第5話 これは、俺がクソ女に殺意を抱くお話
「みっくん、いい加減にして!」
「リアリアこそいい加減に――」
「まあまあ、落ち着いて」
わざとらしく両手でどうどうと宥める動作をしつつ、俺は会話に参入する。
「喧嘩はよくありませんよ?」
「……誰?」
突然話しかけてきた部外者に、リアは顔を顰める。ああ、そそる表情だ。
「誰、ですか。そうですね……『正義の味方』とでも言っておきましょうか」
「はあ?」
今度は充が表情を歪めた。やはりそそる。
「頭おかしいのか?」
リアリア言ってる奴にだけは絶対に言われたくない。
「酷いなぁ。せっかく助けてあげようと思ったのに」
「助ける?」
「喧嘩していたんでしょう? だから、仲裁に入ってあげようと思って」
言うまでもなく、真っ赤な嘘だ。言うまでもなく、嘘を吐いたことへの罪悪感は微塵も無い。
「お話、聞かせてくださいよ」
「部外者には関係ないだろ」
「生憎、困っている人を見たら放っておけない性分でして」
「おせっかいなんだよ」
「よく言われます」
「こいつ……っ!」
充の顔の皺がさらに深くなる。実に滑稽だ。
「失せろ!」
「おお、怖い怖い」
「どいつもこいつも鬱陶しいんだよ!」
「どいつもこいつも? それはつまり、私以外にも鬱陶しい人がいるってことですか?」
「みっくんそれどういうこと!?」
リアの顔の皺までもが深まる。ヤバい、笑いを堪えるのが辛い。
「私が鬱陶しいとでも言いたいの!?」
「そうだよ! 文句あるか!」
「あるに決まってるでしょ! バッカじゃないの!?」
「お前の方が馬鹿だろうが!」
大丈夫だ。俺から言わせれば、お前ら二人ともこの上なく馬鹿だから。
「大体、リアリアといるとめんどくさいんだよ!」
「めんどくさい!?」
「そうだよ! 記念日は覚えとかないといけない。髪型変えたら褒めないといけない。飯奢ったりとか誕生日プレゼント買ったりとかで金はかかるし、一緒にいると気を遣うからすごく疲れる。もうめんどくさいんだよ!」
「ひどい!」
あーあ、また泣いちゃったよ。まあ、同情は一切しないけど。
同情するのは、充の方だ。
付き合うって、そんなに面倒臭いことなのか。そんな強制労働をさせられていたんだと思うと、リアリア言ってる奴でさえ、可哀想にと思えてくる。
仕方ない。
俺が、助けてあげよう。
俺が、解放してあげよう。
しがらみばかりの悪魔の契約を、終わらせてあげよう。
「だったらもう、別れてしまったらいいんじゃあないですか」
「ワカレル?」
「はい」
俺は言う。実に白々しく言う。
「面倒臭いんでしょう? 金がかかるんでしょう? 疲れるんでしょう? だったらさっさと別れた方が幸せ――」
「センパイ、順調ですか?」
と。
「あ、お取込み中だったんですね。すいません、続けてください」
どうぞ、と言った環奈の顔は、この上なく白々しかった。
「……お前、何しに来た」
「さっき手伝うって言ったこと、もう忘れたんですか? お粗末な記憶力ですね」
「…………」
あー、殴りたい。
いや、今は我慢だ。ここで暴力沙汰を起こしたら、全てが台無しになってしまう。
「お前、誰だよ」
「ああ、はじめまして。わたしは、こちらのセンパイの彼女です」
「違ぇよ」
「じゃあ妻です」
「お前の脳内はお花畑なんだな」
「違いますよ。わたしの頭の中は、センパイでいっぱいです」
「…………」
殴りてぇ……っ!
