第13話 ルフィアとの対決
部屋は鋼板で囲まれている。
何をする積りなのかは鋼板の『強化』に込めた魔力で知れる。
ルフィアがほんの僅か、本気を出しても部屋が吹き飛ばないように、だ。
『構えて』
厳しい声――思念がルメルの脳に飛ぶ。
ルフィアとの対戦はもう始まっている。誰もがそんなことは不可能だと言うだろうが、今は魔装を脱ぎ、拘束衣に着替えているのだ。
見做しの剣姫としてのレベルは2。ルメルと同じだ。
ぎちっ、ぎちっ、と拘束を軋ませて、ルフィアが剣を僅かに動かす。
拘束衣の異音ばかりが部屋に響いていた。
かつん、と鋼板に響く足音は小さい。
ギシギシギリギリという拘束衣の関節拘束器の音が、戦いの異常さを示していた。
絶え間なく身体を締め付け、丸めてしまおうとする関節拘束器の動きに逆らい続けなければ立っている事も不可能だ。
合一している二人、ルフィアとルメルは互いに攻撃魔法の使用が無意味。
剣術だけの戦いである。
ルメルは既に『神速』を詠唱していた。
抜剣すると、自分に向けられた白銀の剣に、黒い剣で打ち合える間合いを置く。
殺気は部屋に満ちていた。ルフィアからも一切手を抜く気配はない。
だが、何の防御もないルフィアを貫けば血が迸るだろう。
有利なのはルメルだと思えた。2レベルを超えて動きを抑えているようにしか見えない。
咄嗟に『治療』したとしても――その先は考えたくなかった。
ルメルは致命の一撃だけは避けようとしていた。
『神速は、最初は制御出来ないから、目標を見るだけ』
ルメルは頷く。
意識した瞬間にその場所に居た。
速過ぎて移動している間の感覚がない。目の前にルフィアが居た。
遅れて痛みが腹部に走る。
激痛の原因は、ルフィアが瞬時に動かした剣に有った。
剣は正確にルメルの到着地点を読んでいた。
暗いゴーグル越しでも――エルフの目でも見えない程にはしたのだが――聴覚が補っていた。
高速で移動した結果、ルメルは自ら剣に刺さりに行ったのだ。
「ぐっ。げふっ。……う……あっ」
身体を貫いた剣をルフィアがぎしぎしと音を立てて引く。
『『治療』。神速だと自分から刺さりに行っても防御が効かないの。気を付けて』
ルフィアとしてはそう教えたかっただけなのだが、必要以上の深手を負わせてしまっていた。
真新しい鋼鉄の床に血が滴っていた。
間合いを開けようと下がる前に、剣を弾くようにルフィアの剣が閃いた。
受け切ってはいるが、手が痺れる。
どうにか間合いを開ける。7歩。
まだ『神速』に身体が慣れていない。
決闘としては負けだ。先に血を流したのはルメルだ。
痛みは消えていた。自殺に近い攻撃への後悔も消した。
ルメルは次の一手に悩んでいた。
――心臓は、狙える。
そう思うだけで剣に込めた気迫が鈍る。
ルフィアの心臓など狙いたくはない。
余計な剣技は要らない距離だった。
手元を狂わせるのは殺したくないという迷いだけだ。
飛び込めば、速度だけでどちらかの剣が――再び、ルフィアなのか。あるいはルメルなのか――背中まで貫通するだろう。
『心配は要らない。死ぬのならそれまで。その積りで弟子を取ったのよ』
ルフィアにそう言われても剣先は迷う。
いっそ、持久戦にすれば。そうも思った。
構えているだけで――いや、立っているだけでルフィアはじりじりと体力が減っていく筈だ。
絶え間ない拘束衣の音で分る。
「攻め込んで来なければ僕が勝つ。ルフィア。そうだろう?」
