第11話 森の深みへ。未知の世界へⅢ

 飲み過ぎていた。

 痛む頭は『酔い覚まし』でどうにかした。エリジアは顔の疲れは諦めて、まだ早い内に――夜だ――会議室に居た。


「お早うございます」

「……一応見に来ただけなんだけどな。今日は休めるの?」

 ドアを開けたルメルが驚いていた。


「取材です」

「本筋が進まない気がするけど、いいのかな。僕の冒険記なんかどうでもいいけどね」

「飲みに行かなければ続きは出来ます」

「……僕が持たないな」

 エリジアは意外に強いのかも知れない。あるいは誰でもそうだが――痛い目に遭うまでは――冒険に酔っているのかも知れない。

 だがその方がマシだ。生きるのに必死でレベル上げなど一切考えなかったかつてのルメルより。


「毎日必ず銅貨十枚を超えて、さらに大返しが登れるまでは……任せていいかな。こうした方がいい、というのも毎日たぶん同じだよ」

「……いえ。それじゃ意味が……」

「ルフィアの計画がある。無理だ。その日どうだったか一行で書いて、夜読ませて貰う。それ以上は出来ない。冒険記なんか作ってる時間が無駄だって言われかねない。ガイドに付いて貰えばこの程度は……」


 ドアが蹴り開けられた。

 咄嗟にルメルは抜剣までしていた。入り口に正対していた。

「……何だよ殺す気かよ」

「――アリエラ。僕は警備隊長だ。宮殿内でも気を抜いた事は無い」

「やめときな、そういうクソ真面目なのは。……そいつの練習、見てやってもいいぞ」

「大体どうなるかは分かってる。囚人も五人「更生」させたばかりだよな」

「三日だけ、な? 三日でいい」

「それだけあれば充分だろう。奴隷に仕立て上げるには」

「……剣、仕舞ってくれよ」

「殺気に反応するんだ。――大体アリエラの剣術は膂力が無ければ真似が出来ないだろう」

 ルメルは首を振ると、剣を収める。

「ほら、販売店の剣だよ。すぐ折れそうだけどな」

 アリエラは腰に一振り、剣を下げていた。


 危険な兆候だ。確かにアリエラとは仲が良いとはいえ、警備班では「要注意」に分類されている。隠れ家代わりにルメルが住んでいた家も貸している。――何をしているかは使い魔が見ている。半分は好意で貸しているが、半分は監視だ。奴隷が三十人以上住んでいる。

「……用意周到過ぎる。冗談半分でエリジアを壊されては困る」

「じゃ一日だけでどうだよ。明日も行きたいってなら付き合ってやる」

「……エリジア。どうする」

 これだけ警戒して見せて、さらに飛び込むのならばエリジアの自由だ。

 誰が何をしようが宮廷外――さらに森であれば咎めるかどうかはその場の判断だけだ。

「ルメルさんが無理なら……アリエラさん、変な事したら戻りますからね?」

「大丈夫だよ。な? ルメル」

「僕は知らない。じゃあ出かける」

 何もしない訳がないだろう。何でわざわざこの部屋まで嗅ぎつけて来る?


 ――夕方。視線が彷徨ったままのエリジアが変な汗を浮かべて会議室に居た。

「今日は何かあった?」

 ルメルは戻って直ぐに会議室に来た。

「……い、いえ何にも」

 エリジアが焦っていた。

「そっちじゃない。収穫なり反省なりを一行で教えて欲しい」

「あ、大返し、登れるようになりました」

「……どうやって?」

 有り得ない。一日で?

