第10話 エリジア冒険記

「ゴブリン、倒しますか?」

 ゴブリンの湧き場は入り口から五分とかからない。

「僕は見てるよ。傍に居るとエリジアに何のメリットもない」

「強い所も見せて……下さいよ」

 ルメルの剣術を間近で見たいだけだが、そうは言わない。

「交代したらね」


 人の少ない場所まで移動した。

 少し待てば湧く。

 境界線の外から狙う。

 範囲外は気にもしないゴブリンを三回突いた。遠いせいもある。当たらない。


「疲れたら交代しよう」

 どうでも良くなったのか、ルメルは最初の五分で見極めたように、何も言わず見ているだけだ。

「……近くの人の真似をするといい」

 それだけ、言った。


「他に何かアドバイスは無いんですか」

「練習してないのは分る。当たらなくても素振りだと思って攻撃。それから境界線の中に入って」

 短剣なのに長剣のリーチがある! と書いてあった商品。

 騙された。確かにそうだけれど切っ先が分からない。見えない剣で素人が戦ってもダメだ。

「普通の長剣買ってきます」

 エリジアは広場の販売店でいかにも素人向けの場所を探す。

「これね」

 細身の長剣。


 ルメルは長剣で刺突するエリジアを見ていた。

 居眠りはしない。自伝を書いてくれている。さらに目が真剣だ。ただの取材には思えない。

 予測と立ち方と体重移動と突き自体と防御に移る目配りを直す必要がある。

 特に攻撃に集中し過ぎて防御が出来ていない。

 境界線を越えて飛び込みそうにさえ成っている。

 簡単に言うと。

 全力で突いているので毎回前のめりに成る。力が入っているので剣速が遅い。

 突きを出したままで剣を引かない。

 力を込める予備動作でゴブリンに――素早いのだ――突きが読まれている。

 始めてそれほど経っていないが、もう汗をかいている。


 ――力を抜く。聞かれたらそれを一番に指摘する。

「も、もう一回休んでいいですか」

 汗まみれのエリジアが言う。

「一体は倒した。充分じゃないかな」

「はぁ……」

 エリジアが水を飲み終わるのを待って、ルメルは

「力が入りすぎだ。――参考になるかな。こうやる」

 抜剣して境界線まで歩いた。

 わざと剣に力を込めて突く。

「こうなってるから」

 普段より後ろに重心を置く。

「手の力だけで」

 剣速は落とさずに、動きの鈍い一体を突いた。

 剣は即、引く。

「分るかな」

 脚は普段より広げた。棒立ちから剣を繰り出しているエリジアは転びかねない。

 踏み込みも戻りもなしで、手だけで戦う。見た目がどうだろうが構わない。

 運足は教えていたら今日一日では終わらない。

「ち、近くで」

「いいよ。気付いた事はすぐにメモする」

 ただ繰り返すより言葉にした方が良い。ルメルの方法だ。

「……重心は移動させない」

「中に入るとそうも行かないけども、基本は。移動しながら戦えるのは中級以上。移動しながら全方向複数と戦えるのは上級。真似しない方がいい。さらに、」

 ルメルは湧き場の境界線を越える。

 切り払いの戦法も取れる。刺突しか出来ない訳ではない。

 一体、居る辺りに片足だけ踏み込みながら左から右への切り払いの動作に入り、振り切る手前で剣を戻し始める。

 構え直しながら元の立ち位置に戻る。


「大体はこれでどうにかなる。何かには当たる。左右に人が居ない事は確認」

 前だけ考えればこれで困る事はない。

 百回ほど見せてからエリジアと代わった。

 単純練習をするなとは言わない。基本の基本はそれでいい。


 剣術を極める必要はない。

 どうやって稼いでいるかだけがエリジアに分ればいい。

「最初はその辺りでやってたよ」

 あまり湧かない場所。

「……どうして十年でレベル1しか上がらなかったのか、と今は思う。僕にも良く分からない」

 上がると思っていなかったからか。

 ルフィアが居なければ同じだっただろう。

 ルメルは周囲を見る。ここから出て稼ぎに行っては居た。一通りは回った筈だった。

 難所、と言われる場所も回った。

 ただ回っていただけだから、だろう。

 レベルが上がると思っていなかった。

 レベルを上げようとしていなかった。

 そんなものだろう。


 魔石は地精に拾わせている。ほぼ銅貨十枚分は溜まった。

「一日分は溜まった。崖を試して見よう」

 大返し。落差120m。

 エリジアが見上げて、ただ驚いている。

「これ……死にますよね」

「一回目はそう思った。同じだ。死ぬと思うと落ちる。死なない方法だけを考える」

 握力に頼ると持たない。

 途中で下を見ると持たない。

 簡単に登っているのを見る。

 一切無理はしない。


「よく見ると階段と変わらないんだよ」

 ルメルはそう言うと、エリジアを置いて登り始めた。

 確かにルメルは殆ど手を使っていない。アクロバティックにも見えない。

 エリジアが続こうとした時に、急に飛び降りる。

 風が巻いた。エリジアは風で吹き飛ばされそうな身体を支える。

 ルメルが着地していた。

「周りに迷惑だけれど、今くらいの高さまでは死なないな」

「それ以上だと……どうなっちゃいます?」

「……死なないんじゃないかな。迷惑過ぎるから落ちてはいない」

「人が少ない内に。……登ってみます」

「最初は半日なら良い方じゃないかな。先に登る。陽が傾いて来たら辞める。続いて」


 ただルメルの真似をする。足場が重要らしい。

「この方法なら死なない。面白くも無いけどね」

「……い、いま面白く無くていいです」

 エリジアとしては高さを意識しないだけで必死だった。

「短縮する。真似はしないで」

 ルメルが駆け上がって行く。何をどうすれば出来るのかは分からない。


 《登攀メモ・エリジア》


 対象:大返し(ゴブリンの湧き場から五分)

 落差120m。


 ・四時間では登れなかった。(夕暮れが迫っていたので断念)

