1. Gegen die Liebe ist kein Kraut gewachsen.《恋に付ける薬はない》
常連じゃない、他の曜日でも見ない初めての客だった。どう見ても俺らより年上、オールバックの髪をクドい匂いのポマード的な何かでピッチリ固めたクドい顔の男だ。なんつーか、別に不細工ってわけじゃなくかなり整った方ではあるんだが、絵に描いたような太眉の下に睫毛ビラっビラの二重、日本人離れした高い鼻に、女優みてぇなブ厚い下唇……とにかくパーツひとつひとつの主張がデカすぎる。さらに上等な…多分グッチあたりのスーツの袖からオメギあたりの腕時計をこれ見よがしにちらつかせてて、端的に言って『俺金持ってます』アピールもクドい。入店後の注文の仕方も、独りでカウンターに座った大島へのアプローチもこなれててスマートに見えたんだが、いかんせん色々クドいのが本当に残念な男としか言いようがない。
「チーズはお気に召したかな?」
「ですね」
「さ、次は何を飲む?」
「あなたに言う必要なくないですか」
差し入れされたチーズを躊躇なく頬張りつつも、案の定大島は取りつく島もなさすぎる塩対応で、見てるこっちが気の毒になるレベルだ。割といつもニコニコしてるイメージがある奴だったし、ここまでの無表情は同期やってて三年目の俺でも初めて見る。
「ふふ…そうは言いつつも、席。変えないよね?」
それでもまったくメゲず、クドい男は人差し指をおっ立てて自信たっぷりにウインクする…もう顔は諦めるから、いちいち台詞回しとアクションが一昔前の少女漫画みたいなクドさなのはなんとかならんのだろうか。
…しかしその指摘通り、俺がここにいるせいで大島は席を替えないし店から出ない。今はバーテンの俺も、まさか正体が日本人な上に客の女と重要な話待ち、なんつーことを一見の客に知られるわけにもいかず、結果こいつを調子に乗らせちまってることは間違いない。
「はあ」
「わかった。君は少し照れ屋なだけで…本当は俺と飲みたかったり、するのかな?」
「いえそれはないです好きな人がいますので」
突然大島がハッキリキッパリ言いやがって前置きなしは俺の心臓に悪いからやめてくれマジビビる。しかしまあ、バーで遊び半分に引っかけようとした女にここまで言われれば退かない男もなかなかいねえだろ。
…と思いきや、クドい男は思わせぶりにゆっくりと両手で頬杖をつき、会話を続行するから大したもんだ。
「ふーん……で、相手の男は?君を好きなの?」
「さあ?」
「さあ、って」
男がもう待ってましたと言わんばかりに『(苦笑)』としか表現できないオーバーリアクションで肩をすくめやがるので見てるこっちが痒くなるほんとやめろお前はもはや存在自体がクドすぎる。しかし大島は眉ひとつ動かさないまま、いつものトーンで冷静に端的に返事を返す…ほんとこいつもこいつですげーな、肝の据わり具合半端ねえ。
「私の気持ちは理解してくれてます。それ以上何か必要ですか?」
「待った!それって……君が一生懸命告白したのに返事がない、ってこと?」
「そうですね保留中です」
「…好きになってもらえなくてもいいんだ?」
「ええ」
「……強がらなくてもいいのに」
「いえ特には。迷惑と言われれば離れますが」
「―――本当に、打算ないんだ?」
途端、男の顔つきがスッと音が聞こえそうなほど変わった。同じ男としてよくわかる、まずい多分これスイッチ入っちまったやつだ。
「正直、見返りを求めない女なんて初めて逢ったよ」
さすがに見た目は変わらないが、突然言動からクドさが抜け始めた。恐らくだが…この男が自分で定義する『いい男』を演じなくなってきている。
「余程女運なかったんですね」
「ははっ…そうかもしれないね、でも今日の俺は運がいい。君に逢えた」
「はあ」
「その男は、こんなにいい女相手に誠意ない態度を取ってるんだろ?」
「今のは聞き捨てならないですね」
大島が、いきなり場の全てが凍り付くような絶対零度の声を出す。
「部外者のあなたに彼の誠意を推し量られる筋合いはありません」
「「…………………」」
男はポカンと口を開けて大島を見てた、けど多分俺も同じ顔してたと思う。ここまで一貫してこの男にカケラも興味ナシで適当にあしらってきて、急にキレたと思ったら俺庇う為とか……今この場に居る3人中一番男前なのはこいつだ、間違いない。
――つーかこんなん目の前で言われてグラつかない男がいるんだったら、俺は確実にそいつとはダチになれない。
「…すまなかった。謝るよ」
「どうも」
「でも決めた。本気で狙ってもいいかな、君のこと」
…目がマジだ。誠に遺憾ながら、この男は俺と同じタイプだったってわけか。
「不許可で」
お前は即答かよ!
