第17話 セフィとの狩りⅢ
巨躯の首に白く、冷気が巻き付く。さらには全身に向けて蛇のようにその範囲を広げていく。フロスト・バインドだ。
巨躯は術者――ルメル――に向けて走り出そうとし、既に紫色に変色している脚が思うようには動かないことに気付く。
まだ動く片足にルメルが滑空するように地面を滑り腱と骨を割断する。
転がったルメルは巨躯の腕の届く範囲にはいない。
「セフィこそ無理をするな。その間合いだと爪が届く」
空中で囮となって火球をばら撒いているセフィは首肯すると、僅かに地面からの距離を離す。
わたしは――支援する。怪我を負うわけにはいかない。
冷気はそれほど悪くはない。使える。何より速度が落ちる。
ルメルは距離を読むと一気に踏み込み、紫に変色した足を真横に切断する。
どう、と重い音がルメルの背後で響く。巨躯が倒れたのだ。
倒れてしまえば速度は問題ではない。
精々膝で這うだけだ。
腕が変色するのを待って――余裕のある戦いだった――オーガの背に駆け上がり、一気に心臓を貫く。
これが、水精の力。
剣士としては使いやすい。『怒涛』や『天変地異』といった範囲魔法も存在するが、セフィが相手を引き付けてくれている間は一体ごとに倒す。
「すごいっ」
セフィの声援に笑顔を向ける余裕があった。
セフィはほんの少ししか巨躯と間は開けていない。油断すれば足を爪で持って行かれる。
でも。私が囮に成っていなければルメル君に向かう。
ひゅん、と爪がセフィを狙う。膝を曲げて躱した。
スカートに僅かに切れ目が入った。
またルメルが一体をフロスト・バインドで誘い出す。もう四大を使いこなし始めている。
セフィは初めて二人で戦っている。今までは『治療』役としてそれこそ縛られ樹に括りつけられ手を釘で止められ、ただ利用されるだけだった。
ルメルには注意されたけど、多少の怪我くらいならば構わない。
私は囮なのだ。恐怖と痛み、何よりオーガは人の血肉そのものを欲しがる。
エゼカ家で学んだことは――魔法のための魔法のようなものだ。
人の系統樹を読む。利用可能に――あるいは利用不能にする。
誰かと一緒に戦うためには何の役にも立たない。全くということはないけれど――確かにルメルの隠された魔法系統樹、妖精系を使えるようにはしたけれど、それだけだ。
ルメルにはもう一つ、私にもよく見えない魔法系統樹がある。本当に使えるようにしてしまっていいのか、わからない。それに、今はそれどころではない。
まともに下を見れば飢えた手が振り回されているばかりで、気持ち悪くかつ恐ろしい。
膝をかすめた。肉が削れる。滴る血に魔物が活気づく。
「『治療』」
かすり傷ごときで。足ごと持って行かれなければ気絶はしない。
まるで二十本ほどの手を持った一つの魔物のようだ。
戦いながらルメルがしきりに気にしているのが分る。それほどぎりぎりにいる。
「大丈夫。……治療もあるから」
「そこまでしなくていい。もう少し上に。危険だ」
そう言っているルメルも限界の戦いをしている。
『貫通』同士がぶつかりあう異様な音。
「死にたいのか?」
「ううん……今は一緒にいられて嬉しいよ」
少し前なら答は違ったかもしれない。――いや。どうだろう。
暗い地下室。治療も覚えていないセフィは磔にもされた。
まだ暗い欲望はある。
魔法学校を出たての誰かであれば、真下の血に飢えた魔物を見れば正気ではいられないだろう。
私は、どこかで血肉に狂った魔物を歓迎していた。
もっと、欲しがりなさい。
私を引き裂こうとしなさい。
セフィは小さなナイフで腕を切って見せる。
滴る血に狂った歓声が上がる。
もっと夢中になって。ここから離れてはならない。
さあ、火の玉を喰らえ。饗宴は続けてあげるから。
かつては血の流れない日なんてなかったのだ。啜られ、舐め尽くされ、また傷を増やして同じ事が繰り返された。
まだ治療はしない。滴りに狂喜するがいい。
「エゼカの純血種は痛みには強いのか。餌に自分の肉くらいは撒きそうだな」
「自傷。痛みへの嗜好。死への欲望。それが強いかと」
【透明な影】と【混乱】は森の奥からセフィの様子を見ていた。
素材は恐らく革であるらしいほぼ透明な魔装を着た――色のない少女。
目の赤は散りばめられた魔晶と合一している。透き通る髪。
表情らしいものはない。
「大したことにはならなかったな」
そう呟く男は黒づくめの軽装鎧に黒のマスクをしている。
「エンチャント程度では」
「逃げて帰るかと思ったがルフィアも試しているのか。限界まで」
「格上の頭は読まないようにしています。――申し訳ありません。覗き返されます」
単にレベル上げに適していると思っている。
自分の弟子の力を試している。
あるいは――既に察知した上で我らの動きを読んでいる。
仮説は幾ら浮かんでも意味はない。
――ルフィアからすれば既にこの二人、デディアとクレイアムは捉えたも同然だったが。
次に何かをすれば殺す。
そう決めていた。
錬金の粋でも尽くしたのか『気配』には反応しない。
理想的な暗殺者だったが会話は聞こえていた。
ルフィアがエルフだという基本を忘れているのだろうか。
デディア・イルア・メイ・フェーグ。旧家の一つ。先祖は【深き森】から来たとも聞く。
クレイアム・エト・ザイ・ルベイム。同じく旧家の一つ。同様に【深き森】と通じる。
フェーグ家では徹底した従属を強いられる。恐らく自由意志は殆ど残っていない。妖精、ホムンクルスを血に混ぜる。
ルベイム家は魔族との混交の為に専用の――恐らくは性器を付けた魔物を飼っている。
野心の強いルベイム家がフェーグ家を利用しているのだろう。
順位は第三のフェーグ家が上だ。
ルベイム家は十位以内にも入らない。
戦闘力はまた別だ。
エンチャントの主が二人――恐らくはデディアだとして、狙いは何か。
ただの嫌がらせ?
