死神と呟く死者

 インターネットの世界とはえてして酷く心もとないものだ。

 言葉を放ち、それが返ってきたとき、返した人物が一体どんな顔でそれを返信したのか全く想像がつかない。もしかしたら一人で複数になりきっていることもありうるし、一人を複数が演じている可能性もある。もっと極論を言えば、その人物が「本当に存在しているのか」はっきりと明言できない恐ろしさがある。

 日常の呟きツールに関するある不気味な都市伝説には、そのツールを通じて知り合ったメンバーでオフ会をやろうということになり、いざ集まってみれば、自分を除いた全員が「実際には存在しない」架空の人物であった、という話もある。

 私もつい最近、そういった少しばかり不思議な体験をしたばかりだ。夢と言うにはあまりにも地味で、しかし、現実に起こったことだと言いきるには少しばかり非現実的すぎる。誰かと共有せずにはいられない、酷く不気味で、それでいてどこか悲しい。そんな体験だ。

 もしも聞きたい、と言ってくれる人がいれば、しばし私のたわ言につきあってもらいたい。なに、それほど時間はとらせない。話し半分のつもりで、作業の傍ら刺身のつま程度の感覚で聞いていただきたいのだ。信じるか否かは、あなたの胸一つで決めてもらえればそれでいい。信じてくれ、という気はないし、私自身、この体験を自分の中でどう位置付けていいのか分からないのだ。

 では始めよう。これは、私が先ほど話題に出した日常の呟きツールを使い始めてから、2年ほどが経過したある日のことである。




 会社から帰宅し、いつもの習慣でパソコンの電源をつける。コンビニで買った惣菜とおにぎりをそばにおいて、それからお茶を入れようとキッチンに立った。電気ポットに水をいれて数分。ティーパックの煎茶をマグカップにいれてお湯を注ぎ、摺り足気味にパソコンの前に戻ると、既にデスクトップでは起動と同時に立ち上がるように設定された呟きツールが、他人の零す何気無い呟きを際限なく吐き出していた。

 顔も見えない、それどころか顔も名前もわからないような人々の日常非日常が無秩序に乱舞するこのツールが、私は嫌いではない。封を開けた惣菜をつつき、おにぎりを頬張りながら早速その無秩序に加わると同時に、過去の呟きを遡って、自分のフォロワーたちが一体どんな話題に興じていたのかを把握する。それが私の習慣であった。

 独り言の文字制限は140字。それは文字として残るが、広大な呟きの流れに紛れて大抵のものはすぐにかき消えていく。呟いた傍から消えていく、あまり重い意味もない言葉の羅列だからこそ、私は時折、ひどくその独り言たちが愛おしくなることがあった。拾われていく言葉などほんの一握りで、今も意味のない言葉の羅列が、誰かの体調不良を訴え、誰かと誰かの喧嘩を実況し、誰かと誰かの恋模様を赤裸々に告白している。

 ……その日私は、その中に一つ、変わった呟きを見つけた。

 呟いた主は、私のフォロワーの一人である。幻想小説を読むのが趣味の私は、似たような趣味の持ち主を探してフォローしているが、その人物も例にもれず、ある有名作家の大ファンであるという事だった。ただ――これはこのツールで他人と何気ない一言を共有し合う以上、避けては通れない問題ではあるのだが――この人物は少しばかり悩みの多い性格をしているようで、小説の話を呟くのはほんの一時、あとは悩みをつらつらと書き連ね、最後には「二次元に行きたい」等と呟いてしまうのである。

 とはいっても、長大な独り言の大河に小石を一つ投げ込んだ所で、それが流れを大きく変えるはずもなく、大抵そういったくらい内面を彷彿とさせる呟きはタイムラインの画面上から押し流されてしまい、大丈夫かな、という一抹の不安と心配を残してさっさと消えてなくなってしまうものであった。こういった独り言を呟いている私のフォロワー、名前を仮にMとしよう。

