死神と雪山

限界まで引き絞られた弓の弦のような、鋭い寒さだった。


5人の男達は山の中腹に立てられた小さな山小屋にいた。四隅に1人ずつ。体育座りで壁に寄り掛かっている。最後の一人は部屋の中央に、凍えて冷たくなった四肢を横たえていた。冬の雪山で遭難し、彼らはやっとの思いでこの廃墟へたどり着いたのだ。




「いいか、絶対に止めるなよ。止めてしまったら…」


男の一人が震える声で呟く。暗闇の中でいくつもの同意が返ってきた。最初に口を開いた一人が立ち上がり、先ほどよりも大きな声で宣言する。


「俺からいく。…始めるぞ」


そう言うと、彼は震える足を励ますように、一歩一歩壁伝いに歩き始めた。




その様を見ていた者がいる。暗闇の中に紛れて全く見えない黒ずくめの姿だが、この雪山にそぐわぬ薄着でもあった。男はため息をつき、周囲を見渡す。この、鼻を摘まれても気づかないほどの暗闇の中で、四隅の男が見えているらしかった。静かな調子で、誰にとはなしに呟く。


「…これでは駄目だろう」




「だからあんたに頼みたいんだ」


思わぬところから返答があった。四隅の男達は全くの暗闇で、黒ずくめがいる事に気がつかない。応えた5人目の男は、真っ暗な中、不思議な輪郭をもって黒ずくめの前に現れたのだった。


「頼むよ死神。俺はともかく、あいつらは無事に山を降りさせてやりたいんだよ」




死神、と呼ばれた黒ずくめは、ほう、ともう一度ため息をついた。死神の吐きだした息は湯気が出ることもなく、凍りついた床へ落ちていった。


「…だけどそれなら、あんただって」


「無理だよ、不可能だ」


男は死神の言葉を悲しげに否定する。


「だってもう俺の身体、カチカチに凍ってもう動かないんだ」




中央に置かれた己の身体を悔しそうに見つめ、男は絞り出すように言葉を継ぐ。


「俺だって皆を助けたいよ。でもあの身体じゃもう、皆の肩を叩いてやれない。絶対生き延びてやろうぜって、声をかけてやれないんだ」




死神はその様を見つめ、小さく三度目の、凍りついた息を吐き出した。


「…夜明けまで、声と姿を借りてもいいか」


男はパッと顔を輝かせ、深々と死神に頭を下げる。死神はそれには応えず、すたすたと誰もいない四隅へ歩いていった。一歩進むたびに、暗闇の中で登山用の装備が彼の体を覆って行った。


やがて隅に辿りつき、静かにその場へ腰を下ろすと、強く肩を掴まれる。4人目の男が死神の背後にいた。




「…生き延びるぞ…!」


寒さと恐怖に震える声を耳元で聞き、すがるような、息を失った者を揺り起こすような強い力に、文字通り身体を揺さぶられた死神は、中央に眠る男の声を借りて、出来るだけ強い口調で呟き返した。


「『ああ、絶対に生き延びてやろうぜ!』」

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