Part3
「――竜胆くん?」
未散に声を掛けられて、我に返る。
「な、何?」
「何だか、ぼーっとしてたみたいだけど……ああ、毎日、大活躍だもんね、疲れちゃうか」
「――」
「ちゃんと休んでる? 駄目だよ、無理しちゃ」
と、悪戯っ子のように笑う未散。この笑顔は、前と何も変わらない。
スーパースターの竜胆錬司と並んでいる事を、その小さな身体の何分の一にもステータスとしては考えていない、澄み切った表情だった。
二人は坂を下り切って、いつもの交差点に差し掛かっている。
街灯がほろほろと光を落とし、車が行き来するのを眺めていた。
「あ、そーだ、竜胆くん。これ……」
未散が鞄から封筒を取り出した。
「お祖父ちゃんが貰った遊園地のチケットなんだけど、ダンス部とブラバンのメンバーに配っても余っちゃったから、竜胆くんにも上げるね」
未散が封筒からチケットを出して、錬司に渡した。海沿いにある国営の遊園地で、ジェットコースターや観覧車などの定番のアトラクションの他、広い草原や季節の花が咲く丘など、様々なアウトドアの遊びが出来る施設だ。
「花果さんにも、渡してね」
未散は、二枚、錬司に渡した。
「ありがとう」
錬司はチケットを鞄に入れた。直進の信号がもう少しで青になる。渡れば商店街に入る事になり、錬司の自宅まで真っ直ぐに行く事が出来る。
「……でも」
と、その口が、勝手に動いていた。
何を言おうとしているのか……錬司は脳内を駆け巡る言葉を理解しながら、それを止める事が出来なかった。
「僕は、羽生さんと、行きたいな……」
「え?」
未散は、きょとんとした顔になった後、
「うん、良いよ? じゃあ、皆で予定を合わせて行こうか。それなら皆も喜ぶし……」
「羽生さんと、二人で、行きたい」
錬司は言った。
普段ならば咽喉の奥に留めて置くだけの言葉を、錬司の口は易々と紡いだ。
「わ、私と? それって、どういう……」
「僕、羽生さんの事が……」
その後に続く言葉を、錬司は分かっている。何年もの間、閉じ込め続けた言葉だ。自分と彼女の心地良い関係を、一言で壊してしまう事が出来る。だから言わなかった。本当は言いたくて堪らないのに、何としても言いたくなかった言葉だ。
「――竜胆くん」
不意に、摩耶の声がした。錬司が渡るべきだった信号が赤になっており、向こうから摩耶がやって来るのに、気付かなかった。
「花果さん――」
未散が、急に現れたような摩耶に、びっくりした表情を作る。
摩耶は制服から、私服に着替えていた。白いワイシャツを、ざっくりと胸元を開けて着ている。鎖骨の膨らみが左右に伸びており、屈めば緩んだ胸元が見えてしまいそうだ。蒼いデニムのショートパンツを合わせており、むっちりとした太腿に黒いオーバーニーソックスのふちが喰い込んでいた。
「行くわよ」
摩耶は錬司の手を取って、未散の帰路とは反対の歩道に向かって歩き出した。錬司は摩耶の手を振り払う事が出来ずに連れてゆかれてしまい、未散はぽかんとした顔で二人を見送ってしまった。
「待ってよ、花果さん!」
あの交差点の前から、少し離れた、ひと気のない道路で、錬司は摩耶の手を振りほどいた。ここまで来れば、摩耶も錬司を解放する心算だったらしく、それ以上に拘束する事はしなかった。
「何の心算ですか」
錬司の声に、苛立ちが絡んでいた。
「貴方こそ、何の心算なの」
摩耶の言葉にも、ぴりぴりとした、棘のようなものが纏わり付いている。
「彼女に告白する心算だったのかしら」
「う――⁉」
「随分と調子付いた事をするものね……」
「な……⁉」
摩耶は冷淡な口調で吐き捨てた。腕を組んで錬司の前に仁王立ちになり、睨み付けるようにして、錬司の事を見据えている。
錬司の中で、沸々と黒い感情が湧き上がって来ている。Σの影響か、錬司は感情の表現が以前よりも少し大きくなったように見える。それは怒りに関しても同じ事だった。以前ならば平気で我慢出来た事が、今は強い気力で抑制せねば、爆発してしまいそうになる。
「何が言いたいんです」
「少し人よりも強くなれたからって、はしゃぎ過ぎなんじゃないかしら、というのよ」
「はしゃぎ過ぎ⁉」
「今の貴方は、Σのお陰で、運動や勉強が出来るようになったんでしょう。それを、自分の力だけで何とかしたって、勘違いしてるんじゃないかしら」
「だから、貴女に感謝しろって、そう言いたいんですか⁉」
「違うわ。貴方は自分の力を楽しんでいるだけ……玩具を与えられた子供のように。他の人は事情を知らないから分からないかもしれないけど、私にはそう見えるわ」
「な……」
錬司は言葉を失った。力を楽しんでいる? 玩具を与えられた子供?
