第22話 これは、彼女が現実に抗うお話
「今の大丈夫は、ほんとに大丈夫の大丈夫ですから」
「……そうか」
「もしかしてセンパイ、泣いてます?」
「泣いてない」
「そんなにわたしのこと心配してくれてたんだぁ。うれしいなぁ」
「お前はいい加減人の話を――」
「いい加減にしなさいよ!」
と。
「さっきからなんなの? こんな好き勝手やって、タダで済むと思ってんの!?」
もかはこの教室内で唯一、鬼の形相を浮かべている。
「おい清水!」
「うるさいブス!」
「……ん?」
気のせい、だろうか。
今、環奈の口からとても下品な言葉が聞こえた気が……。
「あの、環奈さん? 今何か下品な言葉を――」
「センパイ、ちょっと黙っててください」
「すいません」
思わず謝ってしまった。
というか……今の環奈さん、すげぇ怖かったんですけど!?
何だあの蛙を睨む蛇のような眼は!? 食われるかと思ったわ!
なんというか、その、今の環奈さんは圧がすごい。思わず頭が下がってしまう。
俺の中の環奈に対するイメージが音を立てて崩れていく。まさか、環奈にこんな一面があっただなんて……。
そう思っているのは俺だけではないようで、
「……ぶ、ブス?」
もかもまた、驚きのあまり先程までの威勢を失っていた。
「それでブス、何の用ですか?」
「ぶ、ブスってなによ!?」
「ブスはブスですよ。どう見たって、わたしよりブスでしょ?」
「いやいや、お前と比べたらかわいそう――」
「センパイ、黙って?」
「ごめんなさいすいませんもうしません」
「べ、別にブスじゃないわよ!」
「ああ、それもそうですね」
「なら撤回――」
「せいぜい、中の下、ってところですね」
「…………」
怖い! 怖過ぎる!
中の下って、判定がガチすぎじゃあありませんか環奈さん!?
「だから、あなたじゃなくてわたしが告白されるんですよ」
「…………」
挙句地雷まで踏んでるし。女子って恐ろしい……。
そしてそこで、不気味な沈黙がしばし訪れて。
「……いい加減にしなさいよ」
「はい?」
「いい加減にしなさいって言ってるのよ!」
「きゃっ!」
瞬間、もかは環奈に掴みかかった。もかの力を受け止めきれず、環奈は床に押し倒された。
「あんたさえいなければ! あんたさえいなければ!」
「なんでわたしはいちゃいけないの!?」
だがすかさず、環奈も応戦する。もかの身体を、狙いもなしに殴り蹴る。
「わたしは悪いことしたの!?」
「彼を誑かしておいて、よくそんなことが言えるわね!」
「たぶらかしてなんかない!」
「誑かしたじゃない! いっつもかわい子ぶって! ムカつくのよ!」
「かわい子ぶってなんかないもん!」
「あんたのそういうとこほんとムカつく!」
「ムカつくはこっちのセリフだよ! なんでわたしをいじめたの!? なんでわたしが苦しまなきゃいけなかったの!?」
「あんたが悪いんじゃない!」
「わたしは悪くない!」
「ちょっとはあたしの気持ちも考えなさいよ!」
「わたしの気持ちも考えたことないくせに、そんなこと言わないでよ!」
「あんたの気持ちなんて知らないわよ!」
「わたしだってあなたの気持ちは知らないよ!」
「あんたのせいであたしがどれだけ傷ついたと思ってるの!?」
「そんなの知らない!」
「知らないじゃないわよ!」
「知らない知らない知らない! それにわたしだってあなたのせいでいっぱい傷ついたよ!」
「知らないわよそんなこと!」
「あなたは自分勝手すぎるよ!」
「それはあんたでしょ!」
「そんなことないもん!」
「死ね!」
「あなたが死んでよ!」
互いが互いを罵り、罵られ、殴り、殴られ、蹴り、蹴られ、顔を苦痛に歪めながら暴れる様は、実に醜い。
だが、なるほど。
これが、理想を追い求めるということなのか。
今、手足をバタつかせもがいている彼女たちは、どこにあるかもわからない、あるかどうかさえわからない理想を、必死に追い続けているのだろう。
そうか、だから――。
「がんばれ、環奈!」
こんなにも、応援したくなるのか。
と、そのとき。
「清水さん、がんばれ!」
どこからともなく、そんな声が上がり、
「もか、頑張って!」
「清水、負けんなよ!」
それまで静観していたクラスの奴らが次々と声を上げ、
「おい栖須、もっと頑張れよ!」
「もか、負けたら承知しないわよ!」
「清水さん、負けないで!」
「清水好きだ! 付き合ってくれ!」
「おい誰だ! 今どさくさに紛れて環奈に告白した奴は!」
「もか、ファイト!」
「環奈ちゃん、頑張って!」
気付けば、クラス全員が声を張り上げていた。そこに、傍観者は誰一人としていない。
そして、俺は気付く。
この教室の空気が変わったことに――否、壊れたことに――否、壊したことに、だな。
環奈を排除しようとする空気は、他でもない環奈自身が跡形もなく壊した。これで、もう、二度といじめが起きることはないだろう。
なるほど、確かに。
お前はもう、大丈夫みたいだな。
「おい環奈! 負けんじゃねぇぞ!」
「わかってますよセンパイ! 今、謝らせますから!」
「あたしは絶対謝らないわよ!」
「謝ってよ!」
「いやっ!」
瞬間、環奈のラリアットがもかにヒットし、もかは床に叩き付けられた。その隙をついて、環奈がマウントポジションを取る。疲弊し切っているもかは、環奈を退けることができない。
これは、勝負あったか――。
キーンコーンカーンコーン。
「授業を始め……って何をしているんだね君たちは!」
勝負は、始業の鐘と同時に初老の男性教師が教室に入ってきたため、ドローとなった。
「朝から騒がしいと思ったらまさか喧嘩をしていたとは……。ほら、とりあえず離れなさい!」
男性教師は、もかから環奈を引き剥がす。
引き剥がされた環奈は、どうやら立つ気力さえ残っていないらしく、すぐに男性教師の手を振りほどいて大の字で床に寝そべった。
またもかも、起き上がる気力さえないらしく、大の字で寝そべっている。
そんな二人を、男性教師は咎めるような目で見降ろしながら、
「二人とも、まずは身体を起こしなさい」
と言ったが、二人は肩で息をしながら、
「むりです」
「ムリ」
と答えた。
その返事に男性教師は顔を顰めたが、すぐにそれを仕舞ってあくまで冷静に問う。
「それなら、この喧嘩はどちらが悪いんだね?」
その問いに、二人は仲良く同じ方向を指さした。
その先にいたのは――。
「ですよねー」
やはり、俺だった。
まあ十中八九俺のせいなのだがら、致し方ないか。
「まさか、君が彼女たちに喧嘩をするようけしかけたのかね?」
「そうっすよ。全部俺が悪いんです」
「そうか。なら、君は今すぐ職員室に来なさい」
「はい。わかりました」
無駄な抵抗はせず、俺は男性教師に連れられるがまま、教室を後にした。
その際、一度だけ振り返ってみると、二人はとても清々しい笑顔で笑っていた。
俺も、笑ってしまった。
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