最終話 桃鈴は愛したい
美しい歌声と厳かな空気の中、扉が開く。
ベールを頭に乗せた新婦が入場する。
たくさんの列席者に祝福されながら道を歩く、幸福に満ち溢れた光景である。
「……」
ところがその新婦、エリオットの心は死んでいた。
(まず僕は男だ…)
彼の身体は縄でがっちりと拘束された上、台車のようなものでガラガラ運ばれている。
彼が誘拐に近い求婚をされて数日後のことである。
何を言っても何をしても、獣人と言うものは話を聞かないものであった。
暴れ疲れたエリオットは、もうされるがまま現状を受け入れていたのである。
(だがまだ…策はある!)
その目はまだ死んでいない。
列席者に視線を走らせ、一点で止まった。
ヒイラギだ。
カサブランカ家の1件で退職した彼は隠居生活を謳歌しているのか、真っ黒に日焼けしている。
何とか助けを求めようと彼を呼んだのだが。
「…っ!」
視線と表情で救難信号を飛ばす。
(気付いてくれ…!)
目が合った。
するととっても素敵な式ですよとでも言いたげに、ウインクとグーサインを返してきた。
真っ黒な親指がこちらを向く。
「ちっ違う!!」
エリオットが突っ込んだ。
だが周りはこの異常に気が付いてはいない。
新婦がこんな縛られた状態で何の異常もないとは、獣人の結婚式は一体どうなってるのか。
そしてまずい。
非常にまずい。
このままでは誓いもキスも済んでしまう。
何なら交尾さえ始まるのではないかと、彼の中で警報が鳴っている。
先ほど披露宴会場に運び込まれるベッドらしきものを見てしまったのだ。
マジで獣人の結婚式はどうなってるんだ。
(い、嫌だ…!)
エリオットが真っ青になる。
死ぬほど嫌だ。
「こう、なったら…!」
唇を噛む。
何となく嫌な予感がしたので、使うことは控えていたのだが。
「僕の…言うことを聞け!!」
魅了術を発動させる。
エリオットの乗った台車がぴたりと止まった。
そしてあちこちから、ガタガタと席から立ち上がる音が続く。
成功である。
「よし!この式を壊…せ…?」
意気揚々と命令を出そうとしたエリオットが、固まった。
彼らがじりじり近付いてきたのだ。
そしてその瞳には漏れなく野性的な欲求が宿っている。
「えっ、えっ、」
獣人は容姿のみならず、その性格さえも動物的要素が強い。
普通、恋愛感情を抱けば同時に好かれたいと思うものだが、彼らはそうはいかない。
好きだ!よし!交尾しよう!
命令を聞くどころかそのようなことになってしまってもおかしくはないのだ。
「わっわあああ!!」
その肉球やら爪やらがエリオットに触れる寸前、彼らが纏めて吹っ飛んだ。
そして華麗に着地し彼を庇うように立つ人物は、勢いよく言い放つ。
「人の男に手を出しやがって…!覚悟はできてるカァアッ!」
「桃鈴…!」
桃鈴である。
(助けに…来てくれると信じていた…!)
