これは、俺が現実(リアル)に毒されていくお話

山波青菜

第1話 これは、俺がリア充に襲われるお話

 この世には、二種類の人間がいる。

 正義を愛する人間と、悪を愛する人間だ。

 そして俺は、圧倒的に前者だ。悪いことはしちゃいけません。そんなことは誰でも知っている。

 それに、後者はすべからく制裁を受ける。罪と罰は表裏一体。これまた誰でも知っていることだ。俺は進んで罰を受けるような、特異な性癖はしていない。

 では、罪とは何だろうか。もっと言うなら、悪いこととは何だろうか。

 窃盗や暴行がそれに分類されるだろう。それに、悪口を言ったり物を隠したり、そんな子どもの悪戯だってそれに当てはまる。

 それらを一般化するなら、『人が嫌がること』と言ったところだろうか。

 人間が社会の中に生きる以上――一人で生きることが不可能な以上、必然的に自分の行動には他者の評価が付きまとって、それが善悪を決める。つまりは多数決だ。みんなが正しいと言ったことが正しいし、みんなが悪いと言ったことが悪い。

 ならば、人が嫌がることとは何か。それは多々あるのだろうけど、その中でも、この世に生きる大多数の人間が嫌悪することがある。

八つ目の大罪。愚の骨頂。社会の廃棄物。必罰の戯者。

言い出したらキリがない。兎にも角にも、この世の底辺の存在なのだ。

もうわかっただろう。そう、アレだ。アレしかない。

 それは――。

 リア充だ!

 高校でパンデミックしてるリア充共――もとい屑共は、所構わず人目も気にせず、イチャイチャイチャイチャ……。死ねよ。

 そう思ってるのは絶対俺だけではないはずだ。決して、俺が彼女いない歴と年齢が比例していて、且つ友達いない歴も比例しているからじゃないはずだ。決して、妬ましいからそう思うのではないはずだ。

 それはさておき、そんなわけで、リア充という存在はいわば悪の化身なのである。

 つまり。つまりだ。

 それを駆逐する俺の活動は――リア充共をぶっ殺す俺の活動は、まさしく正義そのものではないだろうか。

 なあに、大丈夫だ。殺すと言っても、社会的に殺すだけだから。一応命は残ってる。一応な。

 そして、今日も今日とで、俺はリア充共を社会的に抹殺する活動に――もとい『慈善活動』に励んでいるのだ。

 時は放課後、那珂奏高校の昇降口にて。

 下駄箱の陰に隠れる俺の視線の先には、一人の女子。

 ふんわりとウェーブがかかった栗色の髪。優しそうな印象を受ける垂れ目。穢れのない白い頬に、ほんのり朱が差している。そんな純粋無垢な顔に相反して、胸部は今にもはち切れそうで刺激的だ。

 女子の名前は、清水環奈。一年三組。九月三日産まれ。乙女座。

 身長は一六〇センチ。スタイルは上から、八七、五九、八四。Fカップ。

 その完璧な容貌から、学校中の男から絶大な人気を誇る。入学してから二ヶ月足らずで環奈への告白数は六〇を超えているが、そのこころを射止めたものは未だにいない。なんだ、選び放題ってか? どうせお前、女子には絶対嫌われてるぞ。

 ああ、ちなみに、俺がなぜこんなことを知っているのかということに関しては、こう答えるに止めておこう。

 ネットって、怖いよね。

 それはさておき、そんな環奈が今回のターゲットだ。このモテまくってる屑を、容赦なく残酷に無慈悲にぶっ殺す。社会的に。あくまで社会的に。

 では、今回の作戦を説明しよう。

 今回は、この消火器を使おうと思う。

 ああ、その消火器はどこから出したんだとかは聞いちゃいけない。窃盗とかその辺は、倫理的にかなり問題があるから。

 というか、そんなことはどうでもいいのだ。バレない悪は罪じゃない。

 話を戻そう。作戦の流れはこうだ。

まず、環奈に向かってこの消火器で化学薬品を噴射する。そのときの掛け声は「あっ! 恋の炎が燃え上がってる! 鎮火しなきゃ!」だ。

 その後、混乱に乗じて逃走。後日、環奈がいたずらで消火器を噴射したという噂を流すことで罪をなすりつけて、作戦終了だ。

 うん、我ながらいい作戦だ。早速実行に移そうじゃあないか。

 (……よし)

