第9話 エリジア、森デビューへ

「……そりゃ何でも厳しいですけど」

 エリジアは夢も何も無いように思えるランキングに溜息を吐く。

「僕が決めてもしょうがない。自分で決めるのが冒険者だと思う」

「一生の課題とかを説かなくていいんですよここは」

「僕の考えなんかに引き摺られても意味がない。何をするのも自由だ。森では」

「あえて。ね。あえて決めましょ」


 《三位・目的》


 目的はあるか。金儲けだけでは持たない。


 《二位・冒険が好きか》


 好きだからやる。これまで書いた危険を顧みない。


 《一位・危機管理》


 二位に反する。出来なければ本当にすぐ死ぬ。

 もう一つ。俯瞰するとこうなるという事だ。

 言い方を変える。「生きたいという気持」が強ければそれでいい。

 後は経験すれば勝手に付いて来る。


 具体的にはこうなる。ルフィアに教えられた事は一つ。日記を書く事だ。時々俯瞰し、あるいは困ったことを記録し、対策を考える。

 これ以上の方法を知らない。


「――魔物だけランキングしたほうがまだ、良かったですね」

 ランキングが重い。こうなるとは思わなかった。

「……じゃあ、エリジアの人生で問題に成るものを二十個言える? 面白そうに書けるかな」

「そりゃもう。……出来なきゃ駄目ですから」

「凄いね。僕はバカだからね。日記は見せないよ。ルフィアから教えられた通りに愚直にやるしかないんだ」


 でも。そうだ。ルメルが強いっていうエピソードがどこかに補足で欲しい。

「あの、何か、今のルメルさんの強さを……」

「強くないよ。レベルだってここまで来るのに十年以上かかってる。頭も未だに悪い」

「ルフィア女王と一緒に居たら、誰でも自分がバカだって思いますってば」

「面白くする筈のランキングが面白くないのは僕の頭が悪いからだろう? ……何でもいいか。僕が、強そうに見えればいい? じゃあ、明日「初めての森」に行こう。行かないと分からない。――もう一つ、最近こういう手口が増えてるっていうのをやろうか」


 ルメルは指を一本立てると、『貫通』と詠唱した。

「魔装は手には反応しない。本来は武器エンチャントの魔法の肉体への応用だよ。指先が剣だと自分で思い込めれば魔法はそれに従う。暗示と組み合わせた魔法だ」


 指先が微かに輝いていた。光に魅入られるようにエリジアはルメルの指を見ていた。

 次の瞬間、ルメルはエリジアの目の前に居た。

 テーブルの上。

 片膝を立て、伸ばした右手の指先が額に触れていた。

 何も反応出来ない。

 殺気だけで気絶しそうだった。


「まだ『神速』が効いている。逃げられはしない」

 額に、指が触れていた。恐怖が強すぎて痛みがない。けれど、血が額を伝っている。皮膚だけを貫いたのだ。

「動けば死ぬ。魔装は役に立たない。『脱装』しろ。……指を頭に突っ込むだけで死ぬ。詠唱しろ。早く。『脱装』だ。――詠唱したら、絶対に忘れられないほど、歩けないほど遊んでやる。……五つ数える。五…………四…………三…………二…………一…………早くしろ。ゼロだ」


 指先がまるでゼリーでも突くように頭蓋骨にほんの少し、入る。

 絶対に抗えない死だ。

 凍り付く。

 けれど突かれた額が熱い。

 凍り付く。熱い痺れが全身に広がる。


「もう少しでお前は脳を突かれて死ぬ。服従しろ。従え」

 ルメルの瞳が黒く光っているように思える。酷薄に笑っている顔を直視できない。

 けれど暗い瞳を見てしまう。凝視している瞳から視線が外せない。

 警備隊長に成ってから人を脅す事を覚えた。そう言っていた。ルメルは一瞥で挙動を止める。

 ただ見ているだけだろうが、黒い瞳の迫力が違った。目が、動きを奪う。


 ――服従しろ。それ以外何も考えられない。

「だ……『脱装』」

「と、言うのが流行っているらしい。――本当に『脱装』するな」

 ルメルは指先を僅かに引く。

「『治療』。――血は拭いといてくれ。じゃあ明日。集合場所が分からないからここでもいい。夜明け前に来て欲しい。……今のは僕が強いんじゃなくて魔法の使い方が変則的なのと、そもそも使った魔法が強すぎるだけだ」


