死神と銀幕の女王

「…あら、玲奈。どうしたの?」 読んでいた本から顔を上げ、母が首を傾げる。その様子に、玲奈はほっと胸を撫で下ろした。 「…怖い夢を見たの…」 言うと、母は可笑しそうに笑う。 「まあ、いつまでも子供みたいだこと」 その笑顔はいつもと同じ様で、いつもと違う。玲奈は俯いた。


アイドルとしてデビューし、今や銀幕の女王にまで上り詰めた母君子は、しかしここ最近何かがおかしい。何がとは言えないが、とにかくおかしいのだ。今母が身につけている、黒い宝石を手に入れてから。 そして今日、玲奈は夢を見た。黒い影が母に覆い被さり、母を影に沈める夢を。…嫌な予感がする。


「明日は撮影でしょう?折角自分の力で掴んだチャンスだもの、無駄にしては駄目よ」 「わかってるわママ」 優しく諭され、頷く。きっと自分は不安なのだ。母だって頑張る玲奈の姿を見ればかつての様にまた銀幕へ戻って行ける。 「おやすみなさいママ」 「ええ、おやすみなさい」


玲奈は静かに扉を閉めた。そしてそのまま寝室へ戻っていく。その気配が完全に遠ざかると、君子の足元に伸びた影がゆらりと波打ち、中から男が現れる。黒ずくめの彼は億劫そうに濡れた全身を影から引き上げた。 「…流石銀幕の女王、演技力は全盛期のままか」 君子はやつれた顔でため息をつく。


黒い男は暗い顔で続けた。 「そんな石、捨ててしまえばよかったのに。それは冥界の石…持てば人を狂わせるぞ」 「…構わないわ」 君子は囁く。恋する乙女に戻ったように、白い頬に朱がさした。 「辛くとも…この石を手放さなければ、貴方はこの石を取り戻しに、再び私の元へ来る…ね?」


黒い男は悲しげに呟いた。 「…馬鹿な。濡れ鼠の死神に魅入られるなんて…どうかしてる」 「…ええ、狂ってしまったのかもね。けれどそれは石のせいではないわ。…貴方のせいよ」 柔らかな口調で責められ、死神は深くため息をついた。 「どこの世界も、男は皆同じね」 「死因は恋…か」


「素敵な死因だわ。恋多き女優である私にうってつけね」 立ち上がった君子の足元は濡れている。膝に掛けたブランケットが、本ごと床に落ちた。 「…あの娘は?」 君子は顔を曇らせ、しかし静かに微笑む。 「悲しむ…でしょうね。でも、母親失格の私に、これ以上してあげられる事はないのよ…」


「…本当に、母親失格だ」 死神は苦々しく零し、濡れた手で君子の頬をなぞり、色を失った唇に己の唇を重ねた。そのまま首筋に手をかけ、黒い石のペンダントを外す。 軽いリップノイズの後唇が離れると、君子は笑った。 「キスは苦手なのね」 死神は顔をしかめた。 「ほっといて、くれ」

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