第15話 これは、俺が現実に思い知らされるお話
「池栗、携帯貸してくれ」
「何故だ」
「頼む」
「はあ……。すぐに返せよ」
「助かる」
その日の昼休み、俺は、池栗の携帯を俺の携帯と通話している状態で一年三組に忍ばせた。これで、教室の外にいても一年三組の中での会話を聞くことができる。いわば簡易盗聴器だ。
こんなことをしているのは当然、今朝のことがあったからだ。どうして環奈はあれほどまでに汚れていたのか。それを、調べるためだ。
そして放課後。
俺は、屋上で携帯を耳に当てる。
初めは、様々な会話が混じってノイズのように聞こえてきた。まだ、多くの生徒が教室に残っているのだろう。
それもしばらくすると、段々と収まってきた。代わりに、グラウンドの方から威勢のいい掛け声が聞こえてくる。そろそろ部活が始まる時間か。
『清水がウザい』
と。
聞き覚えのある声がしたため、俺は耳に意識を集中させる。
『あいつ、殺していいかな?』
『ちょっともかー、殺すのはやり過ぎだってー』
この声は聞いたことがない。推察するに、前者が栖須もかで、後者がその取り巻きだろう。
丁度いい。どうやら環奈の話をしているらしいから、情報を聞き出させてもらおう。
『だってあいつ、ちょっと顔がいいからって調子に乗ってるでしょ』
『それなー』
『しかもいっつも男に色目使って。あいつの胸って、いつも男に揉まれてるからあんなに垂れてるのかしら』
『それなー。マジ共感ー』
『あんな奴、生きてる価値あるのかしら』
『それなー』
『やっぱ私が殺してあげようかしら。そのほうが社会のためでしょ』
『おー、もかマジこえー』
『あんな奴、社会のごみ以外の何物でもないのよ』
「……っ!」
思わず、床を思い切り殴りつけた。拳に鈍い痛みが走る。
何が生きてる価値がないだ。何が社会のごみだ。
自分のことを棚に上げて、そんなに楽しいか。おい。
『ごみと言えばさ、今朝の清水、超ウケなかった?』
『それなー。頭の上でゴミ箱ひっくり返すとかー、もかマジ天才ー』
「…………」
正直、予想はしていた。
だが、改めてその事実を突きつけられると、どうしても声が出なくなる。どうしても、肺の辺りのもやもやに声がつっかえる。
『でしょ。あいつ、すごい汚かったわね』
『それなー。超ウケたわー』
『しかもあいつ、笑ってたわね。マゾなのかしら。キモっ』
『それなー』
『そういえば、あれもウケなかった? 一昨日のアレ』
『あー、もかが清水の顔面に黒板消し投げた奴ー? あれは腹筋鍛えられたよー』
『あいつの顔、真っ白になってたわね』
『それなー。平安時代かっての』
『それは意味わかんないわ』
『それなー』
『いやいや、あんたが言ったんでしょ。というか、あいつそのときも笑ってたわよね? いじめられて喜ぶなんて、変態じゃない』
『それなー』
「……なんなんだよ」
これはもう、疑いの余地はない。
やはり環奈は――未だに、いじめられている。
いやむしろ、前よりも酷くなっている。
俺がもかに忠告したはずなのに、どうして……。
『そういえばさー、清水って最低なんだよねー』
『それなー』
『まだ何も言ってないわよ』
『それなー。どしてー?』
『あいつ、先輩使ってあたしに嫌がらせしてきたのよ』
『どゆことー?』
『あんた、植木光って先輩、知ってる?』
『植木光ってあれでしょー。前に教室で清水に話しかけてた人でしょー』
『そうそう。そいつがね、一週間くらい前に私に嫌がらせしてきたのよ。これって、絶対清水が媚び売ってやらせてるでしょ』
「……はあ?」
何を言っているんだ、こいつは。そんなこと、あるはずないじゃあないか。
『それがあって、清水のこともっと嫌いになったんだよねー』
「…………」
ああ、そうか。
そうなのか。
『あー、そういえば最近のもかヤバいもんねー。やりすぎーって思うもんー』
『そうかしら?』
『うんー。でもー、面白いからいいけどねー』
『それなー!』
『あー! それうちのやつー!』
『別にあんたのじゃないでしょ』
『それなー』
あははははっ!
やかましい笑い声が聞こえてくる。それは電波を通しているはずなのに、何故だろうか、目の前で笑っている――否、嘲笑っているように聞こえる。
そう思うのは恐らく、愚かだからだ。
それはもちろん、もかのことを指しているのではない。もかに同調している取り巻きのことを指しているのでもない。まして、環奈のことを言っているわけでもない。
他でもない、俺自身が。
救いようのない程に、愚かなのだ。
「なんなんだよ……っ!」
軽率だった。
もかへの『慈善活動』のせいで、いじめが悪化してしまった。それがもかの筋違いな勘違いでも、間違いなく俺のせいだ。
と。
「…………」
俺は気付く。
他人のためにここまで頭を悩ませたのは、初めてだ。
俺は一体、どうしたのだろう。
『でもさ、清水もウザいけど、植木もウザいよね。清水に誑かされたからって、普通ここまでやらないでしょ』
『それなー。後輩の喧嘩に口出すなっつーのー』
『喧嘩じゃないわよ。キョウイクよ』
『それなー』
『あんた喧嘩って言ってたじゃない』
『それなー。マジそれなー』
『意味わかんないわよ。でも、あー! 清水死ねー!』
『それなー』
『あと植木も死ねー』
『それ――』
『止めてください!』
「――っ!」
ガシャン!
机が倒れるような音が聞こえた。あいつの声が――聞こえてしまった。
『センパイのこと悪く言うのは、止めてください』
『なによ、清水』
『…………』
『なんだって聞いてるのよ!』
『……わたしのことはなにを言ってもいいです。だから、センパイのこと悪く言うのは、止めてください』
『いい子ぶってんじゃないわよ!』
『お願いします……っ!』
『へー。……しょうがないわね』
『あっ、ありがと――』
『ただし、あんたが土下座したらね』
『…………』
『土下座するの? しないの?』
『……お願いします』
『あははっ! ほんとに土下座する奴がどこにいるのよ!』
『お願いします……っ!』
『惨めね!』
『ちょっともかー、やりすぎじゃないー?』
『でも面白いでしょ?』
『それなー』
『ねえ、またゴミ箱シャワーやりましょうよ』
『やるやるー! ゴミ箱持ってくるねー』
『清水もやってほしいわよね? ゴミ箱シャワー』
『…………』
『やってほしいかって聞いてるのよ!』
『……ははっ。やってほしいなぁ』
『しょうがないわね』
『ゴミ箱持ってきたよー』
『ありがと。ほら清水、早く「ゴミをかけてくださいお願いします」って言いなさいよ』
『……ははっ』
『言いなさいよ!』
『……ゴミをかけてください。お願いします』
『あははっ!』
『ははっ』
『ちょっともかー、うちにもやらせてよー』
『ははっ』
『あははははっ!』
『はははははっ』
『ねえ、もかー』
『はははははっ』
『あははははっ!』
『はははははっ』
『もかー』
『ははは――』
バキッ。
「……ああっ!」
真っ二つに割れた携帯よりも壊れた俺の声を聞く者は誰もいない。
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