第四章 言葉

Part1

 摩耶によれば、オメガ計画に至るまでのα・アルフォース・Ψ計画に於いて誕生し、理想の姿とは言えずとも、実戦に投入されるようになったのは、一一体。


 αが、三体。

 Ψが、八体。


 三体のアルファの内、一体は人間の形を留めている。他の二体は人前に出る事は出来ないが、戦闘力は高い。


 Aコマンダー、ホーンレプリティアン、キューカンバーがそうだ。


 八体のΨは、一体を除き、全て人工知能を脳に埋め込まれている。脳を接続された機械に、外部から電波を発信して遠隔操作する事も出来るが、基本的には、組み込んだプログラム通りに行動するのみだ。


 キメライブは他と比べると知性的で器用だ。コマンダーの命令には従うので、他のαたちと共に傭兵として参戦している。


 それ以外の命令がないΨは普段、暴れ出さないように厳重に拘束されている。

 錬司と戦ったΨ――ナックルボールは、その八体の内の一体である。


 逞しい両腕に加え、頸がなく肩に埋まった頭部が、四つん這いになった時に正面から見ると、シュモクザメのようなハンマー状に見える。そして特徴的な尻尾を持っている。ハンマー状の身体に、鞭のようにしなる打撃武器である尻尾を持っている姿が、けん玉のように見え、“剣玉”ではなく、“拳玉”と書き換えて、そのように名付けた。


 公式な資料では、


  Ψナックルボール

 

 と、表記される。

 

 Ψナックルボールに与えられた指令は、花果摩耶の捕獲と、彼女が持ち出したΣの奪還である。摩耶の脱走に加えて、錬司を事故に遭わせてしまい、上層部から謹慎を言い渡されたホイル製薬の研究員たちは、Ψたちにその指令を下している。


 中東に派遣されたAコマンダーたち2A部隊は、この任務からは外される事となっている。


 又、二体のΨは、摩耶が脱走を図った折に負傷している。普段はチェンバーの中で目覚める時を待っているのだが、活動を停止している段階で、摩耶がチェンバーに細工をした為に大きなダメージを受け、未だに目覚められていない。


 Σ奪還の命を受けているのは、ナックルボールを含めた五体のΨであるという事になる。


 摩耶は、事故のどさくさに紛れて逃げ出し、錬司が運び込まれた病院に潜入すると、Σを埋め込む手術を行なった。その後、牡丹坂を逃げ出して、二週間、ホイル製薬の追跡を掻い潜って闘争を続け、牡丹坂に戻って来た。


 その摩耶の足取りを追って、残る五体のΨが行動を開始した。彼らに指示を出すべき研究員たちが、謹慎の上本社上層部の監視を受けていた為、指令をプログラムした機械を頭に埋め込み、各地に散らばったのである。


 ナックルボールは牡丹坂付近に放たれたΨであり、暫しの潜伏期間の後、摩耶を発見したのだった。


 そして、Σを手にした錬司が、Ωとして覚醒した場に居合わせた事で、不運にも命を落とす事となったのである。






 勝負は一瞬だった。


 Ψナックルボールに襲い掛かった錬司の感覚は、人間が手にし得る情報以上のものを全て取り込んで処理し、恰も停止した時間を観測するようであった。


 世界の動き全てが、何十、何百、何千、何万枚もの写真を繋げているだけのように見え、その写真の中で、自分だけが自由に動く事が出来るような感覚だ。


 自分に害のある動きを選択して回避し、敵の身体に隙が見えた瞬間、ウィークポイントが確認出来る。何処をどのように攻撃すれば、相手が最も嫌がるが――それを察知出来たのだ。


 錬司は、ナックルボールが仕掛けたカウンターの右腕を躱すと、肩と顔との間に位置し、体毛によって巧妙に隠されていた耳孔を発見した。耳の孔目掛けて、拾い上げた特殊警棒の先端を突き出した。警棒の先端は、針孔に糸を通す正確さで、ナックルボールの耳の孔に潜り込み、脳幹が辛うじて残っているだけの脳を貫いた。


