第20話 陰謀は月の表へ


「アイザック様。それでは総会の準備ができ次第お呼びします」

「ああ」


従者に返事をし、アイザックは自身に与えられた部屋に入る。


「やあ」


踏み入れた瞬間、部屋の奥、執務机向こうの椅子がくるりと回りフィオが姿を現した。

それに特段驚くこともなく、アイザックが彼に近寄る。


「これはこれは…領主様」

「相変わらず忙しそうだね」

「忙しいのは貴方の方だろう。何をしに?」


その質問に、フィオはわざとらしく眉間に皺を寄せて、何事か悩む素振りを見せた。

机の上で彼の指で弾かれた硬貨がくるくると回転する。


「うーん。遠回しに言っても君にははぐらかされてしまいそうだし…単刀直入に言おうかな」


次の瞬間、それごと手のひらで押し潰すように机を叩き立ち上がった。


「目的を教えろ、人でなし」


海の底、深淵のような瞳が目の前に現れ、鋭く尖る光がアイザックを射抜く。


「フ…」


その迫力に一切圧されることなく、彼は失笑を漏らした。


「我らが領主様はよほど焦っているようだ。…良いだろう。ここまでたどり着いた褒美に、腹を割って話そうか」


アイザックはそう言って、革張りのソファへと腰かけた。

するとフィオの姿は一瞬揺らぎ、続いてばしゃりという水音と共に向かいに出現した。

元の人型に形成が終わると、ソファの手すりに肘をついてアイザックを見据える。


「9年前…今日で10年目か。船の上でダリア家の当主を殺したのは君だな?」


10年前の領主選挙。

同じくフィオとアイザックの一騎討ちとなった第3回総会直前の話である。

研究室に忍び込んだ彼女が、当時製作途中だった和合の林檎を盗み船で逃げたのだ。


「あれは…本当に困ったよ。ユーリも未だ育ちきってない時期でな。しかも奴の体質ではベアトの術も効かぬ。我が直接手を下すしかなかった」


当時を思い出し、アイザックは目を閉じ息を吐いた。

それまで一切、何の動きも見せなかったフィオ側の突然の奇襲に、彼は完全に不意を突かれた。

総会で華族投票を受けるためには、立候補した本人が居なくてはならない。

だが決定的な証拠を掴まれた彼は、それを暴露される前に選挙を捨て直ぐ様行動に移るしかなかった。


「お陰でせっかく手にした立候補権を、フィオ。お前に掻っ攫われた」

「…君を領主にするわけにはいかなかったからね。苦肉の策さ」

「姉と違って妹はあれほど従順なのにな…。お陰で計画が10年遅れた」


この事件が唯一、アイザックの想定外の出来事であった。

領主となる道を捨てても当主殺しというリスクを負うことになろうとも、動かざるを得ない最高の一手。

だが同時にそれは必ずや犠牲の出る攻撃でもあった。


「フィオ。分かっていて…恋人を死地に送り込む気分はどうだった?」


総会中にそれが行われるということは、フィオも一切動けなくなることを意味している。

目の前の彼の顔には何の表情も浮かんではいない。

それでも普段は柔和なその瞳に確かな殺意が浮かんだことを、アイザックは見逃さなかった。

(まさかこの軟弱者に人の命を懸ける気構えがあるとはな…)

だがアイザックにも、フィオにも、その彼女にさえ予期できなかった誤算があった。


「近付きさえすればダリア家当主を殺すことは容易だったが…現場を素性も知れぬ東方のガキにも目撃されることになったのは本当に厄介だった。ベアトの呪具で傷を負わせたからには…すっかり海の底に沈んだと思っていたが」

「…桃鈴タオリンのことは、私も予想外だったよ」

「ベアトが眠る前…伝達用の人形を貰った時は驚いたよ…まさか始末したと思っていた鼠が生きていたのだからな。まあ、あの小娘が騒いだところで何もできやしないだろうが」

「…アイザック。君のいちばん恐ろしいところは、その冷徹さだ。どれだけ手をかけたものだろうが関係なく切り捨てる。和合の林檎もベアトリクスも。そしてーーー実の息子さえも」


そう言ってフィオが彼を見据える。

最後の台詞にも、アイザックの瞳が揺らぐことはない。


「10年前の殺害も和合の林檎も、全ての黒幕は君だ。露見しそうになると見れば…直ぐ様その罪をユーリに被せ切り捨てた。私もまさか、彼を犠牲にしてまで桃鈴を殺しに来るとは思わなかったよ」

