Part2

 陽は落ち切っていた。校舎から交差点までの坂には、等間隔で街灯が建てられ、その明かりがぽつぽつと暗い地面を照らしている。


 摩耶と錬司は、坂を下り、商店街を抜けるまで、殆ど話をしなかった。錬司が口を開こうとすると、摩耶が黙殺してしまう。


「さて――」


 と、摩耶が口を開いたのは、昨日は田上に絡まれた公園であった。ベンチに腰掛けた摩耶が、自分の横に座るように促した。


「最初に、謝って置かなくてはいけない事があるの……」

「謝る?」

「貴方が事故に遭ったのは、私の所為なのよ」

「ど、どういう事ですか⁉」


 摩耶と初めて顔を合わせたのは、病院だ。それ以前に、彼女と会った事はない。それが事故に遭う直前だとしても、摩耶の顔を見た事はなかった。それに、あの事故は自分の所為だと思っている。


 勿論、信号を無視したトラックが悪いが、自分の頼りない背中を正そうとした未散が、その僅かなタイムラグで横断歩道を渡ろうとし、トラックに轢かれる所であった。未散を助けて事故に遭ったのなら、その責任を果たす事が出来たという事が出来るが、それが摩耶の所為とはどういう事か。


「貴方を撥ねたトラックは、ホイル製薬のトラックよ」

「ホイル製薬?」

「大企業の下請けだけどね……外国にいる貴方のお父さんが勤めている会社の、子会社でもあるわ。話が大きくならなかったのは、お父さんの上司と、会社の上層部が、どうにか穏便に済ませようとしたから」


 錬司は、あの事故に関する裁判の詳細を知らない。が、事故を起こしたのが父の勤め先の子会社であるのならば、自社の顔に泥を塗りたくない本社と、本社と諍いを起こしたくない父との間で、何らかの取引があったとみても良い。それならば話が大きくならないのも納得だ。


「ホイル製薬では、或る研究をしていたわ。あのトラックが積んでいたのは、その研究成果よ」

「それが、どうして、花果さんの責任になるんです?」

「――」


 摩耶は一度、沈黙を挟んで、話を続けた。


「私が、トラックに積まれていた荷物を奪ったから」

「奪う⁉」

「ええ。花果摩耶というのは仮の名前――高校生としての立場もね。本名は明かせないけど、元はホイル製薬に勤めていた研究者なの」

「何故、そんな、嘘を? それに、荷物を奪ったって……」

「貴方を見守る為よ。先ずは、ホイル製薬の研究について話すわ」


 摩耶は、鞄からケースを取り出した。テンプレートが入ったケースだ。


「テンプレートというのは、貴方も分かるよう、マウスピースと似たようなものよ。でも、マウスピースは飽くまでも競技用の防具……テンプレートは治療機器に当たるわ」

「治療?」

「ええ。貴方もこれを付けた時、身体が真っ直ぐになるのが分かったでしょう? テンプレートを噛む事によって、脊椎の並びが正常化するの」

「はぁ……」


 錬司は、テンプレートを装着した時、眼前に迫った田上のパンチを躱している。その直前、寸止め状態になった。それは、錬司の頭部が、脊椎の並びの正常化によって、僅かに後ろに下がったからだ。


「それが、あのトラックに積まれていたんですか?」

「ええ、その一つ。でも、勘違いはしないで。このテンプレートは、普通の治療機器ではないわ。もう一つの研究と合わせて真価を発揮する……兵器なのよ」

「兵器?」

「そう。ホイル製薬の研究とは、生態兵器を造り出す事なの」

「生体兵器⁉」


 突如として飛び出した、非日常的な言葉に、錬司は眉を顰めた。


「正確に言うのなら、元々研究していた技術を、兵器に転用したという事になるけどね」

「ま、待って……待って下さい」


 錬司が話を遮った。


「生体兵器……兵器って、つまり、その」

「戦車やミサイルと同じ、戦争の道具よ」


 戦争……


 少なくともこの日本では、世界中を巻き込んだあの大戦に敗北してからは、縁がないように感じられていた言葉である。錬司は、話にしか聞いた事はなく、実感を以て口にした事はない言葉だ。


「戦争の道具を、日本は、作ってはいけないんじゃなかったんですか」

「言ったでしょ、兵器に転用した、って。ホイル製薬がしていた研究を、武器商人たちが買い取った形になるわね」

「――」

「日本では戦争は縁遠いものに思われるけど、世界ではそうではないわ。今も内紛が続いている国はあるし、他にも、テロやゲリラ戦なんかは日常茶飯事。近年では、も何やらきな臭いしね。つまり、戦う為の手段が欲しい人間たちは、世界平和を掲げる時代にしては、まだまだいるって訳」