「あ、あは……」

 世界が揺れる。

「あっっ……はいっ。明日夜明け……ですね」

 変な声が混じった返事だっただろう。

 エリジアは射抜かれるようなルメルの視線からあと、混乱していた。

 ――真剣に人に触れられたのはたぶん初めて。額とは言え。

 ――流血したのも初めて。

 ――これだけ脅されたのも初めて。

 ――恐怖に晒されたのも初めて。

 ――人前で脱いだのも初めて。

 開けてはならないどこかの鍵が開いていた。熱い痺れがそこから迸る。


「顔しか見てないから早く『着装』しろ」

「ち……『着装』」

 ――言い成りになっているのも初めて。

 ――もっと、好き放題に言って欲しい。見通して命令して欲しい。

「明日、夜明け前だ。宮廷からならば夜明けに「初めの森」に間に合う」

 ――命令に聞こえる。もっと。

「は……はひ。ひっ、ひぐっ」


 私は変わっていく。もう変わっている。

 いま考えている事はルメルには絶対に言えない。

 指で全身を貫いて欲しい。そう思った。

 催眠にでもかかったような感じだった。

 気がつけば涙を流していた。

 びくびくとした身体の震えが止まらない。

 何故か、痺れるような感覚が頭から全身を突き抜けて行く。

 熱い感覚だった。

 快感だった。止まらない。変な声が出そうだった。

 また、びくんと身体が跳ねた。

 必死で抑えたけれど少し達した。

 声が漏れそうだ。限界だった。

 視線が定まらない。

 もうすっかり、快感に支配されている。

 それはどちらかと言われればMだけれど――変な回路が開いた。

 昂る。抑えきれない。

 駄目。きっともう元には戻らない。舌が震える。涎が唇を伝った。


 エリジアは涙でぐちゃぐちゃで、涎も垂らしていた。

「……エリジア?」

 ルメルの声だけで震える。

 まるで短剣のような指先が、まだ額を、頭蓋を貫いているように感じる。

 エリジアは床に生暖かい液体が滴った音を聞く。

「何で、魔力漏出が?」

 ルメルが訝しんだ。

 エリジアは自分に白い翼がある事に気付く。一度も勝手にこうなった事はない。

 今ならハイポーションが作れそうなほど――自分で自分が分からない。

「……折角だ。もったいない」

 ルメルはエリジアの脇を持って引き上げると、自分はテーブルに横たわった。

 エリジアはルメルの腰の上に乗った形に成る。

「多少、身体的合一するだろ」


 恐怖なのか安堵なのかそれ以外なのかエリジアには分からないが、勝手に震える身体。

 違う。正体は分る。甘美な痺れで分る。絶え間なく続く最大強度の快感だ。

 終わらない絶頂だ。そんなものをルメルにまともに見せていると思うとさらに意識が白く染まっていく。羞恥が脳を痺れさせて熱い。

 きっと見るに堪えない顔をしている。両手で顔を覆って目を閉じた。

 エリジアの唇から桜色の舌が覗く。きっと声が漏れる。

 血を拭こうと思って持っていたハンカチを噛む。


 震えている間にルメルに、生暖かく白い液が滴り身体を伝い染みこむ。

 無言でルメルがテーブルに置いた、予備の魔液入れが貪欲に白い液体を吸い込む。

 輝くほどに白いのはハイポーションだからだが、エリジアは声を出さない事に必死であり、かつ目も閉じていた。

 出来ればルメルに縋りつきたいと思いながら、頭に指先ではなく短剣だったら、もっと、いっそ黒い剣だったら、と自分でも理解不能な事を考えている内にエリジアの意識は遠のいて行った。