『……そうなるわね。でも、自分の作った魔装だけれど、さっきの通り。お互いが『神速』だと役に立たないの。私も正確には剣を動かせない。そうならない事を祈るけど、場合によっては怪我では済まないと思って。いつ攻め込むかは分からないわよ?』
無詠唱だが、何かが変わった。
相手に何をしたのかを知らせない。ルフィアの無詠唱の魔法にはこんな利点もあったか、とルメルは防御を意識する。
同じ速度で来られれば対応出来ない。
と、攻めから意識を抜いた時だった。
気付く前にルフィアに肩を貫かれていた。魔装それ自体の防御も効いてはいない。
氷が張る時間も無かった。
『『治療』。隙だらけよ。どうしたの?』
気遣うように聞こえた。
ルメルが『貫通』と『神速』を同時に受けたのはこの時が最初である。
そんな魔法を使って来る魔物は想像さえ付かない。対人戦のみで有り得る状況だとルメルは思ったが。
『引き返しの岩から先、レベル4推奨の泥地では魔法を使う相手が来る。覚えておいて』
一呼吸を置いて睨み合った。
ルフィアの視線はゴーグルに隠れて見えない。
ルメルが考えている事はただ一つだった。
刺突では殺してしまう。
ルフィアには装甲らしいものは何一つない。
ならば。
踏み込んで手甲で――腹を狙うと決めた。
暫くは戦闘不能になるだろう。
ただ、不用意に踏み込めば――ただ見るだけでそこまで移動してしまう――ルフィアに予測さえ出来ていればルメルは、また自分から剣先に突っ込む事に成る。
剣で切り払い道を開けてから飛び込む。と決めた。
死んだらそれまでだ。意識を定めると恐怖は消えて行った。
真剣でない勝負などこの場には要らない。
――魔剣同士が打ち合う高い音が響いた。
もうルメルは移動を止められない。剣を払いはした。ルフィアが剣を戻していれば死ぬ。
死なないまでもまた負ける。
……ほんの一歩の積りが、視界が飛ぶ程の移動に成る。
視野が戻った瞬間。
ルフィアに渾身の拳を打ち込んだ。
手甲越しに感じたルフィアの腹は、レベル8のものだった。
ぐしゃっ、嫌な音が響いた。
「んぐあっ。う、嘘だろ」
まさか鉄を殴るとは思っていなかったルメルは呻いた。
指先が砕けていた。腕まで折れるかと思った。
慌てたまま腕を引いた。予想だにしない痛みに涙が出た。
剣姫としてレベル4であっても、ルフィア自体はレベル8だ。
『『治療』。手甲は『修復』。剣で突かれても死なないわ。これが私』
鋼より硬いのではないかと思えた。
咄嗟に力を入れたか何かしたのだろうが――のべつこの硬さではないとはこれまでに触れた経験で覚えている――それだけで鋼の像のように成るのか。
手から落ちた剣を拾う間、ルフィアはただ見ていた。
『ごめんなさいね。拘束衣だけではレベル差は吸収し切れないの』
瞬間的な魔力の集中。
そうだろうと推し量り、左手で剣を拾い、念のため二十歩の間を開けてルメルは次の策を練った。
対人戦だ。ルフィアを傷つけてはならない。そう思っていた自分が浅はかであり、かつルフィアのレベル8の片鱗に触れただけだろうが――魔物以上だと総毛立つように感じていた。
どれだけ拘束しようとルフィアには到底届かない。
もう痛みはないが砕けた右手がその証拠だ。
剣筋を読まれれば終わり。幾ら鋭かろうと剣が通用しない。
必要以上に身動きが取れないように制限をかけているのはその為か、と分る。
ならば――『貫通』?