 ・迷惑だとは思うけれど落下した回数は数え切れない。

 ・最高到達地点は半ば。

 ・「貫通」と併用すると(迷惑であるらしい)岩を貫きながら登れる。

 ・妖精がどれだけ支援するかによるが、壁面に吸着して駆け上がれる。

 ・さらに押し上げてもくれるらしい。

 ・レベルとは無関係に妖精の支援は起きる。

 ・宮廷で採用している魔装の品質が高いせいもあるのか、怪我はない。

 ・ルメルは魔装の力こそ、かつては利用していなかったが、妖精の支援を得ていたのではないかと思われる。


「悔しいっていうか……」

 エリジアとしては自分が不甲斐ない。夜。馬車の中でもやり切れない思いで一杯だった。

「今日儲けた金で何か食べよう」

 馬車の中はほの暗い灯りだけだった。ルメルの白い顔が窓に映る。

「初日に銅貨十枚なら良い方だ」

「……そういう気分にはなれないですけど」

「明日には失敗も悔しい気分も消える。完璧主義だと持たない」


「また行きましょうね」

 火酒の一杯でエリジアが豹変していた。一口で変わるものだから不思議ではない。

「こうやって麻痺して十年経ったんだ。ルフィアが現れて変わるまでは」

「頑張って取った銅貨じゃないですか」

「まあね……レベルが上がったからって別に偉くなった訳でもない」


 ルフィアと進めている奥地開発計画は半ば実験だった。出費の方が収穫より多い。

 誰でも入れるように成るのはずっと先だ。

 火龍亭でそう言えばバカだと言われるだろう。

 東側の開発は順調らしい。半年もあれば領土は倍以上に成る。東側は殆ど空白地だ。

「……楽しかったです」

「今日くらいならね。冒険で生きると思うと臆病になる」

 テーブルの上には山盛りの料理と火酒の瓶。銅貨三枚だけで持ち帰れる程の料理だ。

 持ち帰りたくないのなら振舞う。

 金貨五枚分稼いだという誰かが自慢話を始めている。喧騒の中でも良く響く。

 気のせいかエリジアが苛立ったように表情を変えた。


「そのうち。そのくらいは稼いで見せます」

「朝から晩までオークに張り付いてたって事だろう。五枚ならば安全策しか取っていない。あの装備だと……」

 ルメルが髭面の男を睨む。

「境界線外から槍。倒せそうなら境界内に飛び込んで止めを刺す。だろうね。実際どうかは分からない」

「明日は崖を登って見せます。その先がオークでしょう」

「……昼の仕事は?」

「冒険記の取材って言えばどうにでも」

「僕はルフィアに許可を取ってみるか」

「本当ですか?」

「オーク倒せればいい? 本気でやると何年かかるか分からない」

「……そうですけど」

 別に何か月かかってもいい。誰かの伝記に5年かけた人もいる。

 ――嫌な予感がした。自信に溢れた足取り、誰か、高レベルの物が近付いて来ている。

「よー。ルメル。ここか」

 魔装の金色で目が痛くなりそうな女が、多分全員を見下しながらルメルの横に立った。

 ルメルの濃い茶のローブは目立たない。何故、分る?


