第4話 これは、俺が馬鹿にイライラするお話

「リアリア」

 と。

 果てしなく耳障りな単語が聞こえたので、意識をそちらに戻すと、リアがとうとう泣き止んでいた。ハンカチでリアの目元を拭う充を、今すぐ殴りたい。

「教えてくれないか? なんで泣いてるのか」

「みっくん、覚えてないの?」

「ああ」

「今日が何の日か、覚えてないの?」

「――っ!」

 いやいや、なんでだよ。

 なんでそんな、「やっちまった」みたいな顔してんだよ。

「別に何の日でもいいだろ」

「センパイ、記念日は大切ですよ」

「知らねぇよ」

「知ってください。誕生日とか、付き合って何ヶ月とか、そういう節目節目で祝っていかないと。愛を確かめていかないと」

「だから知らねぇよ」

 どうでもいい。この上なくどうでもいい。

 記念日とか、何の意味があんだよ。池栗がバストアップのために毎日自分の胸揉んでるくらい意味ねぇよ。

 ……どうしてだろうか。寒気がする。

「ごめん……」

「……みっくん、思い出した?」

「いや、思い出せない。でも……記念日を忘れるなんて、俺、最低だ」

「そうだよ。最低だよ」

「ごめん」

「ほんとに思い出せない?」

「……ごめん」

「今日は、さ……付き合って八八八日目の記念日だよ?」

 いや、知らねぇよ。

 お前、わざわざ八八八日数えたのか。すげぇな。つーか馬鹿だな。

「女の子って、そこまで記念日に執着するのかよ」

「センパイ、アレと一緒にしないでください」

「違うのか」

「当然です。アレはさすがに重いです」

「そうなのか」

 まあ、環奈がアレ呼ばわりするほどなのだから、よほど重いのだろう。

「みっくん、思い出した?」

「いや……」

 珍しく、充が苦虫を噛み潰したようになる。いい気味だ。

「リアリア」

「なに?」

「それ、記念日か?」

 悲しきかな、それには激しく同意だ。

「当たり前だよ」

 いや、どこの常識の物差しで測ったら、当たり前になるんだよ。

「八は私とみっくんのラッキーナンバーなんだから、八に関係する日は全部記念日だよ」

 とうとう超理論展開してきやがったな、こいつ。

「いや、さすがにそれは……」

「それは、なに?」

「重い」

「オモイ……」

 刹那の沈黙。

「……重いってなに!?」

 そして、急転直下の激昂。

「重くないよ! 普通だよ!」

「いや、さすがに引く」

「いいじゃん! 記念日大事じゃん! そういう日がいっぱいあったほうが、いっぱい好きって言えるじゃん!」

「さっきのお前と同じようなこと言ってるぞ」

「センパイ、だからアレと一緒にしないでください」

 環奈は顔を歪める。実に不快そうに、嫌悪感丸出しで。

「大体、みっくんはいつもてきとう過ぎるんだよ!」

「はあ?」

「昨日だって一昨日だって、記念日祝ってくれなかったじゃん!」

ああ、付き合って八〇〇日目からは一〇〇日連続で八が付くのか。

「ボーナスタイム突入だな」

「誰が突入したいんですか、その時間」

「八月だって、私の誕生日以外祝ってくれなかったし!」

「八月も三一日連続で記念日なのか」

「そうみたいですね。というか、誕生日祝ってくれたら十分じゃないですか。ちなみにセンパイ、わたしの誕生日は――」

「九月三日」

「…………」

「なんだよ」

「……いえ。ちょっと意外だったので」

「お前、俺の記憶力を何だと思ってんだ」

「センパイは、女ごころを何だと思ってるんですか?」

「劇物」

「センパイ、女の子はお砂糖とスパイスと素敵な何かで出来てるんですよ。どこにも劇物は入ってません」

「入ってるじゃねぇか。素敵な何かって、成分表示も躊躇う劇物のことだろ?」

「劇物のどこが素敵なんですか」

「人を殺せる」

「センパイはサイコパスですか……」

「大丈夫だ。上には上がいる」

 恐らく、俺は今、遠い目をしているだろうなあ……。

「もしかして……みっくんは私と一緒にいたくないの?」

「はあ?」

「だから、記念日祝ってくれないの?」

「なんでそうなるんだよ」