岩でも砕ける、と頭に描いた魔法系統樹が告げる。
いや、魔力の差が圧倒的に過ぎる。ルフィアは岩より上だ。
「……『貫通』」
剣にエンチャントする。詠唱だけはした。
互いに「自分の力、あるいは物の力を高める」魔法だけは効果がある。
合一時でも相手への直接攻撃こそ効かないが、対象が相手で無ければいいのだ。
一つ。案が浮かぶ。ルフィアの魔力集中を避けるためにフェイントを入れる。
実際の攻撃を隠す。
視覚的にであれ、ルフィアの気を逸らせれば、剣さえ折るだろう鋼の肉体ではなく肉の弱さを残す箇所が有るだろう。
さらに足りないもの。倒したいという意識だ。
必ず、傷つけて見せる。
剣術の練習は決闘と同じだ。どちらかが傷を負えばそこで終わりだ。
その意味では、既にルフィアの剣に突進し、一敗。
拳を砕いて、一敗。
普通ならば三本勝負だ。もう負けている。
まだ続けていいのならばせめて一勝だけはしたい。
一勝。
対ルフィア一勝。
一滴でいいから血を流させたい。
それ以外の事は忘れる。
必要なのは冷酷さなのか。
それとも怒りなのか。
殺意なのか。
自分の心を探る。
昂り、他の事を押しのけて第一となる想いは何か。
剣士として対峙している以上、殺意だ。
決めた以上は揺るがない。――が、どうしても葛藤は有った。
これが木刀での練習ならば。
ただの遊びにしか成らないが――あれは一日中続けて体力を付けるのと基本を覚えるのが精々だ――どれだけ気が楽か。
さっきまで食事を共にしていた者と決闘する。
血に飢えているわけではなく、恨みなど何一つない。
だが、決めた以上は誰だろうと斬る。
結果、内臓を貫いてもその程度でルフィアは死にはしない。
その意味でこれは血塗れになろうが遊びだ。
頭部へのダメージだけは、さらに即死級のダメージだけは避ける。
気絶した瞬間にレベル8であろうと魔力は統御出来ず、ただの人に成る。
四大の精霊魔法も使えない訳ではない。効果が無くても、だ。
まだ系統樹の上端には覚束なくても、光で、音で意識を逸らすくらいの事は出来る。
一度に。しかも途切れる事なく浴びせ、一瞬だけでも隙を作る。
そう長々と考えている間もルフィアから攻めては来ない。
これも手加減の内だろう。
疲れ切ってくれればそれだけ隙が増える。
息が荒くなっている様子はあった。
このまま時間を稼げれば、いずれ集中は切れ、貫き通せる。
どうにか辿り着いた策の一つ。攻撃が刺突であってはならない。
ルフィアは一点だけに魔力を集中すれば済む。読み切られればルフィアに傷一つ負わせられるとは思えない。
刺突に見せかけて剣を跳ね上げる。切り払いに途中から切り替える。
どこかは、斬れるだろう。
それで血を見れば一勝だ。他に手が無い。
まだ二つしか突破口は見えていない。
魔法の多用、刺突の放棄。
火の玉くらいで気が逸れるとも思えない。
「……『連撃』」。さらに自分自身へのエンチャントを重ねる。
連撃。無意識に相手の隙を狙い勝手に斬る。
(エリジア注。今でこそ「神速型」の剣士の定番に成っているが、ほんの三年前には「結果がどうなるか分からない上に剣技も何もない」このエンチャントを使う者はあまり居なかったのである。この時にルメルは新境地に入ったと言ってもいい。剣技自体が上手くなるわけではないので基礎なしに『連撃』を使うと隙だらけであり、まあ、馬鹿みたいに見える。一々振り被ったりする癖までは直らない。加えて不可能な場所まで腕を曲げ、結果重症を負って自滅する者も居る)
さらにルメルは常に持ち歩いている使い慣れた短剣をそっと握る。
まだ引き抜きはしない。
いきなりの二刀流に身体がどう反応するのかは分からないが――これで押し切る。
そう決めた。
ルフィアの長剣を払いながら、目の血走ったルメルが飛び込んで来る。
ここまではルフィアの予測通りだった。
目の色が尋常では無かったが。
そしてルメルはそのままルフィアの右手――長剣を持った手を握っていた。跳ね返すには拘束を振り切って腕を振らなければならないが、それは出来ない。
ルメルは押し込むように身体を密着させながら、ルフィアの背に回した手で何かをした。
単に押し合えばルフィアの膂力が勝るが、見えない左手が首筋を背中を脇を尻を太腿を切り裂き続けるうちに、ルフィアは肩口を切られていた。
