第12話 これは、俺があいつに利用されるお話
リア充とは、蚊である。
それはなにも、リア充が蚊程度の存在であるということではなくて(だからそれは蚊に失礼だろ。いい加減学習しろ)、実に面倒臭い存在であるということだ。
現に、昨日水族館で借りたスマホをうっかり返しそびれたせいで、俺は朝から環奈のクラスまでそれを届けに行かなければならない羽目になっている。
ああ、面倒臭い。どうして俺がこんなことをしなければならないんだ。昨日だって、スマホから個人情報をサルベージするか否かで悩まされたし、挙句結局しなかったし。
こうなったら、リア充を潰してすっきりするか。うん、そうしよう。
リア充のデータを脳内で整理しながら、俺は一年三組のドアを開ける。くるりと見回して、いた。やはりあいつは目立つ。
目立つ、のだが。
その目立ち方は、予想外だった。
いや、よくよく考えれば当たり前のことか。
あいつの周りには、誰もいなかった。いるとするならば、遠くからあいつをながめ、失笑する雌たち。
なるほど。
いくら人間関係に疎い俺でも、流石にわかる。
あいつは、クラスで孤立しているのか。あの見てくれじゃあ、それも当然と言えば当然だろうが。
まあ、だからと言って、俺には関係ないが。他の誰かがどんな風にあいつを見ていようとも、俺には知ったことではない。俺は空気は読まない主義だ。なんせ空気は見えないからな。だから俺は、ずかずかと教室に踏み入って、堂々とあいつに話し掛ける。
「お前、いじめられてんだな」
「センパイ、デリカシーって言葉、知ってますか?」
環奈はこちらを向くと、にへらと笑った。
「おはようございます。センパイがわたしに会いに来るなんて、珍しいですね」
「止むを得ない事情があってな」
「プロポーズ?」
「朝だからって、寝ぼけてていいわけじゃあないんだぞ」
「本気なのになぁ。それで、事情ってなんですか?」
「これだよ」
俺はスマホを差し出す。
「忘れてんじゃねぇよ」
「あっ! センパイが持ってたんですね!」
環奈はスマホを受け取ると、にっこりと笑った。
「ありがとうございます」
「感謝してるなら、正当な見返りを要求する」
「わたしの身体?」
「汚物はいらん」
「じゃあ処女?」
「品格って言葉、知ってるか?」
「デリカシーって言葉を知らない人に言われたくありません」
「知らない訳じゃあない。気にしていないだけだ」
「じゃあ、わたしもそういうことです」
「品格は気にしろよ。いつか襲われるぞ」
「大丈夫ですよ、センパイにしかこんなこと言いませんから。あっ、もしかして、襲いたくなるんですか?」
「隕石が落下するくらいあり得ないな」
「なるほど、0じゃないってことですね」
「お前の知能は0だな」
「でも、だったら見返りってなにをすればいいんですか?」
「お前の苦痛に歪んだ顔が見たい」
「やっぱり襲いたいんじゃないですか!」
「お前は本当に人か? 発情している猿にしか見えないんだが」
「人ですよぉ。だから、センパイに犯されることもできます」
「犯してやろうか」
「いやん」
「殺人を」
「いやん……。うふふっ」
「何が可笑しい」
「いやぁ、センパイとお話しするのって、やっぱ楽し――」
「ちょっと清水!」
と。
突如、騒々しい声が鳴り響いた。見ると、一人の女子生徒――俺の経験からして、こいつは間違いなくビッチだ――が、こちらを睨みつけていた。一体何の用だ。
「あんたまた、男誑かしてるのね」
失敬な。俺はこんな奴に誑かされたりはしない。
「そんなにヤりたいんだ。ビッチ」
おいおい、自分のことを棚に上げるのは良くないぞ。
というか、誰なんだこいつは。さっきからずけずけと。デリカシーという言葉を知らないのか。
「おい、あいつ誰だ」
「なんか言いなさいよ、清水!」
「……ははっ、やだなぁ」
「は?」
思わず、そう漏らしていた。
それも致し方ないことなのだ。なんせ、全く意味がわからなかったのだから。
「清水!」
「あははっ。ごめん」
「…………」
やはり、わからない。
何故なのだろう。何故、そんな顔をしているのだろう。
何故そんな――貼り付けたような笑顔を、しているのだろう。
「おい、お前――」
「センパイ、わたし、喉乾いちゃいました」
「はあ?」
「ジュース、奢ってほしいなぁ」
「なんで俺がそんなこと――」
「奢ってほしいなぁ……」
「…………」
「ちょっと清水! こっち来なさい!」
「……見返りは要求するからな」
俺は空気は読まない主義だ。だから、この状況においてそぐわないことを――環奈を教室から連れ出すことを、選択した。
教室から出る際、下らない罵声が聞こえてきたが、それは聞こえていないフリをした。
その後、消え入りそうなほど小さく「ありがとうございます」という声も聞こえてきたが、それも聞こえていないフリをした。
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