 その日私の見たMの呟きは、いつものそれとは少しばかり様相が違っていた。


『ようやく二次元にこられたぜ! つまんねー三次元とはおさらばだ!』


 何のことだろう、と思った。二次元とは、簡単にいえば小説や漫画、ゲームの世界であり、三次元とはつまり、現実のことである。このくらいの事は私でも分かる。私はおにぎりの最後の一欠片を口の中に放り込み、煎茶で口の中をすすいでから、私はその呟きを凝視した。

 先ほどものべたが、二次元とはつまり、小説や漫画、ゲームの世界を指している。そんな世界に「来られた」と表現するものだろうか。私はにわかに不安になった。Mは一体、どうしてしまったのだろう。それとも、いつも抱えている悩みがどうしても耐えられなくなって、現実逃避に酒でも飲んでいる――Mがすでに成人していることは、呟きの節々から見てとれる――のだろうか。

 Mの呟きは更新されていた。妙に興奮した文面が並ぶ。


『ずっと来たかったんだよなー二次元!』

『やっぱ二次元いいよ二次元 こっちのがずっと楽』

『これで俺は自由ですww現実ざまぁww』


 またいつもの鬱な独り言か、と思われているようで、誰一人としてその呟きに応えるものはいない。もしかしたら、私のフォロワーの中にはいないだけなのかもしれないが、少なくとも私のフォロワーであり、Mをフォローしている人々は、このMの呟きを単なる冗談と判断したらしかった。

 反応がないのを見て、やっぱりただの思いすごしだろう、と私も思い直す。Mのいつもと違う呟きを見ても、数分後にはまた別の話題を呟き始めるに違いないと思ったのだ。

 ……しかし、何分たってもMの呟きは暗く重く、それでいて妙な興奮を伝えるばかりである。いつもと違う……そんな違和感が、不安感を納めるどころかさらに強くなった。

 話しかけるべきだろうか。お節介になることはわかっていたものの、流石に私は心配になってそう考えた。ただ、Mの悩みも詳しくわかっていないのに、見当外れの事を言ってしまうのはまずい。

 しばらくためらっていると、私以上にお節介な人物が、私とM、共通のフォロワーにいたようで、軽い電子音と共にMへのリプライが更新される。私は目をみはり、それを読んでみた。


『随分お疲れのようですが、どうかご無理をなさいませんように』


 その人物は、とある私立大学に通っている大学生と名乗っていた。サークルの関係で脚本を書いたりするのが趣味だということで、その人物とは時折、共通のファンである作家の文体について感想を交換している。名前は仮にHとしておこう。

 HのリプライはMの目にも入ったらしく、すぐにMからHへ返信が更新された。


『オツカレリプ感謝っす! いやいや、全然テンションハイなんだよね。Hさんの方もどうっすか二次元!』

『え(;^_^A いや僕は煩悩がすごくてまだ嫁に会いにいけてませんけど』


 HからMへのリプライは少し時間がかかっていた。流石に「一緒に二次元来ませんか」だなんて言われて返答に困り、当たり障りなく返す言葉を探していたのだろう。

 対して言葉を選んでいないらしいMは、Hへ即座に返事を送信した。


『ふっ……Hさんはまだまだ修行が足りんということだな!』

『師匠! と呼ばせてください! ……というのはともかく、いつもお疲れみたいだし心配になってしまったので。いらない心配だったみたいで安心しました。ただ』


 文章の途中でぶつりと切れたような印象の返信に不審を覚える。間違ってエンターキーを連打してしまったのだろうか。しかし、そうではない事はすぐに知れた。HのMへのリプライがすぐに更新されたのだ。


『あんたのいるその場所は、二次元と呼ばれるような場所じゃないぞ』


 私は思わず目を疑った。私には、Hが間違ってもこんな言葉遣いをする人物だとは思えなかったからだ。

 Hはまだ学生だということもあって、自分のフォロワーたちが基本的に自分より年上だと認識しているようなところがあり、常に返信には敬語を使っていたのだ。そんなHが口調をガラリと変える。まるでその状況は、HのアカウントをHでない誰かが使っている様な、不気味な印象を受けた。

