第7話 これは、俺が自分に苦しめられるお話(1/5)
電車に揺られ数刻、水族館に着いた俺は、こう叫ばざるを得なかった。
「まるで人がゴミの――」
「センパイ、それはダメです」
いやいや、そうは言うけれど、あまりにも人が多すぎるだろ。
お前ら、せっかくの休日に何をしているんだ。暇なのか? 休日はもっと有意義に使うべきだろ。
「まあでも、日曜日ですからね。そりゃ人もいっぱいいますよ。もしかしたら、知り合いに会うかも」
「いや、その点は問題ないな」
「どうしてですか?」
「俺、知り合いほとんどいないから」
「かわいそう……」
「おい、自虐を真に受けるな。悲しくなるだろ」
いや、俺は望んで一人でいるのだ。それなのに、悲しんでどうする。そうだ、悲しくなんて……。
悲しくなんてないんだからねっ!?
「それにしても、やっぱ人多すぎるだろ……」
普段一人でいる――否、好んで一人でいるぼっちにはこの量はきつい。
「帰りたい」
「『慈善活動』はどうするんですか?」
「うっ……。つーかいい加減、名前教えろよ。この人ゴミ――じゃなくて人混みじゃあ、さっさと探し始めないと見つからないなんてことになりかねないぞ」
「さりげなく人をゴミ扱いしないでください」
「大佐だって、まるで人がゴミ――」
「阿佐ヶ谷京さんと、阿佐ヶ谷明日ちゃんです」
「バルス」
「意味がわかりません」
「リア充に滅びの呪文を唱えて何が悪い。それにしても、苗字同じなんだな」
「そうなんですよ。『阿佐ヶ谷』なんて珍しい苗字なのに、すごい偶然ですよねぇ」
「それきっかけで仲良くなったのかもな。バルス」
まあ、どんなきっかけで仲良くなろうとも、俺は殺るだけだがな。幸いにして、明日の方とはクラスが同じであるから、顔は知っている(明日は絶対に俺の顔を知らないだろうが)。探すのは幾分か楽だろう。
それに、京と明日だけではなくて、もう一人だって。
環奈だって、殺る機会がやってくるかもしれない。
そういうことならば、気を締めてかからねば。
では、決意もそこそこに、始めようか。
全人類七〇億人のために、『慈善活動』を――。
と、そんな気持ちのよい気分でゲートをくぐったのだが、
「あ、そうだセンパイ」
入場直後、環奈が何か思いついたようにポンッと手を叩いて、俺の背筋に嫌な汗が流れる。
これは、あれだ。
嫌な予感がする。
そして、例に漏れず嫌な予感というものは当たるもので、
「手、つなぎましょう?」
環奈は、そんなふざけたことを言い始めた。
「絶対嫌だ」
「なんでですかぁ」
「手をつなぐ理由がない」
「理由ならありますよ。私がセンパイと手をつなぎたいんです」
「……嫌だ」
考えてもみろ。手なんて繋いだ暁には、リア充成分がキャパシティオーバーして三途の川を渡ることになるぞ。
「それに、それは理由になっていない」
「どうしてですか?」
「手を繋ぎたいのは、お前の勝手な願望だろ。そんなものを押し付けるだけで理由になるのなら、国会は必要ねぇんだよ」
「なんで急に国会なんですか」
「俺は将来、総理大臣になるからな」
「センパイが日本のトップに立つようじゃ、世も末ですね」
「どういう意味だ」
「別に深い意味はないですよ。ちなみに、もし総理大臣になったらどんなことをするんですか?」
「法律を作る」
「どんな?」
「リア非リア共同参画社会基本法」
「世も末ですね……」
「だからどういう意味だ」
「だから深い意味はありませんよ。でもセンパイ、センパイはわたしと手、つなぎたくないんですか?」
「急に話を戻してきたな」
「どうなんですかぁ?」
「……も、もちろん」
「あぁ! 今迷った!」
「迷ってない!」
そう言っているのに、環奈は「迷った! 迷った!」と喚き散らす。耳障りだ。
仕方ない。致し方ない。この騒音を止めるためにも多少――少々、譲歩してやろう。
「……確かに、迷った」
「ほら! 迷ってるじゃないですか!」
「だがそれは、お前の想像しているような頭の悪い理由ではなくて、手を繋ぐ可能性を否定しきれないと思ったからだ」
「手をつなぐ可能性?」
「手を繋ぐ正当な理由があるのなら、拒むことは出来ないだろ」
「じゃあ、ちゃんとした理由があればいいんですね?」
「……まあ、そうだな」
「なら理由、ありますよ」
「言っとくが、手を繋ぎたいからとかはなしだからな」
「わかってますよ。手をつなぐ理由、それはですね……」
そこでわざとらしく溜めを作って。
満を持して、環奈は言った。
「手をつないでなきゃ、迷子になっちゃうからです!」
「馬鹿か」
間違いなく馬鹿だ。このご時世、迷子になるのも一苦労なことを知らないのか。
「はぐれたら、携帯で連絡すれば済む話だろ」
「うぅ、ひどい……」
「これで、手を繋ぐ必要性はなくなったな」
ははっ! と高笑いを上げつつ、俺は勝利の印にと携帯を掲げようとした。
だが。
どうやら俺はどうも、神様に嫌われているらしく、
「あれ?」
ない。どこを探してもない。
「どうかしました?」
「携帯がないんだよ。落としたか?」
「鳴らしてみましょうか?」
「あ、ああ。頼む」
「わかりました」
環奈はスマホを取り出して、迷いなく画面を一一回タップする。
……いや、ちょっと待て。
「なんでお前、俺の番号知ってるんだよ」
確かに聞かれはした、しつこく、鬱陶しく、何度も何度も聞いてきた。
だが、教えてはいないはずだ。当然だろう。なんで敵に個人情報を流出させなければならないんだ。
それなのに――。