 ルメルはエリジアを椅子に座らせてから帰ったらしい。気づいたら一人だった。

 エリジアは自分の性的嗜好がマゾヒズムを含むとは思っていたが――殺されそうに成った時の反応が少し変だとは思った。およそ冒険者向きではない。

 他に三つくらいスイッチが入った。もう二度と切れない。

 驚いただけ、かも知れない。

 対象も誰でも良い訳ではない。

 ルメルだけだ。

 それに、あの恐怖がいいのかも知れない。

 額の傷と出血を思い出すと陶然とする。

 とにかく、性癖をあれこれこじらせているのは間違いなかった。

 黒い剣を見た時から何か変だとは思っていたのだ。黒い剣を見ていると興奮する。

 血をたっぷりと吸った剣。――ルメルにならば刺されてもいい。

 私は何を考えているんだろう。

 早く部屋に帰ろう。様子がおかしいはずだ。

 瞳の色と合わせた、深紅の下着を早く代えよう。

 剣を向けられたらどうなるんだろう。考えると意識が飛びそうだった。

 視線はまだ定かではない。まだ全身が熱く痺れている。

 部屋に帰って、克明に指先を向けられた時の事を思い出して、それだけで達した。どうしよう。明日、顔を合わせられる自信がない。


 エリジアは朝までに――そこまで深刻な性的嗜好があるわけではなく命令と切迫した状況に追い込まれるのが多少好きなだけだ、と自己分析していた。まあ、Mだから、ね。

 ルメルだけにしか反応しない。

 それ以外は正常でもないかもしれないけれども異常でもない。


 ――考えれば四つほど性的嗜好が思いつくが、そうだと思うと固定しそうだった。やめておく。いずれにせよルメルに限る。

 ルメルはルフィアの愛弟子で「赤の魔法使い」セフィと仲がいい。

 どこにも割り込む余地はなさそうだった。

 そう思うとベッドからなかなか出られない。

 が、何故か「会議室に来い」と命令されている気がすると身体が勝手に動く。

 どこかに甘く熱い痺れはあるけれど意識はしない。また支配されたら部屋を出られない。


 夜明け前に会議室に行った。

 少し早く出て会議所の販売店――神は寝る必要がないので昼夜を問わず営業している――で透明で光るローブは買って来てある。少しサイズは大きめの物にした。

 金貨三枚するだけはある。

 防水、防風、かつ蒸れない、防虫、色と発光と透明度は調整できる。

 防刃性も有り伸縮性もある。魔法回路が付いている。並みの素材でもなく魔装に近い。

 胸の部分だけ強調するように厚みと胸を囲む線があり腰はベルトで締められる。

 ローブというよりはドレスだ。

 同じ素材で肘まで有る手袋と太腿までの厚手のストッキングが付いている。

 同じく蒸れない。岩角程度では傷もつかない。

 さらに登山用にグラブと登山靴も買った。手袋も掌の部分は指先まで滑り止めがあるが、念の為だった。

 多分――崖登りが最大の難関だ、と考えての事だ。


「派手だな」

 発光はエリジアとしては控えめにしていたが、会うなりルメルは挨拶の前に言った。

「お早う。暗いうちに出よう」

 ルメルは濃い茶色のローブだった。

 ――馬車の中で珍しい装備ばかりのエリジアは質問責めにあっていた。

「短剣は良いけど、金色なのは錬金関係?」

「斬ると雷と炎と風の『属性系』魔法が発動します」

「最近レアな系統が増えて良く分からない。『精霊の加勢』の強力なの、だったかな。高等魔法だ。見做しレベル+1系だ」

「実際の攻撃範囲は長剣くらいありますよ。……重いと崖が登れないかなって」

「……うん。リュックも良く出来てる。僕の装備は百年前とそんなに変わらないと思う。……懸垂は? 何回くらい?」

「……これで」

 懸垂はやる必要が一回も無かったから出来ないだろう。

 エリジアは強靭なロープと金槌、鉄釘と縄梯子を出す。

 いざと成れば――たぶんそうなるが――ルメルに上から引っ張って貰う。

「ゴブリン以降は諦めたの?」

「大返しが120mですよ? 一応準備はして来ました。そこまでです」

 ルメルが嘆息する。

「冒険はしなくていいと言っているのは、エリジアだろ」

「いえ、死んでもお供したいのでこの装備です」