Σの力が、自分の今の地位を築いた。それは間違いない。だが、その力に溺れないように、日々のトレーニングは欠かしていない。周りの皆が求める助けにいつだって応じていた。それの何処が、力を楽しんでいる事なのか。子供のように遊んでいるだけなのか。
「それが傲慢なのよ……」
「傲慢⁉」
「貴方がやっていた事を、Σの被検体ではない普通の人間でもやっている人はいる。Σによって与えられた力ではなく、自分が与えられたカードだけで、勝負をしようとしたする人は」
「――」
「貴方はΣの力に驕らないようにトレーニングをしている気になっていたようだけど、それは違うわ。貴方はΣに操られていただけじゃない」
「操られていた? Σに⁉」
「貴方はΣを得て暴れたがっていた。最初の日からそうだったわ。私が勧めなければ、トレーニングなんか始めなかったんじゃないかしら」
「――」
言われてみれば、そうかもしれない。
退院したその日から、錬司は身体を動かしたくて仕方なかった。登校してからも、弱っている筈だった錬司の肉体は、激しく動き回る事を望んでいるようであった。
摩耶が錬司に接触を計らなかった場合、その衝動は、今のような形で現れたであろうか。
何も知らないまま、今までの自分とは違う力を得て、それをただ喜ぶままにして、しかし力を維持する努力を、果たしてしようと思っただろうか。
摩耶の助けを得ないまま、運動でも、勉強でも、誰よりも高い所に立ってしまった時、急に与えられた力に疑問を抱きながらも、行使し続けて、天狗のように舞い上がってしまったのではないか。
「……それは、そうかもしれません」
錬司は静かに言った。摩耶の言葉を呑み込んだ事で頭が冷えていた。だが、その冷たい思考回路が、摩耶の行動を非難してもいた。
「でも、それと、僕が羽生さんに言おうとした事を、貴女が止めようとするのは、別の話じゃないですか⁉」
「それが調子に乗っていると言うの。貴方はΣの力を自分でコントロールしている気になっている。正しく物事を見る冷静さを欠いている貴方の告白は、本当に彼女の事を想ってのものなのかしら。Σに刺激されて高揚した、獣の発情期みたいなものじゃないの?」
「――そうだとしても……」
よせ。
錬司は頭の中でそんな声を聞いた。
或いは、そのように言ったのかもしれない。
Σを得てパワーアップした自分が、今、摩耶を非難しているのだとしたらば、そう言っているのはΣを得る前の脆弱な自分だ。その言葉を、自分の内にある別の意見として聞いていたのなら、摩耶と話しているのは、Ωとしての自分であるという事になる。
だが、その制止が、利かなかった。
制止の言葉を掛ける一方で、その言葉を吐き出したい自分もいる。事故以前とかシグマを得た後だとか言っているが、結局、竜胆錬司の人格は一つしかない。シグマの力で調子に乗っているのも錬司なら、未散への告白を断られるのを恐怖しているのも錬司だ。
だから結局、その言葉は、錬司自身が摩耶に対して抱いていた本音なのだろう。
「貴女に言われたくありません……」
「え――」
「僕がこうなったのは、貴女の所為じゃないか!」
自分が調子に乗って眼を曇らせていたのなら、それはΣが与えた力の所為だ。
Σを得たのは、事故に遭って、再起不能の重傷を負ったからだ。
事故に遭ったのは、摩耶を逃すまいとしたトラックが運転を誤ったからだ。
摩耶がホイル製薬からΣを持って逃げ出さなければ、あの時、未散が轢かれそうになって、それを庇った錬司が背骨を砕き、Σを得る事もなかった――
Σを得た事によって錬司が変わってしまったのなら、それは摩耶の所為だった。
「――っ……」
しかしそれを言ってから、後悔した。そんな事は誰よりも摩耶自身が、分かっている事だったからだ。だから摩耶は、錬司にテンプレートを渡しもしたし、同じ屋根の下で暮らしたり、彼に肉体を維持する為のトレーニングを勧めたりもした。
摩耶の顔が強張り、刹那、氷の表面の薄い層が溶けて滴るように、摩耶の表情から何かが抜け落ちて行った。
錬司はむきになった自分を恥じ、今の発言を取り消す言葉を口にしようとした。
“助けて……”
錬司の優れた聴力が、未散の声を捉えてしまったのは、その時だった。
「竜胆くん……」