「ご……ご指導頂いて」

「大したもんだなアリエラも」

 どうやったか……。頭を読む気はない。椅子に座っているのが辛そうだ。

「……立ってその場で一回り出来る?」

「あ、え? なんで、でしょう」

 エリジアが真っ赤だった。

「命令だ。出来なければここで打ち切る。アリエラには旅行にでも行ってもらう」

「あ……はいっ。…………ルメル様が言うなら」

 様じゃない。さん、だ。

『治療』すれば痛みもないだろうに。

 半周した所で分った。

「僕に様を付ける必要はない」

 また尻を抑えながらエリジアが椅子に座る。


「森とは言えあの辺りで派手な事をするとすぐ噂になる。気を付けて」

「……はい。つ、続きに入ります。ルフィア様とルメル様が、オークを倒した直後、さらに森の奥へ入る箇所からです」

「まだ最初の一日だったね。二人とも、“様”は要らない」

「……気分の問題です。その……そうしたいんです」

「――任せるよ」


 《ルメル冒険記・森の奥へ》


 オークの攻撃は全て魔装が弾いた。これまでの革鎧とは見た目は変わらなくても性能が全く違う。

「無駄はないわね。動きに。次の相手はかなり速いわよ」

 そう、ルフィアが言った。森の奥に居た。干し肉、豆、木の実、香草。スープは火龍亭のものと遜色のない味だった。

(エリジア注:当然だが、虫除け等は全て塗布していると考えて欲しい。基本的な準備に不備のある二人ではない)

 黒い魔剣の使い勝手にもルメルは満足していた。軽く、バランスが良く、切れ味もいい。

 刺突に向いた先の細い剣だ。

 力は鋭く尖った先端の一点に集中する。

【黒刃】は武器であると同時に美しい。完成された機能美、何であろうと刺し貫く力。

 宮廷の武器資料室に於いても同格の物はない。


「……武器はもういいから。進めよう」

「幾らでも書けます。ここは」

「いいから」


「次はシャドウウルフ。魔力の塊よ。格上だし、倒せばレベル2が狙える」

 ルメルの魔液入れは既に紫紺だった。黒く染まり始めている。

 オークを倒し続けてもレベルが上がる可能性は有ったが、ルフィアが選んだのはより確実かつルメルならば倒せる限界という相手だった。

【黒刃】には光の属性がある。

 薄く光を帯びているのはそのためだった。

 それならば、倒せる。物理攻撃は無効のシャドウだが、光属性には弱い。


 奥地へと難なく入り込む。濃い赤の地点は巧妙に避けて、地図には詳細のない地点へとルフィアは進んで行った。ルメルにも経験のないルートだった。

「普段は森が閉じているの。この辺りは」

「何で今日だけ?」

「さぁ。運が良かったわね」

 後に分かった事だが、夜の内に森に入りルフィアがこじ開けていたのだ。

「その場で」支援しなければ魔液入れはチートだとは見做さない。


 ルフィアは策士である。

 まるで切り開かれたかのように――実際、ルフィアが藪と茂みを切り裂いていたのだが――整備された道を歩いて行く内に、次第に薄暗がりから闇に近く、大樹が陽を遮る。

 黒みがかった濃密な霧が立ち込め、人の立ち入る場所ではないと知らせる。

 基礎魔法でも使える『灯り』――詠唱者の周囲、思った場所に灯り続ける――が僅かな光を二人、それぞれの周囲に届けていた。


「私はここまで。その先が、唸り声は聞こえると思うけど、シャドウウルフ」

 ルフィアには既に狼を模した魔物の足音が聞き取れる。

 指差した先の闇から、微かな殺気はルメルにも感じ取れた。

 持参したブランケットを敷くと、不安を押し殺してルフィアはルメルの戦いを待った。


 魔力を好む妖精がルフィアに話しかける。黙るように言い聞かせて、ルメルが――強敵には違いないのだから――持てる力よりやや上の相手と対峙するのを、息を呑んで見詰める。

