第11話 これは、俺が自分に苦しめられるお話(5/5)

 だから、俺は――

「俺は……俺は! お前のことが――」

「植木」

「………………………………………………………………………………………嘘、だろ?」

 空気が、凍った気がした。

 その声は、よく聞き慣れた声だったから――というか、今、一番聞きたくない声だった――誰が話し掛けてきたのかはすぐにわかった。

それに、この最低最悪のタイミングで話し掛けてくる人間など、地球上どこを探しても奴しかいない。

 俺はゆっくりと――実にゆっくりと、振り返る。

 そして、そこにいたのは――。

「やっぱりお前かよ!」

「偶然だな、植木」

 やはり、池栗だった。

「なんでこんなところにいるんだよ!?」

「私がどこにいようと、お前には関係ないだろう」

「いいから言え!」

「夫とデートだ。文句があるなら言ってみろ」

 池栗は後ろを見やる。釣られて俺も見ると、そこには、池栗の旦那と思しき男が笑顔で立っていた。無駄に顔が整っているのがなんとも腹立たしい。

「文句あるわ! どんなタイミングで話し掛けて来てんだよ!」

「あのタイミングがベストだろう?」

「お前的にはな!」

 やはり池栗は、俺にとって最悪のタイミング――つまり、池栗にとって最高のタイミングを見計らって話しかけてきたのか。こいつは本当に人の血が流れているのか。

 さらに、見計らった、ということは、割と長い時間観察されていたわけで……。

本当になんなんだこいつは!

「いつから見てた!?」

「最初からだ」

「なら俺たちがここに来てからずっと見てたのかよ! 覗きなんて最悪だな!」

「馬鹿か。私は『最初から』と言ったはずだ」

「だから、それはこのベンチに来てから――」

「そうではない。正真正銘『最初から』だ。つまり、お前たちが植木の家を共に出たところからだ」

「悪質さが増してるじゃねぇか!」

 覗きではなくてストーカーなのかよ。だからなんでこいつが教師なんだよ。

「なんで後付けてきたんだよ!?」

「いや、夫と共に散歩をしていたら、偶然お前たちが家から共に出て行くところを見かけてな。これはもう、行くしかないだろ」

「行くしかないだろ、じゃねぇよ! というか、なんで旦那は止めねぇんだよ!?」

「私の意見を尊重してくれる夫でな」

「いい旦那だな!」

「ああ。私の自慢の夫だ」

「惚気てんじゃねぇよ!」

 いや、今は池栗に腹を立てている場合ではない。

 今考えるべきは、池栗が今日の俺の言動をどの程度把握しているかということだ。

 振り返ると、振り返りたくないような痛々しい言動を、俺は多々している。それを池栗が知ったとあらば……もはや、言うまでもない。

 ここはもう、直接聞くしかないか。

「池栗」

「なんだ」

「お前、今日の俺の言動、どこまで把握している」

「聞きたいか?」

「聞きたくない」

「そうか。なら教えてやろう」

「お前はぶれないな!」

まあ、だからこそ、あえて「聞きたくない」と言ったのだが。

「先程述べたように、私は、お前たちが共に家から出て行くところから見ていた」

「ああ、それは聞いた」

「お前が目立った動きをし始めたのは水族館に来てからか。まず、お前は清水環奈と手を繋いだ。しかも、俗に言う『恋人繋ぎ』で」

「うっ……」

 覚悟はしていたが、やはり、自分の恥ずかしい言動を聞かされると死にたくなる。

「それから、突如、清水環奈に対して『お前も一応は綺麗だ』なんて言ったことも知っている」

「なんで一言一句違わずに言えんだよ……」

「そして、その後、顔を近づけてきた清水環奈にキスをしようとしたことも知っている」

「なんで俺の思考まで把握してんだよ!?」

「傍から見れば一目瞭然だったぞ」

「…………」

「センパイ、キスしたいなら言ってくれればいいのに」

「ふざけるな! 俺は断じてそんなことは思っていない!」

「センパイはわたしとキス、したくないんですか?」

「あ、当たり前だ!」

「植木、そう強がるな」

「強がってねぇわ!」

「もうキスしてしまえばいいしゃあないか。ほら。キース。キース。キース」

「煽ってんじゃねぇ!」

 ヤバい、これでは八方塞がりだ。何とかこの状況を打開せねば。

「池栗、さっさと話を進めろ」

「なんだ、強行策か」

「今は手段を選んでいる場合じゃねぇんだよ」

「そうか。まあ、別に構わんが」

 では次だが、と池栗は続けて、

「お前が清水環奈に、『愛している』と言われて照れたことはもちろん知っている」

「まあ、それは想定内だ」

「ちなみに、そのとき『若いっていいわね~』と言ったのは、裏声を駆使した私だ」

「それは想定外だよ!」

 まさか、俺に嫌がらせをするために干渉までしていたとは。もはや感服する。

「はぁ……。もうさっさと次行ってくれ」

「わかった。ではここからは、一気に行くぞ」

「へ?」

「お前が、清水環奈を初めて名前で呼んだことも」

「ぐはっ!」

「ぬいぐるみから清水環奈の残り香を嗅いだことも」

「げふっ!」

「調子に乗ってそのぬいぐるみをプレゼントしたことも、もちろん知っている」

「がはっ!」

「それから――」

「もう止めてくれ!」

「はっはっはっ!」

「笑ってんじゃねぇ!」

 そうだ。

 そうだった。

 俺、途中から自分のキャラ忘れてたんだった!

