死神と約束の雪

死神と約束の雪

「あ、幸也!」

 よう、いい子にしてたか?

「何よ、子供扱いして!」

 悪い悪い。ほれ、お土産……いや、オトナなさゆにお土産は似合わねぇか。じゃあお持ち帰りで。

「あ、ウソウソ、さゆまだ子供だよー」

 ……ったく、調子がいいんだから……。ほらよ。

「わーぃ……えー、写真……? ……あっ」

 あれ、いらないのか? お前が見たがってた雪だるまの写真なんだけど。いらないなら……。

「いるーっ! いるいる超いる幸也大好きーっ!」

 ……ホントに調子がいいんだからよ……。

「えへへ……。あ、これ幸也んちのペンション。るいちゃんと前で作ったんだぁ……」

 今絶賛スキーシーズンなもんで。避暑地にゃこれ位しか楽しみがねぇんだよ。そうだ、お前もまた来るだろ? 義父さんも義母さんも、るいも楽しみにしてる。

「……うん。また行きたいな……」

 行きたいなってお前……。外泊許可取れない位悪いのか?

「そ、そんなことないよー!」

 ……ま、いいけど。雪だるま見にくるんだろ? じゃ、外泊許可取れよ。またうちに泊めてやるから。

「……うん! あの、幸也?」

 んー?

「……ありがと」

 ……なに、悪いもんでも食った?

「なにそれひどーい!!」

 ははっ。じゃ、そろそろ行くわ俺。外泊許可取れたら連絡しろよ?

「はーい! 約束ね!」

 ……おう。約束!



「……んだよこれ」

 低く、幸也は唸った。目の前には白いベッド。幸也が知る限り、そこにはさゆがいるはずだった。

「なのになんで……!」

「『なのになんで、さゆがいないどころか、シーツや荷物が綺麗に片付けられてるんだ』……か?」

 幸也の言葉を引き取って、幸也の影が喋った。同時にゆらりとその影が波紋を広げる。まるでロウソクの灯りでできる様な光景だが、今この瞬間は明らかに異様な状況だった。

 幸也は驚いた様に肩を震わせ振り返り、しかし、視線の先に影の様な男が立っているのに気がつくと一転、なんだお前か、と言わんばかりに鬱陶しげなため息をつく。それから顔をしかめてかぶりを振った。

「まだいたのかよ、アンタ。いい加減にしろよな」

「いい加減にしたいのは山々なんだが……。そういうわけにもな」

 男はぼそりと呟いて髪を掻き上げる。外に雨でも降っていたのか、その全身はぐっしょりと濡れていた。

 陰気な男の態度にいらつきを隠せない幸也は、これ見よがしに舌打ちして見せる。それでも態度を崩さない男に向かって、喧嘩腰に言った。

「ホントにいい加減にしろよ! 死神だかなんだか知らないけどいつまでも付きまといやがって! ……あ、ま、まさかさゆにまでなんかやったんじゃないだろうな!?」

 鼻息も荒く詰め寄ると、死神と呼ばれた男は驚いた様に目を見張って鼻白む。慌てた様に手を振ってかぶりを振って口を開いた。

「な、何でそうなった」

「だってそうだろ! さゆは腎臓に障害があって、透析しなきゃ生きられないんだぞ! 突然いなくなるなんてあるわけないだろ!」

そうだな、と呟くと死神は静かに頷いた。

「……だからお前は、自分の腎臓を分けたんだからな」

 ……途端に、幸也の表情が凍り付く。暫く沈黙した後、彼は不貞腐れた様に鼻を鳴らした。

「……そーだよ。結局定着しなくて透析生活に戻っちまったけどな」

 そしていまの動揺をごまかす様に声を荒げ、死神に詰め寄る。

「てゆか、何でそんな事知ってんだよアンタ!」

「……すまん。もっと詳しい事も知ってる」

 死神はどこか気まずそうにそう言うと、どこからともなく一枚のカードを取り出した。紙のカードで、点々と血がついている。それを見た幸也の表情が、今度こそ引き攣った。

「あ、ちょ、おまっ……! 返せそれっ!!」

 幸也の手が伸びて、死神からカードを奪い取る。そして点々と血で汚れたカードと死神を、白々とした目で交互に見た。居心地の悪そうな顔をして、死神が目を逸らす。しかしそのまま、死神はぼそりと小さく呟いた。

「……やっぱり、覚えていないか」

「は!?」

 死神はつよい口調で聞き返してきた幸也に顔を向けると、すっと濡れた指をカードにむける。そしてそのまま、口を開いた。

「そのドナーカードが血で汚れてる理由だ」

「……んだよそれ。わけわかんねえ!」

 そくざに幸也は言い返した。

「ドナーカードが血で汚れてる理由だ!? んなのわかるわけねぇだろ! 俺は怪我なんてしてないってのに!」

「……本当にそうか?」

 静かに問いかけられて、幸也は口ごもる。自信満々だったはずだが、間違いないか、絶対そうかと問われれば、首をひねって思い返したくなるのが人の性だと言うことなのか、つい最近持ち物に血が飛ぶような大けがをしただろうかと首をひねった。

