最強転生テンプレート!

石動天明

序章 底辺

Prologue

 ――僕には夢がない。


 竜胆錬司りんどうれんじは、今日一日、ずっとそんな事ばかり考えていた。


 牡丹坂ぼたんざか学院高校の二年生である。牡丹坂高校は、特別に勉強に厳しい訳でもなく、入学願書に名前と最低限の成績を書いて、ちょっと頭の良い小学生ならば鼻をほじりながらでも七割から八割は取れるテストを受ければ、春から通う事が出来る。錬司もその手合いであった。


 但し、学業の成績が思わしくない代わりに、体育系・文化系に拘らず部活動に力を入れており、特にバスケットボールと吹奏楽に於いては全国クラスの実力を持っている。そのような部活動に邁進し、しかし学力で思うようにいかない学生の為に、入学試験が簡単なものになっているという話もある。


 そうした理由で、牡丹坂高校には、部活などで特技を持たずに頭も悪い生徒と、成績は良くないが運動や芸術で優れた点を持つ生徒、そして、文武両道を旨とする成績優秀な学生が一緒くたになっている。

 学年の中で、生徒を成績で分けるという事もしておらず、クラス訳では各クラスのテストの点数が均等になるように、学年のトップとドベとが、同じ教室で勉強しているという事もある。


 錬司の場合、ドべに極めて近い。成績が一番悪い生徒でも運動で活躍している事はあるが、錬司はそれさえもない。


 見た目も、目立つ性質ではない。

 身長があると言えばある。一年生の時の身体測定では、一七六センチだった。今は、それから更に伸びて一七九センチはある。日によっては一八〇を越える時もあるかもしれない。運動部にはこれを越える生徒もざらにいるが、部活も校外活動も何にもしていない生徒の中では、背の高い方である。


 けれども、体重が軽い。一七〇センチを超えているのに、五〇キロもない。身体が弱いので、食べたものを戻してしまう事も多く、酷い時には四〇キロの前半まで体重が落ちる事があった。

 その食べるという事に関しても、かなりの少食だ。この原因は、猫背にある。


 身長はある錬司ではあるが、いつも背中が曲がっている。顎の位置が、脇の下と同じ位置にあるくらいに、頭部を下げているのだ。だから、前後から見ると背が低く見えてしまう。横から見たならば、頭から腰に掛けて、巨大なクエスチョンマークを作っているようであった。


 人間が猫背になっていると、咽喉をものが通り難く、食べる事を苦痛に感じさえする。食事が苦痛なので、自然と少食になり、消化器官が縮小する。消化能力が弱いのでものを食べても栄養にはならない。


 その曲がりくねった背骨のまま、遺伝の所為か身長だけは伸びてしまい、結果として、小食でがりがりのノッポが出来上がってしまったのだ。


 猫背になったのは、高い身長を妬まれたからである。小学生の頃に、ガキ大将のような同級生に、背が高い事を生意気だと罵られて、仲間外れにされたり、危害を加えられるようになった。それ以来、自分の背の高さを隠すように、頭を下げて、背中を曲げて生きて来たのだ。


 自信がない。かつては微かにでも存在していたであろう高身長という自信を打ち砕かれ、卑屈になってしまった今の性格が、今の身体に、そのまま表れているのである。


 頭も悪ければ運動も出来ない。自分に自信が持てない。


 今日は、進級間もないという事もあって、ちょとした進路調査をやった。来年には受験が始まる。その準備期間であるこの一年間をどう過ごさせるか、教師たちが考える資料になるものを書かされたのだ。


 だが錬司には、将来の夢というものがなかった。せめて大学は出る為に、底辺なりに勉強をしている心算である。しかし、何の為に大学へゆくのか、何をやりたいのか、何になりたいのか、自身のなさの所為だろうか、錬司には自分が何かになれた未来を想像出来なかった。


 自分に具体的な目標がない事に対し、嫌悪感を覚えていた。そんな、やたらと長く感じる一日が漸く終わった所である。


 坂の上にある牡丹坂高校――授業終了のチャイムが鳴り響くと、生徒たちは色めき立って、部活に向かったり、放課後の遊び方に心を躍らせたりする。錬司はそのどちらもなく、機械的に下校前のHRを過ごし、帰りの支度をして、教室から出てゆく。

 折れ曲がった高身長を、更に隠すように学ランに身を包んで歩く。


 昇降口で上履きからローファーに履き替える錬司の横に、ふと小さな影が近付いて来た。


 同じクラスの、羽生はぶ未散みちるだった。


 黒い髪を肩まで下ろした、小柄な少女だ。一五〇センチもないように見えるが、ブレザーの胸元やスカートの後ろがぐっとせり出している。背が高くてスタイルも良いモデルのような体型の生徒も稀に見るが、背が低く、胸が大きく、しかも肥満体型でないというのは、かなり珍しいのではないだろうか。


