第14話 これは、俺が何かにつまずくお話

その後、池栗の授業中にて。

 俺は、池栗の糞下らない授業を拒絶して(あいつの道徳の授業なんて、リア充の戯言と同じくらい聞くに堪えない)、考える。

 実に不愉快な朝だった。

 こんな日は、『慈善活動』をするに限る。

 では、今回のターゲットは誰にすべきだろうか。

 最近は環奈の妨害のせいで成功率が下がっていたからなあ。ここは、確実に潰せる相手を選択したい。でないと、さらにストレスが溜まってしまう。

 そうなると、うむ、誰だろうか。

「植木、お前はどう思う?」

「うるせぇこけし体型」

 そうだ、あいつはどうだろうか。

 あの栖須もかというビッチ。恐らく、あいつはリア充だ、というか、スクールカーストの最上位にいるような人間がリア充でなくてどうする。

 それにあいつがターゲットとならば、環奈は妨害してこないだろう。あいつがいくら馬鹿だとしても、嫌いな奴の――その上、自分をいじめている奴の肩を持つようなことはしないだろう。これで、成功率はグンと上がる。

 なら、決まりだな。

 本日の『慈善活動』のターゲットは、栖須もかに――。

 ガッシャ―――ン!

 ん? ガッシャ―――ン?

 どうしてだろうか、突然、不協和音が鳴り響いた。何故か天井がやけに高い。ああ、倒れているのか。何故倒れているんだ。それに、首筋が猛烈に痛い。

「植木ク~ン、こけし体系ってぇ~どぉいう意味かなぁ~?」

「ああ、そういえばお前いたな」

 すっかり忘れていた。そういえば、今は不毛な授業中だった。

「俺に何か用か? 生憎、俺は忙しいんだが」

「そうか。ならば質問を簡単にしてやろう」

「質問かよ。それくらい他の奴でもいいだろ」

「お前以外にこんなことは聞かないよ」

「こんなこと?」

「今すぐ殺されたいかどうか答えろ」

「それは質問じゃあなくて恐喝だ」

「ちなみに、『はい』以外の選択肢は認めん」

「横暴だな。というか、人の話を聞け」

「そうかわかった。ならば、今すぐむごたらしく殺してやろう」

「お前は何を聞いた!?」

 というか、授業中(しかも道徳)に生徒に対して「殺す」とか言ってんじゃあねぇよ。何度も言うが、どうしてこいつは教師なのだ。

「あのなあ、俺はお前の悪ふざけに付き合ってやるほど暇じゃあないんだよ」

「安心しろ。私はいたって本気だ」

「……とにかく、質問があるならさっさとしろ」

「いや、質問は取り止める。今のお前じゃあ不正解を出すことすらできないからな」

「はあ?」

 舐めたことを言いやがって。

 不正解すら出すことができないなんて、そんな訳ないだろう。適当なことを言っておけばそれが不正解になるのだから。例えば、池栗が如何なる質問をしようとも「巨乳」と答えれば、それは不正解になる。二つの意味で。

「言えよ。どんな質問でも答えてやるから」

 「巨乳」とな。

「そうか。そこまで言うなら、私はお前に問おう」

「巨乳」

「植木ク~ン?」

「悪い。フライングした」

「そうか。では、改めて問おう」

 池栗は――問う。

「どうして人間は、こんなにももがいているのだと思う?」

「…………」

 何も答えられなかった。

 何故か真面目に考えてしまった。だから、ふざけることすらできなかった。

 そして、考えて……何一つ、わからなかった。

 その問いの答えが。

 どうしようもなく、わからなかったのだ。

「やはり、お前にはまだ早いか」

「……早いってどういうことだよ」

「いずれ語るべき時が来るということだよ」

 それに、と池栗は続けて、

「その時は、そう遠くないうちにやって来るさ」

「お前は何が言いたいんだ」

「そうだな、強いて言うなら……」

 刹那、間があって。

「『失敗は成功の母』ということだな」

「はあ?」

 こいつは突然何を言い出しているんだ。国語教師なら、話の脈絡くらい整えろ。

「どういうことだ」

「いずれわかる」

「どうしてどう言い切れる」

「お前は、失敗するからだ」

 それ以上は何も語らず、池栗は教室を後にした。いやいや、まだ授業中なんだが。

 いや、そんなことより。

 失敗するだと?