 もちろん、普通にみれば突然失礼な言い方をされたわけで、Mからすれば無視されても仕方のない対応である。私は煎茶を口に含んでHのこの不思議な対応を思った。こんな挑発的な物言いをする人物ではないと思ったが。これで二人の会話もおしまいだろうか。

 しかし、しばらく双方ともに沈黙を守っていたタイムラインに、変化が起きた。最初に口火を切ったのはMである。


『おまえだれだ』


 まるでそれは、Hのアカウントを誰か別の者が使っていると確信している様な言い方だった。変換もせずにたった一言送信したのが、逆にMの動揺を物語っているように見え、私はさらに不審を覚える。そもそも二次元云々という話は、ものの例えか、或いはMの冗談ではなかったのか。

 しかし、そんな質問をするのも憚られる雰囲気が、二人の間には流れている。Hはしばらく黙っていたようだが、やがてMの質問とはずれたリプライが更新された。


『あんたのいう二次元ってのは、もっといろんな場所に通じてるものだろう』


 不自然すぎるその言葉に、私は不気味な印象を覚えた。先ほどまでのHの言動をまるで無視している。この言い分では、Hが二次元と言う言葉を知らないでいるということになるではないか。もしかりに、HがHではない誰かを語っておかしな言動をしているのであれば、まだ憤然とするだけでよかった。しかし、これにはそうではない不気味さがある。だいたい、HがMに、ほかのフォロワーが見ている前でこのような行為をしでかして、その後表面を繕う事など出来るはずもない。これが悪戯であるなら悪質であり、そして今後このアカウントで呟く楽しみが激減する。つまり、Hにそのようなことをする理由などないのだ。

 それにそもそも……私は、煎茶で喉をうるおしてから首をかしげた。二次元云々というのは、Mの冗談ではないのか。いやむしろ、HとMが共謀して冗談をやっているという可能性はないだろうか。

 しかし、そんな疑問をよそに、MはHへ、怒りもあらわに返信した。


『は?何突然変な事言ってんのバカなの?』

『しりもしねーでえらそーにdisんじゃねーよ』

『あーそっかHさんは俺と違って二次元いけねーからうだうだ言うわけですね嫉妬乙ww』


 お茶を飲んでMの対応にため息をつく。冗談であるならば、これはいくらなんでもやり過ぎだろう。まるでムキになっているとしか思えない。とはいえ、かといって喧嘩を仲裁する事も出来ず、私はただ事の成り行きを静かに見守っていた。しかし、いくら見ていようと不自然な印象は拭えない。どう考えてもおかしい。これではまるで二人の会話が、実際に存在する「二次元」という地名について話をしているような印象を受けるではないか。そもそもそんな場所が存在するわけもないというのに、である。

 おかしなこともあるものだ。しかしもし感じた違和感が気のせいでなければ、次に想像に至るのは現実離れした妄想である。

 つまりMは現在、現実的でない非日常の取り巻く世界におり、そこを二次元だと認識しようとしている。しかしHはそこがどこだか理解した上で、その場所は二次元ではないと解釈している、ということになる。そのようなことが実際にあり得るのか。

 やがて落ち着き払った文体で、HがMに返信した。


『その場所が「そうじゃない」ってことは、もうあんたも分かっているはずだ。その証拠に、あんたは嬉しい嬉しいと言いながら、それ以上の事は決して言わない。ずっとその窓に縋りついたままじゃないか』


 そう言えば、と、Hの言葉で私は思い出した。「最近呟きツールに姿を見せなくなった人よりも、常にそこで呟きつづけている人の方を心配しなくちゃならない」という意味のリツイート。確かに、とその時の私は考えた。このツールはあくまで他者との交流を補助するツールであって、日常を放り出してまでするものではないという私の認識を、その呟きは見事に代弁していただのから。

