第8話 野良にゃんこの思い出 ③

ずっと、

クロ子の遺体から離れずに

蘭子は泣きづづけました。


「おばさん、おばさん、目を覚まして!」


野良猫は発情期の猫同士の喧嘩や、

飛び出す習性があるので交通事故にも遭いやすい。

また、猫パルボ・白血病・伝染性腹膜炎などの

怖ろしい伝染病よって、命を落とすことも多い。


野良猫の寿命は、仔猫の死亡率が特に高いため

平均して3~4年といわれている。


室内で適正飼育されている

飼い猫(ペット)は15~20年くらい

長生きすると最近の調査で分かりました。


同じ猫なのに、この寿命の差は何でしょう?


近所の住民が通報したのか、

翌朝、ゴミ回収のパッカー車がきた。

作業員はクロ子の遺体を掴むと、

ゴミ処理口に放り込んだ。


野良猫の死体なんて、ゴミと同じ扱いだ。


クロ子の死体を乗せたパッカー車を

蘭子は泣きながら……

どこまでも、どこまでも追いかけていった。


独りぼっちになるのが怖くて耐えられなかった――。


そして、ハッと気づいたら、

知らない町まで来てしまっていた。

帰り道も分からず、ウロウロしていたら……


「おい、チビ! どこからきた?」


大きな野良猫にすごまれた!


ビックリして逃げ出したら

走ってきた自転車にぶつかって

撥ね飛ばされて、蘭子は側溝に落ちた。


前脚から血が流れていた。

痛くて動けなくなり、側溝で丸まっていたら、

通りかかった小学生の男の子に拾われた。


そのまま、少年の家に連れて帰られたが、


『野良猫なんて飼えない! 捨ててきなさい!!』


玄関先で、母親が怒鳴っていた。


『ケガしてるんだ。明日飼ってくれる人探すから

今日だけは置いてやってよ』


少年が泣いて頼んでくれたので、

一晩だけ置いて貰うことになりました。


ケガした前脚に薬を塗って、

温かいミルクを少年が飲ませてくれました。



――だが、

翌日、少年が学校に行っていない間に

お母さんが蘭子を保健所に連れて行ってしまいました。



キャンキャン!

ワンワンワン!!


ヒステリックな、犬たちの鳴き声が聴こえた。


ニャーオニャーオ……


時おり悲し気な、猫の鳴き声も混ざっています。


ここがどこなのか

仔猫の蘭子には分かりません。

ただ、小さな檻の中で

不安で怖くて震えていました。


「まだ小さいのに可哀相にのう……」


ふいに、そんな声が聴こえてきました。


「だぁれ?」

「わしは、ここじゃ」


見ると、向いの檻の中にいる

ゴールデンレトリーバーの老犬が

蘭子に話しかけてきたのです。


「あたし、どうなっちゃうの?」


蘭子の質問に答えずに

おじいさん犬は自分の話を

勝手にしゃべり始めました。


「わしは長い間、人間にペットとして

飼われておったんじゃ」


『ペット』の話は、以前にも

クロ子に聞いたことがあると思い出した。


「人間と暮らしていたの?」


「そうじゃ、飼い主が年を取って亡くなって……

わしを引き取って飼ってくれる者がいないので

保健所に引き渡されてしまった」


「ここに連れてこられた犬や猫はどうなっちゃうの?」


おじいさん犬は悲し気に


クゥーン……

と、ひと鳴きして黙ってしまった。



『殺処分』


保健所、動物管理センターなどへ飼い主からの

持ち込みは即日処分の対象となり、所有者がわからない場合は

飼い主が現れる可能性があるので、いったん檻へ収容されます。

狂犬病予防法に基づく抑留1週間、

最終日の檻の先には、ガス室が待っているのです。


犬はケージ、または専用の処分機に直接押し込まれ、

猫は金網や袋にまとめて入れられて施設内に

あるガス室にて処分されます。

約10分間の炭酸ガス噴射の後、コンベアーが

焼却炉に向けて上がり出します。


野良猫の蘭子は、飼い主が見つからない場合

保健所で『殺処分』になってしまう運命でした。


あれから、1週間ほど経ったでしょうか。


檻の中の暮らしにも少し慣れてきました。

ここに居ると決まった時間に餌が貰えます。

何よりも、それが嬉しい蘭子でした。


向いの檻に居たゴールデンレトリーバーの

おじいさんはいつの間にかいなくなっていました。

そして、おじいさんが居た檻には……

また、別のわんこが入っています。


今度はトイプードルという犬です。

そのおばさん犬は、飼い主だった人間を呼んで

悲痛な声で鳴き続けていました。


『ペット』って……

人間がいないと生きていけないのかなぁ~?

なんだか不自由な生き物なんだ。

そんなことを蘭子は思いました。


「ルチア!」


いきなり人間の声がしました。


それに応えるように、

向いの檻のわんこが狂ったように

尻尾を振って吠えています。


いったい何が起きたのか!?

