第6話 これは、俺が死地に赴くお話

 リア充とは、シロアリである。

 それはなにも、リア充がシロアリ程度の存在であるということではなくて(それはシロアリに失礼だ)、気付かぬ間に浸食しているということだ。

 その証拠に、

「センパイ、おはようございます」

 あれから五日経った日曜の朝、惰眠を貪っていた俺は、目覚めにこの世で一番聞きたくない声を聞いてしまったのだ。

「聞きたいことはたくさんあるが、まず」

 俺は身体を起こして、腹立つ笑顔を顔に貼り付けた環奈に問う。

「なんで俺の家を知ってるんだ」

「センパイ」

 その問いに、環奈は遠い目をしてこう答えた。

「ネットって、怖いですよね……」

「…………」

 いや、本当だよ。ネットももちろんだけど、個人情報を漁ってるお前が怖ぇよ。犯罪だから、それ。

「……というか、なんで堂々と家に上がってんだよ」

「いや、お義母さまに『センパイの大切な人です』って名乗ったら、喜んで上げてくださいましたよ?」

「お前はいっそ清々しいくらい堂々と嘘吐くんだな」

「大丈夫ですよ、いずれは嘘じゃなくなりますから」

「大丈夫じゃないな、お前の頭が」

「センパイの頭だって、大丈夫じゃないですよ。寝ぐせで」

 環奈は俺の頭を撫でる。触れるな。俺はハエをあしらうが如く払いのける。

「それで、なんで俺の家にいるんだ」

「ご家族の方にご挨拶を――」

「こっちは追い出すのを我慢して聞いてるんだぞ」

「もう、しょうがないですねぇ。ほんとはですね」

 そこで少しだけ溜めを作って、環奈は言った。

「デートのお誘いに来たんですよ」

「よし、帰れ」

 問答無用で、俺は環奈の首根っこを掴む。

「いやん! 孕まされる!」

「孕んでいるのは悪意だけだ」

「わたしはセンパイとの赤ちゃんとなら、孕んでいいですよ?」

「ならなぜ嫌そうに叫んだ」

「その方がセンパイが興奮するかなと思って」

「俺をなんだと思ってるんだ」

「好きな人です」

「…………」

 とりあえず、環奈から手を離した。その際、環奈がニヤニヤと鬱陶しい顔をしていたので、腹いせにおでこにデコピンをかましてやる。

「一応聞いてやる。デートってどういうことだ」

「おでこ、痛いよぉ……」

「どういうことだ」

「サディスト」

「二発目を食らいたいのか?」

「わかりましたよぉ。センパイ、次の『慈善活動』のターゲットって誰ですか?」

「お前だ」

「生涯の伴侶が?」

「歯を食いしばれ」

「冗談ですってぇ。というか、またわたしですか?」

「当たり前だ。お前だけは絶対に許さない」

「わたしがなにしたって言うんですかぁ。でもだったら、あの噂は教えても無駄かな」

「噂? なんだそれは」 

「カップルさんについての噂ですよ。仲良しで有名なカップルさんが、今日、水族館でデートするらしいんです。もしかしたら『慈善活動』のネタになるかなぁと思ったんですけど、もうターゲットがいるんじゃあ――」

「待て」

 馬鹿か。俺の力を侮ってはいけない。

「リア充ごとき、片手間で殺れる」

「でも、作戦とかも――」

「デートしてりゃあ、キスの一つや二つくらいするだろ。それを記念に写真に収めて、せっかくだから2ちゃんに投稿してみんなに見てもらおうじゃあないか」

「センパイは天才ですか……」

「お褒めにあずかり光栄だよ」

「褒めてないです。でもだったら、わたしとデートに――」

「行かん」

「なんでですか!」

「水族館には、俺一人で行くからだ」

 当然だ。前科持ちと『慈善活動』をするわけがないだろう。

「男一人で水族館……センパイ、かわいそう」

「全国の魚好きの独身男性に謝れ」

「デート行きましょうよぉ」

「行かん。断固として行かん」

「ねぇねぇ」

「行かないからな」

「ねぇってばぁ」

 俺の身体をぐわんぐわん揺らして環奈はねだるが、その努力が無駄に終わるのは間違いない。

 そもそも、デートってあれだろ?

 男女が、せっかくの休日にわざわざ会って、わざわざ一緒に出掛けて、わざわざ関係を深めるあの儀式のことだろ?

 なんでそんなものを俺がしなければならないんだ。

「じゃあ俺は用事ができたから、お前はもう帰れ」

「ひどい……」

 環奈は俯く。同情の余地は皆無だ。

 これでようやく、こいつからは解放されそうだ。まったく、実に不快な朝だったなあ……。

 だが。

「……そうだ!」

 柏手を一つ打って顔を上げた環奈の顔には、満面の笑みが張り付いていた。これは、嫌な予感がする。

 そして、嫌な予感はよく当たるものである。

「センパイ、カップルさんのお名前、知りませんよね?」

「ああ、そういえばそうだな。名前、なんて言うんだ?」

「教えません」

「は?」

「デートしてくれなきゃ、教えてあげませーん!」

「…………」

 殴ってやろうかと思った。いやもうすでに、俺の脳内では環奈はぼっこぼこだった。

「……教えろ」

「デート」

「嫌だ」

「デート」

「そもそも――」

「デート」

「だから――」

「デート」

「鬱陶し――」

「デート」

「喋らせろや!」

 怖いわ。鳴き声が「デート」の生物怖いわ。

 そしてその生物は、尚も容赦がない。

「しょうがないですねぇ。リピートアフターミー、デート」

「なんで俺がそんなこと言わなきゃなんねぇんだよ」

「リピートアフターミー、デート」

「言わないぞ」

「リピート!」

「うるさい」

「アフター!」

「だからうるさ――」

「ミー!」

「…………」

「デート!」

「……………………………………………………………………………………デート」

「よろしい」

 にっこりと――それはもうにっこりと、環奈は笑った。腹立つくらい笑った。

かくして、俺の苦行――もといデートは、半ば強引に決定したのだった。

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