「だからセンパイ、ネットって――」
「いや、もういい」
これ以上、二一世紀の闇を掘り下げるのは得策ではない。底に辿り着くまでに一体どれだけの量の問題が出てくるのやら。
そんな俺の実に有意義な嘆きを無視して、環奈はスマホを耳元に近づける。俺の携帯の着信音は鳴らない。近くにはないようだ。
刹那、間があって。
「あ、出た」
「マジか」
「もしもし、その携帯の持ち主の知り合いの者なんですけど……ええ、はい。……あっ、そうなんですか! ……はい。わかりました。……はい。それでは」
短い通話を終えた環奈は、腹の立つ表情でこちらを見てくる。
「それで、俺の携帯はどこにあるんだ」
「それがですね、センパイ、携帯家に忘れてったみたいですよ」
「へ?」
「電話の相手、センパイのお義母さんでした。電話の相手がわたしだって気付いて、びっくりしてましたけど。あと、センパイに伝言で『お赤飯炊いとくからね』だそうです」
「その伝言をお前はどういう気持ちで伝えてるんだ」
あと、母親はどういう気持ちでその伝言を頼んでいるんだ。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
今考えるべきは携帯の件だ。どうして忘れてしまったんだ。失態だ。いや、失態では済まされないぞ。
このままでは、本当に手を……。
「これじゃあ、はぐれたとき困っちゃいますねぇ」
ニヤリと笑う環奈。
「ねぇ?」
「うっ……」
「だったらはぐれないように手、つないでないといけませんね!」
「おい!」
俺に反論する時間さえ与えず、環奈は俺の手を握る。しかも、指と指を絡めたいわゆる恋人つなぎで。
右手全体に環奈の手の感触が伝わってくる。温かい。すべすべしている。やわらかい。握ったら壊れてしまいそうなほどに小さい。
「センパイの手、大きいですね」
環奈はにへらと笑う。その頬はこころなしか、朱に染まっている気がする。
「なんか、照れますね」
「うっせぇ」
「声、上擦ってますよ?」
「だからうっせぇ。行くぞ」
「はい」
道なりに歩いていくと、見上げるほどの大きな水槽が目に入った。
「わぁ! すごい!」
「デカいな……」
思わず、その水槽の前で立ち止まる。
水槽の中では、数多の魚たちが舞っていた。
一人悠々と泳ぐサメ。対して、群れを作って忙しなく泳ぐイワシ。腹の部分がなんとも愛らしいエイに、どこか貫録を感じさせる亀等々。
その様は、まるで光るものだけを詰め込んだおもちゃ箱のようだ。
「きれいですね……」
「ああ……」
返事をしながら横を向く。そこには、恍惚の表情で水槽を見上げる環奈。
悔しいかな。お前も一応は綺麗だ。
「えっ!?」
突如、環奈がこちらを向く。なぜか耳まで真っ赤だ。
「えっ! えぇ!? センパイ、どうしたんですか!?」
「どうしたって、何故に?」
「だって! そのー……わたしが、きれいって……」
「……ん?」
今こいつは、何と言っていたのだろうか。
「悪い、よく聞こえなかった。もう一回言ってくれ」
「こんなこと、何回も言わせないで下さいよぉ……。だから、そのー……センパイが、わたしのこと、きれいって言ってくれたんじゃないです、かぁ……」
「ん?」
いやいや、それはおかしいだろ。だってその台詞は、俺がこころの中で思っただけで――。
もしかして、無意識に口に出していたのか?
「あ、あの、ありがとうございます。その、きれいって言ってくれて」
「出てたっぽいなこれは!」
恥ずかしい! 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!
女の子に「綺麗」って言うとか、もう世迷い言を言っている以外の何物でもない!
「よし、死のう!」
「急にどうしたんですか!?」
「止めないでくれ! こんな黒歴史を背負って生きていくなんて耐えられない!」
「大丈夫です!」
「っ!」
環奈の強い語気に、俺は思わず押し黙る。
その隙を見計らったように、環奈はずいっと顔を近づけてきた。
「わたしのこときれいって言ってくれたセンパイ、とってもかっこよかったですよ。わたし、もっとセンパイのこと、好きになっちゃいました」
「あ、ああ。わかった。わかったから」
「センパイ、顔が赤いですよ? もしかして、照れてるんですか?」
「照れてるでいい。いいから。さっさと顔、離せ。近い」
「っ!」
現状の恥ずかしさに気付いたのか、環奈は慌てて距離を取る。その顔の赤さは、トマトといい勝負だ。
それにしても、危ない危ない。さらに黒歴史を重ねるところだった。
目前に迫った環奈の顔。視線がその唇に吸い寄せられて、一瞬『このままキスしてやろうか』なんて汚れた雑念が過ってしまった。
いきなりキスするとか、もうなんか……アレである。
「ほら、行くぞ」
「あっ、はい」
環奈の手を引いて、俺は歩き出す。その環奈の顔は未だに赤い。
「ところで」
「なんですか?」
「お前、ちゃんと阿佐ヶ谷京と阿佐ヶ谷明日、探してんのか?」
「あ、ああ……すいません、すっかり忘れてました」
「おいおい……」
端から期待してはいなかったが、戦力外も甚だしいな。これじゃあ邪魔なだけのお荷物だ。
「今からはちゃんと探せよ」
「ごめんなさい。無理です」
「お前――」
「センパイ以外、見えません」
「……お前」
まったく、お荷物は引っ張っていくのも一苦労である。
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