「ユーリ…ユーリか…。念のために鼠を殺した後、そこで死んでこいと言ったのに…殺し損ねた上に自分も生きて帰ってくるとは。あいつも使えな、」


彼の声は激しい音に遮られる。

フィオが吹き飛ばした灰皿が床に転がり、ピリピリと空気が震えた。

(ほう…)

それでも動じることなく変わらず笑みを見せるアイザックに、彼は溢れ出る殺気をそのままに続けた。


「人でなしめ。いちばん最初に和合の林檎を投与したのは、君の息子達だな?」


空中で視線がかち合う。

一瞬ばちりと、アイザックの目元に比喩ではない火花が散った。


「さすがだな。…それも知っていたか」

「…わずかにだけどユーリにもエリオットにも散瞳が見られた。そして彼らの…君への忠誠心は常軌を逸するものがある。どちらも和合の林檎の数少ない症状だ」


ハレミナから和合の林檎の患者に関する調書を受け取ったあの日。

わざわざフィオがカサブランカの屋敷まで赴いた理由は、桃鈴に近付くユーリを牽制する以外に、兄弟に同じ症状がないか確認する為だった。


「仕事が早いな、フィオ。我は君を高く評価しているのだよ。和合の林檎、その存在を我の予想を遥かに上回る速度で気が付き、我に至高の一手を打ってきた」

「…誉められてこんなに複雑な気持ちになったのは初めてだよ」

「謙遜するな。本心だ」


アイザックはゆるりと微笑んだ。

(フィオ。お前は本当に優秀だ。だが…やはり惜しい)


「これから行われる領主選挙…勝てると思っているか?」

「無理さ。せいぜい引き分けが良いところだ」

「謙虚だな」

「いいや事実だよ。何せ、複数の当主が和合の林檎を飲んでいるのだから」


その言葉にも、アイザックは微笑みを浮かべたままだ。

どれだけの事実を突きつけられても揺らぐことのない瞳に、フィオは心の内で舌を巻く。

(本当にあっさり切り捨てるから…君は厄介だ)


「ベアトリクスは囮だ。あの第2回総会の夜、配られたケーキ以外にいつの間にすり替えられたのか…部屋のワインからも和合の林檎の成分が出てきた」

「…気が付いただけ上々だろう」

「まさか貴族ひとつ…ダリア家まるまるひとつを囮にするなんて思いもしていなかったからね。完全に後手に回ったよ」


気が付き急いで回収したが、それでも3人は確実に摂取した。

和合の林檎に対抗する薬はまだ完成しておらず、そもそもが10票ほどしかないこの選挙において、その3票の差はあまりにも大きい。


「私はもう…行く末を見守るだけしかできない。ねえ。これは単なる興味なんだけど、君の持つ雷術や聖術も強力なのに…君はどうやらそちらではなく、魅了術に深い関心があるようだね」

「……」

「どうして?」


その言葉に、アイザックが遠くの地を見るような目になった。

昔の記憶に想いを馳せ、ゆっくりと瞼を閉じる。


「エリオットの母親…クリスティーナを初めて見た時…衝撃が走ったよ」


それは偶然だった。

当時騎士団長だったアイザックがたまたま遠征中に入った山奥で、彼は出会った。

山妖精フルドラ妖精女王ティターニア


「一目見た瞬間、雷に撃たれたような衝撃が走り…心酔とはこういうことを言うのかと思った。彼女の為ならば何でもできると、この我が思ったのだ。…魅了術だとわかるまで時間がかかったよ」


それからすぐに、彼はクリスティーナを妻に迎え入れた。

人が良く世間を知らない彼女を騙すことは、アイザックからすれば容易いことだった。


「本人は気が付いてはいなかったが…クリスティーナの力は他に類を見ない無二の力。我の理想が形となった瞬間だった」

「理想…?」


その単語にフィオが反応するものの、彼は笑って答えなかった。


「息子のエリオットは役立たずかと思っていたが…どうやら我の期待通りに育ってくれたようだ。大量の人魚セイレーンを従えるなど並大抵の力ではない。母親と同じ…いや、クリスティーナ以上の才能を持って生まれてくれた」

「…エリオットが確実に君に従う自信があるようだね。まだ試験段階だが、体内の和合の林檎を枯らす薬は出来上がってきてる。君の呪縛が解けるのも時間の問題だよ」


アイザックは少し驚くような表情をした後、あっけらかんと口を開いた。


「無理だろうな」


飛び出したのはすべてを切り捨てる、有無を言わさぬ否定だった。

その確信めいた物言いに片方の眉を上げるフィオに、アイザックは淡々と言い放つ。


「ユーリやエリオット、ベアトリクスに投与したプロトタイプはお前が今まで追っていた物とは異なる物。桁違いの威力を誇る。…クリスティーナを犠牲にすることで得た産物だった故に…数ができなかったことが唯一の失敗だったがな」