その小さくも頼もしい背中にきゅんとした後に、なにか違うと首を傾げた。
これって普通、男がやるものでは。
「少し、多いネ…」
舌打ちと共に桃鈴が呟いた。
ヒイラギ先導の元、一般客は逃げて行くが、まだ魅了術の残る獣人は彼を襲わんとじりじり近付いて来ている。
「くっ…!」
(まずいな…。これだけの人数だと、彼女ひとりで相手にしきれるか…)
腕の拘束を外そうともがくものの、縄は一向に弛まない。
「……」
桃鈴が腰を落とし、ゆっくり息を吐きかける。
ところがその瞬間、辺りを雷光が駆け巡った。
続いて痺れたように、彼らがばたばたと倒れていく。
「っ!これは…!」
顔を上げるエリオットの視界に、チャペルの2階席に立つ背の高い人影が映った。
顔を隠すようにフードを被ってはいるが、あの身長とこの力を見間違えたりはしない。
「兄…うえ、」
「オラァアア!ユーリィイ!!」
呆然と声を出すエリオットの横を、弾丸のごとく人影が飛んでいった。
「!?」
明らかに有り得ない速度と跳躍力で飛ぶように居なくなった桃鈴は、次の瞬間2階席にいた。
人影に馬乗りになり、拳を振るっている。
エリオットが大慌てで、彼女を止めようと声を出した。
「待っ待ってくれ!君の怒りは最もだが、今は助けてくれようとしたのでは、」
「ここで会ったが100年目ェ!乙女のキスの重みを思い知るヨォオ!!」
それを聞いた瞬間、すんと真顔になった。
(そこか…)
殺されそうになったことでもなくエリオットを傷つけたことでもなく、キス。
あわよくば後者の理由を期待していただけにすっぱい気持ちになった。
「ってキスぅ!?いつだ!?」
何とか止まった時には、彼の兄はボコボコにされステンドグラスの下から吊るされていた。
しばらくの間ユーリは黒髪の女性を見ると恐怖心のあまり失禁する生活を送ることになるのだが、それはまた別の話である。
「桃鈴…」
そして数分後、彼女はこの騒動の原因となった男と向きあっていた。
レオナルドである。
「レオ…。お前にはさんざん迷惑を掛けられて来たけど、まさか最後の最後までワタシの恋愛を邪魔しに来るとは…」
「エリオットへの想いに気が付いた後、お前から奪う為にしばらく修行してたんだ。それが生かされる時が来たな…!」
言うが早いか、一瞬でレオナルドの姿が掻き消えた。
「!」
「桃鈴!後ろだ!」
「っ!」
エリオットの声に咄嗟に飛び退き避けたものの、彼女が立っていた場所に、レオナルドの蹴りが入った。
動きが速すぎて見えなかったのではない、ただ忽然と消え、現れたのだ。
宙に浮いた魔方陣を見て、桃鈴がその理由を察した。
「ずっと…どうやって家に入り込んでくるのか疑問には思ってたけド…それカ」
「転送術…」
エリオットが息を呑む。
(まずい…!)
転送術はその名前の通り、様々な物体や自身の体を意図した場所に転送できる術である。
それを使い縦横無尽に動き回られれば、その攻撃は予測不能だ。
更にあの巨躯から繰り出される攻撃は、1発でもまともに食らえば桃鈴とてただではすまない筈。
(こうなったら…僕が囮になっている隙に逃げてもらうしか…!)
愛する彼女の為である。
尻の穴のひとつやふたつ何だ。
想像だけで既に震えながら覚悟を決めるエリオットの焦燥とは裏腹に、桃鈴は静かに腰を落とした。
「レオ…ワタシがいつまでも同じだと思うなヨ…」
息を吐くと、彼女の周りを白いモヤのようなものが立ち昇る。
彼ら
神を降ろしその力を自身に宿す、純粋な肉体強化の術だ。
ところが無効化体質を持っていたせいで、桃鈴はその「仕上げ」をすることができなかった。
その為に生来持ち合わせた肉体のみで戦ってきたわけだが、今となってはその必要もない。
もう一度神術を覚える為、神を降ろす為に修行場に行ったのだ。
それにより元々強かった彼女の力は何倍にも膨れ上がっている上に。
「っ…!?」
(あ、あれは何だ…!?)