「アリエラ。どうしてた」

「何にも。あたしに役目なんかいらない。……こいつは?」

 こいつ、というのはエリジアの事らしかった。

「僕の冒険の記録を書いて貰ってる。書記官のエリジアだ」

「――よろしく。ルメルと似たような事もやってたアリエラだ。ここ、いい?」

「勿論」

「出来たら読んで聞かせてくれよ。ルメル。地味だろうけどな。酒! 樽で置いとけ」

 いつの間にか金貨十枚の自慢は終わっていた。視線が集まっている。

 アリエラは水着、というか肌に密着したX字の光沢のある素材不明の布。

 金髪に合一しただろう魔装だった。巨乳だった。

 周囲が静まり返っていた。不快そうにアリエラが見回すと、慌てたように皆が別の話をする。

「まだ噂が残ってるらしいなここじゃ」

「魔法なしで何百殺したって話はそう消えない」

「……あ、あの、エリジアです。宜しくお願いします」

「怖いか。あたしは」

 細いようで筋肉の塊だ。

「……い、いえ」

 本気で怖いがそうは言わなかった。

「ルメルの初体験の話とか書いたか?」

 試すようにアリエラが微笑む。

「え……」

「羊だよ最初は」

 含み笑いをする。

「違う。アリエラ。エリジアが信じるだろう」

「冗談って顔してたろうが。……じっくり聞いてみろ。話さなかったらあたしを呼べ。言うまで関節外しといてやる。他に読むとこなんかあんのかよ」

「……無いよ。アリエラにはね」

「実体験も交えて、これから纏め直します。期待して……下さい」

「今日はゴブリンと戦ったんだ。銅貨十枚。最初にしてはいいだろう?」

「殴っても死ぬ奴だろ?」

「それはアリエラくらいだ」


「オークから上は殴っても鈍いからな。これで」

 背に釣ってある双剣を二本、アリエラは抜剣して見せる。

 圧力で叩き切るタイプだ、とエリジアは思う。

 それほどに巨大で、片手用には見えない。

 ルメルの剣とは異質の禍々しさが有った。

「……気に入ったかい。これ。書記官ってのは剣は見ないのかよ」

「し、資料としては見ますけど」

「その長剣振ってみてどうだったよ」

 エリジアの剣を巨大な剣で指し示す。危険極まりないがそういう人なのだろう。

 正直に言うと、気分が良かった。ただの長剣だけれど言い知れない魅力がある。

「ふうん。……神の末裔か。顔がエロいぞ。すぐトランスに入れるんだっけな」

「『透視』しないで下さい!」

 多分下着かその下まで見られた。

「どっかの都市だと薬で陶酔しながら託宣するのが仕事らしいぞ。楽しそうだよな」

「……アリエラ。あんまり苛めないでくれ」

「この手はつい、な。三日くらい貸してくれよ」

「アリエラに飼われるからダメだ。話題を……まあ無理か。奢るから飲んでくれ」

 エリジアはその日は散々弄られて帰った。王宮の自室までは覚えている。

 そのまま眠ったらしい。

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