第16話 これは、俺が笑顔に突き放されるお話

 どれくらい経ったのだろうか。

 気付けば、日がだいぶ傾いていた。夕焼けの紅が、なんともおどろおどろしい。

 そろそろ帰らなければ。どこか足が地に着いている感覚のないまま、昇降口へと歩く。

 すると。

「ああ、センパイ。奇遇ですね」

 いた。

 環奈がいた。

 笑った環奈が――いた。

「センパイも今帰りですか?」

「お前、汚いぞ」

 俺は、埃まみれの制服を指さしながら言う。

「女の子に汚いなんて言っちゃダメですよぉ。傷つきます」

「傷つくのか?」

「当たり前ですよぉ」

「悪い」

「おお! 珍しいですねぇ、センパイが素直に謝るなんてぇ。もしかして、とうとうわたしの魅力に気付いて――」

「悪い……」

「…………」

「…………」

 重い重い沈黙がその場を支配する。

 何か言わなければ。そう思った。強く思った。

 でも何を? 謝罪か? すまないと頭を下げるのか? それで何が解決されるのだ? 俺が許されたいだけなのではないか?

 とにかく何か言わなければ。何かを――。

「俺は――」

「むかしむかし、あるところに」

 突然、突飛に、何の脈絡もなく。

 環奈は、そんなことを言い出す。

「それは――」

「おい待て」

「なんですか?」

「それはこっちの台詞だ。いきなり何を言い出しているんだ」

「むかしむかしって言えば、昔話の定番じゃないですか」

「そうじゃあない。何故突然昔話を語り始めたかを聞いているんだ」

「そんなの別にいいじゃないですか」

「よくない」

「むかしむかし、あるところに」

「人の話を聞けと何回言ったらわかるんだ」

「それはもうかわいすぎる女の子がいました」

「…………」

 珍しいな。昔話で、読者に嫌悪感覚えさせる主人公なんて。

「女の子の名前はKちゃんと言いました。Kちゃんは、たくさん告白をされました。当然です、かわいいんですから」

「…………」

 もはや嫌悪感を通り越して、拒絶反応を覚え始めたな。

「ですが、Kちゃんはその全部をお断りしました。たくさんの男の子に残念な思いをさせちゃうなんて、かわいいは罪ですね」

「…………」

 架空の人物とはいえ、そいつに殺意を覚えるのは、決して筋違いではないはずだ。

「ちなみに、告白をお断りしていた理由は、Kちゃんには好きな人がいたからです。ですがその男の子は、Kちゃんががんばって告白したのに、返事をはぐらかしました。いろいろアピールしても、返事はくれません。そんな人は、死んだほうがいいと思います」

「…………」

 気のせいだろうか、作り話のはずなのに、男に対する怒りが妙に生々しい。怖い。

「話を戻しましょう。あるとき、Kちゃんは一人の男の子に告白されました。女の子は、いつものようにお断りします。すると次の日、Mちゃんに話し掛けられました。Mちゃんは、前の日告白してきた男の子のことが好きだったのです」

「……ん?」

 気のせい、だろうか。

 瞬間、環奈の顔がぐにゃりと歪んだ気がした。

 いや、気のせいか。現に、環奈は先程と同じ笑顔で――。

「……っ!」

 そこにはちゃんと、環奈の笑顔があった。

 それはもう完璧な、笑顔があった。

 完璧で完璧で――気持ち悪い程に完璧な、張り付けたような笑顔が、そこにはあった。

「Mちゃんは言いました。『お前だけは絶対に許さない』」

「おい、お前――」

「そして次の日、MちゃんはKちゃんに嫌がらせを始めました。それはどんどんエスカレートして……。Kちゃんは、泣きたくなりました」

「もういい、止め――」

「わたしは悪いことをしたの? わたしのせいなの? 悔しくて悔しくて……でも、立ち向かうことは、できませんでした」

「だから止め――」

「Kちゃんは弱虫でした。Mちゃんと戦うことなんてできませんでした。だからKちゃんは、我慢することに決めました。Mちゃんからの嫌がらせも、急にKちゃんを避け始めたお友達の態度も、Kちゃんを笑う誰かの視線も、我慢することにしました」

「……止めろ」

「そしてもう一つ、Kちゃんは決めたのです」

「止めろ!」

「無理してでも、ずっと笑っていようと。そうすれば、ちょっとだけ楽になれるから」

 すべてを話し終えても尚、環奈の顔には白々しい笑顔が貼り付けられている。

 そして。

「だから」

 環奈は――言ったのだ。

「余計なことはしないでください」

 笑ったまま。

「私は、大丈夫ですから」

 一切表情を変えずに。

「大丈夫ですから」

 まるで笑顔が凍り付いたかのように。

「大丈夫、ですから」

 言ったのだった。

「それじゃセンパイ……さようなら」

 回れ右をして、環奈は去っていく。すぐにその姿は、跡形もなく消え去った。

「……わかんねぇよ」

 どうしてあいつは、笑っていられるのだ。

 どういう感情をもってすれば、笑っていられるのだ。

 それが、わからない。

 どうしようもなく、わからない。

 救いようもなく、わからない。

 わからない。

 わからないわからないわからない。

 わからないわからないわからないわからないわからない。

 わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない……

「わかんねぇよ……っ!」

 その日は、一睡も出来なかった。

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