いや、だから我慢だ。我慢我慢我慢……。
「……とりあえず、お前は失せろ」
「嫌ですよ。そんなことより」
そんなことよりじゃねぇよ。人の話を聞けよ。
そんな俺の怒りは露ほども知らず、環奈は充に言い放つ。
「恋愛って、めんどくさいですよね」
「…………」
充は、突然のことに、鳩が豆鉄砲を食らったようになった。
そして恐らく、俺も充と同じような顔をしていることだろう。
意外だった。
こいつ、本当に『慈善活動』を手伝う気があったのか。
馬鹿のくせして、俺の意図を――充の感情を焚きつけて別れ話を切り出させるという俺の意図を、理解したのか。馬鹿のくせして。
なるほどなるほど。ならば、致し方なしに、環奈に合わせるとしよう。利用するとしよう。
「そうだな。面倒臭いな」
「センパイ、恋愛したことないでしょ」
「失敬な。それくらいあるわ」
「あるんですか!?」
「驚きすぎだろ」
「え! えぇ!? どんな人だったんですか!?」
「そうだなー。あれは、えーっと……小学生、いや中学生? のとき、そのー……」
「嘘も吐けないくらいないんですね。かわいそうに」
「お前の人間性より可哀想じゃあねぇわ」
「ひどいなぁ。でも、よかったぁ……」
「よかった? 何言ってんだお前」
「センパイには理解できないことですよ」
「そんなものは存在しない」
「ありますよぉ」
環奈はむすっと頬を膨らませる。腹立つ顔だ。
「なら致し方なしに、一〇〇歩譲って――いや、一〇〇万歩譲っても足りないくらいに譲って、お前に理解できて俺に理解できないことがあったとして」
「センパイはわたしの頭を何だと思ってるんですか」
「骨粗しょう症」
「スカスカじゃないですよぉ」
「話を戻すが、それが恋愛のことだったとして、だったら俺に恋愛の面倒臭さをご教授願いたいんだが」
「嫌でーす!」
胸の前で腕をクロスさせてバツ印を作る環奈。こいつはイライラさせる天才か。
「センパイが謝ってくれるまで教えてあげませーん!」
「ならいらん」
こいつに頭を下げるくらいならリア充になった方がマシだ。
「何も言わないならさっさと失せろ」
「言います! 言いますって!」
「なんなんだよ」
「それはこっちの台詞ですよぉ」
唇を尖らせながらも、環奈は「いいですか、センパイ」と、実に不毛な講義を始める。
「恋愛っていうのは、とてもめんどくさいものなんです」
「それはさっき聞いたわ。その先を言えよ」
「もう、せっかちですね。そんなんじゃ、女の子に嫌われますよ?」
「お前に嫌われるなら願ったり叶ったりだ」
「安心してください。センパイのことは、一生好きですから」
「……話を進めろ」
「わたしたちの将来についての話を? わたし、結婚式はチャペルで挙げたいです」
「俺はお前を血祭りに上げたい」
「ひどいなぁ。というか、いい加減話進めてもいいですか?」
「なんで俺が話逸らしたみたいな言い方されてるんだ。冤罪も甚だしいぞ」
「恋愛がなんでめんどくさいかと言うと」
「人の話を聞け」
「なんでめんどくさいかと言うと、好きな相手に気を遣うからなんです」
「気を遣う? なんだそれは」
「そこですか」
「他にどこがあるんだよ」
「センパイって人は……。まあいいです。それは後で個人的にググっといてください」
「無責任な」
「話が進まないので我慢してください。それで、どうして好きな相手には気を遣っちゃうのかというと、その人が大切だからです」
「意味がわからん」
「そうでしょうね。でも聞いてください。誰かを好きになると、途端に怖くなっちゃうんです。その人に嫌われることとか、その人を傷つけることとかが」
「はあ」
「だから、嫌われないように、傷つけないように――その人と、長い間一緒にいられるように、たくさん気を遣うんです。だから、めんどくさくなっちゃうんです」
「そういうもんなのか」
「はい、そういうもんなんです。それに、その人を笑顔にしたいとも思うんですよ。センパイにはわからないでしょうけど、誰かを笑顔にするって、とっても大変なことなんですよ?」
「お前を笑わせるのは簡単そうだな」
「え、どうしてですか?」
「だってお前、常に笑ってんじゃねぇか」
