第7話 野良にゃんこの思い出 ②

「もしもし……もしもし……」


誰かの呼び声で目が覚めた。

トロ箱の中の蘭子が、うっすらと目を開けると……


目の前には、真っ黒な牝猫が

心配そうに覗き込んでいました。


「お嬢ちゃん、大丈夫?」

「おばさん、だぁれ……?」

「あたいは黒猫のクロ子っていうんだよ」

「……そう」


衰弱しきった蘭子は、しゃべる元気もありません。


「おまえ、お腹が空いているんだね」


「……うん」

「おばさんのオッパイ、お飲み」


そういうと、クロ子は蘭子に

オッパイを与えてくれました。



黒猫のクロ子は

10日ほど前に仔猫を産みましたが

人間に見つかって、仔猫たちを

取り上げられてしまったから、

――まだ、産後間もなくなので

オッパイがいっぱい出るのです。


「親はどうしたんだい?」

「人間に捕まった」


オッパイをいっぱい飲んで、

生き返った蘭子は、針金の箱にお母さんが捕まって

人間に連れていかれてしまったことや、

自分は逃げてきたことを、クロ子に説明しました。


「そうかい……」


その話を聞くと、

クロ子は悲しい顔をしました。


「おばさん、あたしのお母さんはどうなったの?」


蘭子が訊くと……。


『虹の橋を渡ってしまったんだよ』


「虹の橋? そこに行くとお母さんに会えるの?」

「……会えるけど、おまえはまだ行っちゃいけない」

「なんで?」

「逃げろって言っただろう? 

だから、まだ虹の橋を渡ってはいけないんだ」

「お母さんに会いたいよ」


蘭子は泣き出しました。


「ダメ! お母さんが悲しむよ」


「……お母さんを悲しませたくない」

「だったら、独りぼっちになっても生きるんだよ!」

「うん!」


そして親のいない仔猫と、

子のいない母猫の共同生活が始まった――。


「餌を貰いに行くよ!」


その掛け声で、

クロ子の後ろに付いて、蘭子も駆け出します。


一軒のきれいな家の前に到着します。

2匹は塀の隙間をくぐって

庭の中へ侵入していきました。



「さあ、ここで鳴くんだ。思いっきり大声で!」


クロ子にそう言われて、蘭子は、


「ニャアー、ニャアー、ニャア―――!!!」


喉が張り裂けんばかりに、大声で鳴きました。


すると玄関の扉が開いて人間が出て来ました。

とっさに逃げようとする蘭子に、


「お待ち! 逃げなくていいよ」


クロ子が静止した。


「あら、クロ子ちゃん久しぶりね。

おや、赤ちゃんを産んだの?」


優しそうな人間の女の声だった。

チラッと猫ばあさんのことを蘭子は思い出しました。


「ちょっと待っててね」


そう言うと、いったん家の中に入っていって

しばらくして出て来たときには、

餌入れに缶詰のキャットフードがてんこ盛りでした。

ちゃんと2匹分あります!


嬉しくて、嬉しくて、蘭子は夢中で食べました。

こんな美味しい餌を食べたのは初めて!


猫ばあさんの時は、

いつもカリカリのキャットフードだったから……。

たまに竹輪もくれたっけ。


2匹が食べている間、

ニコニコしながら、その人は見ています。


猫ばあさん以外にも

野良猫が好きな人間がいるってことに

蘭子は驚きました。


餌を食べ終わると、

二匹はゆっくりとその家を立ち去ります。


帰るとき、なに気なく振り向いたら、

バイバイと手を振る人間の後ろで、

真っ白で毛の長い猫が窓越しに

こっちを見ていました。


それは見たこともない猫でした。


「おばさん、きれいな猫が家の中に居たよ」

「あれかい。あれは『ペット』っていうんだよ」


「ペット?」

「人間に餌や住む場所を貰って生きている飼い猫なんだ」

「あんな美味しい餌が貰えるなんて、イイなぁ~」

「……だけど、あたいたち野良と違って、あいつには自由がないんだ」

「自由?」

「死ぬまで、あの家の中からは出れない!」

「空き地を走ったり、虫と遊んだりできないの?」

「安全だけど……『ペット』なんて、退屈な暮らしだよ」

「そうなんだぁ~」

「あたいも1年くらい『ペット』だったけど……、

引っ越しの時に捨てられて、野良猫になったのさ」


クロ子は遠い目をしてそう言った。


――クロ子はとても利口な猫でした。

本来、猫を飼っている人間は、猫好きが多いから

庭先や玄関の前で、仔猫を連れて憐れっぽく鳴くと

ほとんどの家では餌をくれました。


そうやって、出稼ぎ(餌乞い)に

あっちこっちへ貰って歩きました。

クロ子と蘭子は名コンビです!



一緒に暮らし出して

1ヶ月ほどたった頃に、

クロ子の様子が変ってきました。


元気がなくなり、昼間は寝てばかり

最近は餌もあまり食べなくなってきて

出稼ぎ(餌貰い)はもっぱら

蘭子独りでいくことが多くなってきました


時々、カリカリの餌を

咥えて持って帰って与えますが、

まったく食べようとしない。


クロ子はどんどん痩せてきて……

蘭子は心配でなりません。


「おばさん、大丈夫?」

「ああ……もう、ダメみたいだよ」

「そんな……」

「誰もいない所で、

ひっそりと死にたかったけど……

おまえのことが心配でどこにも行けなかった」


「おばさん、死なないで!」


「ありがとうね。仔猫は何度も産んだけど……

こんなに長く一緒にいたのは、おまえが初めてだったよ」


「おばさん! 独りにしないで!!」


「楽しかった……」


クロ子は静かに微笑んだ。


「野良猫になって5年さ……これでも長生きした方だよ」

「おばさん! クロ子おばさん……」

「おまえは生きるんだ」


最後に、そう言い残して。

――クロ子は眠るように息を引き取った。

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