弟子をあからさまに殺したのでは私が本格的に動く、とでも考えたか。
このルフィアが見届けていなければただの事故だと見做されもしよう。
次に動けば殺す。
見張り続けるうちに、二人は帰って行った。
陽に陰に何かを仕掛けてくる可能性は残るが、それだけで潰すわけにはいかない。
お陰で――というのもおかしいが――ルメルとセフィの魔液は濃く染まった。
後は仕上げをするだけだ。
時間はかかったが、どうにかオーガの群れは片付けた。
ルメル、セフィ、二人での勝利と言える。
悪意らしいものの存在には二人とも気付いてはいたが、それでも倒した結果に満足していた。
「わたしは囮をしていただけだけどね」
「一度に全部は無理だった。セフィが引き付けてくれたおかげだよ」
人に向けて直接魔法攻撃を行えば、森の掟に反する。
魔物をエンチャントしただけであれば――追及はされない。繰り返せば森からは追放されるだろうが。
ルメルが片手を失いかけ、セフィも自己犠牲を強いられたのだ。
上首尾な狩りだとは言えないとルフィアは思っていたが――難敵を倒した事には変わりはない。
ルメルとセフィ、二人の手元に封筒が落ちてきたのはその時だった。
「こんなに早く?」
ルメルが目を剥く。
「まあ……黒には近かったけど」
セフィも驚きを隠せない。
「変な……ごめんなさい。そういう日もあるのね。上がる時は一気に上がるものよ。ルメル、セフィ」
言い換えれば、これだけやったんだから上がるだろうという見込みなど立たない。
得体の知れない――意味の良く分からない悪意に勝ったのが効いたのか。
「お祝いの準備をしないと。あまり続くと有難みがないわね。特別な……いきなりは考え付かないわ」
決してルメルにとってもセフィにとっても簡単ではなかったが、特にルメルには愕然とした思いが強かった。
ついに父と同じレベルにまで到達してしまった。
しかも、あっという間だ。
ふと、ルメルに不安がよぎる。
「一人前になるまで、一緒にいるって言ったよね。ルフィア」
「そうよ」
あとたった2つ。そう思う日が来るとは思わなかったが――あくまでこの勢いが続いたとして、ほんの僅かではないかと思えたのだ。
「レベル5……までだよね」
「さあ。一応そう言ったわね」
「なに? どうしたのルメル君」
「ルフィアが僕の冒険を手伝ってくれるのはレベル5までなんだよ」
「……それは、寂しいけど、そうしたら後は二人で続けましょ? ね」
「レベル4に成りたくないとは言わせませんからね。ルメル。手を抜くのも禁止」
下り坂を降りて、ルフィアは速足で麓へと向かって行ってしまう。
「いや……そうだけど」
「……この辺り、本当なんですよね?」
「前に言った通りだ。自分でも信じられない」
エリジアはそれでも納得が行かないようだった。
「私も教えて貰ったら一気に上がるとか」
「相手にもよるからね」
夕飯の席。再び豪華な食事が並んだ。
セフィとしては誰かと勝ち取ったようなレベルというものが初めてだった。
自分で選んでいたのだから責めるべきは自分だが、ただの『治療』の機械として使われていたようなものだった。
まだ「協力」とは言えない気はするけれども、共に戦ったことは事実だ。
妖精酒を混ぜた妖精茶の酔いもあり、ルメルに密着するように座っていた。
新しく加わった誰かと仲がいいのは悪くはない。
と、笑顔で見守っていたルフィアだったが、なんとなく――寂しかった。
横取りされたとは言わない。
とはいえ、だ。
あれだけ頼っていたルメルが――料理の礼こそ言いはしたものの、さっきから話しかけてこない。
どうしたものだろう。こんな感じは何年ぶりだろうか。
一人前になってしまったらどうしよう。
一生を見る積りではあったのだ。
懊悩は深かった。
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