 痛みを感じさせる間もなく、電流を流し込んで、人工知能ごと脳を破壊する。


 眼と、鼻と、口から、機械が破裂する際の爆発を吹き出し、顔の周辺の獣毛をちりちりと燃やしながら、ナックルボールは倒れた。


 呆気ない――


 錬司の、正直な感想であった。


 田上たちを伸ばした時よりも、容易かった。

 武器を使ったという事はある。しかし、それまで摩耶や自分の攻撃ではびくともしなかったような怪物を、ほんの一瞬で倒し……殺してしまう事が出来たのだ。


 命を奪ったという感覚さえなかった。

 完成されたΣが分泌する神経伝達物質が、錬司の心から、高揚感を促すと共に罪悪感の類を奪い去り、その一瞬だけ、少年を熱血にして冷酷なマシーンに変えていたのだ。


「ありがとう……」


 その場にへたり込んでいた摩耶に言われて、錬司は我に返った。


「花果さん……大丈夫ですか⁉」


 錬司は摩耶に駆け寄った。ナックルボールに締め上げられ、摩耶の身体にはダメージがある。


「私は平気よ」


 摩耶の顔は蒼く、とても信じられない発言であった。


「貴方は? どう?」


 摩耶が訊き返した。

 錬司の身体には、痛みはなかった。口の中を切ったのも、治っている。田上たちにやられた傷さえも、なくなっているようだ。


「Σが貴方の身体の細胞を活性化させているの。代謝を促して傷を再生しているのよ」


 摩耶はそう説明した。

 αやΨにも、同じような機能はある。チロキシンというホルモンが普通の人間よりも大量に分泌されるので、傷付いた細胞が消失するのと、細胞分裂によって新しい細胞が生れる速度が速まっているのだ。


「αやΨはその働きが不安定なのよ。だから、傷の再生の際に余計に細胞を入れ替えてしまって、寿命が短くなってしまったり、細胞が暴走してガン化したりするんだわ」


 摩耶はナックルボールの方を指差した。錬司が振り返ると、ナックルボールの巨大な身体は、見る見る小さくなってゆき、最後には垢のような黒い塊が折り重なったものが、山になっているだけの状態になった。

 そして風が吹けば、その黒い塊は、灰のように吹き飛ばされてゆくのだ。


 ばらばらになった機械の部品を除き、そこに巨大なモンスターがあった形跡は、消滅してしまった。


「その特性を利用して、生命活動が停止した時には、自動的に細胞を殺してゆくプログラムが、組み込まれている……」

「――」


 何とも、物悲しい最後であった。


 αやΨになる人間がどうして被検体として選ばれたのか、錬司には知る由もない。だが、実験の果てに人間離れした姿になり、心まで失った挙句、死したならば遺体も残らずに風に吹かれて飛んで行ってしまう。

 それは酷く、哀しく、切ない最期であった。





 セミが鳴いている。

 ミンミンゼミ。


 長い間、地面の中で、自らの身体を作り替えるという時期を越え、溜まりに溜まった身動きの出来ないフラストレーションを、一気に解き放っている。生命と引き換えにして、小便を垂れ、つがいを求めて、鳴き、喚き、叫び、そして飛んでいる。


 牡丹坂高校の校舎の横に、二五メートルのプールがある。レーンは五つ。校舎の正面に校庭があり、校門から離れた方に、体育館とプールが並んでいるのである。


 良く晴れた、一学期最後の日、錬司たちのクラスは、体育であった。

 男子がグラウンドでサッカー。女子は水泳だった。


 サッカーは、それまでの授業で試験を終えているので、二時間をたっぷりと使って、試合をする事になっている。二つのクラスの男子が集まって四チームを作り、総当たり戦を行なう。


