2. ハイド&シーク

 「あ、ごめん私家にコーヒー買ってくから。先帰ってて」

 「いつもの?樹んち好きだよね」

 「りょーかい!あと15分だよ~」

 公園帰りの道、小さな交差点の角を曲がる前で私は2人と別れた。このビルの1階、テナント店舗のひとつに目指す店はある。別にコーヒーはこの店って決めてるわけじゃないけど、ランチ帰りにも会社帰りにもよく寄る一番近いコーヒーショップだ。

 ……けど今日の目的はそれだけじゃない。

 「いらっしゃいませー」

 入店するなり、店内の客を素早く目視で確認する。まず同じ制服の女子は…いない、次に見覚えのあるサラリーマン…なし。新入社員の頃に受付業務の経験もあるし、社内の人間の顔はだいたい覚えてるので多分間違いない。あくまで気を抜かないまま注文カウンターを通り抜け販売ブースへ移動、まずは母がよく飲むデカフェの豆を一袋ゲット。再び店内を目視しつつもレジ付近まで戻ると、端に置かれたカゴにようやく到達する――中に山積みされているのは、オレンジ色の毛並みで、首に黒いリボンを巻いた小さなクマたち。おしゃれなポップには、かわいい丸字でこう書かれている。

 『リトルテディ ハロウィン限定カラー! 一匹連れて帰りませんか? 620円(税込)』


 ええ連れて帰ります今すぐ。


 実質このコーヒーチェーン店は私の中でコーヒー屋というよりクマのぬいぐるみが売っているショップだ。大きさはいろいろあるけど、一般的なぬいぐるみタイプはテディベアの専門店にはやはり敵わないので、個人的目玉はミニサイズのストラップタイプのクマ。季節限定商品をバシバシ出してくれるしそれが毎回どれも本っ当に完成度高いしかわいいししかもお安いという、いつも思うけどむしろ何故同じ店でコーヒーを売ってるのか意味がわからない。最大限何気なさを装いつつ、カゴの中のリトルテディを複数手に取る。

 小4の頃、ランドセルに大事につけたこの子(ノーマルバージョン/ピンク)を指しつつ「お前ってそういうの似合わねーよな!」とクラスの男子に言われたことを、私は今も鮮明に覚えている。父母兄にかわいいを連呼されて育った末っ子の私は、自分がいわゆるボーイッシュ系女子であることにその時までまったく気付いていなかったのだった。まあちょっと考えてみれば、常にショートカットショートパンツでマラソンが得意とかって女子はそりゃもうボーイッシュとしかいいようがないだろうし、もう既に名前も覚えていないその男子に悪気は100%なかったと思う。ショックで立ち尽くしてしまった私はきっとそこで怒ったり泣きわめいたりすればよかった…のかもしれないけど、実際はとても素直に「あ、そういやそうだな」と妙に納得してしまって――以来かわいいものを買う時はどうしてもコソコソしてしまう。知人に目撃されるのはなんとなく気が引けるし、似合わない私に買われてしまうかわいいアイテムたちへの罪悪感?的なものもあるんだと思う。

 発売日は4日前のはずだけど、すでにカゴの中は15匹を切ってる感が…早めに来てよかった。時間もないので、一匹一匹の顔をどんどん見ていく作業を開始する。昔から、ぬいぐるみを買う時はできるだけ同じ種類のもの全ての顔を見て一番かわいい、というかピンときた子を選ぶことにしている。今回はなんとなく口がにっこりしてるような気がする候補の子を2匹見つけてしまった。これは……うーんどっちを選べばいいん


 「森さん?」


 「………………ッッツツ!?!?!?」

 私の悲鳴は声にすらならなかった。文字通り何センチか飛び上がって振り向くと、そこにいたのは隣の部署かつ隣の島の『人事のスパダリ』こと林主任。私としたことがクマ選別に夢中になりすぎてまったく気付かなかった…カムフラージュ用のコーヒーも持ってはいたけどカゴの真ん前で明らかに2匹手に乗ってるし意味なさすぎてもうこれどうするどうしたらいい!?

 「あ、あのこれは」

 「森さんもここのクマお好きなんですか?」

 「え、えっと、……………へ?」

 も?