 近付いて来たとは言うが、別に、錬司に用があった訳ではない。同じクラスなので、ロッカーも同じ列にあるものを使うというだけだ。しかも可哀想なのは、背が低い未散のロッカーは、彼女の頭よりも随分と高い身長のロッカーの、一番上の列に決められているという事だ。


 錬司が姿勢を正せば額から上が突き出るロッカーだが、未散ではそうもいかない。未散は、脱いだ上履きを背伸びをしてロッカーに入れて、伸ばした指先をローファーの踵に引っ掛けて、どうにか取ろうとする。

 それがなかなか巧くいかない。ローファーに履き替え、さっさと下校しようと思った錬司だったが、未散が困っている様子だったので、彼女の代わりに靴を取ってやった。


「あ――竜胆くん」


 不意に横から伸びて来た長い手が、自分のローファーを掴んで差し出している。最初は戸惑った様子であったが、未散はローファーを受け取るとにこりと微笑み、


「ありがとっ!」


 と、言った。

 切れ長の眼をより細くして、ふっくらとした頬を持ち上げる。顔立ちとしては美人という訳ではなく、地味な方に見えるが、滲み出る愛嬌のようなものが自然と人を引き寄せてしまう。


「ど、どうも……」


 その微笑みに見上げられるのに耐えられず、錬司は眼を反らしてしまう。そして、そのまま昇降口に足を向け、校門を目指すのだが、すぐにローファーに履き替えた未散が、とてとてと歩いて来て、錬司と一緒に校門を出た。


「竜胆くんって、確か、こっちの方だよね」

「うん」


 錬司が向かっているのは、坂を下りた駅前の商店街だ。商店街を抜けると住宅地があり、錬司はそこの一軒家に住んでいる。


「そっか、じゃあ、途中まで一緒ね」


 と、あの微笑みで見上げる未散。錬司は、首を傾げ、次いで、驚いたような顔になった。


「な、何で……⁉」

「何でって、おかしな事言うわね。私の家もあっちの方だよ?」


 ふふ――と、口元に手をやって、小首を傾け、上品に笑う未散。

 それは錬司も知っている事だ。滅多に話す事はないが、未散とは同じ小中学校時代を過ごした。何度か同じクラスになった事もあり、校風を良く分からなかった高校の入学式で、彼女の名前を聞いた時はびっくりしたものだ。


「そう、だね……」

「折角だし、一緒に帰ろうと思ったんだけど、駄目かなぁ」


 不満そうに上目遣いで見つめられ、錬司は思わず胸を高鳴らせてしまう。実を言うと、この羽生未散に対しては、昔から好意を抱いていた。付き合いたい、恋人になりたいとまでは思っていなかったが、彼女と親しく話してみたいと感じる事は多かったのである。


 それも、未散が人との間に壁を作らずに接してくれるからだ。結果として今のような卑屈な性格になった自分だが、それでも学校に通い、最低限の努力を続けていられるのは、以前、虐められていた錬司を未散が励ましてくれた事があったからだ。


 未散にとってはその他大勢の一人に過ぎない錬司であるが、錬司にしてみれば、未散は自分を孤独から救ってくれた相手なのだ。

 その相手が、他意はなくともこうして接してくれるのは、錬司にとっても嬉しかった。


「そう言えば、竜胆くんは――」


 坂を下りる途中で、未散が話を振って来た。


「学校卒業したら、どうする心算なの?」

「どうする……って?」

「進路だよぅ。今日、やったじゃん。竜胆くんはどうするのかなぁって、ちょっと気になったの」

「えっと……まだ、決まってないんだ……取り敢えず、行ける大学を探しているんだけど」

「そっかぁ」

「は、羽生さんは、何か、決まってるの? 進路……」

「えへへ、実を言うと、私もまだ決まってないんだ」

「そうなんだ……」


 意外という顔を錬司はした。しかし未散は、夢がない錬司と違って、このように続けた。


「女優とか、ダンサーとかにもなりたいし、歌手とか、アイドルってのも良いかも! でも外国行きたいから外交官ってのもあるかなー、私、これでも英語は出来る方なんだよ? 弁護士も良いかも、正義の味方って感じ!」

「――夢が、いっぱいあるんだね」

「うん!」


 屈託なく頷く未散。錬司には彼女が眩し過ぎた。指折り夢を数えていた未散には、きっともっと色々な目標があるのだろう。子供のような純真さで、憧れの未来を語る未散――


「竜胆くんには、何かないの?」

「……僕は、別に……」

「えーっ? 夢見ないなんて、勿体ないよぅ、たった一度の人生だよ! そーだ、何か、得意な事ってない? 好きな科目でも、趣味でも良いからさ、そこから考えてみようよ」

「――」


 錬司は困った。勉強も運動もてんで駄目、趣味と言える程のめる込めるものも持っていない。それでも、敢えて、強いて言えば、同年代の者たちよりもやっているかもしれない事と言えば……どうにか頭を絞って、その言葉をひり出させた。