「だったら、一緒に祝ってよ」

「なんでだよ。めんどくさい」

「やっぱり一緒にいたくないんだ……」

「あのな、普通はそんなに記念日作ったりしないんだよ」

「普通って何!?」

「普通は普通だよ」

「意味わかんないよ! もうみっくんなんて大っ嫌い!」

「ああ、そうかよ。だったら俺もリアリアのこと嫌いだ」

 まあ、喧嘩しててもお互いのことを『みっくん』と『リアリア』と呼んでいる鬱陶しさは置いておくとして。

「幸せだな」

「どうしてですか?」

「リア充の不幸は俺の幸福なんだよ」

「じゃあ、センパイの幸せはわたしの幸せです」

「俺の幸福を勝手に奪うな」

「奪ったんじゃなくて、センパイがくれたんじゃないですか」

 うふふっ、と環奈は笑う。不気味だ。

 いや、今はそんなことよりも。

 俺は再び、充とリアに意識を戻す。

 二人は相変わらず、低レベルないがみ合いをしている。ずっと見ていられる光景だが、ここはこころを鬼にして、決着をつけてあげるとしよう。

 『慈善活動』によって。

 二人の関係を――不毛な関係を、終わらせてあげよう。

 俺はすっと立ち上がる。

「お前、邪魔するなよ」

「しませんよ。お手伝いはしますけど」

「それが邪魔なんだよ」

「じゃあどうすればいいんですかぁ?」

「どうもするな。そこで黙って見とけ」

「……わかりましたよぉ」

 そう言いつつ、環奈は立ち上がる、こいつ、全然わかってねぇ。ついてくる気満々じゃねぇか。

「ちなみに、これからどうするんですか?」

「あの楽しそうな会話に混ざってくる」

「センパイ、そんなこと出来るんですか?」

「そんなことって、ただ会話に混ざるだけだろ」

「でも、センパイってコミュ症じゃないですか」

「失敬な。俺の話芸は堪能なほうだぞ」

「それはわかってますよ。センパイとお話してると楽しいですし」

「なら――」

「ですけど」

 環奈は、言った。

 自分の名前を呼ばれて「はい」と返事をするように、とても自然に、当たり前のことを言うように、言ったのだ。

「センパイ、友達いないじゃないですか」

「……失敬な」

 まあ確かに、休み時間は読書をしているし、弁当は黙々と食べるし、体育でペアを作れと言われれば壁に向かう。

 だが。だがだ。それは俺が読書が好きであるからであって、弁当を味わって食べるのが好きであるからであって、壁が好きであるからだ。つまり、俺は自らの意思を尊重した結果、一人でいるのだ。言い換えれば、望んで一人でいるのだ。

 それに、恋愛にうつつを抜かしているような愚民どもと関わるなんて不毛なことはしない。不毛だからな。

「いないんじゃない。作らないんだ」

 そう、俺は誇り高きぼっちだ。

「第一、なんでそんなことが言えんだよ。俺のこと何も知らないんじゃなかったのか」

「それは言葉の綾じゃないですか。少しくらいは知ってますって。その証拠に、センパイの名前、知ってますし」

「ああ、そういえば」

「でしょ?」

「だったらなおさら、どうして知ってんだよ」

「見てたからですよ」

 当たり前じゃないですか、と環奈は続けて、

「センパイのことを――センパイのことだけを見てたから、知ってるんです」

「ストーカーかよ」

「そうかもしれませんね」

 うふふっ、と環奈はまた笑う。やはり不気味だ。

そういえばこいつ、いつも笑ってんな。能天気なことだ。どうせ、生きづらいと思ったことなんて微塵も無いんだろう。人生舐めやがって。

 ゆとり世代に人生の辛さを説きたいのは山々だが、今は屑共に人生を一人で生きることの素晴らしさを説かねばなるまい。俺は相も変わらず低偏差値ないがみ合いをしている二人へ足を向ける。

「ああ、センパイ、作戦は――」

「うっせぇ馬鹿」

 やかましいコバエは、ただの悪口でぶった切る。

 それに、作戦なんてものはない。

 さっきも言っただろう?

 俺は、会話に混ざるだけだと。

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