 …今『も』って聞こえたような???


 「突然すみません、もし良ければ、僕の分も一緒に買って頂けませんか?」


 後から思えば本当に失礼なことに、私はぽかんと口を開けてニコニコと笑いかける主任の顔をまじまじと見つめてしまった。あまりに意外すぎて、いや私も人のことは言えないんだけどあまりにも意外すぎてセリフの意味がわからない。主任の分の?クマを買う?……………あっなるほどお母さんに頼まれて的な


 「僕はクマのグッズが好きで、ここのクマも新しいものが出ているとつい欲しくなってしまうんですが」


 まままままままままさかのご本人用クマ…!!私はなんとか当たり障りのない相槌を打ったつもりだったけど、多分はえ、とかふえ、とかの意味不明言語になっていた気がする。しかもここの限定クマの常連だ、と………おそらくこれは白昼夢かなにかではないだろうか。

 …とまで思ったのに、目の前の端正な顔の男性は、少しはにかんだ顔でこう続けた。


 「前にこのお店で買った時、店員さんに……その、ひどく引かれてしまったことがあって…僕が買うのはなるべく遠慮した方がいいのかなと」


 ――あ、この人、私と同じだ。


 私は全てを理解した。欲しいものを買うだけで誰にも迷惑はかけてないはずなのに、趣味嗜好に多少の違和感があるってだけで周囲から奇異な目で見られてしまう――今の主任の気持ちが私には手に取るようにわかる。この人の困難さに比べたら私なんて制服とはいえ一応スカート履いて今ここに立ってるんだし、バリバリ女性向け商品買うのにはまだ向いている。

 わかりました主任、ここは私に任せてください。身体を張らせていただきます。

 「了解です。1匹でいいですか?」

 そう返した瞬間の主任はすごく眩しい笑顔で……私はこの人の二つ名に納得がいったし、何より主任のリトルテディへの愛を確信した。この人はきっと、クマをとても大事にしてくれる飼い主に違いない。

 「はい、1匹で大丈夫です」

 「どの子にしますか?」

 「え?その、森さんが持っている限定の…」

 「あ、種類はこれだとは思うんですが、みんな少しずつ顔が違うので、どの子かなと……」

 「…顔が……?」

 自分が大変な失言をしてしまったっぽいことを、きょとんと効果音がつきそうな主任の表情を見て気付く。家族以外の誰かとぬいぐるみ買いに行ったことなんて今までの人生で一度もなかったし普通の人は顔選ばないって知らなかった…!迂闊!!あまりの恥ずかしさにうっかり涙が出そうになった時だった。


 「森さんは本当にぬいぐるみがお好きなんですね。今お聞きするまで、僕は考えたこともありませんでした」


 嘘じゃなかった。馬鹿にしてもいなかった。主任の言葉が心から私に理解を示してくれているのがこちらにきちんと伝わる…というのがすごい、人事の対人能力の高さを改めて実感する。同時に浮かべられたいつもの優しげな笑みは、ここまでやたらテンパりまくりの私を徐々に落ち着かせてくれて……零れる前に、なんとか涙は引っこんでくれた。

 「ではせっかくですし、森さんに選んでもらってもいいですか?」

 「は、はい。…あの、この2匹がすごくかわいいなと思っていて…主任はどちらがいいですか?」

 「本当だ。なんだか少し笑っているみたいに見えますね」

 「そ…そうなんです!口元がなんとなくニコっと……あ、すみません」

 「いえいえ、わかります。僕はどちらも気に入ったので、森さんのお好みで」

 「あ、私もどっちでも……」

 「では、休憩時間も残り少ないですし、道々選別ということで」

 「は、はい!」

 店の片隅でやたらヒソヒソしまくっていたクマ購入事前打ち合わせはそこで終了、会計を済ませて私たちは急いで店の外に出る。会社に向かって歩きながら、丁寧なお礼と共に少し多めに払おうとする主任を全力で止めつつ、お釣りをぴったり渡そうとしてやんわりと辞退されたり……そんなこんなで、会社に着く頃にはクマはどっちがどっちを取ったのかもわからなかった。甲乙つけがたかったし、これで結果オーライかな。

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