「…やっぱりあれは、別物なんだね」

「まあ和合の林檎…その研究は頭打ちだった。クリスティーナ亡き今、研究を続けたところであれ以上効果が強くなることはない…。お前にも嗅ぎ付けられたしな。だから捨てた。目覚めたエリオットがいれば、充分だ」


アイザックには確信がある。

息子が確実に自身の命令を受け入れるその自信が。

生まれたばかりのエリオットに埋め込んだ、プロトタイプの和合の林檎。

いくら望まれようとも彼に一切の愛をかけなかったその理由。


「枯れた土地に水を与えてやればどうなる?その為にわざとエリオットの存在を無視し続けてきた。20年越しの養分はさぞかし…甘いだろうよ」

「本当に君は…人でなしだね」

「クリスティーナはずっと、魅了の力は真実の愛を前にすれば何の意味もないと言っていたが…まあ、全く下らない話だ」


そこで言葉を切って、アイザックはフィオに向き直った。


「目的は何だと聞いたな」


鳶色の瞳はユーリと同色。

しかしその虹彩には似ても似つかない光が宿っている。

ただ己の欲望に忠実な獣の目。

その為ならばどんな犠牲をも厭わない足るを知らぬ亡者。

フィオの首筋にぞくりと鳥肌がたつ。


「この領地は人にも物資にも恵まれている。国の一部であるには勿体ない…そうは思わんか?」

「…君の目的は王国からの独立?」

「独立…?そんな陳腐なものの為にここまですると思うか?」


エリオットの力を最大限に利用すれば、より壮大なことができる。


「王の為に死をも恐れぬ我の軍団は…それでは終わらんよ」


そこに理由などない、純然たる我欲。

妻も、実の息子をも踏み台にする彼の野望。


「戦争だ。我が王となるにはこの領地は狭すぎる」








「これより第3回総会を始めさせて頂きます」


荘厳な広間に響き渡るのは凛とした声。

大きな机を囲み、12人の当主が席についている。


「今回はカサブランカ家とマリーゴールド家の2家に対し、10家に寄る投票となります。票数が多い家の当主が次期領主です」


司会役の女性は言いながらあたりを見回し、一点でその動きを止めた。


「皆様ご存じのこととは思いますが…ダリア家は代理であるベアトリクス様が諸事情でご欠席です。なのでそれに代わる代々理を立てて頂いております」


指し示され、ダリアの紋様が描かれた椅子に腰かけた若い女性が控えめに頷く。

その横でするりと手が上がった。


「早速だが…その件で投票を始める前に報告したいことがある」


そう発言する彼の座席にはカサブランカの紋様。

アイザックである。


「現在、我は身内の代わりに騎士団長へと舞い戻っている次第なのだが…驚いたよ。領主様とあろう方がまさか…殺人犯を手元に置いていたとは」

「…どういう意味かな?」


向かい側に座るフィオがぴくりと反応する。


「貴方が保護していた…あの東洋の娘。騎士団では10年前のダリア家当主殺害の実行犯として調べがついている」


その言葉に、誰のことを言っているのか察したハレミナとイリナが反応する。

フィオはわずかに眉間に皺を寄せて、不愉快そうに口を開いた。


「裁判も通さないで決めつけるとは…。それは、権力の逸脱というやつではないかな?」

「略式だが通させてもらったよ。連行も済んだ。悪いが当主殺害という大罪を犯した者を野放しにしておくわけにはいかないのでな」

「…そう。逃げなかったんだね」


フィオはそれだけ呟き、伏し目で瞬いた。

その背後で、エリオットは今聞いた言葉が信じられず呆然と立っていた。


「っ…!」


東洋人の女で、フィオの手元にいた者。

それが誰のことを言っているかなんて決まっている。

手先が震え、背中を嫌な汗が伝う。

(な、何かの間違いだ…。これが終わったらすぐに桃鈴の元へ、)


「処刑を実行させてもらった」


彼の希望は父親の無慈悲な一言に遮られる。

息を飲むエリオットの前で、アイザックは壁に掛けられた時計を見やった。


「そろそろ迷宮ラビリンスへ着いている頃合いだろう。そうとも。領主様の言う通り、罪を認めたのか大人しいものだった」


迷宮ラビリンス

形式上その名が与えられているが、厳密には迷路ではなく森である。

その場を支配するのは牛頭人身ミノタウロス

他の魔獣にはない、自儘な欲望と恐ろしいまでの残忍性を持つ種族として知られている。

彼らの住処を術で囲み罪人を放り込むことで処刑場の役割を果たす、ある意味で死刑よりも残虐な方法である。


「……」


(桃鈴の体にはまだ毒が残っている…。今の状態で行けば…確実に死、)