 池栗が何をもって「失敗する」と言ったのかは謎だが、失敬な。この俺が、失敗などするはずがないだろう。

 現に。

「この……っ!」

 こうして、もかへの『慈善活動』を成功させている。

 これしきのこと、造作もない。長々と語るまでもない。

 兎にも角にも、『慈善活動』は完遂した。俺のストレスも緩和された。

 ついでに、環奈の憤りも多少は緩和されただろう。

 ……どうして今、俺はあいつのことを考えたのだろう?

 ああ、環奈といえば、今日はあいつに付きまとわれなかったな。まあ、だからと言ってどうということもないのだが。ただ、珍しいからふと思っただけ。それ以上でもそれ以下でもない。

 強いて何かを挙げるとするならば、あいつがこの場にいたのならば、今のもかの顔を――憎悪に満ちた顔を、拝むことができたのにと思う。まったくもって間が悪い。

 致し方ない。写真でも撮っておいてやろう。

「……何撮ってるのよ!?」

「そういう趣味があってな」

 うむ、綺麗に取れている。顔は醜いが、写真は見やすい。この写真を見せたら、あいつはどんな顔をするだろうか。笑うな。うん、腹を抱えて笑うと思う。

 さて、腹も減ったし、そろそろお暇するか。

 俺は踵を返し、一歩踏み出す。背後から「待ちなさいよ!」という声がするが、二歩目も踏み出す。そして、三歩目も――。

と思って、止めた。

 なんとなく、なのだが。

 言いたくなった。

「おい」

 俺は首だけで振り返り、吐き捨てるように言う。

「下らないことをするのは止めろ」

 ここまでしてやったのだ。感謝の言葉くらいなら、あいつから聞いてやってもいいかもしれない。

 そう思って、翌日を迎えたのだが。

 いや、翌日だけではなくて、三日後を迎えても、五日後を迎えても。

 あいつは、俺の前に現れなかった。

 なんなんだ。せっかく俺が感謝の言葉を聞いてやろうというのに、五日も現れないなんて。無礼にも程がある。

 これは、説教をする必要があるな。

 そういう訳で、あれから一週間経った今日、俺はわざわざ一年三組へと赴いてやった。俺にご足労願うとは、あいつも偉くなったものである。

 そんなことを考えながら、ドアに手を掛けようとすると。

 ガラガラ、っと勝手にドアが開いた。もちろん自動ドアではないので、中から誰かが開けたのだろう。

 誰かが――。

「――っ!」

「ああ、センパイ。おはようございます」

 その誰かは、見慣れた奴で。

 その見慣れた奴は、見たこともないような姿をしていた。

「お前、それ……」

 汚い。

 髪が、制服が、靴下が、手に持っているノートまでもが、ごみ箱をひっくり返されたかのように汚い。

「どうし――」

「ああ、汚れちゃったんです。大丈夫ですよ、今から洗ってきますから」

 そう言って、環奈は走り去――。

「待て!」

 初めてだった。

 咄嗟だったとは言え、自分から女子の手を握ったのは、初めてだった。

 だが。

「だから」

 すぐに、その手は放してしまった――否、離れてしまった。

 なぜなら。

「大丈夫ですから」

 環奈のその、いつか見た貼り付けたような笑顔が――白々しく、気持ち悪い笑顔が、どうしようもなく俺を突き放したから。

「さよなら、センパイ」

 そして、環奈の姿は見えなくなった。

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