「家事……とか、かな……?」

「家事? お手伝いしてるの、偉いね!」

「いや、うち、両親が仕事でいないんだ。それで……」


 父親は有名な大企業に勤めており、その海外支部に出張している。母親は東京の大学で教鞭を揮っていて、彼女自身も研究熱心な学者であるので、滅多に家には帰らない。


「そうなんだ。それじゃあ、ご飯は自分で作ってるの?」

「たまにね。殆どはスーパーとか、コンビニで、出来合いを……」

「えぇ? それじゃあ、栄養が偏っちゃうよぅ。身体壊しても良いの?」

「う……」

「身体は資本だからね、大事にしなくっちゃ駄目だよ?」

「うん」


 ふんす、と、胸を叩く未散に、錬司は苦笑しながら頷いた。未散はダンス部とブラスバンド部を兼任していて、学業の成績でもトップ近くを維持しており、文字通り文武両道の人だった。頭の扱いも身体の使い方も巧みな少女の活動には、錬司の何倍もの体力と精神力が必要だ。未散が良く言う、


“身体が辛い時は心で引っ張って、心が辛い時は身体で引っ張るの”


 という信条は、どちらも弱々しい錬司には堪らない程に眩しい思想であった。

 その信条を、語るだけではなく実行してもいる未散であるからこそ、その言葉は説得力を持つ。


 そんな事を話している内に、商店街の前の十字路に差し掛かった。車通りの多い、広い車線の道路だ。真っ直ぐに信号を渡れば商店街に入る。未散は、横の大きな交差点を渡って、家のある方向に向かう。


「それじゃあ、また明日――」


 未散が笑顔で手を持ち上げた。未散が渡る信号が、青になっている。未散はくるりと踵を返して、横断歩道を渡り始めようとした。いつまでもその背を見ていては気持ち悪がられるかもしれない――錬司が顔を横に向けた時であった。


 ぽん、と、背中を叩かれた。振り返ってみると、未散が戻って来ている。錬司が眼を丸くしていると、未散は低い位置から悪戯っ子のように舌を出して、


「背中――」

「え?」

「背中、曲げてばっかりいると、根性まで曲がっちゃうよ」


 一瞬、どきりとした。自分の鬱屈とした性根を、この澄んだ眼に見抜かれたような気になった。だが、未散はそんな考えで言ったのではないのだろう。他意のない微笑と共に、再び横断歩道に向かって行った。


 ぽかんと、わざわざ引き返してそんな事を言った未散の背中を見ていた錬司であったが、この時に彼女の背中を見送っていたから、それに気付く事が出来た。


 広い道路を、凄まじい勢いで、一台のトラックが爆走している。

 既に何度か信号無視をして来たのかもしれない。眼の前の信号が赤なのに、そのままの勢いで交差点に突入しようとしていた。


 錬司はぎょっとなって、未散の方に顔をやった。未散も、当然、そのトラックには気付いている。だが、引き返すにも渡り切ってしまうにも、距離があり過ぎた。どちらかを選択する前に、未散の身体にトラックが直撃するだろう。


 ――危ない。


 本能的に、錬司の身体が動いていた。いや、生物の本能からすると、それは或る意味では間違っているのかもしれない。錬司は、あの質量にぶつけられては、未散が無事では済まない事を感じ取り、彼女が死んでしまうのは勿体ないと考えた。彼女がこの世から失われてはならない――その思考が錬司を突き動かしたのである。


 錬司は意外な程に素早く走った。頭蓋骨が進行方向に突き出しているので、重量に引かれてスピードが上がっているように思った。生まれて初めて、卑屈な考えではなく、猫背に感謝した。


 真っ直ぐな背筋せすじの人間では、走って、対象に近付き、手を伸ばす――そういう工程がある所、手を伸ばす長さが少なくて済んだ。


 錬司は未散を突き飛ばし、彼女が横断歩道の縞模様の中に倒れ込むのを見た。しかし次の瞬間、錬司の視界はぶぉんという音を立てて掻き消えて、真っ蒼な空が広がった。その空が遠退いてゆく。やけにゆったりと雲が動いていた。それなのに視界は狭まり、やがて信号機や電線、建物が視界の隅に入って来ると、腰部に衝撃があった。身体の中で、何かが砕け散る音が聞こえたように思う。


 その痛みを感じる間もなく、錬司の意識が真っ黒に染め上げられる。


「きゃーっ!」


 何処かから、覚えのない声が聞こえた。未散の悲鳴だという事に、錬司は気付かなかった。


 トラックのエンジンの振動が、地面を通じて伝わって来る。その振動によって、胸の真ん中にあったものの鼓動が、掻き消されてゆくようであった。

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