第19話 ルフィアの想いと襲撃

「一生でもいい。僕も手伝うよ」

 ルフィアにそう言って、ルメルは白銀の髪を撫でた。

 長い髪が顔に触れる。

「……ありがとう。ルメル。そ……そう言って貰えて嬉しい。つまり、だ。私はお前が大好きだ。要するに大好きだ。日頃言えなくて……」

 見つめ合っている姿に照れたように、ルフィアは切ない顔をするとルメルの横に寝た。

「居なくなってしまうと言ったのは間違いだった。どうか、覚えていて欲しい」


 いつの間にかルフィアは指導者的立場になってしまっていたが、思い起こせば「あのルフィア」だと思い付くまでは――玄関でパンツを見てからお茶を飲むまでの間だ――畏れ多い、途方もない、あのルフィアではなく、エルフの美少女然としていたのだ。


 今もそれは変わらない。

 前提を取り去って考えてみるのはやや無理があるが、「あのルフィア」だとしても可愛いというか女の子らしいところが有ったのだ。

 およそ最大強度の結界の中でだからこそ言える言葉なのかも知れない。


 赤く、青く、白く、妖精境の花が輝く。水面から三色の光を揺らめかせる。

 赤は魔物の魔晶の色であり魔の象徴である。

 青は人の魔晶の色であり人の象徴である。

 白は人の魔力の色でありルフィアの力そのものの象徴でもあり、またあらゆる魔法使いの内なる力の象徴である。

 と、ルフィアは語った。同時にそれは白銀――ルフィアの髪の色であり、白銀の塔の色でもある――をも意味する。


 薄暗がりで溢れるばかりの――溢れていたのだが――魔力に喜悦するかのように輝く花は夢の中を思わせた。

 それからの結界内での一週間は決して退屈なものではなく、幻想のような日々であったという。

 妖精境にしかない花々には音を奏でるものもあり、ルフィアが幾らでも召喚するものの中には竪琴もあった。

 聞いた事はないが懐かしい調べ。

 ルフィアの細い指が弦を弾く。

 その音が花から花へと反響し、また光の強さとして部屋を明るく、また暗く変えていく。

 清浄な水の音が聞こえるように思えた。

 足元を埋め尽くしているのは生暖かいままのハイポーションだったが。


 誰のハイポーションであるかにより効能は異なる。

 基本は同じであるが――さらに加えられる高揚感や陶酔感が違う。

 ハイポーションを売るのが生業の業者の中にはサキュバスの類を使って強引に魔法使いを高みに上り詰めさせるものもいるが、ベッドの周りに海のように広がった液体にはそんな無理をして作った気配もなく、妖しい酩酊感の中に高貴な香りさえ漂っていた。

 売れば数倍は高い値段となるだろう。

 ルフィアの名を伏せたとしてもだ。


 仮に表沙汰にすれば幾らで売れるのかは分からない。

 セフィが咄嗟にルメルの右腕に塗ったハイポーションは見事に手を再生したが、常に冒険に携帯するのはルフィアのハイポーションである。

 常に夜の内に、いつの間にか用意されているのである。


 音楽が光と共に部屋を彩る。

 光と影が音と一致する。

 ――そして、濃密な魔力の中で披露される舞いがあった。

 ハイポーションとして全てを瓶に仕舞うまでに、すっかりルメルは長い夢を見ていたように感じた。

 ルフィアのハイポーションには香りだけで人を酩酊させ、高揚させ、昂らせる作用までがあった。全体を幻覚として感じてもおかしくはない。

 幻覚剤として使用することも可能なほどなのだから。


 翌朝、なんとセフィが起きていた。

「まだ旅が終わったわけじゃないけど、太陽が出ている間は……何とか……」

 夜は旅を続けるという。

 目を開けているのも必死という表情だった。


「あまり精神世界と行き来するものじゃないのよ? セフィ」

 ルフィアも窘めるようだった。

「でも……たった一人でいるよりはずっといい」

「しょうがないわね。ハイポーションに、覚醒成分を強く、『変性』をかけておくわ」

 幸い、ハイポーションならば売るほどに溜まっている。風呂に全部入れても三回分はある。

 朝食の席で白く輝く液体を飲み干したセフィは、普通よりは眠そうだが動ける状態にはなっていた。


「何か、不穏な感じがするの」

 セフィの家が代々引き継いでいる魔法の中には予言――未来を見通すものもあった。

 他には類を見ない魔法である。

「近く、森で何かが起きる。二つの勢力が中心になる、と思うけど」

 ルフィアもまた半ば時空を超越している存在である。

 セフィに言われてみれば遥かに戦いを用意する気配があった。

「ごく限定的だけど、有るわね」


 黒雲が急に広がるように、何かが森に浸透しつつある。

 レベル3から上はそれほど数がいるわけではない。ルメルとしてはやっとたどり着いたレベル3である。このレベルから、ハイレベル、高レベルと呼ばれる。

 何しろ引き返しの岩の手前までであれば、夜を森の中で過ごしても瘴気による変化を受けることもなく、「ゾンビ」になることもないのだ。

 父が死んだのもこのレベルになってからである。

 徒に森で過ごすのは辞めようと自戒しつつも、これまで程には夜が恐ろしいものではないように感じていた。


 無論、外を出歩けば即死する。あくまで避難の施設で過ごせるというだけである。

 その為の休憩所があるのも、引き返しの岩の所までである。

 その先、レベル4以上推奨の地には神も恐れて入ろうとはしない。

 ルメルにはセフィとルフィアの言う「不穏な気配」は感じ取れない。

 が、少なくともセフィに対しては守る立場だった。

 セフィは起きてはいるがまだ酩酊状態、陶酔状態が続いてはいる。


 雨の気配こそなかったが、森の中で遠雷が聞こえた。あまり吉兆ではない。

 ルフィアはこれ以上レベル上げを急ぐ様子はなく、軽く――少し前までのルメルであればこんなことは思わないだろうが――オークを狩ってから、妙な動きがないことを確認してオーガを倒して回った。

