第2話 出逢いⅡ
「この頃のルフィア女王って可愛いですね」
「……僕にはそう変わったようには思えないけどな。いや、その辺りは親父が死んだ話だから可愛いとかは無い。またパンツの話とかは書くなよ?」
「……」
「おい」
――これを、とルフィアが書類を綴じたものを渡した。
「レウス様の財産目録です。死に伴う全財産没収は近々、会議所が廃止するようです。それまでの間、私が財産を引き継いでいます。さらにルメル様に全部を移譲すれば、何も没収はされません。どうか……正式に、受け取りをお願い致します」
ルメルは死亡時没収のルールは知ってはいた。だが、こんな方法で回避できるとは全く知識がない。そもそも法律知識も殆ど無いのだ。
しかし、ルメルの頭を占めていたのは、財産の事ではない。
「本当に……死んだのか?」
まだ死を受け止められる心ではなかった。二週間の死亡判定予備期間が有るのも、その間に心の準備をするためだ。
昨日まで、一緒に居た。物心ついてからずっと一緒に居た。
身体を引き裂かれるような、ごっそりと何かが消えてしまったような感覚しかない。
財産などに考えは及ばなかった。
「見た……見たってどういう事なんだよ。目の前で殺されたのか? どうして……」
「目撃しました。私達は洞窟に居たのです。それが……入り口をキラーマンティスに突破されて……迂闊でした。もっと厳重に防護をしておくべきでした。私……ルフィアの過ちです。お父様は首を斬られ、目の前で……」
少女も涙を堪えていた。
「事実ならば、しょうがない。君のせいじゃない。夜の森に行きたいなんて言い出した親父も悪いし、そんな所に付き合わせたのはもっと、酷い事だ。僕が代わりに謝罪すべき事だ」
死を受け止め、失われたのだと実感するにはまだ時間はかかるだろう。
ルメル自身もそう感じていた。
何よりも実感を大事にする。それがルメルにとっては生きる術であり、信条でもあった。
ようやく、凍り付いていた思考が少しだけ動き始める。
「……報告有難う。何もないけど、お茶でも飲んで行って。今用意するよ」
少女にとっても辛い報告だっただろう。
死を目撃し、それを自分のものとして責任を負い、ここまで報告に来たのだ。
――感謝するべきだ。
ただ心配だけしていただろう未来の自分はもう居ないのだ。
明日からは一人で生きていく。
そう、背中を押して貰ったのだと思うしかない。
黙って、ルメルは湯を沸かすと、持っている中では一番高価な茶を淹れた。
無垢の木造りのテーブルは飾り気もない。父とルメル、二人だけが住んでいる家だった。
華やかさや彩りはない。母は、とある事情で早くに家から居なくなった。
茶を二つ置くと、まだ玄関に居る少女に、
「上がってよ」
と言った。
「失礼します」
と、澄んだ声が届く。
――少女と差し向いに座って、お茶を飲む。その時にルメルは菓子も何もないと気付く。
冒険者は朝日が昇ると同時に森に入り、夕日が沈むと同時に森を出る。
家に帰る前に――稼ぎによって規模は違うが――居酒屋か屋台で何かを食べる。
備蓄してあるのは冒険用の干し肉とスープを作りたくなった時に使う豆くらいだった。
「何もない。ウチはお菓子を食べる習慣も無くてね」
「いえ……もしルメル様が食べたいものがあれば何なりと買いますけれど」
「いいよ。そんな事をして貰うのはおかしい」
「いえ、これから、大事なお話があるんです。長いお付き合いになります。金貨の一枚二枚など私にはどうにでもなる話です。その百倍でも」
そんな大金を持っているのか? ルメルが、有り得ないと取り消そうとした時。
――ルフィア。
ようやく動き出した頭が、唯一無二の名前だと気付く。
あの、ルフィアなのか?
