第10話 これは、俺が自分に苦しめられるお話(4/5)

「そんじゃあ、お土産も買ったし、帰るか」

「えー! もっとセンパイと一緒にいたいですぅ」

「そんなこと言われても」

「あ、そうだ! 海見ましょうよ海!」

「海なんてどこにあるんだよ?」

「すぐそこにあるじゃないですか。この水族館、海の近くに建てられてるわけですし」

「取って付けたような設定だな」

「とにかく! 海、行きましょうよ!」

「勝手にしろ」

「やった!」

 というわけで、海にやってきた。まあさすがに、五月の凍える海に入るほど愚かではないので、近くのベンチに腰掛けて海を眺める。

 ああ、なんて美しいんだ。燦然と輝く太陽が海面に反射して、宝石の如く光る。これを美しいと言わずに何と言う。

「ねぇ、センパイ」

「海に見蕩れてて忙しい」

「わたしに見蕩れてほしいなぁ」

「その戯言を言わなくなったら考えてやる」

「一つ、聞いてもいいですか?」

「人に話を聞く前に、人の話を聞け」

「池栗先生とは、どういう関係なんですか?」

「だから人の話を――はあ?」

 突拍子もない質問に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

「どういう意味だ」

「いや、その……センパイと池栗先生って仲いいから、そのー……お付き合いしてるのかなって」

「はあ?」

 これまた突拍子もない発言に、これまた素っ頓狂な――否、怒気が籠った声を上げてしまう。

「お前、言っていい冗談と悪い冗談があることを知らないのか」

「じゃあ、付き合ってないんですか?」

「当たり前だろ。俺はそこまで趣味悪くない。第一、あんな胸えぐれてる奴――っ!」

「どうかしました?」

「いや、何か悪寒が……」

 悪寒というより、殺気を感じた気もするが。

「というかお前、知らないのか?」

「え、なにをですか?」

「あいつ、既婚者だぞ」

「……そうなんですか!?」

「ああ」

 だから、好み云々以前に、あいつと付き合う可能性は〇だ。

「やっぱり知らなかったのか」

「池栗先生、指輪、してましたっけ?」

「してないな。池栗曰く『仕事に私情は持ち込まない。だから愛の証である指輪は、家に置いておくんだよ』らしいぞ。あいつ、私情で俺のこと蹴りまくってるじゃあねぇか」

「なんでそんなこと知ってるんですか?」

「あいつに聞いた。というか、聞かされた」

「聞かされた?」

「あいつ、俺がそういう話が大っ嫌いだから、よく聞かせてくるんだよ」

 本当、人として終わってる。終わり過ぎる程に終わっている。

 改めて思うが、なぜあいつは、教師なのだろう。国語教師のくせに、適材適所という言葉を知らないのか? あいつにはもっといるべき場所があるだろうに。ウラの世界とか。

「仲、いいんですね」

「どこがだ」

「ちょっと妬いちゃうなぁ」

「なんでだ」

「でも、付き合ってないんですよね?」

「当たり前だ」

「なら、よかった」

「なにがだ」

 まったく、こいつの考えていることは未だに理解できない。実に不可解だ。

「すいません、色々聞いちゃって。お詫びに、センパイも聞きたいことがあったらなんでも聞いてください」

「ない。そもそもお前に興味がない」

「嘘だぁ。スリーサイズとかも教えますよ?」

「そんなもの聞く必要がない」

 なんせ知っているから。

「えー、ほんとになにもないんですか?」

「ない。皆無だ」

「頑張って探してくださいよぉ」

「お前はそれでいいのか」

 というか、待てよ。

 これは、環奈の不可解すぎる生態を暴くチャンスなのではないか。

 ならば、ここは最善の質問を選択しなくては。環奈の生態で、一番顕著なものは何だ? 環奈の生態で、一番謎に包まれているものは何だ?

「いや、やっぱり一つだけ聞いていいか」

「はい、なんでも聞いちゃってください」

「じゃあ、聞くけど……」

 そして、俺は。

 環奈に――問うた。

「何でお前は、俺のことが好きなんだ?」

「……え?」

「……は?」

 刹那の沈黙。

「……何を聞いてるんだ俺は!」

 何を血迷ったことを言っているんだ俺は! なにが「何でお前は、俺のことが好きなんだ?」だ! 調子に乗ってるんじゃねぇぞ! 気持ち悪いわ!

 あー、恥ずかしい! 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!

 ……死にたい。

「やっぱり今の無し! 忘れてくれ!」

 ああ、環奈の記憶を改ざんしたい。そういえば、確か直近五分の記憶を消すツボがあったな、首筋辺りに。致し方なしだ。もはやそこを全力で殴るしかない!

 だが。

「わたしは」

 その前に、環奈は。

 妙にはっきりとした声で。

 似つかわしくない真面目な顔で。

 一切の躊躇いもなく――言った。

「わたしはセンパイの、いつだって自分を貫く姿が、好きです」

「……っ!」

 思わず、言葉に詰まった。

 なぜだかはわからないが、肺の辺りが締め付けられるように痛んで、上手く言葉を発せない。

「ねぇ、センパイ」

 突如、環奈が身を寄せてくる。いつものようにすかさず離れようとしたが、何故だろうか、身体までもが締め付けられたように動かない。

「わたしは、いい子じゃありません」

 それなのに、心臓は今まで経験したことのないくらいの速さで動いている。苦しい。

「だから、急かしてもいいですか?」

 それに、視線だけでも逸らしたいのに、環奈から目が離せない。糸が引いているかの如く、環奈の瞳に吸い寄せられる。

「センパイ」

 そして最も不可思議なのは、それら全てが決して不快ではないということだ。本来ならば絶対に不快であるはずなのに、頭のどこかで、それは違うと抗議する俺がいる。

「センパイはわたしのこと……好き、ですか?」

「……俺は」

 なんなんだ。

 これは一体、なんなんだ。

 わからない。

 わからないのだけれど……何故だろうか。

 こいつなら。

 環奈なら。

 それを教えてくれる気がする。

 証拠はどこにもないけれど。自信さえもないけれど。それでも、なんとなく、そう思えるのだ。不思議と、そう思ってしまうのだ。

 だから、俺は――

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