第14話 セフィとの出会い
「おはよう……まだ寝てるか」
拘束衣の疲れかも知れない。あれは異常だ。機械の化け物だ。囚人用はさらに醜悪だという。レベルを持ったから、ただそれだけの理由で――主な理由は犯罪だが――看守に扱えるまで芋虫のように拘束される。
昨日のルフィアも相当酷いものだった。見た目は悪くはないが。
ルメルはそっとベッドを出ると下着だけで風呂場――地下水を火精が加熱している――に向かった。顔を洗うだけの積りだ。
上下水道も引いてはあるが、鉱脈までルフィアが掘った水の方が清浄に感じられる。
街に張り巡らされた上水道は正直、沸かさないとコケ臭いのだ。
鏡の前で、ルメルは右手を見ていた。
砕けてしまった右手。鋼鉄のルフィアに突き当たった右手。
一日経っても、まだ、実感はない。
血のように全身を巡る魔力。
そして凝集する魔力。
普段触れているルフィアとは違うものだ。
ルフィアは柔らかい。温かい。
板のような刃のようなものではない。
不思議なものに突き当たった。まだそうとしか感じない。
『鋼鉄の皮膚』という魔法がある。
定式化され固定化された魔。
効果こそそれに似ている。
が、もっと流動的でどうなるかが分からない魔。
ルフィアの中で渦巻いているのは後者が多い気がする。
左手を開き――まず魔力を集めると言う意識が理解出来ないが――意識を集中してから右手で殴る。
ぱん、と音が響いた。
何も変わりはない。
レベル2程度では何も起こらないのだろう。
誰にでも出来るものでもないのだろう。
「遅れたわ。ルメル。おはよう」
足音を消していたルフィアがルメルの後ろに居た。
「……今の音、響いたかな」
「気配で。朝食は妖精に頼んでおいたから」
そのまま後ろから抱き付かれる。
「昨日は勝手に寝ちゃってごめんなさいね」
ルフィアの柔らかい感触。何も纏っていない。
「今日はゆっくりしてから行きましょう?」
頬を赤らめたルフィアの笑顔に、抵抗は出来なかった。
湯。柔らかな湯気。柔らかな輪郭。
朝の白い光と魔力漏出の翼の眩い白光に溶けて行くルフィアの白い肌。
優しく熱く深く締め付けられる感覚。
漏れ聞こえる嬌声の反響。
レベルが上がると体力が増え結果として増える回数。
「もう一度……ね?」
そう求める唇。
あれこれ性能が上がっているようだった。単純に十倍増ではなかった。
総合性能的なものが上がった。
初めに愛おしそうに唇に包まれ、最後も名残惜しそうに唇に包まれた。
魔力漏出はハイポーションで三十本には成った。
「なるべく当たり障りなく書きましたけど。羨ましいなっと」
「……変な事はしてない」
「私なんか……」
「エリジアはどうしてるのかずーっと書いてもいい」
「絶対、書きませんから」
――穏やかな時間を湯気の中で過ごしてから、朝食を摂った。
ほぼ朝晩二食、昼は軽いものが常食の冒険者は、朝は満腹感の続くものを好む。
肉を、捏ねた小麦粉で包んだもののスープ。チーズをかけた芋。肉と野菜のシチュー。さらに二品ほどは食べる。
最終的にパンを詰め込んでから出掛ける。
荷物は軽くしたい。さらに休憩所とは言え安全とは限らない。
昼は干し肉とスープで充分だった。
「今日は……今日だけね、私は別のルートに行くから、地図のない所は避けて、動いてみて」
森の広場に着いてから、ルフィアは言った。
ルフィアとしても次のレベルアップに向けた場所を開拓しておかなければならない。
レベル2のルメルの実力はおおよそ昨日見た。今日も森で見たい。
けれども計画がある。急ぐ必要がある。
開拓の他にもう一つ、狙いはあるのだ。
そろそろ一人きりで――二人ではあるのだがルフィアは見ているだけで事実上ソロだ――回るのではなく誰かを加えたいとも思っていた。
ルメルの背中に刻み込んでおいた出逢いの呪印の効力は一日。誰かと必ず出逢う。
呪印は一日経てば消える。
人が増えれば、もう二度と今朝のような事は無いのかも知れない。ルフィアにも訣別の痛みは有った。
ルメルはこの時には勿論気付いていないが、計画は始まっていたのだ。
人は運命と呼ぶだろう。
計画されていようといまいと、それは運命だったのだ。
パーティーを組んでも何ら意味は無いと信じていたルメルは、一人で地味な湧き場を回っていた。