「センパイ、それ馬鹿にしてるようにしか聞こえないんですけど」
「安心しろ。ようにじゃなくて実際馬鹿にしてるから」
「もう!」
もう怒りましたよ、と環奈は俺の頬をつねってくる。するとすぐに「変な顔!」と大笑いを始めた。ほら、簡単じゃねぇか。
そして、ひとしきり笑った環奈は「ごめんなさい」と一切気持ちの籠っていない謝罪の言葉を述べた後、「つまりですね」と強引に話を戻す。
「結論としては、恋愛は相手のことを想うからこそめんどくさい、ということです」
「なるほどねぇ」
とは言ってはみたものの、実際は全く理解できていなかった。こいつに理解できて俺に理解できないものが本当に存在したとは、不服である。
いや、そんなことはどうでもいい。
大事なのは、充の反応だ。
見ると、充は俯いてぶつぶつと何かを言っている。これは、少なからず環奈の言葉が響いたということか。馬鹿には馬鹿の言葉でさえ響くのか。
よし。ならば、そろそろ決めるとしよう。
「そんなに面倒臭いなら、恋愛なんてしない方がいいな」
「違いますよ」
と。
環奈は、間髪入れずに否定してくる。
「違います」
「はあ? 恋愛って面倒臭いんだろ? だったらしない方が――」
「そうなんですけど、そうじゃないんです」
いいですか、と環奈は続けて、
「めんどくさいんですけど、嫌じゃないんです」
嫌じゃないんです、と環奈は繰り返す。
「誰かを好きになると、めんどくさいことがいっぱいあります。でも、そのめんどくさいは、甘くてむず痒くて……嫌じゃ、ないんですよ」
「それ、矛盾してるじゃねぇか」
「そうですね。矛盾してますね」
環奈は笑う。うふふっと笑ってはははっと笑う。何がそんなに楽しいんだ。
「ねえ、彼氏さん」
「……なんだよ」
「あなたはどうですか? そのめんどくさいは、嫌ですか?」
「俺は……」
刹那の沈黙。
「……嫌じゃ、ない」
「なら、ごめんなさいですね」
「……ああ」
「みっくん……」
「リアリア、ごめんなさい」
「ううん、私のほうこそ、ごめんなさい」
「こんな俺だけど、これからも一緒にいてくれますか?」
「もちろん! こんな私でいいなら、ずっと一緒にいさせてください」
「ああ。もちろん」
充は笑う。リアも笑う。環奈までもが笑っている。
そして二人は、程なくして手を取り合い、笑い合い、去っていくのだった。
……いやちょっと待て!
「仲直りしてんじゃねぇか!」
何故だ! 何がどうしてこうなった!?
中盤までは完璧だった。破局は濃厚だった。『慈善活動』の成功は明白だった。……はずなのに。
どうしてだ!
どうしてなんだ!?
どうし――。
「いやー、一件落着ですね、センパイ」
「お前だよ!」
こいつだ! こいつのせいだ! こいつが、意味のわからないことを言ったから関係が修復されてしまったんだ!
「え、わたし? センパイのお嫁さんがですか? いやぁ、うれしいなぁ」
「お前何てことしてくれたんだ!」
「そこまで感謝しなくてもいいですよ。わたしはただ、センパイのために出来ることをしただけですから」
「感謝なんかしてねぇよ! 真逆だ! 怒ってんだ!」
「えぇ、どうしてですかぁ?」
白々しく小首を傾げる環奈。ああ、殴りてぇ……っ!
「なんで俺の邪魔したんだ!」
「邪魔なんかしてないですよぉ。わたしはただ、センパイのお手伝いをしただけです」
「それが邪魔なんだよ!」
「ひどいなぁ。あっ! もうこんな時間だ!」
左手首を見て、環奈はそう叫ぶ。いやいや、お前腕時計してないじゃねぇか。
「わたし、もう帰りますね」
「おい! まだ話は――」
「また明日!」
「待て!」
俺の呼びかけを思い切り無視して、環奈は走り去ってしまった。俺は一人、昇降口に取り残される。
「クソが……っ!」
ああ。
もう許さん。
環奈だけは――あのリア充だけは――あの屑だけは、絶対に許さん!
待っていろ。
俺は必ず、お前をぶっ殺す(社会的に)からな!
「はっ……はははははっ!」
思わず漏れた高笑いは、真っ赤に燃え上がる夕日に吸い込まれていった。
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