「――」


「話を戻すわね。ホイル製薬がしていた研究だけど、簡単に言えば、人体の機能を復元、強化、拡張するというものよ」

「機能を復元?」

「何らかの理由で、身体の機能が使えなくなる人っているでしょう。眼が見えない、耳が聞こえない、ものを掴めない、歩く事が出来ない……先天的であれ、後天的であれ、そういった障害を持つ人たちは多いわ。その人たちの身体能力の回復や向上を目的としてされていた研究よ」

「――」


「何年か前に発見された万能幹細胞ってあったでしょう。あれと併用する事で、高齢者であっても、オリンピック選手並みの運動能力を発揮する事さえ可能になる――理論上はね」


 幹細胞とは、細胞のストックである。身体の細胞が失われた時、その部位を補う為に、失われた細胞と同じ形に変形するのである。万能幹細胞とは、どのような部分にも変形する細胞で、失われたのが皮膚の一部であろうと、内臓であろうと変形し、機能を取り戻させる事が出来る。まだ実用段階にはないが、モルモットや猿を用いた実験は成功している。


「その研究を、生体兵器の製造に利用し、彼らはα計画を発動した」

「アルファ計画?」

「身体能力強化人間――」

「強化人間⁉」


 摩耶が頷いた。


「本来ならば、高齢者や身体障害者の肉体の機能を取り戻す為の技術を、健常者に使用して、元の身体能力を引き上げるの。その計画で誕生する強化人間のコードネームが、αというわ」

「――」

「さっき、言ったわね。日本では兵器を造ってはいけないんじゃないかって」

「ええ」

「でも、α計画は、その抜け道を通っているの」

「抜け道……」

「研究の名目は、当初と変わらず、身体機能の復元という事になっている。そして、そのノウハウさえあれば、海外に持ち出す事も可能よ。それ所か、α計画によって誕生したα自身が、何食わぬ顔で飛行機に乗る事さえ可能だわ。」


 国内で、銃やミサイルを造り、海外に持ち出す事は違法であるし、余程の計画性がなければその前に見付かってしまう。だが、その技術の出し入れは可能であった。デジタルでもアナログでも、データを記録した媒体があれば良い。誕生するαも、人間の姿をしているのだから、流出は止めようがない。


「でも、何故です」

「――」

「何故、人間なんですか。戦争がしたいなら、やっぱりそれは、銃でも戦闘機でも……」

「その理由の一つは、今も言ったように、輸出が容易だからよ。もう一つは、その方が効率が良いからね」

「効率?」

「今、大きな戦争が起これば、それは大戦の比ではなく、世界中を巻き込んだものになるわ。軍事国家の多くは核ミサイルを保有している。その撃ち合いになるか、撃つ前に攻撃されて自国を滅ぼしてしまうか――そうなれば、戦争に参加していない国にまで被害が及ぶ」

「――」


「それを防ぐには、少数精鋭の戦力が必要だわ。つまり、敵対する相手の指揮官や国家元首を、周囲に可能な限り被害を与えずに暗殺する事。又、環境に配慮するのなら、核兵器や、ベトナム戦争の時のように枯れ葉剤を撒くなんて事は出来ない……」

「――」

「超人よ」

「超人――」

「一人いれば、それだけで戦局を覆し得る超人……故に、αが完成した暁には、


 アルフォース――alph(αにして)o(Ωである)force(戦力=最後の戦士――


 と呼ばれるものになる筈だった」


 でも――と、摩耶。


「失敗したのよ、アルフォース計画は」






 某国――


 地表を焦がすように太陽の光が降り注ぎ、砂の粒に反射して空を睨む。天地に挟まれた空間は常に熱を孕んでいるが、日本程の湿気がないので嫌な気分ではない。


 尤も、戦場に於いては湿度や気温などは気にしていられる訳もない。


 砂漠の真ん中にある町だ。生物の生活には水が不可欠であり、河の傍やオアシスの周囲に町が発展する事は当然と言えた。その町から少し離れた場所で、何台ものジープが行き交っている。


 オアシスを手に入れようとする反政府勢力と政府軍が争っているのであった。


 砂を蹴り上げて唸る鉄の騎馬。その上からマシンガンを構えた兵士が、同じように銃を構えている敵兵を射殺する。或いは、その前に鉛玉を何発も撃ち込まれて車上から転がり落ちた。


