第2話 これは、俺が教師に疑問を抱くお話
「なあ、池栗」
「なんだ?」
「俺、昨日告白されたんだよ」
「植木、救急車が到着するまでは五分少々かかるが、それまで耐えられるか?」
「一応理由を聞こうか」
「とうとう現実と虚構の区別がつかなくなった植木を、病院に連れて行かねばならないだろう。精神科にな」
「大丈夫だ。残念ながら告白されたのは現実だから」
「なるほど。地球はもうすぐ滅ぶのか」
「俺が告白されるのは隕石レベルの異常事態なのかよ」
「当然だろ」
「断言するなよ……」
放課後の教室。補習として出された現国のプリントをこなす俺の前には、その補習を命じた張本人、池栗慈亜がいる。
肩口で切り揃えられた黒髪と無駄に整った顔からは、クールな印象を受ける。灰色のレディーススーツは、彼女のスレンダーな身体を引き立てる。
そう、スレンダー。良くも悪くもスレンダー。
「なんだ植木、そんなに私の身体は魅力的か」
「はあ? そんな夢も希望も脂肪も詰まってないような胸した身体のどこが魅力的ぐほっ!」
ガッシャ――ン!
突如、俺の身体は吹っ飛び、机に強く打ち付けられて不協和音を奏でる。
「植木ク~ン、人の嫌がることはしちゃダメだよぉ~?」
「生徒を容赦なく蹴り飛ばす教師がそんなこと言ってんじゃねぇよ!」
しかも満面の笑み。まあ、目は一切笑ってないが。
ひとまず、脇腹の鈍い痛みを堪えながら身体を起こして机に戻る。その際、恨むように池栗の絶壁を睨みつけたら悪寒が走ったので、すぐさまプリントに視線を落とした。
「話を戻すけどさ、俺が告白されるのは別にそこまで驚くようなことじゃないと思うんだよ」
「一応理由を聞こうか」
「一応が気になるな……。だって俺って、見た目は悪くないし、勉強も運動も出来るし、話芸も堪能だろ?」
「ただ致命的に対人スキルに欠陥があり、思考が常に斜め下をいっているがな」
「いやいや、性格は個人の趣味嗜好が出るから関係ないだろ」
「いや、お前の性格は論外だ」
それに、と池栗は続けて、
「お前勉強が出来ると言ったが、現代文はてんで駄目じゃないか。現にこうして補習を受けている」
「現国は苦手なんだよ。『このときの登場人物の心情を答えなさい』とか意味わからん」
「そうだろうな。でなければ、羅生門の問題で『老婆の着物を剥ぎ取ったときの下人の心情を答えろ』という問いに『老婆を屈服させ歓喜している』とは答えないだろうからな」
だからお前の性格は論外なんだよ、と池栗は蔑むような目をしながら言う。明らかに教師が生徒に向ける目ではない。まあ、池栗は去年も俺の担任で、幾度となくこんな視線を向けてこられたから、もう慣れたが。
「それで、そんな論外に告白した性癖異常者は誰なんだ?」
「おい、俺を論外って呼んでんじゃねぇ」
「性癖異常者のほうは別に構わないのだな」
「あいつが何言われようと知ったこっちゃねぇよ」
「そうか。やはりお前は論外だな」
「はあ? どこがだよ?」
「そういう、人のこころを理解していないところだよ」
はぁ……、と池栗は大仰に溜め息を吐く。いやいや、生徒を嬲る教師にこころとか言われたくないわ。
「それで、結局誰なんだ?」
「言ったってどうせわかねぇだろ」
「うちの高校の生徒か?」
「ああ」
「ならわかる」
「どうして?」
「教師が生徒の名前を把握していないわけがないだろう」
「でも一年生だぞ?」
「それでもだ。全校生徒の名前を覚えられない教師など、教師失格だ」
「……教師失格とか、自分のこと棚に上げてんじゃねぇか」
「何か言ったか?」
「いいや何も」
池栗の目に妖しげな光が灯ったので、ここは素直に退散しておく。さすがに一日二発の蹴りを食らうと身が持たない。
「あいつだよ。一年の清水環奈」
「ああ、あの生徒の中では一番容姿の整っている女子生徒か」
「『生徒の中では』ってとこ、お前らしいな」
自信満々なところは、実に池栗らしい。ただ腹立つのは、その自信が自意識過剰にならないことだ。現に、池栗の容姿は疑いなく美しい。無駄に美しい。