蘭子はビックリして見ていました。


「良かった! ルチアが無事で!!」


小学生の女の子とその母親の二人

どうやら、トイプードルの飼い主が迎えにきたようです。

保健所の職員が鍵を開けて、わんこは檻から出して貰いました。


リードを付けられた時の『ペット』の

安堵しきった嬉しそうな顔ときたら……

きっと、彼ら『ペット』はリードのない生活の方が

不自由なのかも知れない。


「お世話になりました。

ここに保護されていて良かったわ。

庭から外へ出ちゃって、誰かに連れていかれて、

迷子になったみたいなんです」


「首輪が付いてるから、

きっと飼い主が、迎えにくるだろうと思っていました。

期日が過ぎたら『殺処分』されるところでしたよ」


「まあ! ルチアが『殺処分』なんて怖ろしいわ!!」


保健所の職員と女の子のお母さんが

そんな会話をしていました。


女の子が、蘭子の方をジィ―――と

見ています。


「おじさん、この仔猫はどうなっちゃうの?」


「ああ、その子は今日で1週間だから、

明日には『殺処分』になるんだ」


それを聞いた瞬間、女の子の表情は氷つきました。


「ウソ! 明日、この子死んじゃうの?

まだ、こんなにちっちゃいのに……可哀相だよ。

お願い! 助けてあげて……」


女の子の瞳からポロポロ涙が零れました。

保健所の職員も困った顔をしていますが……

これは法律で決まっていることなので仕方ありません。


「ママ! うちで飼おうよ!!」


「無理よ! ルチア以外に

うちにはわんこが3匹もいるでしょう?」


「この子、殺さないで……」


女の子が泣きじゃくりました。


そのまま、お母さんに宥められながら、

愛犬と一緒に帰って行きました。



――明日が『殺処分』になる日、

我が身に降りかかる運命のことを

蘭子は何も分かっていない。



ついに次の朝がきた――。


毎朝、餌の時間だけが楽しみな、

檻の中の蘭子でした。

だけど……。

今日は何だか様子が変なのです!


ギャンギャン吠えながら

犬たちがどこかへ連れて行かれました。

猫たちが次々に金網に入れられています。


いったい、何が起こるのでしょうか?


この不穏な雰囲気に……

恐怖で蘭子はガクガク震えました。


「チビ、おまえもだ」


そう言って、職員が蘭子の檻に

手を突っ込んできました。


小さいながらも威嚇(いかく)して

爪を立てて、必死で抵抗しています。

きっと、この手に捕まったら殺される!!

蘭子は本能的に、それを感じていたからです。


「ちっこいくせに気の強い奴だなあー」


手こずらせる仔猫にイラついた職員は

ガシッと身体を鷲掴みします。

強い力に息もできず、蘭子はグッタリしました。


その時です!!


「待ってくださーい!!」


昨日の女の子が飛び込んできた。


「仔猫を飼ってくれる人を連れてきました!」


その時に、女の子と一緒にやってきたのが

猫カフェ『にゃんこの館』のオーナーの美弥(みや)さん。


猫カフェをオープンしたばかりなので<

にゃんこスタッフを募集していました。

実は、この女の子が美弥さんのいとこ沙菜(さな)ちゃん。


今は高校生になった、沙菜ちゃん、

将来は獣医さんを目指して勉強も頑張っています。

猫カフェ『にゃんこの館』で

時々、アルバイトもやっているのです。


         *


危機一髪、命が助かった蘭子は

猫カフェ『にゃんこの館』のスタッフになりました。


ここへ来たばかりの頃は、

気が荒れていて、悪さばかりして

美弥さんを散々手こずらせてくれました。


それで付けられたスタッフ名が


らんこ=乱暴者


という意味なのです(笑)



あれから4年経って、

猫カフェ『にゃんこの館』の暮らしにも

すっかり馴染んでいます。


それでも、時々『野良猫の血』が騒いだりします。


「ここの暮らしは平和で退屈なんだよ」


ちょっと、ぼやいてみます。


「おいらはランねぇが居るから、ここがいいなあぁ~♪」


クーが無邪気な顔でそういった。


一瞬、黒猫のクロ子のことを思い出して

胸が痛くなる蘭子です。


お母さん、クロ子おばさん、

蘭子を生かせてくれてありがとう!

何よりも生きることの喜びを

今、感じているのです。


――食事を知らせる声が聴こえました。


元気よく走っていく、

蘭子とクーの2匹は血が繋がらなくても

猫カフェ『にゃんこの館』で働く仲間であり、

にゃんこファミリーなのです。


虹の橋を渡った、みんなの分まで

頑張って生きていこうと、

蘭子は心に強く誓いました。



                 ― おしまい ―

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る