 授業の初めに準備運動をやって、それから好きなメンバーでチームを作る事になっていた。


「おい、竜胆、俺たちのチームに入れよ」

「莫迦、そっちにはサッカー部が三人いるだろう。竜胆はこっちのチームだ」

「錬司くんは僕たちのチームですよ」


 生徒同士で錬司の取り合いになっている。この四月までは考えられない事であった。


 と言うのも、事故から復帰し、本格的に授業に参加するようになった錬司は、凄まじかった。


 体育では常に主動を握ってしまう。

 バスケットボールでは風のように選手たちの間を走り抜けて、ダンクシュートを決める事が出来た。ソフトボールをすれば、ホームラン級の当たりを、フェンスに攀じ登ってアウトにする。柔道では対格差のある相手を平然と投げ飛ばし、押さえ込むと岩でも載せたかのように動かせない。


 他の生徒たちと同じ時期に出来なかった体力テストでは、昨年までの記録を大幅に塗り替え、学校で一番になっていた。


 勉強に関しても、一ヶ月近くの遅れなどなかったかのように、優秀な成績を叩き出している。復帰後の追試は勿論、定期テストでもトップ入りを果たし、減点はほんの僅かな誤字だけというものであった。


 それまで底辺のドベだった陰気で目立たない少年は、あっと言う間に学校のヒーローになった。


 背中を真っ直ぐに伸ばし、髪も爽やかに切り揃え、気の所為か身体も一回りか二回り大きくなったように見える。


 何より変わったのは――


「任せてよ!」


 錬司を取り合っていた各チームのリーダーたちが、ジャンケンで決着を付け、自分のチームに入った錬司に期待をしていると声を掛けると、そのように答えたのだ。


 クラスメイトたちに下手に出て、慣れない敬語を使っていた錬司が、対等かそれ以上の関係になって、気の置けない友人たちにするような言葉遣いをしている。


 自信に溢れた長身の少年は、それまでとは全てに於いて一変していた。


 その錬司が、彼の言う通り、試合で活躍する様子を、プールとグラウンドを隔てるフェンス越しに、女子生徒たちも眺めていた。

 錬司が走ればそれだけで黄色い歓声が上がり、錬司がボールを取ったとなれば互いにその活躍を湛え、ゴールを決めれば手を振ったりジャンプしたりして喜び、彼がボールをチームメイトに渡しただけでも、他のメンバーに見せ場を与えたのだとして称賛する。


 その中で、未散だけが、他のクラスメイトたちと同じように彼の活躍を見る事が、出来ないでいた。


 フェンスの表面を敷き詰めるようにしてグラウンドの様子を眺めて騒ぐ同級生たちと比べて、未散は背が低いので、向こうを見る事が難しいのだ。


 はぁ……と、溜め息を吐いて、見物を諦める未散であったが、ふと、競泳水着の女性教師でさえ夢中になっている錬司に、興味を示さないでいる生徒が一人いるのに気付いた。


 やはり試験も終えており、成績も出しているので、自由時間になっているプール。生徒たちが自ら上がって、プールサイドのフェンスに群がっている中、独りで水面を掻いているのは、花果摩耶であった。


 すらりとした体形の摩耶は、水の抵抗がないものであるかのように、鯱にも似た鋭さでプールを泳ぎ、端に到達しては中空の鷲のように方向を変え、再び真っ直ぐに水を切る。


 摩耶が泳ぎを止めたのは、プールサイドに立つ未散の視線を感じた時であった。


 端までやって来た摩耶は、下に足を付いて、未散を見上げた。ゴーグルを首に掛け、キャップを外した摩耶は、


「何か用?」


 と、訊きながら、プールから上がった。


 ぴったりと身体に張り付く、紺色のスクール水着と、健康的なピンク色の手足がマッチしていた。肌に浮かんだ水の珠が、皮膚を伝ってすぅー、と、プールサイドに落ちてゆく。光沢のある水着の表面に陽の光が反射して、白い波を身体に飼っているようだ。胸元はすっきりとしているのだが、腰の辺りからぐっと膨らんでおり、太腿の内側はぴたりと触れ合っていた。