「……あれ」

 だが、出てこない。

 どこまで行っても、思い出せない。怪我どころか、自分が今まで何をしていたのかさえ。死神に付き纏われて鬱陶しいと感じていた事は覚えているのに、それ以上のことが何も出てこない。

「……思い出せたか」

 死神は幸也に問い掛ける。対する幸也の声は沈んでいた。

「……うるせぇよ」

「無理もない。お前は……」

「うるせぇっつってんだろ!」

 声を荒げて死神を遮る。しかし、素直に口を噤んだものの、動揺した風を見せない死神に、幸也の方が力なく項垂れた。自分の中にある記憶の空白が恐ろしい。一体自分の身に何が起きたのか。

 死神はそんな幸也を見て殆ど初めてゆるく微笑むと、安心させるように静かに口を開いた。

「お前がかばったあの子、かすり傷一つで済んだらしいぞ」

「……え」

「今は絆創膏一つで元気に遊びまわってるそうだ」

「えっちょ、何の話……」

 死神はキョトンと目を瞬き、何って、と呟く。

「お前の妹のことだが。血がつながってない方の」

 今度は幸也がキョトンとする番だった。しばらく考えたあと、おずおずと死神に尋ねる。

「……庇った」

「ああ」

「……俺が」

「そう言ってる」

 そっか、と幸也は笑った。へへ、と声をあげて鼻をこする。複雑そうながら、その顔は晴れやかだった。

「全然覚えてねぇのが様にならないけど……、嬉しいな、何か」

「無理もない」

 死神はかぶりを振って言葉を継ぐ。

「妹を庇ったお前は車にはねられた。幸い身体に怪我はなかったが……アスファルトに側頭部を強打したお前は」

「……悪い、それ以上は言うな」

 幸也は低く死神の声を遮った。覚えていなくても死神の言わんとしたことはわかる。死神がなぜ自分に付きまとったのかも。

「……いっこ、聞いていいか。……さゆの、ことなんだけど」

 暫くためらうように沈黙したあと、悲痛とも取れる表情で、幸也は死神に問いかけた。

「……あの、さ。えっと……俺が……その……」

 それでも言いよどむ幸也の表情が次第に苦痛に歪んでいく。

「……大丈夫だ」

 死神は俯いた幸也を覗き込み、大きく頷いた。顔を挙げた幸也に続ける。

「……大丈夫だ。間に合った」

「……そっか。……っへへ、そっかぁ」

 幸也は鼻をこすって、照れ臭そうにしながらも初めて満面の笑みを浮かべて見せた。そして、どこか吹っ切れたような顔で続ける。

「……なら、いいんだ。さゆがここにいないのは、自由になれたからなんだな。ならもう、いいや。……うん。いいんだ」

「……わかった」

 死神は頷くと、幸也の背後にある白いベッドに目を向けた。と、俄かにその影が揺らめき、幸也の足下に波紋を広げる。死神は躊躇わずにその波紋に足を踏み入れた。

「……行くぞ、『お兄ちゃん』」

 幸也は目をみはる。それからぶっきらぼうに鼻を鳴らした。

「てめーに言われたくねーよ!」


「雪だー!」

「ゆきだー!!」

 さゆは扉を開けて叫んだ。隣で小さな少女も同じように叫ぶ。後ろで聞いていた中年の女性が、堪えきれないとばかりに噴き出した。

「あんた達、ホントに元気ね!」

「はいっ!」

 さゆは振り返って女性に微笑む。

「もう透析も必要ないし! ……幸也の、おかげで……」

 途中で一変、言葉をつまらせるさゆに、女性は強く微笑む。

「そうよ。だからあんたはうちの子なの! 幸也の分までうちの子、してもらいますからね!」

「……はい!」

 頷いたさゆを見上げ、傍の少女が心配そうに顔を歪める。その表情に気づいたさゆは、安心させるように笑って少女の髪を撫でた。

「るいちゃん、心配してくれるの? ……ありがと、大丈夫だよ、さゆ。幸也兄ちゃんも、ちゃんとここにいるから。……ね」

 言って自分の腰のあたりに、るい、と呼ばれた少女の手を導く。るいは神妙な顔でさゆの腰に触れていたが、やがて肩を落として呟き始めた。

「お兄ちゃん、つぎにゆきがふったら、るいとまたゆきだるまつくってくれるって。ゆき、ふったよ」

「ん、そーだね……」

 さゆは淡く微笑んで頷いた。それから膝をついて、俯いたるいの顔を覗き込む。

「ね、るいちゃん。雪だるま作り、さゆもまぜてよ」

 え、と顔をあげるるいに、さゆは楽しそうに笑って見せた。

「一緒に雪だるま作ろ! 三人で!」

「……うん!」

 るいが大きく頷き、二人は中庭に飛び出して行く。女性はその背後を見送って、ふと首をかしげた。

 ……今、さゆと同い年くらいの少年も、一緒に走って行かなかったか……?

「……気のせい、かしらね?」

 女性は首を傾げる。しかしその表情はどこか、嬉しそうであり、そして切なそうであった。


〈死神と約束の雪〉 了

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