呆然とそんなことを考えるエリオットの耳に、がたんと物音が届いた。

アイザックがゆるりと視線を送る。


「どうかしたか?アネモネ家当主」


椅子から音をたてて立ち上がったのはハレミナ。


「……」


その硝子のような瞳が一瞬宙を彷徨い、そして落ちるように再び席に座った。

エリオットが声をかける前に、静かに呟く。


「僕は行けない」


微細な振動を含んだその声は、それでも明確に先を紡ぐ。


「当主が何故発言ひとつひとつに名前と命を懸けるか知ってる?」


“この領地のすべての貴族は、民衆の為に”。

十二華族の基本概念であり、ただひとつの存在理由。

この席につく者は、全員がそれを背負っていることが前提にある。


「当主である僕が抱えているのは一族全員、そして全ての領民の命だ。それを抱えて僕らは生きてる。その発言如何によっては八つ裂きにされても構わない、そういう覚悟を表す為だ」


アネモネ家は他のどの華族よりも当主候補が多い。

家柄や血筋の介入を一切許さない潔癖なまでの実力社会の中で、当主となれる者はただひとりだけだ。

数多くの者の夢を犠牲に上に立った彼だからこそ、その地位の重みを誰よりも理解している。


「僕はこの領内すべての命を預かっている。私情で義務を放棄することはできない」


(…だろうな)

ハレミナの言葉を聞きながら、アイザックは思索を巡らせる。

わざわざこの場で桃鈴の処刑を発表した真意はそこにある。

今の彼女は大罪人である。

当主であるアイザックの決定を覆し処刑を止めるためには、彼と同等の力を持つ者が直接場に赴かなくてはならない。

だが総会を優先すれば、それが終わる頃には彼女は間違いなく死ぬ。

だからアイザックは例えユーリの暗殺が失敗してもこの時まで待った。

確実に自分の過去を消し何の憂いもなく勝利を掴むために。

(念の為にもかけたしな…あの娘の死は決まったも同然)

当然フィオも動くことはできない。

あの時のように、殺されるのを黙ってむざむざと待つだけだ。

布石は全て打ち終わった。

(さて、仕上げと行こう)


「十二華族の聖騎士パラディンが一族、アイザック・カサブランカ。これより全ての発言は、この華名とこの華命に懸けて嘘偽りない真実であると誓う」


アイザックが立ち上がる。


「我が一族から犯罪者が出てしまったことは非常に心苦しく思う。ユーリに関しては我が責任を持って厳しい処分を下した。また…息子を抑えきれなかった我が、領主へ立候補することを不満に思う者もいるだろう」


彼はある一点を見つめて静かに、しかし良く通る重厚な声で続けた。


「今ここで、息子のエリオットにカサブランカ家当主の座を明け渡すことを宣言する」


彼が視線を注ぐのはただひとり。

その着地点でエリオットは今聞いたばかりの発言を脳内で反芻させて、それでも理解ができず目を見開いていた。

(僕は、今。何を、言われて、)


「アイザック様。領主の条件として十二華族当主であることが前提となります。立候補権も移りますが宜しいですか?」


彼を残して話は進む。

司会の女性の忠告にも、アイザックはあっさりと頷いた。


「ああ。当然だ。現領主様に仕えているのだからな。働きぶりを疑問に思う者はいないだろう。兄を…捕まえたのもエリオットだしな」

「ち、父上、」


彼は今、家督を譲るどころか投票の結果如何によっては領主の座を渡そうと言っているのだ。

他でもない、エリオットに。

(僕に)

それは望んで止まなかった地位、それ以上の栄誉である。

(ぼく、に、)

枯れた土地に注がれたのは極上の愛情。

種から芽が芽吹き、するりと心へ根付いていく。


「エリオット。ここまでよくやった。お前は自慢の息子だ」


伸びた根は心臓に絡んで、痛いほど締め付ける。

頭が痺れ手足が思うように動かなくなる感覚。

そうしてゆっくり、ゆっくり、回るように花が咲く。


「さあ、こちらに来なさい」


優しい声に自分の姿だけを映した瞳。

生まれて初めて向けられた父の愛は、身の毛がよだつほど心地良かった。

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