第23話 これは、俺が教師に再び疑問を抱くお話

 職員室に入るとすぐ、奴が現れた。

「植木、こんなところで何をしているのだ」

 湯気の立つマグカップを持った池栗は、訝しげに眉を顰める。

「やらかしたんだよ。だから説教」

「そうか。ならば私が説教してやる」

「はあ?」

「いいですよね、鶴吾先生」

「ああ、もちろん。池栗先生がやってくれると助かるよ」

「ありがとうございます」

「いやいや、こちらこそ」

 男性教師はそう言うと、さっさと職員室を後にしてしまった。

「それでは植木」

「いやいや、待て」

「なんだ」

「どうしてお前が説教するんだ。お前、関係ないだろ」

「関係はある。私はお前の担任だ」

「……それは、そうか」

 納得出来ない理由ではない。

「それに、私は生徒からだけではなくて教師からも厚い信頼を得ているからな。こういった叱る役目というものを、よく押し付けられるのだよ」

「それはない」

 先の件で多少見直したとは言えど、やはりこいつが善人であると認めたくはない。というか、生徒を蹴飛ばし弄ぶ教師を善人と呼んだら人として終わりだ。

 まあ、誰に説教されたところでどうせ聞き流すだけなのだから、別に構わないのだが。

「植木、殺されたいなら早くそう言えばいいだろう」

「了承を得たところで、人を殺せば罪に問われるからな」

「そうなのか」

「当たり前だろ。日本の法律舐めるな」

「そうか。なら説教を始めるとしよう」

「国語教師のくせに接続詞の使い方を知らないのか」

「私はお前に問おう」

「話の聞き方も知らないのか」

 その言葉もやはり無視して、池栗は俺の目を真っ直ぐ見据えて問う。

「お前は後悔しているか?」

「していない」

 俺は、間髪入れずにそう答えた。

「そうか。なら、説教は終わりだ」

「早いな」

「いくら説教をしたところで、お前は聞き流すだけだろう」

「よくわかってるじゃあねぇか」

「それに、人間は悪行をしたら後悔するものだ。ならば後悔していないのならその行動は正しかったのだから、説教をする必要はないのだよ」

「そんなもんかね」

「そんなものだよ」

 池栗はマグカップを傾ける。

「では次は……」

「まだ何かあるのかよ?」

「当たり前だ。行動の善し悪しはともかく、お前は問題行動を起こしたのだ。ならば、それなりの罰を受けなければならない」

「罰?」

「ああ」

「……っ!」

 瞬間、池栗の目に妖しげな光が灯る。これは、嫌な予感がする。

「お前には、反省文の提出を命じる」

「そんなことかよ」

 池栗のことだから、一週間池栗の奴隷として使われるくらいは覚悟していたのだが、これでは拍子抜けだな。

「それと、長さも指定する」

「どれくらいだ?」

「一〇〇万文字だ」

「……はあ?」

 一〇〇万文字。

 四〇〇字詰め原稿用紙に換算すると、二五〇〇枚。

 ……こいつは頭がおかしいのか? おかしいな。

「長すぎるだろ」

「ちなみに、期日は明日だ」

「お前は馬鹿か!?」

「大丈夫だ。寝なければなんとかなる」

「ならねぇよ! 二十四時間労働でもその量は無理だよ!」

「安心しろ」

「なんだよ、冗談かよ……」

「原稿用紙ならいくらでもある」

「そういうことじゃあねぇんだよ!」

 そんな嬉々として引き出しに入った大量の原稿用紙を見せられても困るんだが。

「いい加減にしろ!」

「いい加減にするのはお前の方だ」

「はあ?」

「そもそもお前は、文句を言える立場ではないのだぞ」

「どういう意味だよ」

「お前の『慈善活動』とかいう他生徒への嫌がらせ行為を揉み消してやっているのは、誰だと思っているのだ」

「揉み消す? なんでそんなことしてるんだよ」

 別にそんな必要はないだろうに。何もしなくても、皆俺と関わりたくないのだから――自分で言っていて悲しくなどなっていない――誰も咎めはしない。

「お前は担任の優しさを理解できないのか」

「出来ない」

 というか、お前に優しさがあるとは思えない。

「はあ……。あのなあ、私が揉み消していなければ、お前は今頃退学だぞ?」

「なんでだよ」

「いくらお前と関わりたくないとしても、生徒の間違いを叱るのが教師だ。特にお前の問題行動は目に余る。それを良くないと思う教師がいて、退学も辞さないと思う教師さえいるのは当然だろう」

「まあ、確かに」

 言われてみれば、確かに納得である。

 でも、ということは、俺は知らぬ間に池栗に助けられていたということか。ならば癪だが、少しだけ感謝しておいてやるか。まあ、そんな態度は微塵も出さないけれど。弱みを見せたら、即付け込まれるからな。

「でも、どうやって揉み消したんだ?」

「植木、知っているか?」

「何をだよ」

「直近五分の記憶が消えるというツボを」

「もういい」

 生命の危険を感じた。これ以上の詮索は俺の死を意味する。

 ここは、さっさと原稿用紙を受け取って退散するとしよう。

「原稿用紙をくれ」

「仕方ないな」

 いやいや、何で仕方ないんだよ。おびただしい数の原稿用紙が必要になったのはお前のせいだろ。

「ほら」

「どうも……って重っ!」

原稿用紙も二五〇〇枚となると、米俵を持っている感覚になるのか。というか、何故この重さのものを池栗は軽々と俺に渡せたんだ。

 まあ兎にも角にも、これでもう職員室に用はない。さっさと退散――。

「では、ラーメンでも食べに行くか」

「はあ?」

 いきなりこいつは何を言っているのだ。

「頭大丈夫か?」

「自分のことを棚に上げるのはよくないぞ」

「その言葉、そっくりそのまま返すよ。じゃなくて、何でラーメン食いに行くんだよ?」

「植木、まさか私にラーメンを奢る約束を忘れてはいまいな」

「ああ、そんな伏線もあったな」

「わかったなら早く準備をしろ」

「いやいや、これから授業だろ」

「そんなものはサボればいいだろう」

 その発言に職員室にいた他の教師たちは目を剥いているが、池栗はどこ吹く風。車のキーを指で回しながら「車を出してくるから、お前は校門で待っていろ」と言い残し、職員室を後にした。

 やはり俺は、こう思わざるを得ない。

「何であいつ、教師なんだよ」

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