ゴブリンの湧き場を一瞥して分かったが、やはり冒険者とゴブリンの識別が付かない。
混戦に踏み込めばうっかり斬る可能性が有った。
レベルとは――残酷でしかない。
そう思いながらどうにでもなれと大返しを駆け上がり、オークでさえ際立っては見えない事に驚いていた。魔物にそもそもレベルなど無いが、挑みかかっているレベル2の冒険者は見えても、レベル1以下はオークと識別が付かない。
改めて色が消え去ったようにさえ見える湧き場を見て、ルフィアに自分など見えているのかと不安に成る。
昨日と同じだ。あれほど好きだった森の魅力が霞んで来ていた。
そこで方針を変えた。
誰も居ない狩り場に行こう。他に人殺を免れる方法があればそうするが、今は無い。
『神速』『貫通』を覚えた今では、同レベルはともかく、余程運よく剣士系を覚えた者以外は相手に成らない。剣士としては、だ。
森の掟。森での殺人はこれを禁じる。レベル2に成るとまるで違う意味に読める。
「うっかり殺してはならない」だ。
中規模以下の湧き場でオークを狩ろう。全滅させようと地図を見ていた。
大規模で人が集まっていると集まる。
中規模以下だと何故か集まらない。
地図では限界にあるオークの湧き場、もはや誰も気にしないような場所に来ていた。
「居るんだ」
人の気配がする。
数人で占有している場合が多い。割り込めばどうなるかは分かっている。
足音で言えば四人。広さとしては十人で使える。
「……レベル2?」
覗いただけでも殺されかねないが、ルメルは足音を消して木陰から狩り場を見る。
「誰か来たか?」
気付かれた。
少なくとも一人は『気配』は使えるようだった。レベル2以上だと思っておいたほうがいい。
毎日オークを倒し続ければたったの一年でレベル3に到達するともルフィアから聞いていた。そこからは上がらないが、一日金貨十枚の生活が待っている。
夢としか思えない。
幾らバカだとはいえ自分の十年は無駄だった。
誰のせいでもない。
金の話など今はどうでもいい。
――気付かれた。
相手は四人。
一人はレベル2。レベル1二人。そしてもう一人、樹に縛り付けられているのがレベル2。
『気配』で読み取った。そうでなくても、明瞭に見えるのが二人、何となく視野に居るだけの者が二人。
何故? ではなく一人が縛り付けられているだけで咎める範囲だった。良くあるのが魔法使いに特化した誰かを捕まえて好きなように使う、という半奴隷化だ。
近距離でナイフを突き付けられれば、そこから咄嗟に跳ね返す魔法使いはそうは居ない。
不思議なのは縛られている誰かの感情が読み取れない事だった。泣いているような声も聞き取れない。
息遣いは荒い。諦め? に似た感情を微かに感じた。
「よう」
余裕のある声だった。
リーダーは当然レベル2だった。
樹々の壁を出て、ルメルの姿を見つけていた。
一見した限りでは人を樹に縛り付けるようには見えない。
いかにも信頼できそうだった。
高価そうで意味の分からないほど複雑な形の剣を下げていた。
当然、金貨はあるのだろう。
「何か用かよ」
「森の掟その二。……言って見ろ」
決して戦うのが好きなルメルではない。対人戦は、対ルフィアを含めてこれで二度目だ。
「警備かなんかの積りか? 要らないんだよねえ。そういうのは」
「自由を奪ってはならない、だ。『神速』、『貫通』、『連撃』。……行くぞ」
速度感にも少しは慣れていた。
「その一はどうなんだよ!」
一瞬で近づく。リーダー格は悲鳴を上げていた。
「殺すな、だ」
剣は奪っていた。川に放り投げる。
「奪うなは四番目だったかな。帰れよ。僕は凄く、機嫌が悪い」
また誰かを騙して稼げ。今度も奪ってやる。
「悪いけど殺しそうだ。早く逃げろ。誰でもいいから殺したくてしょうがない」
脅しではなく、単にそうだった。
「戦いは好きじゃないって書いたばっかりなんですけど」
「……勢いでどうにかしてくれ。思い出すとこの辺りは苛々するんだ」
(略)勢いで三人は片付けた。レベル1など数えるにも値しない。
激怒していた。自分でも説明が付かない。
殺意と激怒しかない。
どん、と大樹が鳴る。ルメルが怒りをぶつけただけだ。
拳の形に凹んでいた。
「何でこんな所で縛られてるんだよ」
見れば女の子が、手首を太い鉄釘で樹に止められていた。