「諦める気はないよ」
ってお前は即答されてもメゲねえのかよ!
「なら聞くなよな」
男はハトに豆鉄砲を食らって俺を凝視する。そりゃそうだ、さっきまでまったく日本語通じなかったドイツ人バーテンが突然ツッコミ入れてきたんだからな。でももうバレてもなんでもいいからこの会話を止めねえと、と思うくらいにはこの男は本気だった。
となれば選択肢はひとつ、俺も本気で止めるしかねえ。
「…………、ちょ、」
ああまったくお前は……さっきまで鉄仮面でも被ってそうなツラだったくせになんでそんなリアクションしちまうかね。ほとんど条件反射的に顔を赤くした大島が見てたのは勿論俺で、そうなればこの色恋沙汰にこなれた風のクド男が勘づかないわけがない。
「……なるほどね、俺はとんだお邪魔虫だったわけだ」
オジャマムシて。ジュラ紀ぐらいに聞いた単語だぞほんといつの時代からここに来やがったんだお前はツッコミが追いつかなさすぎる。
「…………えと、」
「……………」
正体バレに焦る大島とは逆に、俺の肝はもう決まっていた。ま、こうなりゃとことんやるしかねえよな。
「でも、君を困らせたいわけじゃないんだ。……お詫びに今日のところは帰るよ」
ところが…男は懐に手を入れ、カルティオらしきマネークリップから慣れた手つきで万札を1枚抜くと、俺に渡して席を立つ。
「釣りはいらない、彼女の分も全てこれで」
「!…どうも、ゴチです」
対応はあくまでもスマートだった。金払いもいいし、俺に喧嘩を売るわけでもない。この状況でこんだけの器を見せられるってことは、あのクドい演技さえなきゃこいつ普通にモテまくってると思うが…。
ふと男が振り返る。
「……と、まだ名前を訊いてなかったね。俺は槙野」
「小島です」
待てこのやろう大島今本気で吹くかと思ったこの状況でほんとお前容赦ねえな!?
「小島さん、またここで。じゃ」
「お断りですご馳走様でしたさようなら」
盛りに盛った大島の最後通告が聞こえたのか聞こえなかったのかはわからないまま、槙野はひらひらと手を振りながら、振り返らずに店を出て行った。
去り際もいちいち潔くて俺にすら好印象、さらに金銭的な部分で言えば逆立ちしたって今の俺にはマネできないレベルの持ち主だ。…なんかあいつクドささえなきゃ割と完璧にいい男じゃね?本当に、心の底から残念な男だ。
「ふーっ」
と、目の前から盛大なため息が聞こえて、見ると大島が改めて喉を鳴らしつつエールをあおっている。まあ、せっかくの部活だってのに色々神経尖らせて飲んでただろうから改めて飲み直してんだろうが……その前に。
「お前……、これからしばらくここ来ないほうがいんじゃね?」
「え?」
「なんでっておいおい、あいつまた来るって……」
「…迷惑?」
「へ?」
「特に騒いではないけど、やっぱカウンターの雰囲気イマイチにはなるよね。………迷惑かな?」
ああもうほんとになんなんだお前は大島利津。(クドいのさえ除けば)かなり高レベルのいい男が全力で落としにかかったってのに微塵もブレる気配すらなく、ついさっきまで防火扉の如く鉄壁の防御を敷いてた女が、今じゃどこもかしこも隙だらけっつーより隙の権化だ。隙の権化て。前回で俺も学習した通り本人はあくまで自覚ゼロなんだろうが、正直そのギャップは卑怯すぎないか???
「…べっつに、んなこたねーけどよ」
「………そっか、よかった」
「とりあえず次飲めよ、今日はおかげさまでまだ金に余裕あんだしな」
「ウッス」
被せぎみに即答した大島が光の速さでメニューを手にして悩み出す。
誰もが認める同期の才女、経理部期待のホープ。
……そんな奴がここまで俺の隣に居たがる可能性なんて考えてもみなかった。
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