 呼吸を整えるように、一つ小さく息を吐く。それから、今度は大きく吸って――。

「あっ! 恋の炎が――」

「植木センパイ!?」

 と。

「植木センパイですよね!?」

「……あ、ああ。はい」

 しまった。予想外の事態発生だ。

 環奈が、俺のことを知っている。

 なぜだ。クラスメイトでも俺のこと知らないのに。学級委員長でさえ、俺にやむなく話し掛けてくるとき、「えーっと、う、うえ……上田くん!」って言うのに。なぜだ?

 いや、それにしても、名前を知られてるなんて嬉しい――。

 いやいやいや! 何を考えているんだ俺は! こいつはリア充だぞ! 忌むべき敵だぞ! そんな奴に名前を知られても、何も嬉しくないじゃあないか! 思い出せ! リア充共を妬む――ではなくて、恨むこころを!

「だ、黙れ! 清水環奈! 俺はお前になど屈しない――」

「あの!」

「――っ!」

 ずいっと距離を詰められ、思わず言葉に詰まる。おい、なに易々と俺のパーソナルスペースに侵入してんだよ。近いだろ。そんなに近づかれたら、緊張するだろ。

「な、何ですか?」

「あのぉ……」

 環奈の視線が虚空を彷徨う。指と指を絡めていて、落ち着きのない様子。

 その様子は、また躊躇うようなものでもあって……ふと、学級委員長のことを思い出した。

 俺のことを「上田くん」と呼ぶ学級委員長もまた、今の環奈のように、俺に何かを言う前にはどこか躊躇ったような様子を見せる。

 ということは、環奈は「ノート出してくれないかな」と言いたいのか。いやそれとも、「雑巾掛けといて」か。

 いや、どうしてそんなことを今言うんだ。もしかしてこいつ、馬鹿なのか?

「植木センパイ……いえ、光センパイ!」

「はい?」

 なぜ言い直した。やっぱこいつ、馬鹿なのか?

 その馬鹿はというと、俺の目を真っ直ぐと見つめてくる。言うまでもなく、俺は視線を思い切り逸らした。この俺が、人の目を見ることができるはずがない。

「わ、わた……」

 「わた」ってなんだ。魚のわたでも取ってほしいのか? それぐらい自分でやれ。

「わた、わたしは……っ!」

 ああ、「私」か。いや、そんなことは知ってるわ。一人称が「小生」なわけないだろ。

 それにしても、一体環奈は何が言いたいんだ? さっぱりわからない――。

「わたしは、センパイのことが好きです!」

「……ん?」

 あれ? こいつ今、なんて言ったんだ?

 ええと……。どうしてだろうか、上手く思い出せない。

 ああ、そうだそうだ。思い出した。「好き」と言ったんだ、こいつは。

 好き……。

 好きって、どういう意味だっけ?

 英語にするとLIKE……いや、この場合はLOVEか。特定の異性を想い慕う感情。また、その特定の異性に向けて、自分の好意を示すときに言う言葉。

 ん?

 だったらどうして、そんな言葉を俺に言ったんだ?

 それじゃあまるで、環奈が俺のことを好きみたいじゃあ……。

 はあ!?

「わたしと、付き合ってください!」

 付き合う? どうしてそんなことをするんだ?

 ああ、環奈が俺のことを好きだからか……。

 はあ!?

「センパイ……」

 震える声。その弱々しさに思わず視線を絡めると、そこには不安げに揺れる瞳があって……ああ、これは本当に告白なんだと、ようやく実感できた。

 実感できたなら、後は簡単だ。

 俺がやることは一つ。

 たった一つだ。

「センパイは私のこと……どう、思いますか?」

 そう問う環奈から、再び視線を逸らす。何の気なしに昇降口を眺め、ふぅと一つ息を吐く。

 そして――。

「うわぁぁぁぁぁあああああん!」

 逃走。

 高校二年生の全力疾走。

 そしてかろうじて、環奈の魔手から逃げることが出来た。


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