 ゴブリンには間違っても殺されたいわけではない。

 ルメルの剣術が見たい。それだけで壊れそうだけれどもその先が見たい。

 私は、どうなるのか。


 その頃。

 都市神より多少どころか比較に成らないほど、異世界の用語の正確な用法を知っている――ということで水辺原ミユウは宮廷付きルフィア担当にまで昇格していた。

 大体、他世界線の人間を手放すルフィアではない。

 特にこれといった職務は割り当てられていない以上、雑用一般を担当している。

 正式名称は「異世界文化研究所第十八地区室長」だが名称が長いし何をしていいのか分からない。

「何でもいいから食べたくなったらメモしてから会議所に調達させて」

 と、ルフィアに指示は受けた。

「あと、日記は付けて」

 クリスマス頃に他世界線との戦いが大騒ぎになって、ようやく静かな日々が続いていた。

 いつの間にか年が明けていた。

 正月は――他世界に慣れた積りでも「フェスタ」以外には特に祝日も大騒ぎもないのに驚いていた。

 会議所にお汁粉とお雑煮を薦めたらコンビニで買って来たらしく、正月気分だけは味わえた。

 会議所にも受けたらしい。「甘味処」とも言われたからしばらくそうする。


「異世界文化研究所」に居るのは聞いた事がない国の人が殆どだった。

 みんなではないけれど大体は日本は知っているらしい。けれど私はソマリアもベラルーシも知らない。

 ロシアとアメリカとイギリスと……全部で10個くらいだ。

 それも聞いた事があるだけで行った事なんかないし生活なんか想像もつかない。

「ここはウチよりマシだ」

 誰かが言っていた。

 川の水なのに? 綺麗だけど消毒はしていない。

「平均年齢に意味は無いと思う。でも暁より低い国が元の世界に有るのは分かるかな」

 イギリスから来たジェレミが言う。

 批判的だけれど仲は……良くしてくれているんだと思う。

「この部署に居れば一生……女王陛下が考えを変えなければ、死にはしないと思う。だけどいつまでも居る積りもないし、冒険もしたいし、そのうち追い出されるだろう」

 ジェレミもファンタジーが大好きで魔法使いに成りたいから来たのだ。

「ここの大学を受けてみようと思う。ある意味ではチートだが幸いまず数学でこの世界の誰もを引き離せる。既に解法が見つかっている難問まで到達さえしていない。語学も不自然なまでに――いや、通じる時点でおかしいんだが、堪能だ」

「数学出来るからいいよね」

「……口癖だね。ごめん」


 時々苛々しているようだけれどジェレミは表情には出さない。優しい。

「出来ないというのはどういう意味なのか。計算さえ出来ないのか原理が分からないのか自分でその先に進めないのか。難しいね」


 ミユウとしては。

 分数が分からないと言いにくいのだ。

 1/4+1/2が分からない。4と2だから両方に4÷2=2を掛けて足す筈だから2/8+2/4だから分母と分子を足して4/12だ。でもそうではないらしい。

「17歳だったかな。どこでどう習うとそうなるんだろうな?」

「今のちょっとイラっとした」

 ジェレミは年下だ。一個下だったはずだ。

「ごめん。4/12でいいから約分は?」

「分からないって言ってるでしょう! 何の役に立つのよ数学なんて」

「25%+50%は?」

「パーセントも分からないの! 何なのバカにしたいの?」

「……そうじゃない。ミユウの得意な事は他にあるんだよ。だから伸ばせばいい。ごめんね」


 これでも補習は受けるけど別にバカじゃない。

 高校はそもそも出る気なんか無かった。行っても意味なんかない。

 そんな事を聞かれた事のない、あの戦場に戻りたい。

 イートスさん。

 私はおかしくなりそうです。

「話題を変えよう。この都市の半分は農地らしい。残りの半分がいわゆる都市部らしい。何となくは分る?」

「……分るけど、どういうこと?」

「いや、難しい……もんだね」

 ジェレミが不思議そうな顔をして席に戻って行った。

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