 或る車両が爆発炎上した。エンジンを撃ち抜かれたらしい。爆炎が空気を歪めた。血の匂いを煙の香りが覆い隠す。


 その炎の柱の陰から、爆発の寸前にジープから飛び降りた兵士が立ち上がった。政府軍は砂色、敵対する勢力は臙脂色の軍服を身に着けていたが、その兵士が着用しているのは黒い軍服だった。しかも妙な事に、その兵士の服は妙に安っぽい。生地が一番分厚いのが、ブーツの底くらいに思えた。顔をすっぽりと覆うマスクをしているが、眼を砂から守るゴーグルは大柄な割にまるで安物のサングラスくらいの厚みだ。


 敵兵のジープが迫る。黒い軍服の兵士は、恐らくは金で雇われた傭兵だった。異国の人間であれば、その国に対する人質となる。反政府勢力の目的は、一国の奪取だった。他の国の人間を盾にしてその国から現在の政府に働き掛けさせる――彼らの常套手段だった。


 又、炎上する車から投げ出された上に、武器は全て捨ててしまっている。抵抗は出来ないだろうと思われた。四人乗りのジープの助手席に乗った兵士が、黒い軍服の傭兵に照準を合わせたまま接近してゆく。後方の兵士たちは、傭兵を救出しようと近付くジープや、走り回る別の兵士を牽制していた。


 と、黒い軍服の傭兵との距離が、五、六メートルくらいまで近付いた時だった。不意に、傭兵の姿が掻き消えた。しっかりと付けていた筈の照準を、つい外してしまう兵士。


 すると助手席の兵士が、急に横に倒れ込み、砂の地面に落下した。ハンドルを握っていた兵士は、仲間の突然の離脱に戸惑った直後、自分も同じく車から弾き出されたのを感じた。


 撃たれた⁉


 そういう衝撃ではなかった。ジープが回転しているのは、吹き飛んだ自分が回転しているからだった。だがすぐに体勢を立て直す事は出来る。自分たちは幼い頃から戦闘訓練に明け暮れ、戦場で生き抜く術を叩き込まれている。宇宙飛行士がするような訓練だってやった。


 回転を数え、自身の状態を正しく認識し、着地する――


 しかし男は、脳天から砂の地面に打ち付けられた。しかも動けない。仮に頭から砂に刺さったとしても、腕や足を動かせば前なり後ろなり横なりに倒れられる筈だ。それが出来ない。


 何故だ⁉


 恐らく兵士は、それが分からないまま死んだのであろう。ジープを運転していた兵士の身体は、ジープの上にあり、ハンドルを握り続けていた。車上から落とされたのは、運転手の頭部だけだったのだ。


 そして運転手の首を失ったジープも、やがて横転し、爆発した。その炎の中から現れた黒い傭兵――その人物が着用していた軍服は、やはり安物のようだった。炎の中で生地の殆どが燃えてしまい、その素肌が露わになる。


 その身体は、奇妙であった。


 皮膚の色が、灰色っぽい。しかも全身に渡って角質化し、肩や肘、手の甲などからは、棘のようなものが生えている。鼻から下顎に掛けてが前方に突き出して、鼻頭が下唇に覆い被さるような形になっていた。目頭の間がやたらと離れており、頭部の側面に近い位置にあった。


 何より特異なのは、その頭部だ。ごわごわとした髪の中から、一対の角が突き出している。肘や肩の棘と同じようなものだった。粘土のように柔らかい皮膚を抓んで伸ばし、表面を硬質化させて固定したようなものだ。


 奇妙な傭兵は、その片手にボールのようなものを引っ提げていた。遠くから見ると、バスケットボールを二つ、ネットに入れて持っている学生のようでもあるだろう。だが、ここは学校ではなく戦場だ。


 角のある傭兵が持っていたのは、ジープの後ろに乗っていた敵兵の頭部であった。運転手にしたのと同じように、頸を肘の棘で切り裂いて、無理やり引き千切ったのである。兵士たちの顎がだらんと垂れ下がっている。切断の瞬間に弛緩した筋肉が、死後硬直によって固まり始めていた。


 別のジープが、火柱の傍に立つ怪物のような兵士に駆け寄ってゆく。その異相を既に捉えていた。彼らはロケットランチャーを取り出すと、角のある傭兵に向けて発射した。


 その奇怪な兵士は、迫りくる砲弾を、頸を持っていない手で受け止めた。砲弾は爆発し、彼の姿は炎と煙の中に掻き消えた。

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