 というか。

「『慈善活動』のことも忘れてんじゃねぇか!」

 何をしているんだ俺は! 水族館に来た目的はそれだろ! これでは、ただ単にデートを楽しんだだけではないか! いや、楽しくはない!

 今からでも遅くはない。何としても、京と明日を見つけ出し、闇に葬り去らなければ!

「どこだ!」

「お前の自尊心か? そんなもの、もうこの世にはないぞ」

「違うわ!」

「ちょっと!」

 と。

 突如、甲高い叫び声がした。思わず声のした方向を見ると――。

「いた!」

 俺は、神様に愛されている。

 そこには、阿佐ヶ谷明日がいた。その隣にいるのが、恐らく阿佐ヶ谷京だろう。手を繋いでいるから間違いない。

「おいお前、スマホ貸せ!」

「お前? センパイ、わたしのことは名前で――」

「いいから!」

「もう、しょうがないですねぇ」

 差し出されたスマホを俺は奪い取り、カメラ機能を起動する。ロックが外せたのはご愛嬌。俺の誕生日にしているのが悪い。なんで俺の誕生日知ってるんだよ。

 とにもかくにも、これで準備万端だ。さあ、キスをしろ! キスを――。

「大丈夫、お兄ちゃん?」

 ん? お兄ちゃん?

「あ、ああ。ちょっと人に酔っただけだから、大丈夫」

「もう、無理しないでよね? お兄ちゃん、退院したばっかなんだから」

「わかってるよ。ありがとう、明日」

「感謝する前にさっさと歩け、バカ!」

 そしていつの間にか、二人の姿は見えなくなっていた。

 ……いやちょっと待て!

「お兄ちゃんってなんだ!?」

「お前、先程から何を言っているのだ」

「さっきそこにいただろ!」

「はあ? ……ああ、阿佐ヶ谷京と阿佐ヶ谷明日のことか。あの兄妹がどうかしたのか」

「だから――キョウ、ダイ?」

「そうだが。それがどうかしたのか」

「だってあいつら、手、繋いで……」

「ああ、あの二人は、少々仲が良すぎるのだよ。まあ、ご両親が亡くなって、長い間二人で生きてきたのだから、仲が良くなりすぎるのも致し方ないとは思うがな」

「…………」

 もはや返す言葉もない。

 いや、返す言葉はある。

 だが、それは池栗にではなく、

「環奈ァ」

 この、ガセネタ持ってきやがった屑にだ。

「どういうことだ!」

「あっ、わたしの名前! うれしいなぁ」

「とぼけてんじゃねぇ!」

「え、なんのことですかぁ?」

「あいつらの情報持ってきたのお前だろ! 兄妹ってどういうことだ!?」

「ああ、びっくりですよねぇ。まさか、兄妹だったなんてぇ。いやぁ、びっくりびっくりぃ」

「しらばっくれてんじゃねぇ! お前、絶対知ってただろ!」

「知らないですよぉ。知ってるのはぁ、お二人のお家くらいですってぇ」

「コイツ……っ!」

 家を知っていれば、同じ家に住んでいるのだから、二人が兄妹であることは自明だ。

 やはりこいつは、最初から二人が兄妹であることを知っていた。つまり『慈善活動』を手伝うなんてのは真っ赤な嘘。デートに誘う口実だったのだ。許さん。

 もう我慢の限界だ。

 本来ならば、こういった方法は好かないのだが、致し方なしだ。

 実力行使に打って出よう。

 作戦も糞もない。『慈善活動』でもない。ただ個人的に腹が立つから、嬲るだけだ。

「歯ぁ食いしばれ!」

「いやん。犯される」

「植木、教師として、そういうことは見過ごせないな」

「うっせぇ! 貧乳は黙っとけ!」

「植木ク~ン、歯を食いしばりなさぁ~い」

 バキッ!

 嫌な音がしたと思ったら、俺はいつの間にか、地面に這いつくばっていた。先程のとはまた違った、実に不快な痛みが肺の辺りを襲っている。

「大丈夫ですかセンパイ!?」

「俺はお前は絶対に許さない……っ!」

「私はお前を許さないぞ、植木」

「ナイチチは黙っとがはっ!」

「植木ク~ン、おやすみなさぁ~い」

 目覚めたとき、池栗の姿は無かった。代わりに、環奈に膝枕されていて、目前に迫る巨胸の迫力に吐きそうになった。

 なるほど。

 やはり、胸というものは、程々がいいらしい。

 ……こんな終わり方で、いいのだろうか?

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