『短剣ね……負けたわ』
マスクを剥がすとルフィアは床に座り込んだ。自然と膝を抱えて丸くなった姿勢になる。
拘束衣の力に抵抗しなければこの姿勢が続く。
「拘束、解除してくれる? 「解除」っていうレバーが関節ごとに付いてるから」
「ちょっと待って。すぐやる」
「…………疲れた。もう駄目」
床にルフィアが大の字になって荒い呼吸をしている。重い拘束衣は着たままだった。
「実戦なら最初に刺された時に死んでる。成績も一勝二敗だ。負けたよ」
「最強の魔法使いがこんなに弱くて失望した?」
「本当なら一瞥で死んでる。それに、拳が砕ける身体だとは思わなかった。最強なのは変わらない」
「自分でも左手が何をしているのか分からなかった。……予測が付かないだろうね」
「『連撃』の使い方としては最高じゃないかしら。使い慣れた短剣での近接戦闘だし。それに、まあ、何て言うか……判断力もそろそろ限界だったし、その、密着されてからよく分からなくなったわ」
と、ルメルの自室のベッドで腕枕をされながらルフィアが言う。
合一の為に。寝食と風呂は共にする。
いつの間にか習慣に成っていた。
もう必要はないが、今更別々に眠ろうとはお互い言い出せない。
漲るオーラの為にルフィアは身長が高いと思われる事が多いが、実際はルメルよりやや小さいのだ。
ブーツのヒールが高いせいもある。
可愛らしく、綺麗に、と思ってはいない。時に仰ぎ見られる事がある以上、失礼な格好は慎むというのがルフィアの方針である。
ただしルメルの自室を例外とする。
その数日前。
朝市。転生者と呼ばれるのにもすっかり慣れた異世界文化研究所第七室長――ジェレミはまだ暗い内に出歩いていた。
灯りを付けた屋台が隙間なく並んでいる。
冒険者向きの物から日用品まで何でも揃う。
この活気は快い。
既に馴染みの店も何軒か有る。朝食は屋台で買うことにしていた。
夜の居酒屋と並んでこの街の――調べた範囲ではどこの町でも――名物であり朝市と居酒屋だけで食事を済ませるのが習慣だった。
量が多い。昼食は要らない。
「ちょっと聞きにくい事ですが……」
とジェレミは予てから聞こうと思っていた質問を店主に、常連にぶつける。
「セックスの回数?」
ディースが何を言いだしたのかという顔でジェレミを見る。
「回数の平均は、サンプル数が少ないが前の世界のギリシャと同じくらいだね。年間140回前後。初体験は15~16歳が多い。僕らの思う中世とそれほど変わらない」
「調べて避妊具でも売るのか?」
「既にピルとアフターピルに相当するものがある。副作用も少ないらしい。そこが中世との相違点だ。この世界の植物学は果てしない。誰か興味を持ってくれないかな」
「いっそ博物学でもやったらどうだ。ジェレミ」
「大いに興味はある。が、僕ならば稼いで学者を雇うよ。一生かけても終わりそうもない事は誰かに任せた方がいい。……分かった事は婚前であろうとこの回数は変動しないし、八割を占める冒険者にとっては――時代が時代だ――ある種の産業を大いに潤すという事だね。新しい知見はピルの存在だよ」
「異世界ハーレム物に修正が必要か? 裏付け調査お疲れ様だな」
「長い夜に一人でTVを見ているよりは精神衛生上も健康上もいいらしいぞ。考えても見ろ。液体燃料を節約したら一体、夜にすることが他に何かあるのか? ああ、もう一つ有った。この世界では二日ほどセックスをしていない事を「灼熱」と呼ぶらしい。耐え難い事らしいぞ」
同衾している以上、何もない訳がないが、詳述は控える。
ベッドの中でルフィアに覚えたばかりの魔法系統樹の説明を受ける。
贅沢極まりない経験だがルメルには当然の――授業のようなものだ――生活の一部だった。
やがてどちらかの静かな寝息が聞こえれば朝まで眠る。
レベル2に上がったばかりのルメルの横で、ルフィアが眠っていた。
背を向けていた。背中に聖刻の双樹がくっきりと見える。
本当かどうかはルメルには分からないが聖樹から生まれたというルフィア。
だから樹なのか? とは思ったが由来は聞いてはいない。
白い肌を際立たせるその形が目に焼き付いたまま、ルメルは目を閉じた。
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