 その理論で行けば確かに、Mの「二次元に来たと言いながら動こうとしない」言動は、Hの言うとおり不自然だった。……本当に、二次元と言うものがあれば、の話だが。


『もう一度聞こう。あんたのいるその場所は、何処かに通じているのか。とてもそうとは思えないが』

『だまれ』


 即座に返ったのは罵声だ。しかも余りにも余裕のなさそうなたったの一言。もう驚き疲れている私にとっては、それがまるで、探偵に追い詰められる犯人の、最後のあがきのようにも見えた。探偵役のHは犯人役のMに向かって更に言葉を重ねる。それはまるで、犯人への説得工作にも見えて、私は固唾をのんで見守っていた。


『よく聞いてほしい。あんたのいる場所は、どこにも通じていない。あるのはあんたが見ているその窓一つきりだが、そこから出られるのはあんたじゃない、あんたを象徴する【言葉】だけだ』

『うるさいだまれ』


 返答はやはり罵声だが、もうMの言葉に覇気の様なものは感じられなかった。Hはさらに続けた。


『その言葉から、俺はあんたがいる場所を探さなきゃならない。このままだとあんた、本当に「そこ」から出られなくなるかもしれないぞ』


 Hの言葉に、Mからはしばらく何の反応もなかった。最後の脅しに近い文面に怒りを覚え、ログアウトしてしまったのか、それともやはりこれはMとHの二人で仕組んだ悪戯で、これから種明かしが始まるのか。

 しかし、これが冗談ではないという事がすぐに知れた。


 呟きツールと連動した動画投稿サイトのURLが、Mの呟きに貼り付けられる。若干のタイムラグのあと、Hがその呟きを非公式でリツイートした。そのまま続いて、いつもの口調に戻ったHの呟き。


『僕のフォロワーさんの一人が、自室で倒れて動けないそうです。でも僕には、フォロワーさんの言った住所がどこにあるのか分からず、困っています。どなたかご存知の方、いらっしゃれば僕と彼に力を貸してください!』


『信じてもらえないかもしれないけれど、これは本当なんです、悪戯じゃないんです!』


 私は恐る恐る、Hの非公式リツイートにMと同じようにはりつけられたURLをクリックしてみた。すぐにブラウザが開き、若干の読み込み時間を経て、それはスピーカー越しに聞こえて来る。

 しわがれた、しかしまだ若い、青年の声。


『○○町X丁目N番地……Y号室……』

『心臓、痛くて……いき……できな……』

『だれか……!』


 画像はない。真っ暗だった。

 私はブラウザを閉じると、しばらく迷ってそれからMの呟きを公式リツイートした。

 ○○町のX丁目にあるマンションは限られている。そこは私の住むマンションのすぐ近所だった。躊躇った後、固定電話へ向かい受話器を上げる。

 一呼吸おいて、私はダイヤルをプッシュし始めた。




 その翌日の新聞に、小さくある青年の死亡記事が掲載されているのを職場で確認した私は、顔を覆ってため息をついた。新聞に書かれている住所とマンションは、Mが動画で告げたアドレスである。恐らく病気による心臓麻痺ではないかと書かれていたが、変死事件として警察が捜査に入るという事だった。

 インターネットでは、動画サイトの投稿や私とH、そしてM本人の呟きがまとめられていて、ちょっとしたツールの都市伝説と化しているらしい。

 突然口調の変わるフォロワー。

 画像のない、音声だけの動画。

 一番不可解なのは、警察の発表した死亡推定時刻は、動画のアップロードやMとHの口論が始まる、さらに1時間ほど前であったという点である。

 私が最寄りの病院へ電話をかけ、救急車を手配してMのマンションへ行ってもらった時、既にMは事切れていたという事だった。Mが動画をあげてから、私が電話をかけ、救急車が到着するまで、1時間はかかっていない。という事は、あの動画をアップロードした際、Mの息は既に、無かったということになる。

 ……だが、実際にそんな事が、ありえるのだろうか。


 ――これが、私が最近体験した、不可思議だがあまり派手さのない出来事のあらましだ。あの時のHの口調が一体なぜ変わったのか。そしてHがどうしてMの状況に気づく事が出来たのか。私としては推論の域を出ないが、あのいつもと違う口調のHは、あれから一切姿を現していない。

 真実も、最早霧の中……或いは、水の中……と、言った所なのだろうか。

                             <了>

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