摩耶が何か言おうとしたのに背を向けて、錬司は走り出した。摩耶の手が、少年の背中を追うように虚空を泳ぎ、そして沈んだ。
――どういう、事だ……⁉
Aコマンダーは唖然とした。
今回の制圧には、彼も加わった。と言うよりも、今回の出撃はAコマンダーをリーダーとする、四人のα・Ψ部隊のみでの行軍となった。
敵本拠地への直接攻撃である。
反政府勢力がゲリラ的な行動を可能としていたのは、彼ら自身に特定の根城がないとされる為であった。しかし、戦闘になるたびに新しい兵力を投入して来るのだから、何処かに補給した物資を貯蔵して置く場所がない訳がない。
多くの兵士たちは近隣の町に身を隠し、事を起こす時にのみ出動する。その指示を出し、武装を与えている部隊がいる――
その拠点と思しき場所が発見され、コマンダー率いる2A部隊は斥候として出動した。
斥候として彼らが選ばれたのは、少人数でありながらも、小隊に劣らない戦力を保持している事による。又、敵勢力が潜んでいたのは、彼らが雇われている国と、隣国との境目にある町であった。ここで問題を起こせば、反政府テロ組織対策で協力し合っている国と国同士の関係に、亀裂が入る事も懸念された。
だから、他国の人間であり、隠密行動に秀で、且つ高い戦闘力を誇る2A部隊だったのだ。
トラックの後ろにキューカンバーとキメライブを貨物と一緒に乗せ、頭をすっぽりと覆う現地の服装でホーンレプリティアンを変装させている。Aコマンダーは服を脱いだりグローブを外したりしなければ、未調整の人間と何も変わらない。
コマンダーがトラックの運転手として振る舞う一方で、ホーンレプリティアンが情報を探り、敵の拠点であるとはっきりすれば、直ちに攻撃が開始される。
だが――
「どういう事だ⁉」
コマンダーは思わず声を荒げた。
トラックで町まで近付くまでは分からなかったが、町そのものが、壊滅的な被害を受けている。
しかも、重火器や戦車などで荒らされたのではない。町の外見には殆ど被害が見られなかったが、住民たちの殆どが殺害されていたのだ。
殺し方は様々だったが、一貫していたのは、銃やナイフなど、武器によって殺されたのではないという事だ。鈍器や煉瓦で頭を殴らていたり、パイプで腹を貫かれていたりはしても、切り傷や銃創が死因となった者は、いないようである。
「奴……ら、が……やった、か?」
目撃者の可能性がなくなり、存在を隠す必要がなくなったキューカンバーが、トラックの荷台から降りて来た。日除けのシートを毛布のように身体に巻き付けている。
奴らというのは、敵対勢力の事だ。自分たちが拠点を突き止めた事を知り、町の人々を殺害して逃亡を図ったのかもしれないと、キューカンバーは想定した。
「やりかねない連中ではあると思うが」
反政府勢力の原動力は、彼ら独自の宗教観である。自分たちの教えに従わない者、別の宗教を信仰する者は、人間としても認識しない。異教徒に対する殺人は、布教の邪魔をする悪魔を撃滅する事として推奨されていた。
仮にコマンダーたちの動向が知られ、ひた隠しにしていた拠点が明らかになってしまったと知った場合、彼らは密告者の存在を疑い、町の人々を虐殺するくらいの事はしてみせるだろう。だが、それはないとコマンダーは思った。
「宗教家って奴は、兎角、自分たちの形を重視する……。奴らのやり方は圧倒的な武力による殲滅戦でなければならない」
彼らの崇める神は、圧倒的な炎によって異教徒と悪魔を排除するというものだ。現代で言う、ロケットランチャーやミサイルのような重火器を用いる事こそ、彼らに神の戦士たる自覚を与える。
だから、同じ武力であっても、肉体を重視した殺し方はしない。コマンダーの推測はそうだった。
「ゆくぞ」
コマンダーは部隊のメンバーに指示を出し、拠点とされていた建物まで進攻した。この惨状を作り上げたのは、敵勢力とは異なる勢力ではあるのだろうが、一体、何者なのか。しかし武器弾薬を使用しない相手と戦うのならば、自分たちの方が戦力は上だった。例え一〇〇人や一〇〇〇人が襲って来ても、三人のαと一人のΨであれば、三〇分もしない内に皆殺しに出来る。
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