まあ、性格は論外だが。
間違いなく、紛れもなく、言うまでもなく論外だが。
「だが、清水環奈か……」
ふと、池栗は遠い目をし、
「わからなくもないな」
と、そんなことを言った。
「とうとうお前も俺の魅力に気付いたか」
「植木、寝言は寝てから言うものだぞ」
「生憎、今は眠くないんでな」
「なら、私がこの手で永久に眠らせてやろう」
「お前がそういうこと言うと、冗談に聞こえねぇんだよ……」
というか、おそらく冗談じゃない。なぜなら、すでに今の瞬間、俺の一つ前の机が池栗の蹴りの犠牲になったからだ。次は間違いなく俺の番だろう。
それを回避するためにも、俺は話の軌道を元に戻す。
「だったらどうして、わからなくもないんだよ?」
「いいんだぞ植木、無理に話題を逸らさなくても。私は、お前のためだったら罪を犯す覚悟もある」
「なんか格好いい感じの台詞にしても無駄だ」
「なんだ、つまらないな」
「お前の悦楽のために殺されちゃたまったもんじゃねぇよ」
「そうか、なら仕方がないな。それはまた別の機会に、ということにしておこう」
「殺るのは確定なのかよ……」
「当たり前だろう。だが植木、わからなくもない理由を説明したところで、お前はまず間違いなく理解できないぞ」
「どうしてだよ?」
「お前が、人のこころを理解してないからだ」
「……だからお前にこころとか言われたくないっつーの」
「何か言ったか?」
「なんでもない」
ちょうどそのタイミングで、補習のプリントが終わった。池栗に見せると「まあ、今回はこれで許してやる」と言ったので、荷物を纏め始める。時間的に、今日の『慈善活動』は無理か。
「ところで植木」
「なんだ?」
「お前、清水環奈からの告白には何と答えたのだ? まさか『考える時間をくれ』なんて腑抜けたことを言っていたら、軽蔑――否、軽傷を負わせるぞ」
「一応聞こうか。お前の言う『軽傷』ってどれくらいだ?」
「人間、生きていれば何とかなるとよく言うよな」
「ああ、もういいわ……」
「そうか。それで、どうなんだ?」
「『考える時間をくれ』とは言ってない」
「ほう。お前にしては殊勝なこころがけじゃあないか」
「つーか何も言ってない」
「はあ?」
「つーか逃げた。走って逃げた」
「はあ……」
「どうしたんだよ、溜息なんか吐いて。更年期障害か?」
「ぶっ殺すぞ植木」
「正気じゃねぇなこいつ……」
なんで生徒に臆面もなく「ぶっ殺す」なんて言える教師がいるんだよ。世も末だよ。
「ぶっ殺されるのは御免だな」
「お前は正気か?」
「お前にだけは絶対言われたくねぇ」
「どうしてぶっ殺されないんだ」
「どうしてぶっ殺されると思ってんだよ」
「お前が、我々女の子の敵だからだ」
「はあ?」
なんで池栗が「女の子」に分類されるんだよ。
「お前、一世一代の告白から逃げるなど、女の子の敵――」
「そんな絶壁の胸して、よく自分のこと『女の子』なんて言えるな。つーかそれほんとに胸か?」
「植木ク~ン?」
池栗は笑う。
白々しく、おどろおどろしく――笑う。
あー……これ、ヤバいな。
「優しい先生からぁ~質問がありますぅ~」
「な、なんだよ」
「自殺を強要されるのとぉ~ぶっ殺されるのだったらぁ~どっちがいぃ~?」
「お前はサイコパスか!」
「そうだよぉ~」
「迷いなく肯定してんじゃねぇよ!」
つーか、あれ? 俺の周りの机が無くなってるんだけど。
ああ、そっか。池栗が蹴っ飛ばしたのか。納得納得……。
逃げるか。
「それでぇ~どっちがいいのぉ~?」
「せんせーさよーならー」
質問はガン無視して、棒読みでそう言って回れ右をする。
位置について、よーい……。
「はぁ~い。この世からさようならぁ~」
「どん!」
連日の全力疾走。池栗の姿は、あっという間に見えなくなった。
まあ結局、俺は逃げ切ることができたわけだが。
俺は改めて問おう。
なんであいつ、教師なんだよ。
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