 エンチャント付きで互角である。

 魔法さえ使われなければ地上滑空と背中からの刺突でほぼ仕留められる。

 囲まれる前に『神速』で戻る。

 攻め込むのは普通に、逃げるのに神速を使う、という練習を繰り返していた。

 普通の状態とはいえ捕まれば魔装の障壁を壊してくるのがオーガだ。

 囲まれるままにしておけばやがて致命の爪が、牙が食い込む。


 昼食に豆と干し肉のスープを食べている時だった。

 自警団という雰囲気でギルドの一団が通り抜けていく。「銀の鎖」の団だ。無闇に冒険者を勧誘することもなく、当然、冒険者から金を奪うようなこともしない。

 比較的高位のものの集まりだった。森では好意的に受け入れられることが多い。

「この辺りで殺しがあったようなんでね」

 と挨拶代わりにだろうか、物騒なことを言って通り過ぎていく。

 彼らの警戒の様子から、さすがにルメルにも何かが起ころうとしているという予感が伝わって来ていた。

 ギルド間の衝突であればよくあることだ。

 だが、数人に聞いた限りでは、まだ「銀の鎖」にも誰が何をしたのかの全容は把握できていないようだった。


 いいことばかりではないが、かなりの勢力を誇る「銀の鎖」が本格的に動き出せば殺人鬼の一人や二人はすぐに洗い出され、捕まるか――殺される。

 警備の役目を進んで負うといのは――それほど間違いではない。

 それが完全な警戒態勢も露わに森を捜索しているのだ。

 何もないと考えるほうが無理だ。

「冒険どころじゃない。どうせだから、セフィもゆっくり「旅」をしたらどうかな」

「うん……」

 納得がいったようには見えないが、ただならぬ空気だけはセフィの言い出したことでもある。近く何かが起きる。そう言ったのはセフィだ。


 この後発生した出来事については、「銀の鎖」が森に張り巡らせた情報網からの記録の断片とルメル、その他関係者の証言を繋ぎ合わせたものとなる。

 まだ全てが明らかになっているわけではない。


 ルメルにとっては、事件は次のように起きた。

 不意にルフィアが倒れ、近くで恐らくファイアボールと思われる大爆発が起きた後、地割れにルメル、セフィ、ルフィアが呑み込まれた。

 定かではない記憶からの再現である。

 ともあれ――これまでにルフィアが遭遇したこともないことが起きたのである。

 魔装の防御能力は正常に動作していたものと思われるが、落下まで防ぐものではない。


 幸いに――というべきか、地面に走った巨大な亀裂は地下の大洞穴に繋がっていた。

 一連のダメージから気絶していたルメルは、地下水の流れる音で目覚めた。

 既に亀裂は塞がっている。周囲は闇だった。

「灯り」で周囲を照らした。

 ルメルは驚嘆し暫く言葉を失っていた。


 この大洞穴自体が何かの――誰かの――所有物だ。そうとしか思えない。

 鎖で吊るされた裸体が幾つも壁に並んでいた。

 死んではいないのだろうが「事実上殺す」手段は幾らでもある。

 比較的狭くなっている箇所であり、通路のような場所であった。

 足元には水が流れている。鍾乳石が不規則な凹凸を作り、何かの体内であるかのように思わせる。

 誰かの手が入っている場所である以上、大声は出せない。

 ルメルはセフィの、ルフィアの『気配』を探り始めた。同時に落ちたのだ。最大範囲を探し尽くせば――嫌な予感はあったが――どこかにいるはずだ。

 誰かの気配を探り当てる。ごく弱い。気絶している可能性もある。

 ルメルは静かに、自分の気配は殺して歩き始めた。


 基礎魔法に、まず絶対に使う事はない『死骸化』というものがある。禁呪である。

 死ねば基本的には人は青い魔晶を残し灰になる。

 これを防ぎ二度と『蘇生』の機会さえ与えなくしてしまうために、禁呪となっているが、かつては土葬の習慣があった場所では使われていたという。

 綺麗に死体が残るわけではない。

 魔物でない野生動物と同じように腐敗し、やがて白骨化する。

 その白骨が転がっている。ルメルは人の白骨など見たこともない。腐りかけた死体もあった。


 ――地上では。一連の爆音に気付いた「銀の鎖」幹部がルフィア一行の居た場所に引き返していた。閉じ切っていない地面の亀裂から、周囲の爆発と炎上の様子から何が起きたかは推測できた。

 速やかに地精を駆使して地下へトンネルが掘られる。

 ルメルという冒険者が死ぬのも出来れば避けたいことではあるが、暁の都市そのものとも言えるルフィアの死亡など有ってはならない。


 混乱などでは済まない。

 ルフィアが抑え込んではいるが順位第二位、第三位が動き始めれば内戦の可能性さえあった。

「銀の鎖」総員がルフィアの探索に向かっていた。もはや森の警備どころではない。

 地精の開けた縦穴には縄梯子がかけられ、ランプを腕に下げた団員が一人、また一人と降りて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る