「あ……あのさ。もしかして、君は、世界を滅ぼせるっていう、魔法使い?」
目を見開いて、椅子から落ちそうに成りながら、ルメルは今日二つ目の驚愕を感じていた。
「悪名は轟いているようですね。はい。その通りです」
白銀の髪。紺色の瞳と合一させた最上級の魔装。噂通りだった。
間違いはなかった。ルメルの目の前に居るのは、世界最強の魔法使いだった。
「びっくりしたでしょうねぇ。そりゃもう」
エリジアがニヤニヤと笑みを浮かべる。
「……親父が死んだ事も忘れたよ。親父には悪いけど」
「お父様は遺言を残していらっしゃいました。夜だから何が起きても不思議ではないと思ったのでしょう。森でこれを渡されました」
「あ、ああ。な、なんだろ」
ルメルは父の話を出されてもなお、まだ目の前にいる世界最強のルフィアの圧力とでも言うべき存在感で吹き飛びそうだった。
逸話が、風聞が頭を駆け巡る。
曰く。
睨んだだけで何も詠唱せずに人を殺せる。
二日、三日馬で駆け通して逃げてもいつの間にか現れる。
本気を出したら暁の森など一瞬で吹き飛ぶ。
「……あの、ルメル様?」
「ええと、なんだっけ」
もう話が頭からどこかに蒸発していた。
「遺言です。読みましょうか」
「僕はあんまり字が得意じゃないから」
ルメルは正直に言った。魔導書は持っているし読めるように勉強もした。
最低限の読み書きは出来る。
さっきから変な緊張感で一杯だった。
読んでくれるならその方が良い。緊張で文面が頭に入らないだろう。
「たった一つ、願いがある。私が死んだら、息子を一人前にして欲しい。以上です。私は命を賭して、これを守る事を誓います。まず、逞しく立派な冒険者であったお父様の為に。そして最強と言われながらも一人さえ守れなかった自分を決して許さない為に」
「ゆ、許さないって、だってもう済んだことじゃないか」
「……言い換えましょう。永久の自戒を誓うことは自罰ではありません。二度と、こんな事の無いように。――あなたの冒険に随行する時に死なせはしない為に。そう取って頂いても結構です」
「僕の? 冒険?」
すっ、とルフィアは立った。儚げな印象さえ有った少女の姿ではなかった。
王者の姿だった。
「只今よりこのルフィアは必ず冒険行には随行し、決してルメル様を死なせず、ルメル様が一人前に成るまでこの身を捧げる事を誓います。……どうか、宜しくお願い致します」
「あの、これ、まだ有効なんですか?」
「昼はルフィアが森の奥について来てくれるけど……ルフィアに聞いてくれよ。エリジア」
「畏れ多くてそんなことは出来ません」
エリジアは顔の前で手を振る。
――世界最強の魔法使い、ルフィアが頭を下げている。さらに言われた事も衝撃しかない。
この身を捧げる? 一人前?
ルメルはまるでルフィア以外の物が見えなくなったようにさえ感じる。
同じ事を言われたら死んでもいいという人も居るだろう。
「あの、さ、一人前って、どれだけ強く成ったらいいのかな」
想像も付かない。
「神と同じレベル。そこで初めて一人前です」
「あ、え……」
「レベル5。最上級の神でさえこれを超えることは有りません。レベル5に成って頂きます」
待ってくれ。ルメルは幸運に恵まれたのかも知れないが――いわゆる神殺しと呼ばれるレベルまで上がれ、と言われたのだ。感極まって、ではなく無理過ぎて泣きそうだった。
「僕は、もう十年以上やってるけど、まだレベル1だよ?」
志は、そこまで思ってくれるのは嬉しいけど、許してくれ。
大半の冒険者はレベル3に達する事も無い。
レベルゼロ。魔法と親しみがあるだけでごく基礎的な魔法が使えるだけの者。
レベル1。精霊と親しみ、一部の魔法については長けている者。
レベル2。あくまで神からの恩寵により、系統は変わってくるが――人によっては高等魔法を覚える。
レベル3。およそ周囲を見渡して敵などいない者。
また、別の言い方をすれば、レベル1つの違いはその下のレベルに対して一騎当千の力だとも言える。全体的な力が十倍に成る事だとも言う。
「……覚悟はしております。ですがぜひ、一生の間には」
「一生って」
「私は魔法生物、エルフです。人の一生くらいは喜んで見守ります」
エルフの一生は大樹に、それも極めて永く生きる大樹に準えて言われる。
人の身から見れば永遠のようなものだった。
「一生……でも、ダメだったら? どうしても出来なかったら?」
「それもまたルメル様の一生。寄り添って生きて参ります」
「私ならこう言われたら落ちますね」
「エリジアがどうかって事は聞いてない」
「そこ興味持ってくださいよ! 何のために……」
「そこそこ長い付き合いにはなるだろ。僕達も」
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