 ルメルが深手を負えば躊躇なく『治療』し介入し全滅させる予定だ。

 合一は済んでいる。光を爆発させてもルメルにはダメージは無い。

 暗闇を見通すルフィアには敵が全て見えていただろう。

『気配』でその位置まで正確に分っていただろう。

 魔液入れを騙す――聞こえは悪いが――為にはこれ以上の支援は出来ない。


 ルメルはほんの僅かな唸り声が闇の中から響く、その場所へ近づいていた。

 どこが湧き場の境界線か、相手が見えない以上は推し量りようもなかった。

 不意打ち。

 それを狙う事はあっても間違っても自分がその標的に成ってはならない。

 だが湿った霧の奥ではルメルの鋭敏な感覚でさえ、どこからが湧き場なのか見当が付かない。

 ルメルが取った行動は再びルフィアの心臓を凍り付かせる事に成る。

『灯り』を消し、分厚い闇の中でルメルは目を閉じた。

 ルメルとしてはもはや「見ても分からない」と判断しての事だが、見守るルフィアには、また自ら危険に飛び込むのか、と思わざるを得ない。

 獣そのものではない。嗅覚も意味は無い。

 ただ音だけにルメルは集中した。

 相手が一斉に動けばそこが境界線だ。

 威嚇する唸り声。迫る足音。

 踏み入れたのだとルメルは判断し、数歩飛び下がった。

 刺突は狙えない。そう考えた。音だけで正確な位置までの把握は無理だ。

 切り払いで傷を負わせ、弱らせるしかない。

 境界線の位置は覚えた。踏み込んで切り払う。


 堂々と、境界線を越える。斬っては下がるのが正しいだろうが、切り払いならば距離を保てる。

 正解ではないにせよ、レベル2が目の前にあればそれを強引に奪い取りたい。

 一気に踏み込むと『気配』ではなく気配だけで一体を屠った。

 さらに迫る数体に向けて剣を振り、手応えを確認する。

 どこかを、斬った。悲鳴を上げて数体が飛び退く。まるで――シャドウに取って狼は擬態に過ぎないのに――狼のような声を上げ、逃げる。

 傷を負わせればある程度は追い詰められる。そこからの反撃が予想出来なかった。

 剣を振る時に光り、軌跡が目に残る。光属性の剣の特徴とはいえ、今は不要だと判断したルメルは目を閉じては斬り、暗がりが戻っては目を開く。


「あの、全体を照らして戦ってもよかったんじゃ……」

「それが正しい。耳に頼り過ぎてた。位置が分かったんだよ。なぜか」


(エリジア注:真似はしないほうがいい。充分に照明を明るくして戦うべきである。私は相手が見えていようが命中しないのでこんなことは書く資格がないが)

 遥かに――見えない敵、見てはならない敵――先に待ち受けている敵を、この時に既に相手にしていたのだとも言える。

 何よりも、既に目が慣れて来てはいたのだ。

 完全な暗闇ではない。

 さらに相手が寄せるタイミング、引くタイミングも予測の範疇に収まりつつあった。

 習性も知らない訳ではない。本来魔物でなければ苦痛なり死の恐怖なりを喰らうようなことはなく、人を相手にすることはない。

 傷つけば引き、襲い掛かる時は集団で多方向から狙う。

 シャドウウルフについて言えばそうだ、とルメルはほぼ理解していた。

 足を狙われる。何度も足元で水が、氷が張っては消える。

 恐らく引き倒して喉を狙おうという攻撃だったと思われる。

 湧き場の特性もあった。

 見渡す限りゴブリン、オークといった大型の湧き場ではない。ルメルの戦術は対角線を突っ切りながら切り払いを続ける、というものに成っていた。

 狭い範囲で切り裂き続ける。

 弱らせるという方針が正しかったのだろう。いつの間にか、全滅させていた。

(エリジア注:ルメル本人がいつの間にか終わったと言っているのだ)

 気配が消え、紫色の魔力が森を照らす程に輝いていた。


 ルメルは魔液が熱くなり、行き場のない紫の光が渦を巻いているのを見ていた。

 これ以上魔力を吸い込めない。

 恐らく。レベルが上がる。

 その予感に、ルメルはルフィアの元へ駆け出していた。

 一刻も早く鑑定――自分でも出来るが――して欲しかったのだ。

 ――ルフィアが「間違いないわね」と『鑑定』し、『灯り』に魔液を透かして見ていた時。

 ルメルの手元に、封筒が舞い降りた。

 レベル2の恩寵を知らせるものだった。

 一生無理だと思っていたものを手にした瞬間であった。

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