彼女の後ろに立ちながら、エリオットが愕然とする。
桃鈴が降ろした神は、だいぶ普通ではなかった。
彼が想像する取り憑くタイプの神と言えば、美しい女神や妖精だったのだ。
彼女自身小柄で愛らしい出で立ちであるし、そのような神がよく似合う。
ところがどうして、今彼女の背後に憑いているのは般若のような顔をした屈強な上半身裸の男性。
そこに居るのは愛する人だとは分かりながらもエリオットは思った。
(こ、怖、)
「ホァッ!タァアアアアアッッ!!」
「うっ、うう…」
「泣かないで…ハレミナちゃん」
ルピナス家の屋敷にて、彼は嗚咽を漏らして泣いていた。
うつ伏せになる彼の背中をイリナがそっと撫でるが、その哀しみが楽になることはない。
「こ、こんな可愛い僕の告白を断って…!」
残念ながらハレミナの愛は受け入れられなかった。
「人をメスブタ呼ばわりする奴と付き合えるか」と言う至極まっとうな理由でフラレた。
「どうせっ…僕なんて家の方が大事だしぃ、強くもないからぁ…っ!」
「あなたもとっても素敵よ、ハレミナちゃん」
「イリナさん…!」
涙やら鼻水やらでべしょべしょになったハレミナが彼女に視線を向ける。
そんな彼を見ながら、イリナは美しい笑顔のまま言った。
「まあ確かに桃鈴ちゃんとどちらの愛し合う姿が見たいかって言われたら、エリオットちゃんの方だけど」
「うっうわあああん!」
容赦のない一言にもう一度机に伏せって泣く。
そんなふたりを、轟音と地響きが襲った。
慌てて外に出ると、イリナの屋敷、その物置部分が大破している。
「クソッ!桃鈴め!俺の愛を邪魔しやがって…」
そしてその瓦礫の中からがらがらと姿を現したのはレオナルド。
ハレミナと目が合った。
その瞬間、どこからともなく彼らは察した。
この男となら、1日に何百回とできる。
「まあ…」
イリナが頬を染めて、心底幸せそうに微笑んだ。
(ごめんなさいね。クリスティーナ、リリー…)
ふたりの元に行くのは、まだまだ時間が掛かりそうだ。
「つ、強すぎる…」
そんなビッグカップルが誕生したとはいざ知らず、エリオットは天井に人型に空いた穴を呆然と見ていた。
そこから陽の光が射し込み、チャペルの中を燦々と照らしている。
彼の拘束を解こうと、縄を弄る桃鈴を見下ろす。
彼女の小さな背中はまだまだ遠い。
(せっかく近付けたと思ったのに…また、離れてしまった…)
「こんなことだから、ダメなのだろうな…」
「……」
ぽつりと呟いた言葉に、桃鈴が手を止めた。
少し考える素振りを見せた後、静かに口を開く。
「エリオ。ワタシはお前より5つも年が上だし、下にはまだまだ手の掛かる弟と妹がいるネ。完全に事故物件ヨ」
「そ、そんなこと、」
「ちなみに黎明を除いても下に15人いるネ」
「じっ15ぉ!?」
17人兄弟の長子であったと衝撃の事実が明らかになったが、エリオットは首を振る。
「それでも良いカ?」
「あ、当たり前だ!」
(5児の父親になると決めたこともあるんだ!)
一気に16人の義理の弟妹ができることなど何のその。
それに元々下の子だったのでちょうど下が欲しかったところだ。
(少し多すぎる気もするが、問題はない!)
問題はない。
そう、彼女には。
エリオットはぐっと唇を噛んで、拳を握った。
「僕こそ…また君より弱くなってしまったし、年齢も君より下だ…」
「……」
「けれど強くなる!ねっ、年齢だけはどうしようもないが包容力とかそういったもので補う!だから、」
待っててくれないか、そう宣言しようとしたエリオットが、ぐいと斜め下へ引っ張られた。
「!」
驚きわずかに開いた口に、重ねられたのは唇。
その柔らかい感触に呆然としている間に、桃鈴が離れる。
その勢いでエリオットの頭にあったベールが外れ、彼女の頭へと移った。
「桃、」
「エリオット」
そうして柔らかな光の下、真っ白なレースの中で桃鈴は頬を染め、はじけるような笑顔を向けた。
「ワタシが愛したいのは、お前だヨ!」
愛されたいのはお前じゃない! エノコモモ @enoko0303
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