 決して背は高くないのだが、スレンダーでありながらも、腰回りには適度に魅力的な肉が付いている。未散は、肉体の完成度で言えば、完全敗北をしている気分だった。


「えー、その、何て言うか、うぅん……」


 いつかの錬司のような口籠り方を、未散はしてしまった。身体付きのコンプレックスを自覚した事と、特に用もないのに摩耶に話し掛けさせてしまった事で、困ってしまった。


 しかし、後者は兎も角として、身体に関して言えば未散は決して敗けてはいない。ベクトルが違うだけで、未散自身も奇跡的なバランスの上に成り立つ魅力的な身体で、寧ろ男性の目線に立ってみると、未散の方に軍配を上げるかもしれない。


 一四八センチという子供のような小さな身体に、丸く膨らんだ二つの乳房が実っている。僅かに緩んだお腹はぷにぷにと柔らかそうで、抱き締めたくなるようであった。子供っぽい顔立ちの割に、成熟した肉体――そのギャップが、見る者を堪らなくしてしまうのだ。


 摩耶が女性がなりたいと感じるモデルのような体形とすれば、未散は男性が恋い焦がれるアイドルのような体形であると言えるだろう。


「そのっ……花果さんは、竜胆くんの事、応援しないの?」


 未散は、絞り出すようにして、話題を振った。


「竜胆くんの事を?」

「うん、ほら、皆、竜胆くんに夢中みたいだし」

「――別に」


 摩耶は、フェンスの前にずらりと並んだクラスメイトたちに眼をやって、淡々と言った。


「そうなんだ。……でも、花果さん、竜胆くんと一緒にいる事が多いよね」

「そうね。家が近いからかしら」


 そうは言うが、これは嘘である。ホイル製薬に追われる身である摩耶は、錬司の家に、彼と一緒に住んでいる。摩耶の捜索を命じられたΨたちが、いつ、彼女を追って再び牡丹坂に現れるか分からない。その時、Ψと戦える錬司が一緒だった方が、何かと安全であった。


「そっか。転校して来た時も、仲良さそうだったもんね」


 未散は、プールサイドにお尻を下ろした。両脚を胸の前に抱えて、膝の間に顎を載せる。摩耶も、彼女の隣で同じ姿勢になった。


「何だか、遠くに行っちゃったな……」

「え?」

「竜胆くん……」

「――」


 摩耶は錬司の過去を知らない。しかし、彼が明らかに変わってゆくのを間近で見て、そしてその原因となったのが自分である事を、理解してもいる。


「最初は、ちょっと嬉しかったの。いつも暗くて、独りでいて、仲間外れにされていたみたいな竜胆くんが、ああやって皆と溶け込んでいくのが……」

「――」

「でも、皆が皆、竜胆くんに夢中になって、今までの事がなかったみたいに、好きだとか、格好良いとか、そうやってるのは、何だか、もやもやする……」


 私に言えた事じゃないけどね――と、未散は自虐的に笑った。


「……好きなの? 彼の事」

「――へ⁉」


 唐突に摩耶の口から出た、彼女の冷静な調子に似合わない言葉……薄っすらとピンク色のベールを被せたようなワードに、未散の顔がぽっと赤くなる。


「それは……み、皆が、そう言ってるから……勿論、嫌いじゃないけど……」

「以前から彼の事が好きだったのね」


 摩耶はやはり淡々と、未散に追い打ちを掛ける。


「だ、だから、そういう事じゃ……そういう事じゃなくて……っ!」


 言い返せば言い返すだけ、ドツボにはまってしまう。それは分かるのだが、未散は摩耶の様子とは正反対に、あたふたと慌てふためいて、言葉を重ねて誤魔化そうとする。


「だったら安心して良いわ」

「わ、私は、そうじゃ……って、安心?」

「貴女は他の人たちと違うみたいだから……」

「それは、どういう……?」


 未散が訊いた所で、摩耶が腰を上げた。再びキャップとゴーグルを付け直して、プールに身体を下ろしてゆく。


「別に彼は、何処か手の届かない場所に行ってしまったとか、そういう事ではないから」

「――」

「元から、貴女が好きな、優しい人よ」


 摩耶はそう言って、顔を水に付けた。蒼い地面の上と大量の水との間に、黒と白のシルエットが歪みながら溶けてゆく。水面に緩やかな波が起き、それに沿って摩耶の身体が進んで行った。


 未散は、その姿を見送っていた。

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