磔に近い。
『治療』は使ったのだろう。
それだけでは釘は抜けない。
座り込んだ状態で、両手だけは上に挙げていた。
身体は縄で樹に縛られている。
返事は無かった。
「……名前は」
「セフィ。そこ、オーク来るから気を付けて」
「どこが境界線だ」
「私の足の辺りまで、みたい」
真後ろに何かが現れる。振り返りざまに切り刻んだ。
「釘抜くから待ってろ」
オークを何体か、細切れに刻む間に釘は抜けた。
「……『治療』」
セフィが詠唱した。だらりと膝の上に置いた手首の穴自体が塞がっていった。
縄は剣で一息に斬った。
「これで自由だ。逃げるなり何なりしろ」
「うん……」
そうは答えたが動かない。
座ったままのセフィに苛立っていた。
「逃げろよ。ここに居たらまた同じような目に遭うぞ……大体何でレベル2でこうなるんだよ」
「いいのよ。苛々しながら話しかけないで。死にそうなら全員殺してるわよ。そういうことを言うのなら、帰って」
深紅の魔装。深紅の髪。灰色の瞳には輝きがない。もしかすると、自分と同じなのかも知れない。ルメルはレベル2の違和感に苛立っていて、セフィは絶望している。
「やりたいなら勝手にやってろ。いつか死ぬぞ」
「……あなたもレベル2?」
「そうだ。君は見える。レベル1が認識出来ない。見れば見えるがみんな同じだ。下手をするとゴブリンと見分けが付かない」
「ふふ……重症ね。だいたい同じよ」
「それで苛立ってる」
「ねえ。連れて行きたいなら何かして。気に入ったら何でもしてあげる」
何かと言われても。
ルメルは怒りを鎮めて魔法系統樹を辿る。
「レベル1の時の系統樹、封鎖されてない?」
「僕の系統樹が見えるのか?」
「私の特殊能力」
特殊能力、だけで説明に成っているのかどうかはそれを知らない以上、ルメルには分からない。
「はい。解除。多分森の奥で封じられたのね」
「――そんな事があるのか」
レベル1では自分も――そんなに便利なものではない――特殊能力が幾つか増えた。そうとしか思っていなかった。
「ねえ……早くして」
セフィがルメルを抱く。唇を近づけた。滑らかで熱い舌がルメルの唇を割って入り込む。
誰も来ない湧き場である。そういうわけで意気投合した二人は数時間後、三つ折りの滝、休憩所に居た。
誰が見てもそこにルメルしか居ないのだが、ルメルが思い出した妖精系魔法、イシリアル・バインドの効果で透明な首輪をしているセフィは見えないのである。
『透明化』ほど完璧ではない。
セフィは魔法を詠唱出来ない。元々捕縛用の妖精系魔法である。鎖は無いが一定以上ルメルからは離れられない。(ルメルが封じられていた魔法系統の一つが妖精系統である)
『気配』でも察知される。
さらにセフィは魔装を着ていない。後は想像にお任せする。
「これが「赤の魔法使い」……と同一人物だとは思えないんですけど」
エリジアは頬を僅かに赤らめて首をひねっていた。
「そういう逸話を言えっていうから言っただけだよ」
「露骨な話ありがとうございます」
「冒険記側だと何がなんだか分からないだろ。いいんだよこれで」
「……荒れてます?」
「レベル2時代の事を思い出すとね」
「ここ、大事な「セフィ」さんとの出会いのシーンですよ?」
「まあ……どうするかな」
『強引にでも助けてくれなかったら目が覚めなかったと思う』
透明なままセフィは穏やかな声でそう伝える。
「どうでも良くなってたのかな」
『そう。帰る所もないし。自分が居ないような感じは分る?』
「いま、そうじゃない?」
『透明とかじゃないの。意味が違う。誰でもないような気がして。……あの、厚かましいけど、暫く泊まっていい?』
「構わない」
ルフィアの許可が。とも思ったが元々は自分の家だ。
『ありがとう。ね』
セフィが首を抱いた。膝の上に乗って、身体を押し付けて。
たぶん胸だという場所が顔に当たっていた。透明だが、柔らかく暖かい。
少なくともルメルには家出人を騙そうという気は無かった。セフィが涙声だったのはそういう理由だったのかも知れない。
『ねえ、けっこう合一したよね』
「……たぶん。半分くらいは。もう少しか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます