬、エリオットの思考が停止する。

その言葉は。


「…えっ」


顔を上げると、イリナはカップに口を付けているところだった。

その紫色の瞳が優しく弧を描く。


「私、フィオとはそれほど仲良くないの」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る